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獣たちの刃文――戦国の泥に、女武者は人を刃へ変える 2

    【この作品のマガジン】

    第二章:土を捨て、獣を喰らう

     数多の首を獲り、血肉の山を築いた猛は、その無骨な働きにより、長近から越前国境にある小さな領地を与えられた。

     恩賞という名目にはなっているが、実態は朝倉との最前線に置かれた単なる防波堤だ。与えられた村はひどく貧しく、出迎えた農民たちは皆、土気色の顔をして、枯れ枝のように痩せ細っていた。

     猛には分かっていた。次の戦が来れば、この村は真っ先に敵軍に蹂躙され、彼らは無残に命を散らす。織田の陣立てにおいて、ここはただ時間稼ぎのために消費されるだけの、血の生贄の祭壇に過ぎないのだと。

     猛は、村の片隅にある朽ちかけた古寺に陣を敷き、薄暗い土間に甚助の研ぎ桶を置いた。

    「……弱い」

     錆びた鍬を持ったまま、猛の巨体に怯えて震える村人たちを見下ろし、猛は低く呟いた。

    「このままでは、次の戦で死ぬ。私も、お前たちも」

     土間に座る甚助は答えず、ただ無言で小刀の手入れをしている。猛は決断した。己と甚助が生き残るためには、この貧弱な土壁の村を、鋼の城壁に作り変えなければならない。

    翌日から、猛の苛烈な領地改革が始まった。

     彼女は村の土着の掟を、己の暴力で徹底的に破壊した。農民たちを無理やり山へ追い立て、猪や鹿を狩らせ、強引に獣の肉を食わせたのだ。

     初めは、むせ返るような血の匂いと獣の脂に、村人たちは広場で何度も嘔吐した。だが、飢えと猛の容赦のない暴力的な指導の前に、彼らの身体は次第に獣の肉の味と、胃の腑から湧き上がる高カロリーな熱量に染まっていく。

     さらに猛は、村人たちを冷徹に選別した。

     体格の良い若者からは無理やり鍬を取り上げ、農作業から完全に外した。代わりに重い木刀を持たせ、日が暮れて手が血豆で潰れるまで互いを叩き合わせた。手先の器用な者は武器の修繕や半農半兵に、体力のない老人は専業の農民にと、徹底的に村の役割を分断した。

     それは、猛が初めて自らの手で組み上げた、生き延びるための算段だった。

     それから半年。村の広場は、むせ返るような獣の脂の匂いと、男たちの荒々しい怒号に完全に支配されていた。

     猛は古寺の縁側に腰を下ろし、その光景を無表情に見つめている。その巨大な両手は、無意識のうちに着物の裾の下へ深く隠されていた。

    「……平太(へいた)」

     猛が低く呼ぶと、狂ったように木刀を振るっていた若者の一人が、弾かれたように振り返り、一直線に駆け寄ってきた。

     平太。半年前までは、土いじりと木彫りが好きだった、線の細い純朴な農民の倅だ。猛がこの村に来た日、怯えながらも真っ先に自分の鍬を差し出したのは彼だった。

     だが今、猛の前に片膝をついた平太の身体は、分厚く硬い筋肉の鎧で覆われ、その目は獲物を探す猟犬のように、微かな血走りを帯びている。

    「お呼びでしょうか、猛様」

    「槍の踏み込みが浅い。あれでは、厚い甲冑の隙間を抜けん」

    「申し訳ありませぬ。すぐに修正いたします」

     平太は淀みなく答え、己の両手を見下ろした。かつて柔らかい土の匂いを染み込ませていたその手のひらは、今や幾重にも豆が潰れては固まり、黄色い角質に覆われた、槍の柄の形そのものに変形している。

     古寺の裏庭。かつては静かに野菜を洗い、村の女たちが他愛のない噂話に花を咲かせていたその水場は、今や凄惨な解体所へと姿を変えていた。

     逆さに吊るされた巨大な猪の死体から、どす黒い血が水路へと流れ出ている。

    「小夜(さよ)。刃の入れ方が浅い。もっと骨に沿って、一息に削げ」

    「……はい、猛様」

     猛の冷たい指示に、小夜と呼ばれた若い女が、生気の失せた声で応じる。

     小夜は平太の幼馴染だった。半年前までは、春になれば野花を摘み、はにかむような笑顔を見せる臆病な娘だったはずだ。だが今の彼女は、前掛けを返り血でどす黒く汚し、手甲をつけた腕で無造作に猪の腹を裂いている。

     その目に、命を奪うことへの恐れや躊躇いは見えない。男たちが戦場で倒れないための肉を、決められた時間内に切り分けるだけの、冷たい作業機械と化していた。

     だが、小刀を握る小夜の手が、ふと止まった。

     猪の温かい内臓を引きずり出した瞬間、生温かい感触が指先にまとわりついた。それは、かつて隣の村が野盗に襲われた時、泥の中で腹を割かれて死んでいた幼い子供の腸(はらわた)を偶然見てしまった時の、あの悍ましい記憶とひどく似ていた。

     猛烈な目眩が小夜を襲う。喉の奥から酸っぱい胃液がこみ上げ、彼女の瞳が恐怖に大きく揺れた。震える指先が血まみれの短刀を取り落とそうとした、その時だった。

    「おおおおおッ!」

     広場から、平太たち男衆の気合いの入った怒号が響いてきた。

     その声を聞いた瞬間、小夜の顔から、すっと「怯える娘」の表情が消え失せた。

    「……いけない。早く血を抜かないと、平太さんたちの食べる肉が、傷んでしまう」

     彼女は小さく呟き、再び短刀をきつく握り直した。そして、機械のような正確さで、骨から肉を削ぎ落とし始めた。

     猛は、小夜の慣れた手つきを縁側から見下ろしながら、自身の奥歯がギリッと鳴るのを感じた。着物の下で、己の分厚い手が嫌な汗をかいている。

    「……肉の臭いには、もう慣れたか」

    「はい。最初は何度も吐きましたが、今は何も。これだけ捌けば、平太さんたちも明日の鍛錬で倒れることはないでしょうから」

     小夜は猪の内臓を取り出しながら、まるで大根の皮でも剥くように淡々と言った。

    「平太さんが強くなれば、この村は守られます。私たちはただ、そのための肉を用意するだけです」

     猛は無言で背を向けた。

     翌日の昼下がり。

     朝の鍛錬を終え、顔にこびりついた返り血や泥を拭いもせずに、平太が小夜たちのいる裏庭へやってきた。

    「小夜。今日の肉は脂が少ない。これでは明日の立ち回りに響く」

    「贅沢を言わないで、平太さん。昨日の猪は若かったの。その代わり、血は余さず汁に溶かしてあるわ」

    「そうか。なら、三杯もらう」

     平太が無造作に木椀を差し出した時、横からひどく遠慮がちな、しわがれた声が割って入った。

    「あの……平太、や」

     声をかけたのは、茂吉という初老の男だった。彼は猛の選別によって鍬を持たされ、「専業農民」に振り分けられた、かつての平太の隣人だ。

     茂吉は、平太の屈強な肉体と、そこから漂う獣の脂の匂いに怯えるように、数歩離れた場所から身を縮めている。

    「なんだ、茂吉の爺さん。飯なら、農民の分はあっちの小さな鍋だろう」

    「いや、飯の事じゃねぇ。あのな、裏の沢の田んぼなんだが……水路が少し泥で詰まっちまってな。お前さん、昔はあそこの泥かきが上手かっただろう。今日の昼にでも、少し手伝ってくれねぇかと思って……」

     茂吉のその言葉は、村の日常ではごく当たり前の、助け合いの頼みだった。

     だが、平太は木椀を持ったまま、微かに眉をひそめた。

    「爺さん。俺たちは今日の午後も、斜面の駆け上がりと槍の素振りがある。農作業の遅れは、専業のあんたたちでなんとかしてくれ。猛様もそう仰っていたはずだ」

    「で、でもよ……あそこは岩が多くて、儂らの腰じゃあ持ち上がらねぇんだ」

    「なら、その田は捨てろ」

     平太の口から、冷たく、乾いた言葉が落ちた。

     茂吉は息を呑み、小夜もまた、無表情に鍋の底をかき混ぜ続けている。

    「いいか、爺さん。俺たちがこうして槍を振るっているから、あんたたちは野盗に殺されずに済んでいるんだ。米の収穫が少し減ろうが、俺たちが死なずに戦い続けることの方が、村にとっては大事だろう」

     平太はそれだけ言うと、なみなみと注がれた肉の汁を一気に飲み干した。

     茂吉はそれ以上何も言えず、逃げるようにその場を去っていった。

     残された平太は、自分の手を見つめる。かつて器用に泥をかき出していたその指は、今や槍の柄の形に硬く変形し、もう土の柔らかい感触を思い出すことすらできなかった。

     茂吉が逃げるように去った後、広場での出来事を古寺の縁側から見ていた猛は、重い足取りで薄暗い土間へと戻った。

     甚助は相変わらず、無言で小刀に砥石を当てている。

    「……聞いたか、甚助」

    「ああ」

    「平太の顔を見たか。あいつはもう、自分が何を取り零したのかすら分かっていない」

     猛の大きな手が、自身の膝をきつく握りしめる。分厚い皮膚の下で、骨が軋む音がした。

    「私は、あいつらを死なせたくなかった。ただそれだけだ。だが……私がやったことは、織田の陣で私を化け物扱いした奴らがやったことと同じだ。彼らから土を取り上げ、代わりに他者の血をすすらせて、ただの優秀な人殺しの道具に作り変えた」

    「それが、生き残るということだ」

     甚助の冷たい声が、土間に響く。彼は研ぐ手を止めず、泥水に刃を沈めた。

    「お前は正しかった。お前が無理やりにでも肉を食わせ、槍を振らせなければ、平太も茂吉も、次の戦で確実に死んでいた。美しいだけの弱さは、この時代ではただの腐肉だ。お前は彼らに、醜く生き延びる術を与えたんだ」

    「……」

     その夜、遅く。
     平太は、古寺の土蔵の隅に積まれた私物の中から、ひとつの小さな布袋を掘り出した。
     木彫りの道具だ。
     
     前日の夜、母親が黙って荷の底に押し込んでいった、小刀と鑿(のみ)の一組。捨てることも開けることもせず、今の今まで、ただそこに置いていたものだ。

     布袋を解くと、黴と、古い木屑の匂いがした。
     平太はゆっくりと小刀を取り出し、手のひらで握った。

     重い。
     使い慣れた刃の重さのはずが、まるで初めて握る異物のような違和感が、掌から肩まで這い上がってくる。

     土間の隅から木の端切れを一つ拾い上げ、小刀の先をあてがった。かつて彼は、この程度の大きさの木から、兎や雀の形を削り出せた。

    (……何を、彫ろうとしていたのか)

     彫りたい輪郭が、浮かばなかった。
     それだけではない。槍の柄の形に変形した指が、木の繊維を正確に捉えるための、あの柔らかい力加減を思い出せなかった。

     平太はしばらく、小刀の先を木にあてがったまま、動かなかった。

     やがて、静かに小刀を布袋に戻した。紐を縛る。
     それから、その布袋を、荷物の底ではなく、土蔵の最も暗い奥の隅へ、無造作に放り投げた。
     音もなく、闇の中に消えた。

     外から、仲間たちが低い声で話し合う音が聞こえてくる。明日の訓練の段取りだ。

     平太は立ち上がり、肩を一度だけ回すと、仲間たちの輪の中へ戻っていった。


     秋の気配が色濃くなり始めた夜。

     甚助の言葉を証明するかのように、越前の国境に近いこの村に、数十人の落ち武者が流れ込んできた。戦に敗れ、飢えと絶望で獣のように目を血走らせた野盗の群れだ。

     かつてのこの村であれば、彼らに蹂躙され、わずかな備蓄を奪われ、女たちは悲鳴を上げながら引きずられていっただろう。


     だが、猛は動かなかった。

     古寺の縁側に腰を下ろしたまま、三尺の一文字の鯉口すら切らない。

     広場で彼らを迎撃したのは、平太をはじめとする若者たちだった。


     それは、戦闘と呼べる代物ではなかった。

     ただの、淡々とした「害獣駆除」だ。

     野盗たちは初め、農民の寄せ集めと侮って歓声を上げて襲いかかった。だが次の瞬間、平太の突き出した槍が、先頭の男の喉笛を、まるで熟れた果実でも突くように無造作に貫いた。

    「な、なんだこいつら……ッ!」

     恐怖に引き攣る落ち武者たち。だが、平太たちの顔には、怒りも、殺意すらも浮かんでいない。ただ猛に教えられた通り、甲冑の隙間である首筋、脇の下、膝の裏へ、極めて正確に刃を滑り込ませていく。

     命乞いをする者の顔面を、平太は農作業で土塊を砕くのと同じ手つきで、無表情に叩き割った。

     野盗の絶叫が完全に途絶えると、今度は背後の闇から、小夜たちが荷車を押して静かに現れる。

     彼女たちの目的は救護ではない。まだ微かに痙攣している死体から、使える武具や着物を手際よく剥ぎ取り、再利用の資源として回収するためだ。血まみれの死体を転がすその淀みのない手つきは、裏庭で猪を解体する時のそれと、何一つ変わらなかった。

     猛は、その無駄のない殺戮の風景を縁側から見下ろしながら、胃袋が捻り上げられるような強烈な吐き気を感じていた。

     自分が手取り足取り教えた通りに動いている。死なないという目的を、これ以上ないほど美しく達成している。

    「……見事なものだ。お前は、生きた肉の城壁を作ったな」

     背後の土間から、甚助の低い声がした。彼は泥水から小刀を引き上げ、暗闇の中でその刃の反射を確かめている。

    「……やめろ」

     猛の掠れた声が、夜の冷気に溶けた。

    「あれは、人間じゃない。私が作った、ただの血を吸う刃だ。血の匂いを嗅いでも何も感じず、ただ命を奪うだけの……あの、織田の陣で私を化け物と呼んだ奴らと、同じだ」

     猛の巨大な肩が、小刻みに震えている。

    「私は、自分が生き残るために、あいつらの魂を殺したんだ」

     甚助は何も言わない。ただ、静かに一文字を泥水に沈め、冷たい摩擦音を響かせた。

     だが、暗闇の中にある甚助の瞳は、猛の悲痛な懺悔には向いていなかった。

     甚助は、一切の感情を交えずに死体処理を行う平太たちを見つめ、微かに眉間を歪めていた。

     猛という一振りの刀を研ぐことだけが生きがいだった甚助にとって、猛の意志すら超えて広場で勝手に血を啜るこの「村」という肥大化した凶器は、己の理解の範疇を超える異物だった。

    (俺の修羅が、あいつらに飲み込まれる……)

     甚助は泥水の中で小刀を握りしめ、かつてない冷たい嫉妬と、薄ら寒い恐怖を覚えていた。


     その時だった。

     古寺の門が乱暴に叩き開けられ、数騎の騎馬武者が境内に雪崩れ込んできた。

     背に織田の木瓜紋(もっこうもん)の旗指物を背負った、金森長近の伝令だった。

     猛はゆっくりと立ち上がり、縁側へ出る。

     馬上の伝令は、猛の巨体を見上げることなく、しかし、境内の外に広がる村の異常な光景――血まみれの死体を足蹴にしながら槍の血を拭う屈強な男たちと、無表情で武具を剥ぎ取る女たちの姿――を、ひどく値踏みするような、冷徹な目で見回した。

    「……驚いたな。ただの捨て石の村かと思っていたが、ひどく獰猛な猟犬が育っているではないか」

     伝令の男の口元が、歪に吊り上がる。

    「長近様より下知である。猛、貴様および貴様の配下の者どもは、三日後、浅井・朝倉の連合軍との最前線へ出陣せよ。敵の防衛線を食い破る、先陣を命ずる」

     猛の呼吸が、一瞬だけ止まった。

     防衛ではなく、先陣。それは、最も生きて帰れる確率が低く、最も肉体が使い捨てにされる死地だ。

     猛は悟った。自分が良かれと思って村人たちを鍛え上げ、泥臭く生き残る術を与えた結果、織田という巨大な顎(あぎと)は、彼らを「価値ある使い捨ての矛」として認識したのだ。

    「……承知した」

     猛は地の底から絞り出すような声で答え、平伏すら忘れて立ち尽くしていた。伝令は満足げに鼻を鳴らすと、馬首を巡らせて去っていった。

     雨上がりの湿った風が、境内を吹き抜ける。

     広場からは、そんな死の宣告が下されたことなど露知らず、平太たちが「次の獲物」を渇望するように木刀を打ち鳴らす音が響き続けている。

     猛は、振り返れなかった。

     背後の土間で、甚助が静かに立ち上がる気配がした。

    「……また、脂まみれになるな。一文字が」

     甚助の声は、ひどく凪いでいた。猛は巨大な両手で顔を覆い、声にならない獣のような嗚咽を漏らした。

     生き残るために強くなった結果、最も凄惨な死地へと放り込まれる。彼らが必死で組み上げた泥に塗れた算段は、戦という化け物の前では、ただの「出荷前の生簀(いけす)」を太らせる行為に過ぎなかったのだ。

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    金森マーケティング事務所:マーケティング講師/コンサルタント。著書10冊超。企業研修でマーケティング・生成AIを教えながら、小説も書いています。ビジネスを物語に、物語をビジネスに接続する発信をしています。月ー金はマーケティング& AI。土曜はサブカルチャー。日曜は短編小説です。

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