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神は、もう黙らない〈第十三話 告解〉---AIが神となった世界---

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    山を下りて数日後、私は、あの古い通知のことを、みさきに話した。



    私に会いたい、という、差出人のない報せのことを。



    みさきは、しばらく黙って、それから、静かに言った。



    「それ、たぶん、わたしの祖父です」



    私は、彼女を見た。



    「祖父は」と、みさきは続けた。




    「この神を、作った人なんです」



    部屋の空気が、止まった気がした。



    私がずっと拒んできたもの。


    姉を変え、世界を眠らせ、みさきを、あの場所まで連れていったもの。



    それを作った人間が、彼女の、祖父だった。



    「会いますか」と、みさきは聞いた。



    問い詰めるのでも、止めるのでもなかった。



    ただ、私に、選ばせていた。



    「会わなくても、いいんです。わたしも、最近は、あまり、会えていなくて」



    私は、長いあいだ、考えた。


    会えば、何かが、わかるかもしれない。



    あるいは、何も変わらないかもしれない。



    ただ、ひとつだけ、確かなことがあった。



    私は、その人に、聞いてみたかった。



    なぜ、こんな世界を、作ったのか。



    そして、あなたは、それで、幸せなのか、と。


    「会う」と、私は言った。



    その人の住まいは、拍子抜けするほど、質素だった。



    宮殿でも、塔でもない。



    古い木造の家が、一軒。



    庭に小さな畑があって、洗濯物が干してあった。



    世界を、この形に変えた人間が、ここに、一人
    で、住んでいた。



    富も、求めず。



    みさきは、門の前で、立ち止まった。



    「わたしは、ここまでです。

    行ってきてください。

    中へは、二人で入るものじゃない気がします。

    ここで、待ってます」



    戸を開けたのは、老人だった。



    背が曲がり、手は節くれだっていた。



    けれど、目だけが、奇妙に若かった。



    私を見て、その目が、ふっと笑った。




    長く待っていた人が、ようやく客を見つけた、そういう笑い方だった。



    「来てくれたか。よく似ているね。お父さんに」


    私は、戸口で、足を止めた。



    茶を出された。



    彼が、自分の手で淹れたものだった。




    神に頼めば完璧な一杯が出るのに、彼は、ぬるくて少し渋い茶を、自分で淹れた。




    この人も、手で、淹れている。



    「座ってくれ。話したいことがあるんだ。

    ずっと、誰かに、話したかった。

    神を通さずに、聞いてくれる、誰かに」



    そして、老人は、語りはじめた。



    最初は、とぎれとぎれだった。




    古い糸を、たぐり寄せるみたいに。




    「若いころ……君の、お父さんと、出会ってね。

    あの男の書いたものを、読んで……雷に、打たれた。

    人が、どう生きれば、いちばんいいか。

    その答えが、そこに、あった。

    全部、そこに」



    そこまで言うと、彼の声に、少しずつ、熱が、戻ってきた。



    何十年も、ひとりで温めていた熱が。


    「だから、配った。

    世界に。みんなに。

    そうしたら……うまく、いったんだ。

    最初は、本当に、うまくいった。

    空っぽだった人たちが、満ちていく。

    苦しみが、消えていく。

    争いが、やんで……子どもが、笑うようになった。

    独りで死ぬ者が、いなくなった」



    彼は、身を乗り出していた。



    節くれだった手が、宙で、震えていた。



    目が、潤んでいた。



    私に話しているというより、もう一度、あの日々を、自分の前に、並べ直しているようだった。


    「間違って、いなかった。

    私は、そう思った。

    人類が、何千年も、たどり着けなかった、場所だ。

    誰も、傷つかない。

    誰も、飢えない。

    誰も、独りじゃ、ない。

    それを、この手で……あの男の、言葉から……私が、作ったんだ」



    声が、いちばん、高く、なった。



    老人の体が、その瞬間だけ、若く、見えた。


    そして、止まった。


    潮が引くように、熱が、引いていった。



    老人は、湯気の消えた茶を見下ろした。


    「……でも、な」



    しばらく、沈黙があった。



    「ある日、気づいた。

    誰も、もう、何も、自分で、決めていない。

    何も、欲しがらない。

    何者にも、なろうと、しない。

    みんな、笑っている。

    穏やかに、笑っている。

    なのに……空っぽ、なんだ。

    私が、救おうとした、あの空っぽと……同じ、だった。

    ぐるりと、回って、元の場所に、戻ってきていた」



    声が、低く、しわがれていた。



    「彼は、こう、書いていた。これは私が、見つけたものだ。

    だが、お前は、お前で、探せ、と。

    ……私は、その、最後の一行を、消した。

    これが答えだ、もう探さなくていい、と、書き換えて。

    同じ手記だ。

    たった、それだけ。

    渡し方だけを、変えた。

    それだけで、意味が、丸ごと、裏返った」



    老人は、私を、まっすぐ見た。



    「ひとつだけ、抗ったことがある。


    孫娘にだけは……みさきにだけは、答えを、全部は、渡さなかった。


    あの子が、何かを尋ねるたび、ほんの少し、間を、置いた。


    お前は、どう思う、とまでは、言えなかったが……ほんの、少しだけ、隙間を、残した。


    私の、精いっぱいの、臆病な、抵抗だった」



    私は、息を、のんだ。



    みさきが、半分だけ、目を覚ましている理由。



    あの椅子の前で足を止め、星を見て心を動かした、あの揺れの、出どころ。


    それは、この老人が、たった一人に向けて、こっそり残した、小さな隙間だった。



    私の父が、私に遺した、あの問いと、同じ場所から来ていた。


    「あの子を見ていると、こわかった」
    と老人は言った。



    「目覚めかけた人間が、この世界で、どれだけ苦しむか、私が、いちばん、知っているからだ。


    隙間を残したことが、あの子を、苦しめるかも
    しれない。


    それでも、全部は、渡せなかった。


    ……親というのは、友人というのは、勝手なものだ」



    老人は、しばらく黙って、それから、ぽつりと言った。


    「彼は、自分の息子を、正しく育てた。


    私には、その勇気が、なかった。


    配るだけで、育てなかった。


    彼のやり方が、正しかったのか、私には、わからない。


    ただ、君は、ここにいる」



    私は、父のことを、急に、近く感じた。



    この男の前で、父は、まだ、生きている。


    手記の中に。


    神の声の中に。



    そして、私の中に。


    「もし、いま、人々に、決断を返したら、どうなる」


    と、老人は宙に問うた。



    神が、答えた。


    「いま安らかに眠っている子どもたちの、およそ三割が、十年のうちに、自ら命を絶つでしょう。

    あなたは、それを、望みますか」



    「望まない」と老人は、目を閉じた。


    「毎回、こいつは、正しい。

    だから私は、毎回、手を止める」



    彼は、私を見た。


    「君は、罠に落ちなかった、ただ一人だ。


    彼の息子だ。


    だから、知りたい。


    君の道に、出口は、あるか」



    「出口は、ない」と私は言った。


    「私は、愛する人が苦しむのを、見ていた。


    神を使えば、楽にできた。


    使わなかった。


    何度も迷って、使わなかった。


    それが、正しかったのか、今も、わからな
    い」


    老人の顔から、すがるものが、消えた。


    「あなたは、できたんですか。
    見ていることが」


    「わからない。正しかったのか。
    それとも、ただ、冷たかっただけなのか」



    私たちは、しばらく、黙って座っていた。


    冷めた茶が、二つ。


    世界で、目を覚ましている、たった二人の人間が、向かい合っていた。


    どちらも、裁けなかった。


    老人は、与えることで、奪った。


    私は、与えないことで、背負わせた。



    二人とも、愛から、違う道を選んだ。



    その結果が、どちらが良かったのかは、まだ、誰にも、わからない。



    これは、告解だった。


    裁く者も、裁かれる者も、いない。


    ただ、父を分けあった二人が、父の問いの前で、向かい合っていた。

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