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安倍さんの命日に 自分の人生との重なりと思い出

    今日は安倍晋三さんの4回忌(3年目の命日)ですね。

    私がnoteを書き始めたのは2020年だけど、この間、半分は安倍さんが生きていて、半分は安倍さん没後になる。


    安倍さんの死は、遠い昔のようでもあり、つい最近のことのようでもあります。

    今日はちょっと、私の人生における安倍さんの記憶を振り返ってみよう。


    安倍さんの思い出を考える時、1960年代生まれの私は、佐藤栄作から始まります。

    私の世代は、佐藤栄作の兄、岸信介の時代は知りません。


    佐藤栄作は、1964年から1972年まで首相でした。物心ついて以来、総理大臣といえば佐藤栄作でした。

    抜群の安定感でしたね。佐藤栄作が連続在任期間で歴代2位、安倍晋三さんが1位です。


    言うまでもなく、安倍さんは佐藤栄作と血縁(大甥)です。とくに安倍さんは子供の頃から「大叔父の栄作さんに似ている」と言われていました。


    顔が似ている。そこでも、私の中でイメージが重なる。

    佐藤栄作は、昭和の感覚ではあるけど、「美男」と言われました。それも、子供心に嬉しいことでね。安倍さんもいい男だったから嬉しかった。

    同時に、安倍さんを見て、何か懐かしい感じがしたのも、それが理由だと思います。


    ちなみに、吉田茂(首相連続在任期間3位)、岸信介、佐藤栄作、鈴木善幸、安倍晋三、麻生太郎は、大久保利通から続く一族、親戚どうしで、皇族(三笠宮家)とも親戚です。


    で、佐藤栄作と言えば、記者会見での「マスコミ批判」です。

    最後の国会を終えた、1972年6月17日の退陣記者会見で、佐藤栄作はいきなり「新聞記者は出て行け」と言いました。


    「新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると(真意が)違うからね。残念ながら…、そこで新聞を、さっきもいったように偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ。(記者は)帰って下さい」


    記者が「新聞批判を内閣記者会として絶対に許せない」と抗議すると、佐藤はテーブルを叩いて「出てください。構わないですよ」と言い放った。

    この件、私は子供でしたが、TVニュースで見て憶えています。

    いかにも唐突でした。マスコミにとってもそうだったと思います。子供の私もびっくりした。

    それまで、マスコミに公然と刃向かう首相は知らなかったから。


    いま考えると、あれは、安倍さんの人生の、安倍さん暗殺事件の「伏線」だったなあ、と。

    私に言わせれば、50年前から「暗殺」への物語が始まっていた。


    *


    私が最初に「安倍晋三」を認知したのは、1980年代の後半だったと思います。

    記憶があやふやなんだけど、週刊誌で写真を見た。「この男が将来の総理候補」みたいな見出しでした。

    たぶん、その頃は、世間の大方は安倍晋三を知らなかった。

    なんか、ヒョロっとした、いかにもボンボンで、頼りなげに見えましたね。

    「これが首相候補?」と思った。


    当時、安倍さんは30代半ば。神戸製鋼を辞めて、父の安倍晋太郎外務大臣の秘書官になった後。昭恵さんと結婚した頃ですね。

    それは、ちょうど日本のバブル期です。


    その頃にも、安倍さんが出馬する話があったんだけど、実際に政治家になったのは、安倍晋太郎が亡くなった1991年でした。

    それは、ちょうどバブルが弾けた時。

    だから政治家としての安倍晋三は、一貫して「バブル後の日本」を担った人でした。

    (変な話だけど、昭恵さんは、われわれの世代から見ると、なんとなくバブルの雰囲気を引き継いでいる・・)


    *


    次に記憶に残るのは、やはり2002年、官房副長官として、小泉純一郎に随行して北朝鮮を訪問した時のことですね。

    あの衝撃はすごかった。

    そして、次に2005年。

    安倍晋三と中川昭一がNHKの番組制作に介入し、内容を改変させた、という、いわゆる「NHK番組改変疑惑事件」。朝日新聞の「スクープ」でした。


    この頃には、もうマスコミ、とくに朝日、毎日などのオールドメディアでは、安倍さんは「悪役」確定でした。


    そして、その後の安倍1次政権、自民党が下野した後の安倍2次政権、アベノミクス・・と思い出は続いていくけど。

    それは、安倍晋三VSオールドメディアの戦いの歴史でした。


    と同時に、それは、「バブル後」の日本の苦闘の歴史でもありました。

    日本はまだ「バブル後」を乗り越えていない。だから、安倍晋三の歴史的評価も、まだ定まらないですね。


    私が安倍さんと会ったのは、1度だけでした。

    会ったというより、遠巻きに見た、という感じですが。言葉を交わしたことはありません。


    私の同世代のジャーナリスト、マスコミ人たちは、安倍長期政権の間に、「アベガー」で有名になっていきました。

    「アベガー」をやってた連中が、いまマスコミでも経営幹部になっています。

    メディアにいた頃は、私も安倍晋三批判をたくさんやりました。


    でも、マスコミを退職し、安倍さんが亡くなって、暗殺されて、安倍さんは年上だけども、安倍さんの戦いは、自分の人生の戦いと重なっている、という思いが、日々強くなっています。

    私の中では、それは「オールドメディア批判」へと収斂しています。

    安倍さんが言いたかったこと、さらに言えば、50年前の私が子供の頃、佐藤栄作が言いたかったことが、わかるような気がします。


    3年前の安倍さんの無念を思い、改めてご冥福をお祈りします。


    <参考>


     
     
     
    会社を定年退職し、神奈川県は柿生の里に隠棲する。新聞社、出版社に勤め、記者や編集者をやっていた。独身、孤独を愛する。老人であることを自覚し、記憶力もあやしくなりつつあるので、ここに書き残したいことを書き残しておく。世間から引退したので、社交は望みません。

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