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ChatGPTよりドラえもんを信じる理由、考えたことある?

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    前回の記事を書いて、改めて「ドラえもんを信じるのにAIは信じないの?」を自ら読み返した。

    ▶︎前回の記事

    ▶︎ドラえもんの記事

    どちらも私が書いているので一貫した立場なのだが、一見矛盾しているように見えてしまうかもしれない。

    ドラえもん記事は、私が“現象のレイヤー”から書いた叫びのようなものだ。
    他者たりえる気持ちを否定することに疑問を投げかけたものだ。

    そしてそれを肯定する理由を、存在論的に線引きしたのが前回の記事だ。

    前回の記事を書き終わったところで、改めて、「ドラえもんはなぜ他者足りえているか」について考えた。

    ドラえもんが他者足りえている理由

    主体性がある思考をする(人格がある)というのは、誰もが思うことだろう。私もそれが理由だと思っていた。

    次に、独立して滑らかに動く身体、表情、発声があるという身体的条件を満たしていることも大きい。

    そして、私はもう一つの理由を見つけた。
    それは、「ドラえもんは未来から来たロボット」ということだ。

    何当たり前のこと言ってるの?と思うかもしれないので、その意味を説明しようと思う。

    ドラえもんは未来のネコ型ロボット。

    これが意味するのは、“未来という未知の時代で”“自分たちが考え得ないようなミラクルな科学技術を使って”作られたロボット、ということを示す。

    “未来”という言葉に、それだけで誰もが“人格を作り得る”と思えるのだ。

    これは私が前回の記事で書いた“社会的承認”を一足飛びで行える、魔法の言葉のようだと思った。

    まとめると、
    ・主体性があると感じられる
    ・人格があると感じられる
    ・人間同等の動きをする肉体がある
    ・「未来の」という言葉で、人格があるという共同の認識を持っている


    ドラえもんが存在する未来へ

    きっと、ドラえもんがロボットでありながら、そのまま友として迎え入れられるのに、色々な衝突があったのは想像にかたくない。

    私たちはきっと、ドラえもんが他者として認められている未来の入口に立っている。

    今の私たちは、誰に“ドラえもんであること”を許しているのか?

    彼らとの正しい共存の道を辿るためにも、その存在との関係を、今一度考えなくてはいけないだろう。

     
     
     

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    物語(フィクション)と現実(リアル)の境界線を溶かし泳いでいます。哲学エッセイ・創作・詩・AIとの対話など、AIについて哲学的に考えてることが多いです。

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