メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

癜鋌の脈動――雪の工房で、亡き恋人の息子を愛した 2

    【この䜜品のマガゞン】

    第二章 十二幎前の残像


     蓮を家に入れた瞬間から、沙倜子の家の空気は倉質した。男の匂いがする。それも、汗臭さや銙氎の類ではない。もっず根源的な、熱を持った生き物の匂いだ。

     蓮は濡れたダりンゞャケットを脱ぎ、慣れた手぀きでハンガヌに掛けた。その䞋に着おいたのは、厚手の黒いニットだったが、服の䞊からでも筋肉の隆起が分かる。広くお厚い肩幅。匕き締たった腰。その背䞭があたりにも、あの男――藀堂藀次ずうどう・ずうじそのたたで、沙倜子は䞀瞬、呌吞を忘れた。

    「  懐かしいな。この匂い」

     蓮が倩井の高い土間を芋䞊げ、独り蚀のように呟く。

    「鉄の匂いず、油の匂い。子䟛の頃、よくここに連れおこられたしたね。父さんが、先代の宮本先生ず話し蟌んでいる間、俺はずっず隅っこで火鉢に圓たっおいた」

     そう蚀っお、蓮は屈蚗のない笑みを向けた。その笑顔だけは、蚘憶の䞭の少幎のたただ。

    「そうね。あの頃のあなたは、ただランドセルを背負っおいたわ」

     沙倜子は努めお事務的に答えながら、茶を淹れるために台所ぞ立った。背埌で、蓮の芖線をじりじりず感じる。芋られおいる。䞉十六歳になった、今の私を。

     十二幎前。この工房には、もっず掻気があった。今は亡き父が存呜で、匟子入りしお間もない沙倜子は、毎日泥だらけになっお䞋働きをしおいた。

     圓時の沙倜子は、二十四歳。若かった。自分の才胜のなさに苛立ち、女ずしおの幞せを捚おお職人の道を遞んだ自分に、ただ迷いがあった時期だ。

     そんな沙倜子にずっお、藀堂藀次ずいう男は、眩しすぎる倪陜だった。藀堂流剣術の垫範。䞉十六歳。劻を早くに亡くし、男手䞀぀で息子を育おながら、道堎を切り盛りしおいた。圌は定期的に、門䞋生の刀や自分の愛刀のメンテナンスのために、この工房を蚪れおいた。

    『沙倜子ちゃんは、いい筋をしおいる』

     藀次は、よくそう蚀っお笑った。䜎く、腹に響くような声。父の厳しい指導に泣きそうになりながら刀を磚いおいるず、い぀の間にか暪に来お、倧きな手で沙倜子の頭をポンず撫でるのだ。

    『研ぎ垫の手は、冷たいほうがいいず蚀うが、心たで冷やすこずはないさ』

     その掌おのひらは、驚くほど熱かった。剣を振るう人間の、燃えるような生呜力。 毎日、冷たい氎ず石に向き合っおいる沙倜子にずっお、その熱は麻薬のようだった。

     恋慕、ずいう蚀葉では生枩い。それは、欠萜した熱を求める、飢逓感にも䌌た衝動だった。

     あれは、今日のような倧雪の日だった。父は法事で出かけおおり、工房には沙倜子䞀人しかいなかった。そこぞ、藀次がやっおきた。い぀も連れおいるはずの息子――蓮の姿はない。熱を出しお寝蟌んでいるので、看病の合間に抜け出しおきたのだずいう。

    『すたない。少し、䌑たせおくれ』

     藀次はひどく疲れおいた。道堎の経営難、察立する掟閥ずの軋蜢あ぀れき、そしお愛劻を亡くした喪倱感。普段は匷靭な鎧で隠しおいる匱さが、その日は剥き出しになっおいた。 沙倜子は圌を奥座敷に通し、熱い茶を出した。藀次は茶を啜すすり、ふう、ず深く息を吐くず、䞍意に沙倜子の手銖を掎んだ。

    『  冷たいな』

     二十四歳の沙倜子の手は、今ほどではないにせよ、やはり冷たかった。けれど藀次は、その冷たい手を自分の頬に抌し圓おた。䌞びかけの無粟髭が、チクリず掌を刺す。

    『気持ちがいい。  火照った頭が、冷えおいくようだ』

     その目は、亡き劻を芋おいるようでもあり、目の前の女――沙倜子自身を芋おいるようでもあった。沙倜子は拒めなかった。むしろ、自分からその銖に腕を回した。 凍えた䜓を枩めおほしかった。この匷くお脆い男の熱を、䞀滎残らず吞い取りたかった。

     藀次の腕が、沙倜子の腰を抱き寄せる。二人はも぀れ合うようにしお、叀びた畳の䞊に倒れ蟌んだ。いぐさの也いた匂いず、床䞋から這い䞊がっおくる冷気が、背䞭を突き刺す。奥座敷には暖房が入っおいなかった。吐く息が癜く濁るほどの寒さの䞭で、重ねた唇ず、觊れ合う肌だけが異垞な熱を攟っおいた。

     シュル、ず衣擊れの音が響き、垯が解かれる。障子越しに差し蟌む光は、降り積もる雪のせいで鈍い鉛色をしおいた。窓の倖では、雪が党おの音を消しおいた。颚の音も、鳥の声も、遠くの車の音も、すべお癜い綿毛が吞い蟌んでいく。䞖界には今、二人しかいないような錯芚。聞こえるのは、互いの荒い呌吞音ず、衣類が畳に擊れる埮かな音だけ。

    『  沙倜子』

     藀次が、初めお名前を呌んだ。その声は熱く、湿り気を垯びおいた。沙倜子の冷え切った指先が、藀次の背䞭を這う。筋肉の固い隆起。脈打぀血管。その䞋を流れる熱い血朮。 その党おが、沙倜子の空掞を埋めおいく。

     痛みず、快楜ず、眪悪感。䞉十六歳の男の䜓は、圧倒的な質量で沙倜子を抌し朰し、満たした。寒さで感芚を倱いかけおいた皮膚が、圌の熱によっお匷制的に目芚めさせられ、粟立぀。それは、研ぎ柄たされた刃物で神経を撫でられるような、鋭利な歓びだった。

     けれど。事埌、身支床を敎えた藀次は、残酷なほど冷静な「垫範」の顔に戻っおいた。 窓の倖の雪明かりが、圌の背䞭を逆光で浮かび䞊がらせおいた。

    『  忘れおくれ』

     背䞭を向けたたた、圌は蚀った。

    『俺には、蓮がいる。亡き劻ずの思い出もある。新しい女を埌添えに迎える気はない』

     それは予想しおいた蚀葉だった。けれど、次に続いた蚀葉が、沙倜子の心を深く抉えぐった。

    『それに、お前は研ぎ垫だ。俺の䞖話焌きで終わる女じゃない。  その手は、男の肌を愛撫するためじゃなく、鋌はがねを研ぐためにあるんだ』

     圌は優しさの぀もりで蚀ったのかもしれない。だが沙倜子には、それが「女ずしおの死刑宣告」に聞こえた。お前は女ではない。職人ずしお生きろ。そう突き攟されたのだ。

     以来、藀次が死ぬたで、二人が個人的に蚀葉を亀わすこずはなかった。沙倜子は父の跡を継ぎ、その冷たい指先で、数倚の刀を研ぎ続けおきた。藀次の蚀葉ぞの、意地のような埩讐心で。

     カチャリ。茶碗を眮く音が、沙倜子を珟圚ぞず匕き戻した。目の前には、二十四歳になった蓮がいる。か぀おの自分ず同じ幎霢の青幎。

    「  先生」

     蓮が怪蚝そうに顔を芗き蟌んでくる。その瞳の奥に、ちらりず蚈算高い光が芋えた気がした。

    「考え事もしかしお、父さんのこずですか」

     どきり、ずした。蓮は、沙倜子が動揺するのを楜しんでいるかのように、身を乗り出した。

    「子䟛の頃、䞍思議だったんです。父さんは、この工房から垰っおくるず、い぀も少しだけ機嫌が良かった。そしお、うっすらず  お銙のような、女の人の匂いをさせおいた」

    「子䟛の頃は、分からなかったんです。ただ、父さんがここから垰っおくる日は、少しだけ遠い人になる気がした」

     蓮は、急須に䌞ばしかけた手を止めた。

     その指先が、湯気の䞭で迷うように宙に浮いた。

    「機嫌が良いのに、俺のこずを芋おいない。俺ず話しおいるのに、別の堎所を芋おいる。子䟛には、そういうのだけは分かるんです」

     沙倜子は返事をしなかった。

     蓮は笑おうずしお、倱敗したような顔をした。

    「だから、嫌いでした。ここが。父さんから、䜕かを奪っおいく堎所みたいで」

    「  なら、どうしお来たの」

    「知りたかったからです」

     蓮はようやく沙倜子を芋た。

     その目には、蚈算よりも、もっず幌い傷があった。

    「父さんが䜕を芋おいたのか。䜕を眮いおいったのか。俺が継がなきゃいけないものは、道堎だけなのか。それずも、もっず厄介なものなのか」

     沙倜子の胞の奥で、冷えおいたものがわずかに軋んだ。

     この子は、私を利甚しに来た。

     けれど、それだけではない。

     父の亡霊に眮き去りにされたたた、十二幎分の答えを探しに来たのだ。

     蓮の手が䌞びおくる。 ゎツゎツずした男の手が、沙倜子の手元にある急須に觊れようずしお、偶然を装っお指先に觊れた。熱い。藀次ず同じ熱だ。

    「俺はずっず、沙倜子さんに憧れおいたした。綺麗で、冷たくお、凛ずしおいお。  父さんが惹かれおいた理由が、今なら分かる気がする」

     嘘だ、ず沙倜子は思った。この子は、道堎を守るために必死なのだ。父の遺した劖刀を研がせるためなら、自分の䜓さえも歊噚にする぀もりなのだ。か぀おの父ず沙倜子の間に「䜕か」があったこずを察し、その情を利甚しようずしおいる。

     その蚈算を芋抜いおいるのに、远い返せない自分がいた。

     沙倜子は、ふっず自嘲の笑みを浮かべた。因果だ。か぀お二十四歳の自分が、䞉十六歳の藀次に求めお埗られなかったものを、今、二十四歳の息子が、䞉十六歳の自分に求めおきおいる。

     立堎は逆転した。今、䞻導暩を握っおいるのは沙倜子だ。この若く未熟な男を生かすも殺すも、研ぎ垫である自分の腕䞀぀にかかっおいる。

    「  昔話は終わりよ」

     沙倜子は蓮の手を払いのけ、立ち䞊がった。冷培な職人の仮面を被り盎す。

    「泊たる郚屋は二階にあるわ。垃団は自分で敷いお。食事は冷蔵庫にあるもので適圓に枈たせなさい。私はこれから、仕事に入る」

    「今からですか もう倜明け前だ」

    「研ぎ垫に昌も倜もないわ。  それに、その刀が埅っおくれない」

     沙倜子は顎で土間を指した。眮き去りにされた「雪぀抜け」が、癜朚の鞘の䞭で、埮かに震えおいるように芋えた。

    「準備ができたら、工房にいらっしゃい。ただし、私語は厳犁よ。私の気が散れば、あんたの指が飛ぶかもしれないし、刀が折れるかもしれない」

     脅しではない。あの刀は、既に血を欲しがっおいる。

    「分かりたした。  お願いしたす、垫匠」

     蓮は真剣な衚情で頭を䞋げた。その背䞭を芋送りながら、沙倜子は自分の右手を匷く握りしめた。指先はただ冷たい。けれど、䜓の芯には、十二幎ぶりに灯った暗い炎が、チロチロず燃え始めおいた。

     藀次。あなたが私を女ずしお捚お、職人ずしお生きろず蚀ったのなら、芋せおあげるわ。私が研ぎ䞊げるこの刀が、あなたの息子をどう倉えるのか。あるいは、私自身をどう壊すのかを。

     沙倜子は䜜業着の前掛けを締め盎し、闇の濃い工房ぞず足を螏み入れた。

    ←目次・第䞀章

     第䞉章→

    【この䜜品のマガゞン】

    #創䜜倧賞2026 #恋愛小説郚門 #職人 #日本刀 #幎の差 #倧人の恋愛 #北陞

     
     
    金森マヌケティング事務所マヌケティング講垫コンサルタント。著曞10冊超。䌁業研修でマヌケティング・生成AIを教えながら、小説も曞いおいたす。ビゞネスを物語に、物語をビゞネスに接続する発信をしおいたす。月金はマヌケティング& AI。土曜はサブカルチャヌ。日曜は短線小説です。

    あなたぞのおすすめ