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むングマヌル・ベルむマン鏡の䞭にある劂く(1961)ヌ④俳優たち、ベルむマン映画の神々

    なんず蚀っおもこの映画ではカヌリンを挔じるハリ゚ット・アンデルセンが癜眉である。

    圹は統合倱調症の女性ずいう蚭定なのだが、この映画の堎合は粟神病患者ずしお厳密に描写しおいるずいうよりは、善ず悪、光ず圱を同時に䜵せ持ち、なおか぀䞡者に匕き裂かれおいる人間の存圚の基底の象城ず考えおみたい。
    (珟実の統合倱調症は無論真剣、慎重に取り扱うべきで、あくたで映画䞊でそう考えおみたいずいう意味。)

    普段は明るくお生呜力に溢れるチャヌミングな魅力的な女性である。アンデルセンの身䜓的なレベルの掻力、元気さがそういう偎面を衚珟するのにピッタリだ。
    䞍良少女モニカなどの初期ベルむマンでもアンデルセンがハマリ圹ずしお芋せおいたキャラクタヌ。

    映画䞭の劇でニワトリの鳎き声のはりの匷烈な生呜力。
    匟のミヌヌスがポルノ雑誌を芋おいるずころで、雑誌を取り䞊げおからかうずころもアンデルセンらしい明るさでおかしみを誘う。

    だが、その䞀方でのカヌリンの闇の郚分で心に声を聞いお、二階の無人の郚屋で壁の向こうにいるはずの神ず察話する䞀人芝居がなんず蚀っおも圧巻である。

    身䜓の䞭で䜕かが厩壊しお、目もう぀ろにおかしくなっおいる。ここでも、アンデルセンの存圚感抜矀の身䜓性ず目の衚珟力が最倧限に発揮されおいる。このシヌンは安易なホラヌよりも、はるかに背筋がぞっずするような心の深局にくいこんでくるようなこわさ、凄みがある。

    撮圱監督のスノェン・ニクノィストは、目だけですべおを衚珟するこずを目指したそうだが、アンデルセンのあの目だからこそそれが可胜になっおいる。
    そういうショットが倚くお、早朝ベッドで目芚めるずころの目、ダビッドの日蚘を無意識の盎感が働いたかのように探るずころ、どれも玠晎らしい。
    勿論、匟のミヌヌスずの、廃船内郚でのあの恐ろしいシヌンも。

    アンデルセンは、そういう人間の二面性を完璧に挔じ分けおいる。それも、技巧的な挔技ではなくお、身䜓性の深いレベルで衚珟しきっおいるのに舌を巻く。

    䞍良少女モニカも最高だったが、この鏡の䞭にある劂くでアンデルセンは最高を通り越した至高の挔技をしおいお、個人的にはベルむマンの䞭でも圌女のベストだず思う。

    カヌリンの倫のマッティンをマックス・フォン・シドヌが挔じおいる。善良で、カヌリンをひたすら愛するずいう単玔なキャラクタヌなので、むしろ圹䜜りや衚珟が難しそうである。だが、シドヌはそういうキャラクタヌになりきっおいる。

    ベルむマンでは第䞃の封印でシドヌはデビュヌしおいる。あの特異な颚貌が特城で、䞋手するず性栌俳優扱いされかねそうだ。
    しかし、この映画では県鏡をかけるなどの工倫もしながら、普通の人間を挔じるずいう難事をなしずげおいる。

    ベルむマンでも、倚皮倚様な圹を割り振られおいお、それぞれ倉わったキャラクタヌになりきる実は達者な挔技掟である。
    ベルむマンでは、この埌の冬の光や魔術垫も印象的だった。

    カヌリンの父芪のダビッドを挔じるのはグンナヌル・ビョルンストランド。
    シドヌず共に前䞭期のベルむマンを支えた二倧男優の䞀人で、ビョルンストランドは埌期の最埌の方たでベルむマン映画に出挔し続けた。ビョルンストランドは、ちょっずベルむマン本人の分身のようなずこらがある。

    ここでも、孀独で゚ゎむストで傲慢なずころのある、いかにもベルむマン的なキャラクタヌにはたっおいる。
    知性の高さを感じさせ、冷たそうで、なおか぀品があるが䞋品さも厭わずに衚珟し、人を無条件にひき぀けるキャラクタヌの豊かさにも欠けおいない。
    個人的にもビョルンストランドの倧ファンである。

    シドヌが倚皮倚様な圹をこなすのに察しお、ビョルンストランドは䞀定の傟向のある圹が倚い。この映画や、野いちごのような孀独な゚ゎむストをやらせたら絶品である。
    この埌の冬の光も玠晎らしかった。

    ベルむマン初期のコメディヌのシヌクレット・オブ・りヌマンでの゚ノァ・ダヌルベックずの゚レベヌタヌ宀内でのコミカルな䞁々発止の達者な倧人同士のやりずりも忘れがたい。コメディアンの資質も高い人だった。

    ベルむマン映画に欠かせない魅力は、こうした個性でも挔技力でも抜矀な神々ずしおの俳優たちを芳るこずができるこずである。

    カヌリンの匟のミヌヌスを挔じおいるのは、ラヌシュ・パッスコヌドである。スりェヌデンの男優でこれが映画デビュヌだ。

    このようなあたりにも偉倧すぎる先茩たちに混ざっお、しかも登堎人物が四人だけの密宀的な宀内楜的ドラマをやるのはさぞかし倧倉だったろうず思う。
    だが、あくたで自然に無垢な少幎ずしお振る舞っおいる。堂々ずしおいるが、圌らを決しお邪魔しおいない。

    前回の蚘事で他の䞉人に぀いおこういう抂略的なたずめ方を仮にしおみた。

    単玔化しおたずめるず、カヌリンは善悪をあわせも぀存圚、マッティンは善奥底には悪、ダビッドは悪奥底は善ずいう䞉角関係だずも蚀える。

    ここにさらにミヌヌスを加えるず、圌は善悪以前の無垢な存圚ずも蚀える。
    ミヌヌスは父芪のダビッドを玠盎に尊敬しおいるが、恐らくは愛情がうすい父芪に䞍満も抱いおいる。姉も普通に慕っおいる。少幎らしい性的な欲求䞍満ず、女性に察する憧れず少幎らしい恐れず嫌悪感もある。

    そういう善でも悪でもない無垢な存圚が、倧人の䞖界にふれお、その無垢性が残酷なたでに無残に砎壊される物語でもあった。

    この映画は、神の䞍圚や信仰の危機、いわゆる「沈黙䞉郚䜜」の文脈で語られるこずが倚い。
    そうした読みがこの䜜品の重芁な偎面であるこずは吊定しない。
    ただ、私自身はそれだけでは捉えきれない違和感を感じおきた。
    登堎人物たちが互いに向け合う蚀葉や沈黙、その堎に「存圚しおいる感じ」そのものに、この映画の栞心があるように思えたのである。

    ここで曞いた四人のやや類圢的な分析もそういうあくたで個人的な詊みの䞀぀ずしお読んでいただけたらず思う。

    もう䞀぀だけ、総括蚘事を曞いお終わりにする぀もりです。

    (関連蚘事)


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    昔の映画、音楜、雑蚘。猛烈な勢いで蚘事を曎新したかず思えば、note掻動をしばし䌑止したり。気たぐれ埡免。

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