
となりのトップランカー #35 | 子どもを置いて家出した日のこと②
夫と子どもたちと別居して、
もう3年以上が経ちます。
当時の私は、家事と育児、
そしてフルタイムの仕事に追われ、
全く余裕がない状態でした。
そのうえ、夫からは女としての役割を
毎週のように求められ、
私は疲弊していました。
人によっては、それは妻として
愛されている証拠であり、
嬉しいことなのかもしれません。
けれど、当時の私にとっては、
それは夫婦という合意の皮を被ったレイプ
のようなものでした。
夫の存在そのものが、怖くて仕方がなかったのです。
そんな歪な生活も、ある日の朝、
本当に些細な出来事が引き金となって決壊し、
私はもう耐えられなくなりました。
今までずっと一人で我慢をし続けて、
簡単に消化できなくなるほど関係性の悪化を
放置していたことが原因だったのだと思います。
きちんと話し合っていれば、
解決する道もあったのかもしれません。
けれど当時の私は、その話し合いすらも諦めて、
すべてを放り出して家を飛び出してしまったのです。
夫婦生活というものは、
何の努力もなく継続できるほど、
甘いものではありませんでした。
このままこの家にいたら、
私の心が、私という人間が死んでしまう
と本気で思いました。
そして、それだけは絶対に避けなければいけないと、
本能が告げていたのです。
だからこそ、私は子どもを置いてでも、
家を出るという選択をしました。
未来を選ぶために
私には、「働かなければならない」という
プレッシャーがありました。
夫は完全固定給のサラリーマンで、
持病を抱えていることもあり、
将来的な昇進の見込みもなければ、
本人にその気もありません。
これから子どもたちが成長し、
進学などでお金がかかってくることを考えれば、
私の収入の多寡が、
そのまま子どもたちの未来の選択肢を
左右することになります。
贅沢はさせてあげられないかもしれないけれど、
親としてできる限りのことはしてあげたい。
せめてお金のせいで、
不自由な思いだけはさせたくなかったのです。
家事も育児も決して嫌いではありませんでした。
けれど、それ以上に私は、
仕事というものが好きでした。
働いて、自分の力でお金を稼ぐこと。
その役割の中にこそ、
私は自分のアイデンティティを
感じることができたのです。
だから私は、家を出て、
目一杯働こうと決意しました。
朝から晩まで、どれほど過酷であっても構わない。
そばにいてあげられる時間が少ない分、
経済的な自由だけは、子どもたちにしっかりと
保障してあげようと思ったのです。
家出をした直後、
子どもたちを私の実家に連れてくる
という選択肢も考えました。
けれど、私の実家に引っ越すとなれば、
子どもたちは今の学校を
転校しなければならなくなります。
そのうえ、私の実家は古く、両親も年老いていて、
子どもたちを迎え入れるほどの広さも
余裕もありませんでした。
結果として、
子どもたちの生活環境を第一に守るため、
ひとまず夫の元で暮らすという形に落ち着きました。
一度、夫に離婚を投げかけたこともあります。
けれど夫からは、
「離婚するならお前とは縁もゆかりもなくなるから、
子どもたちには二度と会わせない。
でも、俺たちの生活が不自由しない程度のお金は、
毎月きっちり入れてもらう」
という、理不尽極まりない言葉が返ってきました。
そのあまりに身勝手で幼稚な暴論を聞いた瞬間、
私はこの人との対話を完全に諦めました。
私だけの戦場へ
家を出てからの最初の半年間、
私は実家で暮らしていました。
けれど、そこは決して
居心地の良い場所ではありませんでした。
母と仲が悪いわけではないのですが、
母は昔から、私の人生や選択に対して
全く無関心な人だったのです。
命がけで家を飛び出してきた娘に対して、
詳しい事情を尋ねることもなく、
「あら、そうなの」という一言で
片付けられるような関係でした。
毎日の食事こそ用意してくれましたが、
母は朝のうちにその日の夕食までを
すべて作り置きしてしまう人でした。
そのため私は、実家の物置になっていた
かつての自室で、机も椅子もない
むき出しの冷たい床に座り、
一人で時間の経った食事を取っていました。
一方で、母は私の長男のことは、
目に入れても痛くないほど溺愛していました。
長男が生まれてから保育園に通えるように
なるまでの期間、仕事をしていた私に代わって、
日中の面倒を見てくれていたからです。
ある時、そんな母が私の前で、
ボロボロと涙を流しながらこう言ったのです。
「お願いだから、あの子(長男)を
悲しませることだけはしないで」
それを聞いて、私はまた、
(あぁ、私はもう、ここにはいられないんだな)
と静かに悟りました。
母は、断腸の思いで家出をしてきた娘の私ではなく、
長男のためになら泣けるのです。
振り返ってみれば、
母が私のために泣いてくれた姿など、
ただの一度も見たことがありませんでした。
私は見放されたような気持ちを抱えながら、
実家を出て一人で暮らすことを決めました。
父に保証人になってもらい、なんとか見つけたのが、
現在も暮らしている激安のワンルームアパートです。
そのアパートは、オートロックも何もついていない、
築30年を優に超える古い建物です。
けれど、室内は綺麗にリフォームされており、
浴室とトイレも別々のセパレートタイプ。
何より、駅から徒歩10分以内、
インターネット代込みで
家賃35,000円という安さは、
私にとって最大の魅力でした。
世間から見れば、
「女性の一人暮らしで、
オートロックもない古いアパートなんて危険だ」
と思われることでしょう。
けれど、私は全く気にしていませんでした。
それには、私が高校を卒業してすぐに実家を出て、
初めて一人暮らしを始めた、
二十歳の頃の苦い記憶が関係しています。
当時の私が住んでいた部屋には
オートロックがついており、
家賃も55,000円と今よりずっと整った環境でした。
しかしある日、買い物帰りの私の後ろを
尾けてきていた男がいたのです。
私はその男を同じマンションの住人だと思い込み、
何の疑いもなくオートロックを一緒に
通過させてしまいました。
男は私の部屋の玄関まで入り込み、
私を床に押し倒しました。
服の下に無遠慮に手が滑り込み、
身体を乱暴に触られました。
必死に大声を上げ、男の腕に爪を立てて
死に物狂いで抵抗したことで、
なんとか撃退することはできましたが、
その事件以降、私はしばらく
男性という生き物が怖くて仕方がありませんでした。
その経験を経て、私は気づいたのです。
防犯なんて、結局のところ相手次第なのだと。
もし相手が、私のことを本気で殺そう、
あるいは犯そうと思って
ナイフでも突きつけてきたら、
オートロックがあろうがなかろうが、
抗う術などありません。
絶対の安全なんか、ない。
それならば、現実的な家賃の安さを私は選びました。
新しい部屋で一人暮らしを始めたその日の夜は、
布団の中で、
「やっと、私のお城ができた」
と思ったものです。
戦う意義
そうして自由を手に入れ、
昼間のお仕事を必死に頑張っていましたが、
私の営業成績は思うようには
上がっていきませんでした。
それどころか、二重の生活費を工面するだけで
これまでの貯金をすべて使い果たした挙げ句、
悪い縁が重なった結果、
多額の借金まで背負うことになってしまったのです。
(詳しくは、#02をお読みください)
当時の私には、もう夜の世界で働くことでしか、
生き延びる道は残されていませんでした。
別居している夫と子どもたちの生活費のうち、
私の負担分は大体毎月10万円ほどです。
そこに自分自身の生活費と、
抱えた借金の返済費用が
毎月上乗せされてくるのですから、
普通のお仕事の給与だけでは、
どう逆立ちしても追いつくはずがありません。
以前、夜職の接客中に、
あるお客様がこんな愚痴をこぼされていました。
「別れた元嫁に、養育費として
毎月8万円渡しているんだよね。
正直、生活が苦しくてさ……」
私はそのお話を、
「大変ですね、偉いですね」と笑顔で受け止め、
優しく頭をよしよしと撫でて差し上げました。
内心では、
(私も別居中の身で、
あなたより多い額を毎月支払っていますよ)
と、思いながら。
別に、だから私の方が偉いと
言いたいわけではありません。
私はただ、心理的にお金をきっちり渡している方が、
自分自身の心が楽だからそうしているだけです。
そうやってお金を送り続けていないと、
(今頃、子どもたちが満足に
ご飯を食べられていないんじゃないか、
不自由しているんじゃないか)
という不安に押しつぶされそうになってしまうから。
だからこそ、私にとって働くことは、
ちっとも苦ではないのです。
私は、自分に「風俗」という、
短時間で大きな現金を稼ぎ出せる
手段があったことに、
むしろ深く感謝しています。
この夜職の収入がなければ、
私の生活も精神も、
とっくの昔に崩壊していました。
私は人に弱みを見せたり、
頼ったりすることが苦手です。
そのため、自分が借金を抱えていることも、
夜の世界で働いていることも、
周囲の誰にも打ち明けていません。
両親に泣いて縋ることも、
もしかしたらできたのかもしれません。
けれど私は、自分の身体を張って、
風俗で稼ぐ道を進んで選びました。
もし夫や私の両親が、
私が行き着いた先で風俗で働いていると知れば、
ひどく悲しむのかもしれません。
だからこそ、私はなんとかこの調子で
夜の仕事を頑張り、借金をすべて清算して
身綺麗になったら、
この秘密を墓場まで持っていくと決めています。
私は自分で望んでこちらの道を選び、
自分の足で立って歩いています。
ですから、夜職のお客様から
「うちの嫁は俺の稼いだ金で豪遊しててさ」
なんていう愚痴を聞かされても、
ちっともうらやましいとは思いません。
誰かの経済力に依存して生きることの方が、
私にとっては心理的な負担が大きすぎて、
耐えられないと分かっているからです。
けれど――。
たまに、ごくたまに、
猛烈な寂しさに襲われることがあります。
(私はどうして、今更一人暮らしをして、
一人で寝てるんだろう……)
私には、あんなに可愛い
二人の子どもたちがいるはずなのに。
この部屋には、私一人。
スマホに残っている、
まだ一緒に暮らしていた頃の
子どもたちの写真を見ると、
辛いこともあったけれど、
宝物みたいな日々だったなと涙が溢れてきます。
もう戻ることはできませんが、
たとえ離れていても、
私が子どもたちを愛しいと思う気持ちに
変わりはありません。
今日も、子どもたちがお腹いっぱいご飯を食べて、
暖かい布団で健やかに眠れていることを、
ただ祈るばかりです。
その当たり前の平穏を支えるために、
私は今日も、夜の街で働きます。
2026年7月12日
KANA
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同様の経験により心が繊細な状態にある方は、
ご自身の体調を最優先にしていただき、
閲覧をお控えいただくか、
十分にご注意の上でお読みいただけますよう
お願い申し上げます。

死んでもおかしくはない、
あるいは心が病んでしまっても
おかしくないほどの過酷な状況の中で、
なぜ私は風俗という武装をしながらも、
今日まで毅然と生き残ることができているのか。
それには、ある理由があります。