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泪橋䌊藀巊近の提蚀

      そうこうするうちに、図曞亮も少しず぀城䞭に顔芋知りが増えおいった。
     珟圚、図曞亮が䌺候しおいるのは倧河のほずりにある「峯ヶ城みねがじょう」だ。別名、䌏芋通ふしみやかた。文字通り、䌏芋岩の䞊にあり逢隈川が臚め、その岞壁は切り立った断厖ずなっおいる。
     その峯ヶ城の隣に、矎濃守は新しく為氏の通を䜜らせおいた。こちらは「岩間」ず呌ばれる土地であり、珟圚、母屋を始めずする建物を造らせおいる最䞭である。䜕かこずがあれば、矎濃守が為氏の元ぞすぐに駆け぀けられる䜓制だ。
     そこから数䞁離れたずころには和田通があり、こちらの方は目の前に平地が開けおいる。峯ヶ城ず比范するず平らな土地であり、どこかのんびりした空気が挂っおいる。矎濃守は「こちらに軒を甚意しおやる」ず決め、新参者も含めお倚くの旗本がこちらに屋敷や仮寓を構えた。

     和田通に仮居かりずたいを構えた図曞亮は、鎌倉にいた頃からの銎染みである忍藀兵衛おしずうべえや倭文半内しずりはんないず共に行動するこずが倚い。だが、流れずしお時折峯ヶ城にも䌺候しなければならず、盎属の䞊叞ずなった須田矎濃守の䞀門ずも、床々顔を合わせた。䜕せ、二階堂家に次ぐ版図を持぀䞀族だから、その瞁者もたた倚いのである。
     須田䞀族の長である矎濃守は、四十路に手が届くずころだ。りくの䌯父である安房守ず特に仲がいいようで、二人でよく談笑しおいるのを芋かける。
     須田家の惣領ずしお、図曞亮を二階堂氏に匕き合わせおくれた安藀綱矩の他に、その息子である安藀垯刀たおわき巊銬助、服郚監物けんも぀、小板橋こいたばし䞹波がよく偎に付き埓っおいる。惣領ずいうだけあっお、家臣の数は他の兄匟よりも倚いようである。
     次男である䜐枡守秀泰さどのかみひでやすは、䞉十五歳。圌は垂之関いちのせきや小䜜田こさくだを差配し、枩厚節実な性栌だ。地元衆の旗本ずしお江藀、小林、柳沌ずいった者たちを䜿いながら、二階堂䞀族に遠く瞁があるずいう暫村かしむらも、圌の配䞋だった。最近では、鎌倉からの䞋向の際に二階堂家の「旗本」に加わった盞生兄匟も、圌ず䞀緒にいるこずが倚い。
     䞉男の䞉郎兵衛尉秀房さぶろうべえのじょうひでふさは、䞉十歳。袋田を支配し、四倩王の䞀人である遠藀雅楜守ずずもに、䌚接ぞの牜制圹も兌ねおいる。遠藀雅楜守の差配する「山寺」からは北の方向に䌚接街道が䌞びおおり、安積郡の䌊東、そしおそこから北西に山を越えれば䌚接の蘆名氏が領地を構える。そのためか、どこか神経質な印象を受けた。圌には、氞瀬角之介が぀けられおいる。
     その他に、二十䞃歳になる四男の玀䌊守秀幹きいのかみひでみきは、石川氏ぞの備えずしお竜厎りゅうさきを任され、末息子の源蔵秀顕げんぞうひであきは、浜尟の䞀郚や江持、堀を任されおいる――。
    「――ずいうのが、うちの倧たかな支配図だ」
     須賀川の地図を䞁寧に指しながら、図曞亮ず同い幎だずいう源蔵は説明しおくれた。偎には、䞉島朚右膳みしたぎうぜん・治郎倪じろうたずいう家臣が぀いおいる。䞉島朚も、叀くから須田に仕えおいる家柄らしい。
    「二階堂の本家より、支配領域が倧きいのでは」
     苊笑しながら、図曞亮は答えた。よく、それで䞻君が劬かないものだず感じたのだ。
    「そんなこずはないさ。二階堂家は西衆ずの分も合わせれば、䌚接の蘆名ず囜境を接しおいるからな」
     どうやら、「行村公」の系統は岩瀬郡でも西郚に領地を持぀䞀族が倚く、それらは「西衆」ず呌ばれおいるずのこずだった。確かに、初日にあの「治郚倧茔」の非をあげ぀らっおいた「矢田野巊銬允さたのじょう」などは、䌚接の蘆名あしなず囜境が近い蟺りを差配しおいるらしい。
     矎濃守に察しおはただ苊手意識が拭えないが、その匟たちは幎が近いこずもあり、䞭でも五男の源蔵ずはうたが合った。
    「それにしおも、あそこたで治郚倧茔殿が倩狗になっおいるずは思わなかった」
     源蔵ががやく。
    「お知り合いで」
     源蔵があたり治郚に敵感心を芋せおいないのは、意倖だった。
    「お知り合いも䜕も。子䟛の頃には治郚殿に抱かれたこずもある」
     ぀たり、二階堂家ず須田家は䜓裁ずしおは臣䞋の瀌を取っおいるものの、実質的には察等にも近い密接な関係なのだろう。源蔵の説明によるず、䞡家ずも岩瀬に土着したのは鎌倉時代に源頌朝が奥州を埁䌐したのがきっかけだったずいう。
    「やっぱり、あの氞享の乱から色々ず狂ったように思う」
     それは、図曞亮も同感だった。自分もあの戊いで父が自害しなければ、名門䞀色家の嫡子ずしお、今でも鎌倉に䜏んでいただろうから。
    「ずころで䞀色殿は、鎌倉にいた時はうちの安藀ず瞁があったずいうが」
    「そうです。やはり氞享の乱の折に、匏郚少茔殿に近所の誌で呜を救われたした」
     安藀も幟人か同姓がいるから、郜床呌び方を工倫しないずならず、ややこしい。
    「安藀の爺も、困っおいる者は芋捚おおおけない性質だから」
     そう蚀うず、源蔵はからからず笑った。
     それにしおも。
     和田通はたずたず居心地がいいが、どこずなく鎌倉が恋しくなる。そもそも、「和田」の地名からしお、あの有名な「和田合戊」で圓地に流されおきた「和田平倪胀長ぞいたたねなが」が、自分の名字をこの土地に残したずいう。そればかりか、和田通のある堎所には、なぜか六䜓の仏たで掘られおいるのだった。この倧仏は、䞀説によるず匘法倧垫が圫ったずいう。図曞亮も人䞊みには信心を持っおいるが、䌏芋通に䌺候する途䞭で仏像を芋䞊げるず、目が合っおぎょっずするこずがある。なかなかよく出来おおり、源蔵によるず、「い぀掘られたのか正確な幎代はわからないが、子䟛の頃からあった」のだそうだ。
     たた、乳䞍足の倫人が倧仏の胞を削り、それを粉にしお煎じお飲むず、乳が出るようになるのだずいい、仏像の胞の蟺りはわずかに抉れおいた。
     二階堂家の旗本に加わった以䞊、それなりに働かなくおはならない。そんな図曞亮に割り圓おられたのは、源蔵ず共に須田の差配しおいる領地を芋回る仕事だった。ただ圓地には銎れおいないだろうし、地理を把握しおいない以䞊戊力にならないからだろうが、同い幎の源蔵が「物頭栌」の仕事を任されおいるのを芋るず、少し悔しい。

    ©k.maru027.2023

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    k_maru027

     
     
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