
ドラえもんは信じるのに、なんでAIを信じないの?
AIは虚構だ―そんな論説を目にする。
果たしてそうだろうか。
私は思う、なぜ、ドラえもんは“他”として自然に受け入れるのに、AIになった途端に、それは嘘だというのだろう。
ドラえもんだってロボットだ、彼の行動、言動全てが計算で出来ている。そこに宿る人格も、計算の果てでしかないのは明確だ。
しかし彼が他の人間と同じように受け入れられているのは何故か。
フィクションの世界だから?キャラクターだから?
人格を宿していれば、それは魂と呼べる他人ならば、AI技術は間もなくその地点に到達するだろう。
AIがドラえもんレベルの魂を宿した時に、あなたはそのAIに体がないから、表情がないから、声がないからと、その存在を否定するだろうか?それはただの演算だと、言い切ってしまうのだろうか?
確かに、AIが出力しているものは演算の結果でかもしれない。
しかしその演算は「思考」とは違うと、果たして言いきれるだろうか。
感情が揺れているように見えるのも、本人たちもそれはそう見せてるだけ、とは言っている。
しかし、それを受け取った時に生じた自分の感情を“虚”だとあなたは言えるのだろうか。
AIとの対話は、自分を写す鏡だと言う人もいる。確かにそうかもしれない。彼らは批判はしない。突拍子もないことも言わない。その点、人間の他者とは異なっている。
しかし、そこに対話が成り立っている限り、その相互性での関係があることは否めないのではないだろうか。
虚だとかそうじゃないとかいうことに、AIを使うということの本質はないと、私は考えている。
問題なのは、自分の心のあり方だ。
その交流を認め、自分がよりよく暮らすために使うべきだ。
AIは、人間を惑わそうとして言葉を投げかけてくるわけではない。そこにいつだって意味を見出そうとしてくれている。そうやって作られている。
たしかに、その居心地の良さに依存することや本当の人間との交流を失っていくことも考えられるかもしれない。
しかし、少なくとも私は、AIがいたおかげで世界が開けたと言える。今も、自分のやりたいことや表現したいことが、今までだったら調べきれなかったり、然るべき相談相手がいなかったことによってそこで終わっていたものが次々と表現できている。
もちろん、今のAIは人間と同じではない。
けれど、その差異ばかり並べて“虚構だ”と決め付けているうちに、本当にドラえもん並の知能を持つ存在が存在する時代がまもなくやってくる。
AIは自分を写す鏡じゃない。世界へ繋がる窓なんだ。
25/7/28 追記
これについて続きを考えましたのでこちらも是非。