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宙の臨界


    あらすじ

    統一教会の祝福二世として生まれた私は、幼い頃から恋愛を禁じられ、信仰と自分の感情のあいだで生きてきた。

    教団の青年組織CARPで出会った青年・貴美に惹かれながらも、その想いを貫くことはできなかった。叶わなかった恋は、親との対立や監禁、孤独、そして統合失調症の発症を経験するなかでも、消えることなく心の奥に残り続ける。

    やがて結婚し、母となり、新しい人生を歩み始めた私は、それでもときどき、あの頃の恋を思い出す。

    愛することとは何か。
    失われた恋は、本当に終わるのか。
    人は過去を抱えたまま、もう一度幸せになれるのか。

    叶わなかった恋が、その後の人生を静かに照らし続ける――喪失と再生を描く愛のものがたり。








    最愛の夫と、最愛の女友達へ


    プロローグ



     朝、娘の手を引いて保育園まで歩く。

     まだ眠たそうに指を握り返してくるその小さな力が、私をゆっくりと今日へ連れ戻してくれる。

     インターホンを押し、オートロックの門をくぐる。先生に預けると、娘はふわふわの上着を揺らしながら教室の奥へと消えていった。

     見送ったあと、私はひとりで家へ向かって歩きだす。

     冬の朝はどこか硬くて透明で、深呼吸すると胸の奥の古い傷まで冷たくなるような感じがする。

     こんなふうに落ち着いた朝を迎えられるようになったのは、本当に最近のことだ。

     娘と夫との日常には、せわしないけれど、静かで、やわらかい時間が流れている。

     それなのに、ときどき胸の奥がざわりと揺れる。

     ——私の始まりは、こんな穏やかな場所ではなかった。

     家に向かう道の途中、ふとした匂いや風の色のせいで、ずっと昔の記憶が突然ひらいてしまうことがある。

     あの頃の私は、自分の人生の選び方も知らず、

     誰かに教えられた価値観だけを抱きしめて生きていた。

     信じることと従うことの境界線が、どこにあるのかもわからなかった。

     どこで間違えたんだろう、と何度も思った。

     でも今なら少しだけ言葉にできる。

     “間違えた”のではなく、

     ただ、そう育てられただけだったのだ。

     だから私は、あの日の記憶から書き始める。

     すべての始まりの場所。

     世界の形を信仰で塗り固められていた、幼い日のことを。



    幼い日のこと



     ——「セイテキカンケイってなに」

     五歳の私は、ある日の午後にふと母にそう尋ねた。

     母は一瞬だけ眉を寄せ、言葉を選ぶように口を動かした。

     その唇のかたちだけは、いまも記憶の底にゆらめいている。

     けれど、何を言われたのかは思い出せない。

     あのときの私は理解できなかっただけなのかもしれないし、

     覚えていてはいけないことだと直感してしまったのかもしれなかった。

     私がその言葉を発した背景には、幼い頃から刷り込まれてきた”堕落論”があった。

     エデンの園で天使長ルーシェルとエバが不倫なる霊的性関係を結んだことが人類始祖の堕落の始まり——。

     そう教えられて育った。

     恋愛はもちろんのこと、異性との距離感さえ厳しく律される世界の中にいた。

     両親は教団の教祖によるお見合いで結婚した。

     教団内で結婚した夫婦から生まれた子どもたちは祝福二世と呼ばれ、親の信仰と教義に守られた”神の血統”として育てられる。

     結婚適齢期になれば、親がお見合いを通して永遠の伴侶を決める。

     それが当然だと教えられてきた。

     夏休みに参加していた泊まり込みの修練会では、将来の結婚相手のために性欲をコントロールする術を学ぶ講義が行われた。

     性という身体的なものが”罪”と結びつけられる感覚は、幼い私に奇妙な影を落としていた。

     家は、極貧といってよかった。

     二DKの社宅に両親と三人で住み、父の財布に千円札が入っているかどうかが、小学校低学年の私にとって一日の心配の中心だった。

     母は長く海外宣教に携わり、私が中学生になるまで、ほとんど家にいる時期がなかった。

     宣教活動は全額自費で、父は薄給の教会関連会社で働きながら、アルバイトを二つ三つと掛け持ちしていた。

     おそらく家には借金もあったのだろう。

     それについて詳しい話を聞かされたことはなかったが、常に家計がぎりぎりであることだけは、子ども心にもひしひしと伝わってきた。

     統一教会が日本に入ってきたのは一九五六年のことだ。

     一九六〇年代には大学キャンパスでの原理研究会(CARP)の活動が盛んとなり、学業に支障をきたすほど献身する学生が続出した。

     “親泣かせ原理研究会”というマスコミの見出しが世間を騒がせた頃、私の両親も例に漏れなかった。

     父は活動にのめり込み、建築学科を二年も留年し、怒った祖父に学費を止められて中退した。

     祖母はそのことを長く根に持っていたらしい。

     父方の一族は旧帝大出身者が多く、教員職の家系で、地元ではちょっとした名家だった。

     祖父は京大を卒業し、地元唯一の高校で教頭まで勤め上げた人だった。

     一方、母方の祖父は電電公社(後のNTT)の管理職だった。

     母が大学生で入信したときには親族が”反対牧師”を雇ったほど家庭は混乱し、殴り合いの末、母は家を飛び出したと聞く。

     母の語るその記憶はどこか笑いながらで、けれどその背景に渦巻いていた痛みは、子どもにも分かるほど深かった。

     私は、そんな両親の信仰の中で育った。

     神とサタン、という二つの言葉が、まるで呼吸のように自然に隣にあった。



    中学三年生、初恋



    「ごめん、付き合えない」

    「なんで?」

     電話の向こうで、彼は戸惑いを隠せない様子だった。一週間前、彼からの告白に「私も好きだよ」とメールで返した。それは本心だった。でも、今こうして言葉にしてしまうと、嘘のように響いてしまう。

    「うーん……ごめん」

     私は電話口で言葉を濁した。

     図書館の駐車場。外はまだ肌寒く、桜の季節を予感させる日差しの角度をしていた。

     もう連絡はできない。

    「友達として関係を続けるのもダメなの?」

     彼は諦めずに聞いてきた。

    「ごめん。幸せになってね」

     無理やり電話を切った。最悪だった。もっと早く、こうなることは予想できていたはずなのに。

     初恋が終わった。

     斉藤くん、ごめん。

     心の中でさめざめと泣いていていいはずのこの状況でも、神への忠誠心のようなものがギラリと鈍く光りながら、私の胸の奥でむくむくと膨れ上がっていた。

     人は、本当の自分でいられない環境にいると、無意識に人格を使い分けるようになる。当時の私は、教会で模範的な信者の子を演じる自分、家で親の前にいる自分、学校での自分——少なくとも三つの顔を使い分けていた。

     そのことに、もう疲れてしまっていた。

     高校進学を機に、「神のために生きる」と決めた。だから恋愛はしない。そう信じていたし、それ以外の道はないと信じ込んでいた。いや、洗脳されていたのかもしれない。

     斉藤くんとは中学二年の時に同じクラスだった。中学二年と三年のバレンタインに、彼にチョコを渡した。見た目は他の友達と同じ義理チョコだけど、気持ちは本命だった。中学三年の時は直接渡すのも恥ずかしくて、仲のいい男友達に頼んだ。たった一ヶ月前の出来事だったのに、はるか昔のことのように感じる。

    「はいよ」

     そう言って隣のクラスから帰ってきた男友達から渡されたルーズリーフの切れ端には、メールアドレスが書かれていた。それが斉藤くんとのメールの始まりだった。

     世の中ではちょうどYUIの「CHE.R.RY」が流行っていて、イヤホンでそれを聴きながら、深夜に布団をかぶってこそこそメールをしていた。襖越しに聞こえる両親の寝息が規則的かどうか、ときどき耳をすませながら。

     ある夜、突然着信が来たときには、心臓が口から飛び出るかと思った。

     寒さに震えながら、親に気づかれないようにベランダへ出て電話を取った。

    「大好き」

     彼はそう言った。

     電話を切ったあと、「おやすみ」と一緒に送られてきた画面いっぱいのハートの絵文字。あれはさすがにやりすぎだったと、後になって自分でも照れていたね。

     本当に、本当に大好きだった。

    「できれば、平田と結婚したいと思ってた」とまで言ってくれたのに。

     私は、付き合えなかった。

     ごめんね。


     *


    いつか娘が、好きな人ができたと打ち明けてくれる日が来るだろうか。


     スタバで向かい合って、どんな人か聞いてみたい。娘の話を、ただ嬉しそうに聞きたい。


     付き合えない理由なんて、何もない世界で。


     *


      斉藤くんとの初恋が終わったとき、私はたしかに悲しかった。

     でもその悲しさよりも先に、胸の奥でカチリと音を立てて動いたものがあった。

     ——恋愛をしてはいけない。

     ——私は神のために生きる。

     その枠が、私の感情よりも強く私を縛っていた。

     電話を切ったあと、私は真っ先に携帯ショップへ行き、番号とメールアドレスを変えた。

     斉藤くんと連絡がつかないように。

     逃げるためではなく、二度と決意が揺れないように自分を固定するためだった。

     その行動が、自分でも驚くほど迷いがなかったのを覚えている。

     恋よりも、傷よりも、信仰の枠が先に立ってしまった。

     そのことが本当は何よりも苦しかった。でもその苦しささえも感じないようにしていた。

     当時の私には、ほかの選択肢は存在しなかった。

     母は海外宣教で家にいないことが多く、体のことも心のことも、誰に相談していいのかわからなかった。

     学校では”普通の女子”を演じ、教会では”二世としての模範”を求められ、家では”親を悲しませない子”を演じた。

     その全部が重なって、私は深いところでずっと独りだった。

     だから初恋が終わった日、とても寂しかったけれど、泣くより先に、心の奥がひどく冷えた。

     ——ああ、私はこの生き方しかできないんだ。

     そう思ってしまった自分を、いちばん許せなかった。

     そしてその冷たさを抱えたまま、私はまた日常へ戻っていった。

     けれどその日から少しずつ、ずっと蓋をしていた中学生の頃の記憶が、静かに、苦しみと一緒に浮かび上がってくるようになった。

     初めての生理のときも。

     母がいなかったことも。

     生活も、信仰も、全部ひとりで耐えていたあの頃のことも。

     忘れたはずの痛みが、忘れたふりをしてきた痛みが、またひとつ、またひとつと戻ってきた。




    中学生




     中学一年のとき、初めて生理が来た。

     そのとき、母は海外宣教で家にいなかった。父との二人暮らし。

     身近に相談できる女性もおらず、ナプキンの買い方さえわからなかった。自由に使えるお金もなかった。

     脱衣所を探すと、母の使い残したナプキンが数枚だけ出てきた。

     私は見よう見まねでそれを使った。

     使用済みのナプキンをどう処理すればいいのかもわからず、ゴミ箱に入れて父に見られるのが恥ずかしくて、トイレのサニタリーボックスにそっと隠すように入れた。

    ——そのまま放置してしまった。

     一ヶ月ほど経ったころ、トイレにハエが湧いた。

     父が「なんでこんなにハエが?」と不思議そうにしている横で、私は自分にだけその理由がわかった。

     胸の奥がひやりとした。

     急いでサニタリーボックスを片付け、使用済みのナプキンをスーパーの袋に何重にも包んで、公園のゴミ箱まで走って捨てに行った。袋を縛る手は震え、異臭が少し漏れた。

     ナプキンも使い切ったある日、生理痛がひどくて動けなくなった。

     ベッドに倒れ込むしかなく、ついに父に「生理になった」と告げて、買いに行ってもらうしかなかった。

     思春期の女の子が、男親にそんなことを頼むなんて、本当に嫌だった。

     でも、あのときはそれしかなかった。

    ——母にいてほしかった。


    *


     ある朝の登校時、校門の前にいた男性二人が、小さな本を配っていた。

     深緑色の表紙の新約聖書。

     多くの生徒は何かわからず受け取ったが、ページをめくって聖書だとわかると、途端に投げたり踏んだりして遊び始めた。

     その日の教室は、紙くずになった聖書で散らかっていた。

     中学生なんて、そんなものなのかもしれない。

     でも私は、その光景がとても悲しかった。

     小さな頃から聖書を読み、イエス・キリストの物語に親しみを感じて育ってきた。

     聖書は、私にとって"神聖なもの"だった。

     自分の席で静かにそれを見ていた。きっと複雑な表情をしていたのだと思う。

     すると、ひとりの男子が私に目をつけた。

     小学校低学年のとき、私は自分の家がキリスト教で、母が宣教師だと話していた。

     統一教会と一般的なキリスト教の違いを理解していなかった頃のことだ。

     その話が広まり、あるやんちゃな男の子が私を「キリスト」とあだ名で呼び始めた。

     中学でもそのまま持ち上がり、学年中に"なんとなくクリスチャンらしい子"という認識が広まっていた。統一教会が異端視される存在だということなど、当時の同級生は誰も知らなかった。

     その男子が、ボロボロになった聖書を私の机に積み上げながら言った。

    「ほら、返すよ」

     その瞬間、涙が勝手にこぼれた。

     女友達が慌てて肩をさすってくれた。

     男子も「ごめん、そんなつもりじゃなかった」と謝った。

     たぶん、本当に悪意はなかった。ただの悪ふざけだったのだろう。

     でも私には、あの瞬間の世界の冷たさが、はっきりと刺さった。


    *


     娘の着替えをさせながら、ふと手が止まった。


     フリルのついたチュールスカートを脚に通すとき、少しきつくなっているのに気づく。また大きくなった。この春買ったばかりなのに、もう丈が短くなっていた。


     私が子どもの頃、こういう服を着たことはなかった。


     父との二人暮らし。薄給のアルバイト掛け持ち。千円札が財布にあるかどうかが、一日の心配の中心だったあの頃。服を選ぶ余裕も、選んでくれる母もいなかった。


     娘の脚にスカートを通し終えて、「可愛い〜」と声をかけると、娘は嬉しそうに笑いながら繰り返した。


    「かわい〜」


     私は思った。この子が思春期になったら、そばにいよう。なんでも話せるお母さんでいよう。生理が来た日も、好きな人ができた日も、悲しくて泣きたい夜も——全部、一緒にいよう。


     あの頃の私には、いなかった人に。




    信仰の目覚め




     私が本格的に信仰へ目覚めたのは、高校生になってからだった。

     それ以前から、家庭では毎朝・毎晩の祈祷会や訓読が日課で、日曜の早朝には敬礼式に参加していた。

     教会では模範的な二世として扱われ、与えられた役割のとおりに振る舞うことで、私は自分の居場所をかろうじて形づくっていた。

     高校入学と同時に、私はjr.STFに所属した。

     統一教会の中高生向けの選抜組織で、原理テスト・論述・体力テストを突破した者だけが入れる”特別な場所”だった。

     あの頃の私にとって信仰とは、教義というよりも、共同体の中で期待された役割に応える行為だったのだと思う。

     中高生部では学生会副会長を任され、教会に来なくなった二世へ連絡をとり、動員した。

     修練会、スポーツ大会、合唱コンクール、中和文化祭。

     行事のたびに号令をかけ、祈りの言葉を唱え、「One family under God!」と声を張り上げた。

     美術科に在籍していた私は、放課後のデッサン補講を犠牲にしてでも教会に向かった。

     あの頃の信仰は、振り返れば部活動の延長のようでもあった。

     でも”そこにいれば正しくいられる”という感覚が、私を離さなかった。

     ひとつだけ葛藤があった。

     ——イエス・キリストには自然に情が湧くのに、教祖夫妻にはどうしても同じ温度で向き合えない。

     その違和感はずっと胸の底に沈んでいた。

     それでも、教会活動にのめり込むにつれて、両親への見え方は変わっていった。

     特に、家庭生活を犠牲にして宣教に奔走していた母のことを、私はようやく”私の幸せを願ってのことだった”と理解しはじめた。

     ずっと距離があったはずなのに、理解だけが先に追いついていくような、奇妙な感覚だった。

     *

     高校卒業後、私は東京藝術大学を目指したが、現役では合格できず、浪人生となった。

     予備校が始まる四月までの間、私は二十一日修練会に参加した。

     統一原理を体系的に学ぶ場であり、信徒にとって一度は通る”正式な道”だった。

     堕落論、復帰摂理史、再臨論。

     複雑で長い教義が一本の線のようにつながっていき、私は初めて”歴史の中の自分”というイメージを持った。

     その意味づけが、私をさらに信仰へ深く押し進めた。

     教祖の祈祷映像が流されたとき、私は自然と涙が出ていた。

     神の独り子として涙を流し、サタンと闘うその姿に、心を動かされてしまったのだと思う。

     浪人期の私は、平日は予備校、日曜は礼拝と奉仕と伝道。

     入試直前でも礼拝を欠かしたことはなかった。

     信仰熱心な二世の間では”勉学に励み、社会で証となる”という価値観が当たり前のように共有されており、私自身もその枠の中に迷いなく立っていた。

     二浪の末に藝大に合格したとき、教会内では次の選択を迫られた。

     青年部に留まるのか、それともCARPに入るのか。

     CARP——それは両親がかつて信仰へ導かれた場所だった。

     私は彼らの足跡を辿るように、その道を選んだ。



    統一教会教義の本質



     統一教会の教義の中心には、「血統」という概念がある。

     そしてこれが、二世問題を複雑にし、深刻なものにしている最大の理由でもある。

     旧約聖書に登場するアダムとエバの故事では、ふたりが「善悪を知る木の実」を食べたことで堕落したとされる。

     統一教会ではこの”実”を比喩と捉え、実際にはエバが本来の相手であるアダムと関係を結ぶ前に、天使長ルーシェル(後のサタン)と不倫な霊的性関係を持ったことが堕落の始まりだと教えられる。

     その結果、人類はサタンの血統を受け継ぎ、人類史とは”神が我が子を取り返そうとする物語”であり、サタンが常にそれを妨害している——そんな世界観が形成されている。

     二千年前、イエス・キリストは神の独り子として地上に遣わされたが、その十字架の死は「霊的救い」にとどまり、“肉体を持って神の血統を増やす”という使命は果たせなかったとされる。

     その未完の摂理を引き継いで現れた再臨のメシヤこそが、教団の教祖である文鮮明だ。

     世間でも知られている合同結婚式、いわゆる「祝福」は、この血統転換の儀式である。

     一世信者は祝福を受けることによって、サタンの血統から神の血統へと”生まれ変わった”とされる。

     これを教団では「肉的重生(にくてきじゅうせい)」と呼ぶ。

     祝福を通して生まれた二世信者は、生まれた瞬間から”神の血統”を持つ者と位置づけられ、大切に、そして厳格に育てられる。

     結婚相手も二世同士でなければならず、祝福を受けるまでは恋愛も禁じられる。

     生殖器は「神が宿る宮」とされ、自分で触ることすら禁じられていた。

     二世が恋愛や性的接触によって”堕落”することを、一世信者が必要以上に恐れるのは、文鮮明の「み言」の中に「二世が再び堕落すれば、サタンよりも悪い地獄に落ちる」という内容があるからだ。

     これは、親が子どもを愛するがゆえに、結果として過干渉になる構造そのものだと思う。

     *

     統一教会には、座間保裕の『小学生のための原理講論』という、二世にはほぼ必読と言っていい教本がある。

     私も小学生の頃、毎朝この本を「訓読」させられていた。

     その中では、化粧や露出のある服装、異性を意識した振る舞いはサタンを喜ばせる行為だとされ、ハイヒールを履き、髪を染め、化粧をした若い女性が”サタンに利用される姿”としてイラスト付きで描かれていた。

     これが純潔教育の実態だった。

     私が小学校に上がった頃、ちょうど海外宣教から帰国していた母は、私が周囲から「可愛く見られる」ことを恐れて、私の意思とは無関係に髪をショートカットにした。

     長い髪に憧れていた私は、本当に嫌だった。

     でも、教えで固められた母に逆らうことは、子どもの私にはできなかった。

     男子のように短い髪が恥ずかしくて、通学帽子を深くかぶって学校へ行った。

     教室では帽子を脱がなければならず、恐る恐る外すと、男子からは「ハゲ」と言われた。

     性教育の授業がある日は休むように言われ、実際に休んでいた。

     エバとルーシェルが性的関係を持ったと教えられてはいたものの、それが意味するものはまったくわからなかった。

     小学校中学年になる頃には髪型の制限は緩くなったものの、短いスカートは禁止のままだった。

     テレビでキスシーンが流れれば、母は即座にチャンネルを変えた。

     少女漫画も禁止され、友達に借りてこっそり読むしかなかった。

     枕の下に隠した漫画が見つかり、叱られたこともある。

     友達に泊まりに誘われても、「何かあったらいけないから」と断るよう言われた。

     男子と遊ぶのもいい顔をされなかった。

     小学校三年生のある日、クラスの男の子と遊んでいたところに、父が偶然通りかかった。

     普段ほとんど怒らない父が、その子に向かって突然叫んだ。

    「うちの娘に手を出すな!!」

     その男の子には「お前の父ちゃん、おかしいんじゃねーの」と言われた。

     純潔教育を受けるほどに、恋愛への憧れは反比例するように強くなった。

     テレビも漫画もだめだったが、本だけは制限されなかったので、図書館で恋愛小説を片っ端から借りて読んだ。もちろん親に隠れて。

     小学生の頃も、中学生になっても、好きな男の子はいた。

     親に隠れて一緒に下校したこともあった。

     家と教会で教えられる”悪いこと”だとわかっていながら、私はいつもこっそりと、ふたつの顔を持つ子どもだった。



    葛藤



     CARPでの日々は、過酷という言葉では追いつかないものだった。

     中でも最も堪えたのは、慢性的な睡眠不足だった。大学二年のある一日を振り返ると、次のようになる。

     朝は祈祷会から始まった。簡単に朝食を取り、藝大へ向かう。

     二年次は午後に実技が集中していたが、私は教職課程を履修していたため、午前中には座学の講義があった。席に座ると、すぐに意識が落ちる。気づけば毎回眠ってしまい、ネイティブの講師から”sleeping girl”と呼ばれていた。

     友人からは睡眠障害を疑われたことさえある。

     午後の実技を終えると、そのまま他大学へ伝道に向かう。夕方までアンケートの声かけを続け、学舎へ戻ると、すぐに夕食、会議、夜の祈祷会が控えていた。

     それらが終わると、各自に課されている”条件”の時間になる。条件とは、伝道がうまく進むよう対象者のために祈祷したり、教典の訓読や敬拝を行ったりする行為だ。

     気づけば日付は変わっており、そこからようやく大学の課題に取り掛かる。就寝は午前二時か三時。ほとんど毎日がその繰り返しだった。

     平日に休息はなく、土曜日は奉仕活動、日曜日には礼拝。

     ストレスのはけ口は食べることしかなく、体重はCARPに入ってから十キロ以上増えていた。

     *

     そんな生活を続けるうち、心の奥に少しずつ疑問が積もっていった。

     最も私を苦しめたのは「正体隠し」の伝道だった。

     当時の伝道方法は、学内でひとりでいる学生にアンケートと称して声をかけ、ボランティアやスポーツ活動を行うインカレサークルだと説明して連絡先を交換する。その後、カフェや学舎で「人生の目的」などの講義を行い、数回を経て泊まり込みの合宿——実際は修練会——に誘う。教団名を明かすのは、最後の段階だった。

     そこに悪意はなかった。むしろ、その方が相手が”救われる”と、心から信じていた。善意で舗装された道の先に、何が待っているかなど知らなかった。

     *

     私にも、ひとり伝道対象の女子学生がいた。

     別の大学に通う一年生で、疑うことを知らないような、まっすぐな瞳をしていた。

     私は宗教であることを伏せ、小さなインカレサークルのひとつのように説明し、合宿への参加まで約束を取り付けていた。

     出発当日、学舎の女性部屋でお茶を飲みながら出発を待っていた。

     彼女がトイレに立ち、しばらくして戻ってきたとき——

     すでに彼女の瞳には涙が溜まっていた。

    「……宗教、なんですか?」

     震える声でそう尋ね、彼女は体ごと後ずさった。

     スマートフォンで検索したのだと、すぐに気づいた。

     私は「うん」としか言えなかった。

     彼女の恐怖が、ひりつくほど伝わってきた。

    「帰ります」

     そう言って泣きながら歩く彼女を、私は最寄り駅まで見送った。

     何を言っても届かないことがわかった。

     夜の街を早足で進みながら、彼女の肩がずっと震えていた。

     私はただ、自分が与えてしまった恐怖と不信の大きさに、胸がつぶれそうだった。

     *

     この出来事を境に、私は「正体隠し」そのものに強い嫌悪と疑念を抱くようになった。

     ある会議で、学舎長に向かって「証し伝道に切り替えるべきだ」と主張した。最初から宗教であることを明かし、自分の体験で語るべきだ、と。

     だが、学舎長は強く反対した。

    「宗教だと名乗れば偏見を持たれ、伝道がもっと難しくなる」

     その場で激しい口論になった。

     私には、神のため、ご父母様のため、世界に平和をもたらしたいという真剣な志があった。それだけは本当だった。

     けれど、自分が毎日行っている行為が、果たしてそれらの理想とどう結びついているのか——その答えはどこにも見えなかった。

     胸の奥に、深く、消えない矛盾だけが横たわっていた。



    村上くん



     CARPでの伝道活動の中で、私の教会に対する見方を大きく揺るがす出会いがあった。大学一年の秋、十一月十一日、いわゆる「ポッキーの日」のことだ。私はCARPの女性の先輩とふたりで、早稲田大学正門近くの通りで伝道をしていた。

     そこで出会ったのが村上くんだった。両手にポッキー型の風船を持っており、「生協で配ってたんです」と無邪気に笑いながら教えてくれた。

    「面白そうですね! 僕、興味のあるものには何でも行っちゃうからな!」

     そう言って、彼は自然な流れで連絡先を教えてくれ、すぐに次の約束を取りつけることができた。

     彼はその後、最初の三日間の修練会にあっさりと参加を決めてくれた。そして、私たちが統一教会のメンバーであると明かした後も、態度はまったく変わらなかった。聞けば、彼も神道系の新興宗教の家庭に生まれた二世だったらしい。統一原理の講義にもすぐに理解を示し、自らの宗教背景と照らし合わせながら学びを深めていった。

     彼は一浪して早稲田に入学しており、第一志望は東京大学だったという。聡明で、どこか茶目っ気があり、人を惹きつける魅力のある人物だった。志も高く、複数のサークルに所属するかたわらNPO活動にも関わっていた。誰からも好かれるような、人望の厚い青年だった。

     村上くんが七日間修練会への参加を決意したとき、私は彼のために「条件」として七日間の断食を行うことにした。私にとっては二度目の断食だった。祝福結婚を受ける条件として、信者には成約断食と呼ばれる七日断食が課せられている。無事に彼が次のステップへ進めるようにとの祈りを込め、水だけで七日間を過ごした。心を込めて神に祈りを捧げる日々は肉体的には過酷だったが、彼への想いが私を支えていた。

     前日、私は学舎で色紙を作った。仲間たちにお願いして、一人ひとりから村上くんへのメッセージを書いてもらった。

     白い厚紙の中央に、彼の名前を書いた。

     透明水彩絵の具のパレットを広げて枠を飾りながら、私は自分でも不思議なほど丁寧に、ゆっくりと手を動かしていた。

     彼がこの色紙を受け取る姿を、自然と想像しながら。

     嬉しそうに笑う顔。

     「ありがとうございます」と少し照れながら頭を下げる声。

     私は胸が少しだけあたたかくなるのを感じていた。宗教的な意味だけではなかったのだと思う。

     色紙の端に自分のコメントを書くとき、私は一度ペンを止めた。

     言葉を選ぶのにこんなに時間がかかったのは初めてだった。

     ——どうか、この青年が幸せになりますように。

     それは私自身への祈りでもあったのかもしれない。

     *

     しかし、翌日。

     その想いを静かにひっくり返す長文のLINEが届いた。

     要約するとこうだった——七日間修練会には参加できない。今自分が取り組んでいることだけで手一杯で、どうしてもCARPの活動に割く時間が見つからない。けれど、CARPの皆さんのことは本当に好きで、活動にも惹かれていた。本心では一緒にやりたかった。でも、熟慮の末、それでも無理だった——と。

     その連絡をもって、彼との関係は途絶えた。

     学舎長が彼と約束を取り付けて説得を試みたようだが、彼が首を縦に振ることはなかった。

     彼の誠実で優しい文章を、私は何度も読み返した。本当は、「統一教会だから」という理由で去ることを決めたのかもしれない。けれど彼は、私の信仰そのものを否定せず、誰も責めず、静かに距離を取った。その優しさが胸に残った。

     私はそれまで、伝道対象者とは救われるべき存在だと思い込んでいた。信仰を持たない人々は、神を知らない「かわいそうな人たち」だと。だが、村上くんは違った。彼はすでに自分の信念と世界を持ち、そこに安住しながら、他者と誠実に向き合うことができる人だった。

     この出会いは、私の中に深く根ざしていた白黒思考に、初めて疑問を投げかけた。

     神側とサタン側、原理と非原理、教会の中と外——。

     そうした対立的な世界観に、彼は優しく揺さぶりをかけてきた。人間の価値がもっと多様であること、世界がグラデーションで成り立っていることを、何も言わずに教えてくれた。

     私はそのときまで、そんな当たり前のことさえ、知らなかった。



    星の人




     春の夜道を、三人で歩いていた。


     ベビーカーを押す夫の隣を歩きながら、買い物袋を提げる。娘はベビーカーの中で目をぱちぱちさせながら、夜の街を眺めていた。


     ふと、夫が空を見上げた。


    「月が綺麗ですね」


     ふざけた調子で言う。わかってる、夏目漱石でしょ、と心の中で返しながら、私も空を見上げた。


     丸みを帯びた春の月が、やわらかく光っていた。


     そのとき、ふいに声が聞こえた気がした。


    ——星が、綺麗ですね。


     あの夜の声だった。どこか苦しそうで、触れたら消えてしまいそうなほど弱かった声。


     でも今、その声は遠かった。胸を締め付けるのではなく、遠い夜空の光みたいに、ただそこにあった。


     娘が空に向かって小さな手を伸ばした。


    「つき!」


     そうだよ、お月様だよ、と私は答えた。


    *


     一瞬の中に永遠を感じさせてくれる人がいる。

     彼は、私にとってそういう人だった。

     その夜、学舎へ戻る途中だった。

     道路の照明が均一に明るくて、星なんてほとんど見えない東京の空だったのに、彼はふと立ち止まり、上を向いた。

    「星が、綺麗ですね」

     その声は、どこか苦しそうで、触れたら消えてしまいそうなほど弱かった。

     言葉というより、ため息の形をした祈りみたいだった。

     私は空を見上げた。

     ほとんど何も見えない。

     点なのか、街灯の反射なのかも判別できないような光が、ひとつかふたつ浮いているだけだった。

    ——何が"綺麗"なのだろう。

     そう思っているうちに、返事を逃してしまった。

     本当は、ただ「そうですね」と返せばよかった。

     それだけで、たぶん十分だった。

     たった一言のやさしい音を差し出せば、彼がそこに立ち止まった理由の半分くらいは受け取れたのだと思う。

     でも私は黙ってしまった。

     沈黙は返事よりも重くなって、喉に貼りついたまま動かなかった。

     その瞬間のことを、私は後になって死ぬほど後悔することになる。

     ほんの一言言えればよかっただけなのに。

     あのときの"言えなかった言葉"が、他のどんな失敗より深く私の胸を刺した。

     彼の横顔は静かに夜を見ていて、その眼差しの奥に、また別の世界があるように見えた。

     私が知らない彼。

     彼が見ていた光。

     そのすべてに、私は少しだけ手が届かなかった。


    *


    「瞬いている星って、もう死んでる星なんですよ。星は死んでるけど、光だけが届いてるんです」

     夜の静まりかえった早稲田大学のキャンパスで、そう言われ、ふたりで空を見上げた。

    「あ!流れ星!」

     え、と思って夜空を見上げると、飛行機が飛んでいた。一瞬の間があいて、「あっ飛行機だった」と貴美が照れくさそうに訂正した。

     ふたりで腹を抱えて笑った。

     貴美は、澄んだ光をたたえたような目をした青年だった。一浪で東京大学に入学し、天文学を学んでいた。

     私は大学入学後、教団内の進路選択でCARPに進むことを選んでいた。そこで出会ったのが貴美だった。

     一目惚れだった。

    「一緒に帰りましょうか」

     ふたりでひとしきり笑ったあと、貴美が言った。

     嬉しかった。無言で頷いて、ふたりでゆっくりと一歩ずつ歩き出した。ふたりの間には、どこか諦めにも似た空気が漂っていた。

     もちろん恋愛など御法度の組織だった。伝道活動のあと男女ふたりで帰ることは禁じられていたし、それはCARPの先輩である貴美にだってわかっていたはずだった。

    「土星の輪っかって何でできてるか知ってますか?」

     早稲田大学の駐輪場、夜の静寂の中でギラつく白熱灯の光だけが貴美を後ろから照らしていた。

    「岩とかですか?」

    「氷です。秒速四百キロの速度で回ってるんですよ」

     時間が止まったような気がした。


    *


     貴美はエリンギを見ながら「理想家庭みたいですね」と微笑んだ。ほんとだ、大中小のきのこが、お父さん、お母さん、子どもの家族のように見えた。冷房のよく効いた業務スーパーの中だった。

    「これ、すごく家族っぽくないですか?」

     私が指さしたエリンギを、貴美はひょいとかごに放り込んだ。買い物が終わるとふたりで自転車に乗った。重い袋は貴美が率先して持ってくれた。

     その頃の私たちは毎週日曜日の夕方、ふたりで食事当番をするのが日課となっていた。本来は男女で食事当番をすることは御法度だったのだが、ふたりしてその日しか都合がつかないことにしていた。もうひとり同じ日に入るはずのお兄さんがいたのだが、研究が忙しくいつも不在で、私は内心喜んでいた。精神的にも肉体的にもすり減るような寮生活の中で、彼とふたりきりで話しながら料理を作るこの時間が、当時の私にとって唯一の心のオアシスだった。

     ハナマサから寮への帰り道、心地よい初夏の日差しと続く上り坂。

     ふたりとも自転車にこだわりがあって、ギア付きのものに乗っていた。自然とギアを軽めに切り替える。

     坂道をふたりで駆け上がりながら、後ろを走る私を気にかけながらスピードをセーブしてくれる彼の距離感が心地よくて、ずっとこの人といられたらいいのにと心から思った。





    生き別れ




     当時の私は、統一教会の教義を疑うことなく信じていた。

     だから、自分の中で彼への気持ちが大きくなっていくことに、ただ戸惑うしかなかった。

     恋をすれば、堕落させる。

     それは、彼の霊的な生命を壊すことと同じだと、本気で思っていた。

     散々悩んだ末、私は自分の感情を寮の責任者に報告した。

     その結果、食事当番はすぐに組み替えられた。

     彼も、私の態度が急に変わったことに気づいていたと思う。

     数日後、彼は私の誕生日の夜を境に、寮へ帰ってこなくなった。

     誰も、彼の居場所を知らなかった。

     彼の両親でさえも。

     完全に、姿を消してしまったのだ。

     私は、自分の行いを何度も悔いた。

     出会ったことも、近づいたことも、心を通わせたことも。

     食事当番の関係で電話番号もメッセージのアドレスも知っていた。

     何度、連絡しようと思ったかわからない。

     でも、直接連絡を取ることは禁じられていた。

     それ以上に、これ以上彼の心を揺らすことが、どうしてもできなかった。

     愛していたから、線を引いた。

     それが、当時の私にできる唯一の選択だった。

     *

     私の誕生日から二ヶ月ほど経った、十月上旬。

     新学期が始まったばかりの夕方、上野公園で、突然彼からメッセージが届いた。

    「ありがとうございます」

     以前、彼の誕生日に送った一言への返信だった。

     誕生日の挨拶だけは許されている——そんな曖昧な了解が、組織の中にはあった。

    「生きててよかったです。死ぬほど心配しました」

     そう返すと、すぐに返事が来た。

    「一応、生きてはいました。院試は……受けられませんでした」

     私は上野公園のスターバックスに入り、短いやり取りを続けた。

     専攻のこと。進路のこと。親がサンクチュアリという分派に行ってしまったこと。

     溢れる気持ちを隠すように、当たり障りのない言葉を選んだ。

     やり取りを終えた頃には、入ったときはまだ明るかった外がすっかり暗くなっていた。チャイティーラテを飲みながら、ずいぶん長くいたのだと思う。上野駅に向かうために店を出て、そっと貴美とのメッセージの履歴を消した——。

     履歴を消したのは、自分の気持ちのためというより、彼を守りたかったのだと思う。

     でも今でも、取っておけばよかったと、少しだけ後悔している。

     サンクチュアリとは、教祖の七番目の息子にあたるムン・ヒョンジンが立ち上げた分派で、元の所属先である旧統一教会(家庭連合)とは対立関係にある。親が組織を移れば、子どももついていくケースがほとんどだった。これをきっかけに、私は後期の始めに寮を出ることになった。それぞれの親が別々の組織に属していれば、私の結婚相手に彼が選ばれることなど、決してありえない。こうして、私と貴美の人生は静かに、生き別れた。

     *

     初めての恋人ができた頃、学部四年の秋のことだった。忘れられなくて、一度だけ深夜に電話をかけた。結果として、無言電話になってしまった。

     何度目かのコールのあと、かすれた小さな声で——懐かしいあの声で——

    「……もしもし?」

     と彼が電話に出た。

     喉がつかえて声が出なくなった。

     永遠とも思える時間が過ぎた。夜の静寂の中、自分の押し殺した呼吸の音だけが微かに聞こえてくる。

     気がつくと、電話は切れていた——。

     *

     学部の卒業制作のタイトルは、彼を思って「宙(そら)の臨界」と名付けた。

     彼への愛が、作品の裏テーマだった。

     永遠無限に広がっていく宇宙。

     美しい星の終わり。

     愛が溢れ、臨界を迎え、降ってくるイメージ。

     縦三メートルのスケールに、彼への愛を込めた。

     彼への想いは、作品の中に静かに流れ続けていた。

     *

     貴美が教団内でお見合いをしているらしい——。

     その知らせが、古い痛みを一気に呼び戻した。自分がすでに結婚してしまったという事実と、彼がまだ相手を探しているという事実が、重たくのしかかった。それは、ひとりで抱えられる重さをはるかに超えていた。

     母親が子を愛する愛情に似ているのだと思う。私が教団の中に戻ることはもう決してないけれど、どこで何をしていても、あなたらしく幸せでいてほしい。

     最初の結婚の前も後も、あなたは何度も夢に出てきた。

     あなたといた時の私は、自分が一番「こうありたい」と思える自分だった。

     ありがとう。

     あなたが「幸せになってほしい」と言ってくれたから、

     私はいま、ちゃんと幸せになったよ。

     最後に、コールドプレイの「Yellow」、聴いてね——。



    監禁事件




     私の親がサンクチュアリに組織を移ったのと、ほぼ同じ時期のことだった。

     一人の女性から、突然連絡が来た。

     東山さんというその人は、かつて統一教会の修練会で同じ班になったことのある人物だった。

    「じゅんかちゃん、久しぶり。最近、何してるの?」

     何気ない近況確認から始まったやり取りは、いつの間にか、よく知っている言葉に変わっていった。

    「よかったら、勉強会に参加してみない?」

     当時、私はまだぎりぎりCARPの寮に住んでいた。自分のスケジュールを報告する際、その勉強会に誘われていることを責任者に伝えると、彼は露骨に眉をひそめた。

     調べてもらって、すぐにわかった。東山さんは旧統一教会(家庭連合)本部からもマークされている要注意人物で、その勉強会の正体は「駒場グループ」と呼ばれる小さな分派への勧誘だった。

     異端だとわかっていながら、私はそこへ行ってしまった。

     人を疑うことを知らず、何でも自分で直接話を聞かないと納得できない性分だった。

     何度か短い勉強会に参加したあと、彼女はこう言った。

    「神様に帰るための儀式があってね。三日間の泊まり込みなんだけど……」

     今思えば、完全に怪しい。それでも私は、まさか自分の人生に深い傷を残す体験になるとは想像もしなかった。

     心のどこかで、ほんの微かに——もしかしたら、蒸発してしまった貴美が、ここにいるかもしれない。そんな淡い期待さえ抱いていた。

     そこで、私は四日間、監禁された。

     十一月に入ったばかりの、肌寒い時期だった。ボロボロの団地の一室。バランス釜の風呂場で、浴槽になみなみと張った水を四十杯、水行と称して浴びせられた。

     そのあと、友人や知人に金を借りるよう、電話をかけさせられた。

    「これを払わないと、神のもとに帰れない」と言われた。

     怖くて、泣きながら、高校や大学の友人たちに何本も電話をした。

     一人あたり二、三万円。ノルマは、合計三十万円。

     極度のストレスで、上体を起こすことさえ難しかった。激しい頭痛が続き、恐怖で夜も眠れなかった。それでも、不思議と吐くことだけはなかった。

     三日目、それまで優しかった東山さんは、入信する意思を示さない私に対し、あからさまに苛立ちを見せるようになった。

     当時、私はすでにCARPの寮を出され、実家暮らしに戻っていた。警察沙汰になるのはまずいと判断したのか、四日目になって、ようやく解放された。

     心身ともに限界まで追い詰められ、私はどうやって家に帰ったのかさえ覚えていない。

     霊感商法がどのようなものか、私は身をもって体験してしまった。それでもなお信仰を続けられる親や一世信者たちを、私は心底、理解できなくなった。軽蔑という言葉しか浮かばなかった。

     二世は、教会に不利な情報をネットで調べることを禁じられていた。私も詳しくは知らなかった。それでも、霊感商法の存在自体は、うすうす感じていた。

     金を貸してくれると言ってくれた友人たちには、受け取るだけ受け取り、すぐに全額返した。バイトを増やし、引っ越しの初期費用を貯め、親に強く反対されながらも、私は実家を出て一人暮らしを始めた。

     一人になると、儀式の記憶が何度もよみがえった。

     この出来事は、あまりにも異常で、誰にも話せなかった。私は心の奥深くに蓋をした。それが二〇二一年、一気に噴き出した。

     ——深刻な病気になった。

     駒場グループの儀式で言われた「神のもとに、永遠に帰れない」という言葉は、私の中で呪いになった。

     数字の「6」を見るたび、神から切り離されたような感覚に襲われ、激しい恐怖と頭痛が走った。教義を信じていた私にとって、神から離れることは、死とほぼ同義だった。

     この話を初めて打ち明けたメンタルクリニックの医師は、顔を真っ赤にし、手を震わせていた。

    「宗教関係の患者さんは多く診てきました。でも、宗教二世の辛さを、全くわかっていませんでした。僕も、もっと勉強します」

     そう言ってくれた。

     永遠の世界を信じる宗教二世にとって、肉体の死は、さほど怖くない。

     本当に恐ろしいのは、堕落すること——神から切り離されることだった。





    孤独




     親がサンクチュアリに組織を移ったことで、私はCARPから追い出されるような形になった。

     大学二年の後期のことだ。

     けれど、そのとき、すぐに信仰を捨てたわけではなかった。

     しばらくは青年部に籍を置きながら、サンクチュアリにも顔を出していた。

     分派問題を、どうにかできないかと本気で考えていた。

     ばらばらに割れてしまった教会を見て、神様はどれほど悲しまれているだろう、と思った。誰に頼まれたわけでもないのに、せめて自分に何かできることはないかと、私はひとりで勝手な使命感を抱えていた。

     同じ頃、駒場グループからも勧誘を受けていた。けれど、あの監禁事件を境に、私の中で教会というものが、音を立てて崩れた。

     疲れ切っていた。誰にも理解されないまま、ひとりで問題を抱え込み、どうにかしようともがいていた。

     実家に戻ってからも、親とは教義の解釈をめぐって、毎晩のように口論になった。CARPの仲間たちからは、私が分派に行ったのだと誤解され、関係は簡単に切れた。青年部でも、同じような噂が広がっていた。

     けれど私は、サンクチュアリに行くつもりなど、これっぽっちもなかった。

     実家にいること自体が、耐え難いストレスだった。親の反対を押し切ってアルバイトを掛け持ちし、貯金をして、大学近くで一人暮らしを始めたのは、三年生になる春だった。

     やがて親も折れ、母方の祖母の介護をきっかけに、実家は引き払われた。家族は田舎へ引っ越していった。

     私は、大学近くの六畳一間のワンルームで、ひとり暮らしを始めた。

     本当に、孤独だった。

     貴美と生き別れてしまったこともそうだし、誰にも理解されないという感覚が、鉛のように胸にのしかかっていた。

     自分の感じている孤独が、宇宙よりも大きいものに思えた。

     神様は、今の私をどう見ておられるのだろう。

     どれだけ祈っても、神はついに沈黙を破ることはなかった。

     夜の上野公園を歩きながら、空を見上げた。

     かすかな星の光が、にじんでいた。

     あの頃と同じ景色のはずなのに、その光は、胸の奥にぽっかりと空いた穴に、静かに降り注いでくるようだった。


     深夜二時を過ぎると、街は別の顔をしていた。本郷通りを歩く。春日通りを歩く。どこへ向かうわけでもなく、ただ足が動くままに歩いた。六畳一間の部屋にいると、孤独が壁に染み込んで、呼吸ができなくなる気がした。だから外へ出るしかなかった。


     しんと静まり返った夜の街に、人影はほとんどなかった。それでも私は、すれ違う人影があるたびに、無意識に目を向けていた。背の高い男の人がいると、少しだけ足が遅くなった。


     貴美を、探していた。


     いるはずがない。それはわかっていた。でも体が勝手にそうしていた。長身のスラリとした身体、キラキラした目——そんな人が、この街のどこかを歩いていないかと、ただそれだけを思いながら歩き続けた。


     止まるのが怖かった。立ち止まると、孤独が追いついてくる気がした。だから歩いた。東大の赤門の前を通り、不忍池のほとりを回り、また本郷へ戻る。同じ道を何度も繰り返した。


     空が少しずつ白み始める頃、私はようやく疲れ果てて、自分の部屋へ帰った。布団に倒れ込むと、すぐに意識が落ちた。


     貴美は、見つからなかった。


     孤独に襲われそうになる夜は、また外へ出た。


     土星の輪っかは、氷でできているんですよ——。


     あの声が、頭から離れなかった。


    *


     ひとりになると、駒場グループでの儀式の記憶が、呪いのようによみがえった。

    ——神のもとへは帰れない。

     あのとき言われた言葉が、頭から離れなかった。

     神から離れていくことが、何よりも怖かった。

     教祖の写真も、教会関係の書籍も、信仰を持っていた頃に書き溜めた日誌も、見ることができなかった。けれど、捨てる勇気もなかった。

     それらすべてを段ボールに詰め、ガムテープで固く封をした。まるで、触れてはいけないものを閉じ込めるように。

     その箱を、押し入れのいちばん奥へ押し込んだ。

     誰にも見つからないように。

     そうして私は、自分の心の中の記憶にも、静かに、蓋をしたのだった。


    *


     不忍池に目をやると、水面が午後の光を受けてゆっくりと揺れていた。


     娘が「あひる!」と指をさす。カルガモだよ、と教えると、「かるがも!」と繰り返して笑った。


     あの頃、同じ池のほとりを、夜中にひとりで歩いていた。貴美を探しながら、止まれなくて、ただ歩き続けていた。あの私に、今日の景色を見せてあげたかった。


     娘が私の手をぎゅっと握る。小さくて、温かい。


    「もっとみる!」


     池の方へ引っ張られながら、私は少しだけ笑った。



    女友達



     私を救ってくれたのは、友人たちの存在だった。

     私の結婚式。本当に大切で、大好きな友人たちに囲まれていた。この日を迎えられたのは、間違いなく彼女たちのおかげだった。

     浪人中、予備校で出会って一緒に合格した子もいれば、大学に入ってから出会った友達もいた。とりわけ仲のよかったのは、皆二浪で同じ年の子たちだった。

     親しい友人には、自分が宗教二世であることを早い段階で打ち明けていた。ただ、統一教会とは言わず、「キリスト教系の宗教」とだけ伝えていた。統一教会に対する世間のイメージが良くないことは、私自身よくわかっていた。だから、あえてそこまで話す必要はないと思っていた。

     大学一年の頃、一週間の断食中だった私は、昼休みに友人たちと学食へ行っても、何も食べることができなかった。

    「今、断食中なんだ」と言うと、

    「えっ、大丈夫?」と心配してくれた。

    「うん、水は飲んでいいの」

    「そうなんだ!持ってくるよ。座ってて!」と、給水機まで行って水を汲んできてくれた。

     ところがその学食の給水機は、水とお茶が同じノズルから出てくる仕様で、うっすらとお茶の成分が混じっていた。せっかく気を利かせてくれたのに、その水を飲むことができず、私は飲むふりをしてごまかした。

     一年生の頃は、好意を寄せてくれる男の子がいても、教会の事情で付き合うことはできず、ついそっけない態度になってしまっていた。友達に理由を聞かれ、「親のお見合いで、教会の二世同士でしか結婚できない」と説明したことがある。友人は驚きながらも、「そっか、じゅってぃはお姫様なんだね」と微笑んでくれた。私の信仰を否定するようなことは、一度も言わなかった。

     私が駒場グループに監禁され、泣きながらお金を貸してほしいと頼んだときも、全力で寄り添ってくれたのは彼女たちだった。不義理なことをしたら関係が切れてしまうんじゃないかと恐れていたけれど、そんなことはなかった。駒場から解放され、初めて大学へ行った日、昼休みに大浦食堂で友達と向かい合って座ったとき、本当に心配された。「何があったの?」と聞かれても、私は真実を話せず、うまく答えることができなかった。恥ずかしさと申し訳なさで、ただ消えてしまいたかった。

     それでも、彼女たちは変わらず、私の友達でいてくれた。

     教会では、同じ二世の仲間たちとは「兄弟姉妹」と呼び合い、深い絆を感じていたつもりだった。でも、いざ私が分派に関わっていると思われると、あっけなく関係は切れてしまった。しんどいとき、手を差し伸べてくれる教会の人はいなかった。たった一人を除いては。

     そんな経験を通して、私は気づいた。変わらずそばにいてくれた彼女たちの友情が、私の中の「教会の中と外」という二元論を、音を立てて壊してくれた。彼女たちがいなかったら、私は生きていなかったと思う。

     貴美のこと——教団内で好きになった人がいて、でも絶対に結ばれないこと——を打ち明けたとき、涙を流しながら話を聞いてくれたことも、忘れられない。

     一人暮らしを始めて、教会と距離を取り、親の干渉からも解放された私は、生まれて初めて、友達と心置きなく遊んだ。

     大学周辺に住む友人の家に泊まりに行き、晩ごはんを一緒に食べて、パジャマ姿のまま翌朝の朝ごはんを買いにスーパーへ行った。そのままの格好で上野の繁華街までプリクラを撮りに行ったこともある。いつもはキャッチに声をかけられる場所だったが、寝巻き姿で牛乳と食パンと卵を持つ私たちには誰も声をかけてこなかった。そのことに大笑いして、シャッターの前でポーズを決めた。

     カラオケにもよく行ったし、今まで入ったことのなかった居酒屋にも、彼女たちと一緒なら安心して入れた。禁止されていたお酒を飲んでみたり、恋をしたり。少しずつ変わっていく私を、彼女たちはずっとそばで見守ってくれていた。

     一人になると孤独が襲ってきたけれど、沈んでいる暇はなかった。CARPにいた頃は満足にできなかった制作にも取り組み、作品を作って、アルバイトをして、友達と遊び、研究室の研修旅行で海外にも行った。女友達三人で計画して行ったニューヨークでは、美術館とギャラリーを巡って歩いた。

     あまりに充実していて、時はあっという間に過ぎていった。

     忙しくすることで、心の中のつらい記憶には、何とか蓋をすることができた。でも、癒されないまま封じ込めた記憶は、やがて爆発して、大変なことになるのだった。



    わからないまま




     その夜、部屋の電気を消すと、外の信号機の赤と青だけが、微かに壁に滲んだ。

     私はその光を、何度も見たことがあった。

     *

     一人暮らしを始めてしばらく経ったある日のことだ。統一教会の教義によってずっと禁酒していた私は、いつしかお酒も人並みに嗜むようになっていた。

     金山とは科は違ったけれど、浪人中からの大の仲良しで、戦友みたいなものだった。女きょうだいがいるからか、女子との距離感が近く、しょっちゅう女子たちの二の腕を揉んでは、軽くあしらわれていた。

     学校終わりに連絡が来て、大戸屋でふたりで晩ごはんを食べた。

    「じゅってぃの家で飲んでっていい?」

    「いいよ〜」

     近所に住んでいたので、彼は自分の家に寄ってから、蓋の開いた杏露酒の瓶を持ってきた。そのまま夜遅い時間まで私の部屋で飲んでいた。

    「泊まってっていい?」

    「うん、布団出すね」

     いつも寝ているすのこタイプのベッドの横に、シングルの敷布団を敷いた。

     電気を消した部屋に、外の信号機の明かりだけが微かに入り込んでいた。いつもの景色。

     うとうとしていると、いつものテンションで二の腕を揉んでくる。お酒が回って眠かったこともあり、そのまま寝たふりをしてしまった。

     どれくらいの時間が経っただろう。彼はずっと私の身体に触れたままの手を少しずつ移動させ、服の上から軽く胸に触ってきた。

     全身に緊張が走る。

     そのまま私が動けないでいると、今度は服の中に手を入れてきた。

     先端に軽く触れられ、思わず体が反応してしまう。起きていることが知られてしまった。

     ふたりとも無言のまま、果てしない時間が流れる。

     今度は軽く膝に手をかけられた。

     ベッドの縁と床の上。

     気がつくと朝になっていた。

     彼と目が合う。彼が力強く、だけど優しく私の腕を掴み、ベッドから引きずり下ろす。

     私は彼の腕の中へ落ちていった——。

     結局何もなかった。

     少しの間抱き合って、私が彼の頭を撫でた。

     そのままふたりしてシャワーも浴びずに学校へ出かけていった。

     その日の昼休み、女友達に話して、こういう状況がどういう意味を持つか、この頃の私にはわかっていなかったのだと気づいた。彼のことは男とか女とか関係なく、ただの友達だと思っていた。

     彼の考えがわからなくて、私は動揺していた。キスもされていないし、好きとも言われていない。身体だけの関係性で成り立つパートナーシップがあるなんて、この頃の私は知らなかった。行為には愛と責任が伴っているものだとばかり思っていた。

     私が大浦食堂の前のベンチで友達と深刻な顔をして話していたものだから、いつも仲のいい油画の後輩の男の子が心配そうな顔をしながら何度か目の前を通りかかったけれど、お互いに声はかけられなかった。

     ちゃんと言わなきゃ。

     私は彼との一晩の出来事を、なあなあにしたままにはできなかった。

     ごはんに誘ったはよいものの、口が重くて何から話せばいいやら。

    「今日はお酒、いいや」

    「俺は飲ませてもらう」

     口が重たすぎて何も話せず、そうこうしているうちに閉店の時間になり、店から追い出されてしまった。

     結局私の家の近くまで送ってもらって、電信柱の前で立ち止まって話した。

    「ごめん、私好きな人がいるの。金山が私のことどう思ってるかわからなくて、何もできなかった」

     というか、文字通り動けなかったのだ。

    「じゅってぃがしんそこ優しい人だってよくわかったよ。俺のことは、そういうの関係ない友達だと思ってくれていいから」

     困り顔の彼は、ものすごく申し訳なさそうだった。



    厈譡夊使



     上野駅の中央改札、珠希との待ち合わせ場所である裸婦の銅像の前へ向かった。珠希の方が先についていたようで、私が近づくと軽く手を挙げた。ふたりで出口に向かって歩き出すとき、自然と腕と腕がぶつかる。

    「今日はありがとう」

     私が言った。

     中央改札から歩いてすぐ、大通りから一本脇道に入ったところに珠希が指定した店があった。こじんまりとした大衆酒場で、店内は程よい間接照明の中、賑やかに人の声が飛び交っていた。自分の思いを言わなければと思うほど口が重たくなってしまう。珠希が気を遣って、音楽や映画の話を振ってくれる。

     珠希は『ハチミツとクローバー』の真山みたいなビジュアルをしている。細身の体に自分でカットしているらしいもったりとした黒髪、黒縁メガネ。いかにも不健康そうな雰囲気で、美大の建築かデザインにいそうな男の典型といった見た目だ。メガネ越しに、切れ長で何でも見透かすような目でじっと見てくる。私は珠希の目を見て話すのが苦手だった。好きすぎてまともに話せたためしがなかったため、この恋は難航を極めた。

     私が教団を離れて一人暮らしを始めたタイミングで、美術予備校の講師のアルバイトで出会ったのが珠希だった。デッサンを見ればある程度の人柄がわかるけれど、珠希のデッサンは私がこれまで出会ったどの人よりも魅力的で、この人にはどんなに世界が綺麗に見えているんだろう、と思ったりした。主観的すぎず、客観的すぎるわけでもない、重くもなく軽くもない、バランスのいい絵を描く人だった。彼がデッサンするのを横目で見られるアルバイトの時間が、何よりも楽しみだった。

     最愛の人と生き別れ、教団から離れて右も左もわからず、儀式の記憶に悩まされながら宇宙よりも大きい孤独を感じていたあの頃、心を病まなかったのは彼への恋心のおかげだった。

    「シガーロス、今度ライブあるよ」

     珠希がシガーロスを知っていることも驚きだったが、ボン・イヴェールの話をするときは少し緊張した。ボン・イヴェールは私が彼のTwitterアカウントを漁って見つけたミュージシャンだったからだ。

    「生まれ変わったら何になりたいの?」

    「う〜ん、詩人?まっきーは?」

    「俺はサッカー選手かなぁ。何で藝大行こうと思ったの?」

    「うーん、ハチクロかなぁ。ピアノやってたから音楽か美術で悩んだけど、まっきーは?」

    「俺はねぇ、俺がめちゃくちゃ絵がうまかったから」

     気を遣ってくれるのが申し訳なかったけど、ありがたかった。

     結局何も言えなかった。

    「そろそろいこっか」

     珠希が言って、ふたりして店を出た。




    「ちょっと待って!」

     改札を通ろうとした彼の腕を掴んだ。珠希は顔を真っ赤にして私をまじまじと見つめた。改札の脇にふたりしてぎこちなく移動する。上野の不忍改札。

    「私、ずっとまっきーのことが好きだったの」

     彼は顔を真っ赤にして私を見つめていた。私も真っ赤になりながら自分の顔を手で覆う。

    「ちょっと歩こうか」

     珠希がそう言って、ふたりで駅の出口に向かって歩き出した。どこに向かって歩くのだろうと思いながら、半歩先を歩く珠希の後をついていく。そのまま石階段を登り、夜の上野公園をふたりで歩いた。

     ソメイヨシノがすべて散り、牡丹桜も見頃を終えた頃の上野公園は人もまばらで、夜の静寂に包まれていた。

     珠希が口を開いた。

    「俺は山田のことが好きだから、付き合ったりとかはできないよ。泣く?」

     半分笑いながら、でも私が泣き出すのではないかと心配そうに彼が聞いた。

    「泣かない」

     きっぱりと、でも脱力気味に返した。

    「山田ちゃんが好きなのかなって思ってた」

     まっきーが山田ちゃんといるときのインスタの投稿をよく目にしていた。ツーショットで映っているときの彼の表情から、彼女への恋心は誰が見ても明白だった。そのまま藝大に向かってふたりで歩いた。日暮里駅に向かうコースだ。

    「でも、多分ずっと好きだよ?」

     私が言うと、彼はちょっとばかりいら立ったような調子で「それは……」と言いかけた。その言葉を、私が「でもそれは私の勝手じゃん」と封じ込める。

    「じゅってぃはこれまで彼氏いたことあるの?」

    「ない」と、正直に答える。

    「俺なんかと付き合わない方がいいと思うな」

     こんなに好きなのに、どうして。頭の中がはてなでいっぱいになる。

    「まっきーは、自分の気持ちをちゃんと大事にしてて偉いね」

     思ったことをそのままストレートに伝えた。

     日暮里駅に向かうのかと思いきや、団子坂の方へ降るカーブに足を進める珠希に少し戸惑いながら、もう少し長く一緒にいられることに喜びを感じていた。

    「私、友達になりたかったり好きな人とは、気持ちがどろどろっと溢れ出てしまって上手く話せないんだよね」

     少し照れ笑いしながら私が言う。

    「どろどろってなるのはやめた方がいいと思う」

     彼が優しく返してくれた。

    「友達ってなろうと思ってなれるものじゃないからね」

     彼が笑いながら答えた。振られたのに彼と普通に話せていることが嬉しくて、つい笑顔になってしまう。我ながら現金なものだと思った。

    「山田ちゃんに告白しないの?」

    「うーん、やまだもなぁ、彼氏とも仲良くしてるからさ」

     どうしてだろう。つい彼の恋愛さえも応援してしまう。本当に救いようのないほど好きだった。

     団子坂の下に差し掛かった。終電はもうない。

    「まっきー、この後どうするの?」

    「うーん、家まで送ってってやるよ」

     彼が笑いながら軽く答えた。

    「そっか、そしたらこっち」

     私は歩き慣れた根津の裏路地に彼を導いた。真っ暗な路地をふたりで無言で歩く。延々と続く路地を進みながら、彼が緊張してきている気配を感じたタイミングで、自宅マンションの前に着いた。

    「ここ」

     自分の家の前で珠希の方を振り返る。彼の顔をかすかにマンションの街灯が照らしている。

    「じゃ……」

     かすかに笑みを浮かべながら彼が手を振った。

     本当に送ってくれただけだった。

     終電のなくなった上野の街に珠希は消えていった。ネットカフェにでも行くのかな、と、とっくに深夜を回っているのに、妙に冴えた頭で考える。

     明日は卒制のエスキースチェックがある。話があると言って珠希を飲みに誘ってから一週間返信がなかったので、それどころではなかった。やらなきゃ。

     私を振るとか、見る目ないなぁ。

     真っ暗な穴、孤独、深淵、救い——深い愛。

     卒制の原案を徹夜で完成させ、そのままシャワーを浴びて大学へ向かった。

     *

     エスキースチェックの後、夕方。遠山先生と後輩とお酒を飲みながら話す。

    「私、昨日好きだった人に振られたんですよ……」

     遠山先生と後輩は軽く目を見開いた。

    「平田も女だねぇ」

     笑った。ちょっと元気が出た。

    「俺だったら絶対休むね」

     遠山先生と後輩が会話を弾ませる中、まっきーがあの後どうしたのか、お酒で少し思考力が鈍くなった頭で考えていた。

     *

     星には寿命があるという。光っているように見えても、もうとっくに燃え尽きて、光だけが旅をして届いているのだと。

     振られたのに、まっきーと一緒に過ごしたあの夜は、不思議なほど温かかった。

     あの人の言葉や仕草は、まるで夜空の星のようだった。手には届かないけれど、確かにそこにあって、私の足元を照らしてくれた。

     たった一晩の光が、永遠の暗闇をやわらげてくれることがある。

     あの夜の光があったから、私はまた前に進めた。


    青春



     珠希に恋していた時間は、振り返ってみると、私の人生の中でいちばん「青春」だったと思う。

     アルバイト先の美術予備校で、初めてきちんと挨拶をした日。珠希は机に腰掛けていて、私が近づくと、互いの靴の先が軽く触れた。それに気づいて、ふたりでちょっと笑った。

     一目惚れではなかった。何度かシフトが重なるうちに、生徒と話すときの声や距離感を見て、「優しい人だな」と思うようになった。気づいた頃には、頭の中が彼のことでいっぱいになっていた。

     予備校のアルバイトでは、よく講師たちで飲み会があり、そのままオールでカラオケに行くのが定番だった。珠希はいつもハイボールを好んで飲んでいた。周りが酔っ払う中、彼は何杯飲んでも酔わなかった。

     また彼はヘビースモーカーで、いつもアメリカンスピリットを吸っていた。飲み会中、私がタバコ嫌いなのを知っていても、平気で人の顔に向かって煙を吐いてくる。身体に悪いんだよなぁ、と思いつつも、不思議と彼がタバコを吸う仕草は嫌いじゃなかった。

     彼の歌うカラオケには、不思議な魅力があった。決して上手いわけでも、声がいいわけでもないのに、選曲が良くて、独特の歌い方が妙にハマっていた。くるりの『東京』や『ジュビリー』、andymoriの『1984』『CITY LIGHTS』。切なくて、少し青い感じの曲ばかりだった。

     明け方、みんなが眠ってしまって、ふたりだけが起きていた時間があった。

     最後の一曲で、彼が歌ったSyrup 16gの『Reborn』。

     電車が動き始めたばかりの早朝の渋谷。いつもの雑踏が嘘みたいに静かで、スクランブル交差点の空気が、妙に青く澄んでいた。

     教会活動ばかりで音楽をろくに聴いてこなかった私にとって、彼が歌う初めて聴く曲たちはすべてが刺激的で、私の心の奥底を強く打った。

     彼のことが知りたくて、彼が好きそうな曲を聴きあさったし、映画も観あさった。

     好きすぎて、極度の緊張のあまり、せっかくシフトが被っても全くと言っていいほど話せなかった。それでも、たまに勇気を振り絞って話しかけてみた。話題は決まって映画の話だった。

    「グッド・ウィル・ハンティング好きなんだ」

    「グッド・ウィル・ハンティング良いよね。好きな監督とかいるの?」

    「あんまり監督を意識して映画見たことないかも」

    「そうなんだ。キューブリックいいよ。『2001年宇宙の旅』とかすげーよ」

     彼に勧められた映画は、すぐに観た。観ても良さがわからなくて、三回くらい寝落ちしながら、なんとか最後まで観たりもした。

    「キューブリック、『アイズ・ワイド・シャット』が好き」

    「仮面舞踏会のやつだっけ? 遺作だよね」

     教会活動ばかりで、この世のカルチャーにあまり触れてこなかった私は、ものすごい速度で彼色に染まっていった。

     彼に振られたあと、初めての彼氏ができてから、やっと普通に話せるようになった。それがとても嬉しかったのを覚えている。

     私が結婚する前、最後に講師仲間みんなで行ったカラオケで、私はベタだけど『SWEET MEMORIES』と『部屋とYシャツと私』を歌った。そのあと彼が歌った『真夏の果実』が良すぎて、それが彼とのかけがえのない思い出となったのだった。


    *


     夫の仕事部屋のドアをノックした。返事がない。そっと開けると、夫はイヤフォンをして画面に向かっていた。


     気配に気づいた夫が振り返る。サブスクリーンにはApple Musicの画面が映っていた。ジャケットが並ぶ中に、ボン・イヴェールのジャケットがあった。


     教えたのは私だった。でも私が最初に聴いたのは、珠希のTwitterを漁った夜のことだ。好きな人が好きなものを知りたくて、画面を遡り続けたあの夜。


    ——どうしてるかな。


     その問いが、胸をチクッとかすめた。


     夫はイヤフォンを外して、「どうした?」と言った。




    花束と栄養ドリンク




     一人暮らしも板についてきた大学四年生の前期。大失恋を経た私は、多少なりとも恋愛してもいいかという気になっていた。

     私は、愛されることと、求められることの違いを、まだ知らなかった。

     他科の後輩であるみっちーにはこれまで何度もデートに誘われていたし、学校やアルバイトの帰りによく連絡が来て、家まで送ってくれていた。

     私がいかにも好きそうな庭園デート、その後神保町でカレーを食べて古本屋をめぐる。女友達にいつも彼のことを相談していたけれど、「絶対にじゅってぃのこと好きだよ」と決まって言われていた。

     神保町のとあるカレー屋。野菜がごろごろ入ったスープカレーと別皿のライスが運ばれてきた。

    「おれ、こういうのどうやって食べていいかわからないんだよね」

     少し顔を赤らめて、かなりぎこちなく彼が言う。食べ方を丁寧に教えてあげた。

     *

     それからしばらく経ったある夜。展示の締め切り前で、アトリエに籠って徹夜で制作をしていた。深夜、急にみっちーから連絡が来る。

    「今アトリエいる?お前にプレゼント持ってきてやった」

    「アトリエいるけど、場所知ってたっけ?」

    「え?!アトリエって大学じゃないの?」

    「ちがうよ、新富町。真っ暗な総合工房棟の前にいるわけ?!」

     四階の建築学科だけは二十四時間いつも煌々と明るかった——。

     翌日。新富町のアトリエを早朝に出て、自宅マンションに帰ると、玄関のドアノブに花束と栄養ドリンクが掛かっていた。花束はやりすぎだなぁと思ったけれど、素直に嬉しかった。嬉しすぎてドライフラワーにしてしまったくらいだ。やりすぎだと思いつつ、そのまま部屋に吊るしておいた。

     そんな付かず離れずな関係を続けたある日、

    「おまえんち行っていい?」

     彼が唐突に言ってきた。

    「いいよ、映画でもみる?」

    「映画デートじゃん、やった〜」

     彼は家に着くなり、「シャワー浴びていい?昨日徹夜で浴びてないんだ」と言った。少しの違和感を感じつつも、快く風呂場を貸した。

     『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を観た。この頃の私のお気に入り映画だった。ベッドでふたり並んで寝転び、映画を再生するためのノートパソコンを彼が持つ形だった。彼から、私のシャンプーとボディソープの匂いがした。視界の隅には、もらった花束のドライフラワーが見えていた。

     映画のエンドロールも終わりに差し掛かった頃、妙に甘ったるい空気がふたりの間に流れる。彼が少し体を起こして、私に顔を近づけてきた。

     前歯と前歯がぶつかる。

     最悪のファーストキス。

     そのままベッドに押し倒され、口の周りを涎でベトベトにされた。

     これってキスなの?

     しばらくそうされながら、頭の大部分でそんなことを考えていた。

     すると、服を脱がそうと手をかけてきた。

    「ちょっと待って」

     私のことすきなの?そう言いかけて——

     彼の顔が瞬時に真っ赤に染まる。どこか恨めしそうな目つきで私をしばらく見つめたあと、慌ただしく荷物をまとめてさっさと家を出ていってしまった。

     ショックだった。何も話さず帰ってしまったことに対して。

    「お前は遊びだった」

     荒々しく言われた。いつ、どういう状況で言われたのかも、よく覚えていない。

    「グッド・ウィル・ハンティング見せるとか俺のこと変えようとしてるだろ。ありのままでいれない時点で恋人とか向いてないんだよ」

     とも言われた。

     そのときは頭に来て、つい、はぁ?カレーの食べ方教えてやったのこっちだぞ、と思ったけど、さすがに言わなかった。

     私は拒んだのではなかった。

     ただ、言葉を置いてほしかっただけだ。

     触れる前に、立ち止まる場所を。

     私はこの出来事をすぐ女友達に打ち明け、勢いでマッチングアプリを始めた。

     花束は、いつの間にか枯れていた。

     吊るしたドライフラワーは色あせて、もう、いい匂いはしなかった。

     触れられたはずの身体より、触れられなかった夜のほうが、長く残っていた。

     私は、愛されたかったのだと思う。

     ただ、どう愛されたいのかを、まだ知らなかった。

     それでも私は、誰かと一緒に生きてみたいと思った。




    アプリの人




     陽輝とはマッチングアプリで知り合った。アプリを使って初めて会った人で、当時筑波大学の院生だった。フランスに留学経験があり、本当は東大に行きたかったのだそう。正直タイプではなかった。

     卒業制作も本格的に作り始めた頃で、季節は移ろい夏になっていた。昼間の蒸し暑さから一転、オレンジ色に傾いた日差しの当たる待ち合わせ場所に現れた彼は、白いTシャツにジーンズ、黒のリュックサックという出で立ちで、一見当たり障りのない服装のように思えた。

     お互いに目が合い、軽く会釈する。

    「アプリの?」

     と言いつつ近づいてきた彼のTシャツの胸ポケットに、何か描いてある。近づいてみて、黒の刺繍で縁取られたキャップのイラストだとわかった。悪い意味で、ものすごく気になる。

     新宿三丁目にある陽輝が指定した五百円均一のバルは、店内が所狭しとごった返していた。左利きらしく、カウンター席で食事するとき腕と腕がぶつかった。話していて普通の人だとわかる。

    「大学どこなの?」と聞かれ、

    「芸大だよ?」とぶっきらぼうに答えると、

    「最後の秘境東京藝大読んだよ」と返ってきた。

     一軒目が二時間制だったのであっけなく出されてしまった。飲み足りない。時刻は午後七時を軽く回ったところだった。普通の人だし、もう一軒付き合ってくれるだろうか。

    「近くにゴールデン街があるんだけど一緒に行かない?」

     なんの気なしに尋ねてみる。

     ふたりでゴールデン街に向かった。陽輝はゴールデン街が初めてだったのでおっかなびっくりといった様子だった。キネマクラブというお目当ての店を探すも、途中迷ってしまい道がわからなくなっている私の横で、彼が帰りたそうにしている。それを無視して店を見つけ、中へ入っていった。

     キネマクラブはカウンター席が少ししかない、映画好きが集まる飲み屋だ。四畳もないようなスペースにバーテンを囲む形でぐるりとカウンターと椅子が配置されており、壁にはべたべたとさまざまな映画のポスターが貼られている。藝祭のような雰囲気が好きで、先輩に教えてもらってからというもの何度か足を運んでいた。

     席が狭いので自然と店員や周りの客と話す流れになるのだが、この日も「この世界の片隅に」を観たかという話になった。もちろんみんな観ていたのだが、彼が「押し付けがましくなくていい」と言った言葉に対して周りの人たちが頷く様子を見て、この人は空気が読める人だなぁ、と思ったりした。

    「え!?じゃあふたりは今日初対面なの??」

    「マッチングアプリってどうなの??」

     私たちがマッチングアプリを使って今日初めて会ったことを話すや否や、周りの客や店員から質問攻めにあう。

    「どうって言われても……自分もアプリ使って会ったのこの人が初めてなんでなんとも」

    「私もそうなんですよね、普通の人だな〜としか……」

    「はぁ〜すごい時代になったねぇ」

     当時はまだ、マッチングアプリの認知度こそそれなりにあるものの、実際に使っているという人は少数派だった。

     夜もすっかり更け、ふたりでお店を後にした。キネマクラブにいた間は梅酒のソーダ割りとカルーアミルクと少しのナッツしか腹に入れていなかったため、一軒目で満たされたお腹も落ち着き、酔いもほとんど覚めていた。心地よい夜風の中、新宿の人混みを駅に向かってふたりで歩いた。

     会話が途切れ、少しの間があって、

    「手繋いでいいですか?」と聞かれた。

     なぜこうもすぐ手を繋ぎたがるのだろうか。頭の中に真っ先に疑問が浮かんできたが、とりあえず「いいですよ?」と答える。陽輝は張り詰めていた糸が切れたように、短いため息をついてから手を握ってきた。温かくて、骨張っているというよりは筋肉で全体がコーティングされているような質感だ。

     男性とまともに手を繋いだのが小学生ぶりくらいだったため、緊張なのかすぐに手汗が出てきてしまった。赤信号でひっかかったタイミングで、汗を口実に手を解放してもらった。

     *

     ふたり目の人は、メッセージのやり取りの段階とは印象が全く違い、短い食事と散歩だけだったが、ひどく気疲れして終わった。

     *

     陽輝との二回目のデートは、スカイツリーの麓ソラマチでプラネタリウムを見た。ちょうど七夕の頃で、入口付近には笹の葉が飾られ、自由に願い事を書ける短冊が用意されていた。

    「書いていきますか」

     そう言われて、正直あまり気が進まなかったけれど、せっかくなので何か書くことにした。

     ——卒制が完成しますように。

     そう書いた私の隣で、彼はさらさらと何かを書いていた。そっと覗いてみると、そこには

     ——幸せになれますように。

     とあった。

    「意外とふつうですね」

    「いや、これがいちばん難しいでしょう」

     お互いの短冊を見せ合って小さく笑い合ったあと、笹の葉の適当な位置に並べて結びつけた。

     プラネタリウムに入って、ふたり並んで席に着く。照明が落ちて暗くなるや否や、彼が手を握ってきた。そのぬくもりに少し驚きながらも、指先に意識を向ける。

     やがて、ドームいっぱいに星が広がる。

     そのとき、不意に貴美のことを思い出した。

     早稲田大学でのあの夜、ふたりで見上げたあの星空。飛行機を流れ星と間違えて、笑い合った時間。土星の輪っかが氷でできていると教えてくれた彼の横顔。あのときも、たしか、今と同じように星を見ていた。

     けれど、今は隣に違う人がいて、時間は確かに流れているはずなのに、あの夜だけがずっと心のどこかに凍結されたまま残っている。

     星は、もうとっくに死んでいるのに、光だけがこうして届く。

     貴美との記憶も、きっとそんなふうに、もう終わったはずなのに、なぜかずっと胸の奥に降り注ぎ続けているのだった。

     ひとしきり遊んだあと、屋上の生垣の縁にふたりで腰掛ける。しばらく無言で時間を過ごしたあと、彼が口を開いた。

    「好きになったので付き合ってもらえますか?」

     夕日が差している。

     嬉しかった。珠希に振られてからというもの、人からの好意のありがたみのようなものを重く感じるようになっていた。

    「はい」

     頬に軽く手を添えられた。軽く唇が触れるだけの、優しいキスだった。



    初体験



     痛い——目から自然と涙がこぼれた。

     こんなに痛いなんて思っていなかった。体の奥が張り裂けそうだった。

     初体験が終わった。

     統一教会の教えのせいで堕落するのかなと思ったけれど、そうはならなかった。愛に溢れた、優しいひとときだった。

    「生きてて良かった」

     お互いに初めてで、終わったあとベッドの上で陽輝がそう言った。

     私も心から、そう思った。

     はじめて愛し合ったあとの幸福感も束の間、統一教会の二世であるという事実が、重たくのしかかる。親にとっては青天の霹靂だろう。統一教会の二世は、自由恋愛はおろか、婚前交渉を堅く禁じられていた。純潔を守り、親の決めた二世同士による祝福結婚以外は許されない世界。教団を離れて自由恋愛をするということは、教義に反するだけでなく、これまでその教義を信じ、すべてを捧げてきた親の人生そのものを否定することになる。

     親との衝突は避けられない。大袈裟に聞こえるかもしれないが、親と縁を切るくらいの覚悟が必要なのだ。

     このまま彼と付き合い続けて、もし結婚しようと思っても——幸せな結婚ができるとは到底思えなかった。彼からすれば、パートナーの親に結婚を大反対され、もし駆け落ちのように結婚できたとしても、義理の親とまともな関係を築くことはできない。面倒に巻き込むことになるのは目に見えていた。それなのに、自分が統一教会二世であることを隠しておくのは、ひどく不誠実なことのように思えた。

     ダメージが大きくなる前に、言ったほうがいい。

     振られる覚悟だった。

    「話があるの。振られてもいいから、聞いてほしいんだけど……」

     今にも泣き出しそうな私の顔を見て、彼は少し驚いた様子だった。まだふたりともベッドの上で、服もまともに着ていなかった。

    「どうしたの?」

    「私の親……」

     ものすごく勇気がいった。言葉が出てくるまで、体感では何分もかかったような気がした。泣くのを堪えて、彼の目をまっすぐ見た。彼も、私の目をまっすぐ見ていた。

    「新興宗教やってるの」

     彼の表情が曇る。

    「振られてもいいとか言うから、宗教かなって思った。……ほんとに宗教だったんだ」

     随分と勘の良い男だと思った。

    「どこまで聞く? 聞かれたら話すけど。付き合う分には大丈夫だと思うけど、私と結婚するの、大変だと思う」

    「結婚とかはまだ先の話だからいいけど。……新興宗教か。やっぱり、歴史に裏打ちされたものってある程度信頼に値すると思うんだよね」

    「うん」

    「どこの団体かは、まだ聞かないでおく。聞いたら嫌悪感出ちゃいそうだから」

    「私と付き合うの、やめておく?」

    「振らないよ」

     泣きそうだった私を、彼は抱き寄せて、不器用ながらも頭に手を置いてくれた。

     私はそっと、涙を流した。

     *

     初体験のあと、アルバイトが入っていたので根津駅に向かうところで陽輝と別れ、予備校へ向かった。その日はずっと、体の奥がじんじんと痛んだ。

     セックスのあと、「やっちゃったなぁ」と思った。もし統一教会の教えが本当だったら? そんな不安がふと頭をかすめた。でも、それでもいいと思った。たとえ地獄に落ちるとしても、この人を愛し抜いて死のう——そう覚悟した。信仰よりも愛を選ぶことが、初めて自分の意思で選んだ人生のように思えた。



    条件付きの愛




     親はサンクチュアリに通うようになってから、目に見えて独善的で排他的になった。彼らの教えでは、家庭連合の韓鶴子総裁はサタンに乗っ取られ、サタンの主管下に落ちたという。親は血統にこだわるあまり、私に「家庭連合とは関わるな」と強く言ってきた。変な聖酒でも飲まされたら大変だとか、家庭連合で祝福を受けた二世は堕落しているから付き合うな、などと繰り返した。

     頭がおかしくなったのかと思った。あれほど家庭連合で信仰を持っていたのに、信じる組織やトップが変わっただけで、どうしてこうも百八十度変われるのか。

     親が血統に固執するあまり独善的で排他的になってしまった姿が、自分の天国行きに執着するあまり隣人を愛せなくなった、愚かで浅ましいものに思えた。

     私の思う人格者や真の宗教家とは、到底かけ離れていた。

     私がサンクチュアリで祝福を受ければ、親はきっと満足するのだろう。これまでの苦労が報われて、ハッピーエンドになるかもしれない。けれど、私が本当に求めていた「親の愛」には、決してたどり着けない。だから私は、親を試したのだ。私が信仰をやめても、変わらず子どもを愛せるのか——と。

     *

     陽輝と付き合い始めてしばらく経ったある日、母が上京してきて、私の部屋を訪ねてきた。

    「お祈りしてる? 御写真がないじゃない」

     母は部屋を見回しながら言い、カバンから一枚の写真を取り出した。パウチされた、白い式服を着た若き日の文鮮明の写真だった。それを本棚のよく見える場所に立てかけると、今度は部屋干しされていた下着に目を止めた。

    「新しい下着、買ったの?」

     陽輝と付き合うようになってから新調したものだった。派手でもなんでもない普通の下着だったが、母はそれ以上何も言わなかった。

     *

     その後、母と一緒に外出し、上野駅のアトレのレストランでランチを食べることになった。席について料理が運ばれてくるのを待っていると、母は水を一口飲んでから唐突に言った。

    「……最近、お化粧、濃いね」

     少し間を置いて、私は返した。

    「そう? 別に普通じゃない?」

    「CARPにいた頃はもっと清楚だったのに。派手になったよ」

     私は心の中で「またか」と呟いた。

    「ねえ、付き合ってる人、いるの?」

     眉間に皺を寄せた母のまなざしには、恐れや不安、その他すべての感情が詰まっていた。私ははぐらかすことなく、正直に答えた。

    「いるよ」

     母は続けた。

    「干してある下着でわかったよ。……祝福、受けるつもりはないの? なに? あの部屋に男、泊めたりしてるの?」

     胸がざわついた。私はグラスを置き、母の目を見た。なぜかそのときの私は、嘘をつこうとも、話を逸らそうとも思わなかった。

    「そうだね」

     母の顔が、凍りついたように固まった。

    「何言ってるの? 地獄に行くつもりなの? そんなことさせるために一人暮らしさせたんじゃないよ?」

     ——私が一番恐れていたことが、現実になってしまった。

     母に、私が”堕落”したことを知られてしまった。その瞬間、母の中で何かが崩れ落ちていくのを、手に取るように感じた。私の背骨の芯に、氷が差し込まれたようだった。

    「私が信仰をやめても、親でいてくれる?」

     思わず、そう返していた。

     母は一瞬言葉に詰まり、小さく首を横に振った。

    「それは……それは違う。あなたは神様の子どもで、一度たりとも、自分の子だと思ったことはないよ。あなたが祝福を受けて、神様の血統に戻らないと……」

     その瞬間、私は悟った。

     この人は、「神の血統の子ども」としての私しか愛せないんだ。「私」という存在そのものではなく、「信仰を守っている私」しか見ていない。

     条件付きの愛。


     *


     この日を境に、両親との関係は、取り返しのつかないほど壊れてしまった。

     母と別れ、ひとりで歩いて帰る道すがら、頭の中で何度もリフレインしていたのは——

    「自分の子だと思ったことはない」

     というあの言葉だった。

     それまでの私の人生が、何か大きな偽りの上に成り立っていたように思えた。私が何かを間違ったから、こんなことになってしまったのだろうか。母の愛を受け取るには、信仰を守り、祝福を受けるしかなかったのか。

     けれどそれは、「私」が「私」として存在するためには、あまりにも大きな代償だった。

     夜の上野公園を歩いて帰る道すがら、ふと立ち止まって夜空を見上げた。

     星は——見えなかった。

     街の灯りにかき消された空は、ただ深い闇だけが広がっていた。

     家に帰ってからも、涙は出なかった。怒りも、悲しみも、痛みも、どこか感覚が鈍くて、頭の中だけが妙に冴えていた。

     ——もう、戻れないんだ。

     静かに、そう思った。

     *

     それからしばらくして、両親からの連絡はめっきり減った。以前は定期的に送ってくれていた食材などの荷物も、ぱったりと来なくなった。私からも連絡はしなかった。何を話せばいいのかわからなかったし、どうせまた、あの話になるとわかっていた。

     *

     その代わりに、私は陽輝との関係を少しずつ深めていった。誰かに寄りかかるためではなかった。ただ、私を「私」として見てくれる人の存在が、何よりの救いだった。

     信仰も、血統も、条件も関係なく。今ここにいる「私」と、まっすぐに向き合ってくれる人だった。


    *


     寝かしつけが終わると、夫と一緒にそっと寝室を出た。ドアをゆっくりと閉める。


     長い一日が、ようやく終わった。


     夫が振り返って、笑いながら言った。


    「きゃわいいね」


    「ね」


     その言葉だけで、今日一日の疲れが、すっと溶けていく気がした。


     無条件に、ただそれだけで。





    Twitter




     二〇一八年十二月、私は匿名の鍵アカウントでTwitterを始めた。

     吐き出さずにはいられなかった。

     母に陽輝との関係が知られてから、私の心の中はどうしようもなくぐちゃぐちゃだった。

     大学の友人に気軽に話せるようなことではなかったし、陽輝は宗教に対して、はっきりとした言葉にはしなかったけれど、漠然とした嫌悪感を持っていた。だから、統一教会のことや、私がこれまで経験してきたこと、そして親との複雑な関係については、ふたりの間でほとんど話題にしなかった。負担をかけたくなかった、というのが正直なところだ。

     私は、自分の中にたまりすぎた感情や、整理しきれない思考を、そのアカウントにひたすら垂れ流すようになった。

     最初は、誰に見られるとも思っていなかった。ただ、自分の中に渦巻いているものを吐き出す場所が欲しかった。過去のこと、親のこと、信仰のこと、誰にも言えなかった怒りや悲しみや迷い。思い出したくない記憶なのに、書くことで少しずつ自分の中で形になっていくのがわかった。

     やがて、いくつかのアカウントが私の投稿に反応するようになった。

    「わかります」「私も二世です」「うちの親もサンクチュアリに行きました」

     そんな返信がぽつぽつと届き始め、私は驚いた。自分だけがこの重い問題を抱えていると思っていたけれど、同じように悩んでいる人が他にもいることに気づいた。

     鍵をかけたアカウント同士が交わす、ひそやかな共感のやり取り。

     声は小さいけれど、あたたかかった。

     中には、心配してメッセージをくれる人もいた。

    「こんばんは〜

     ツイート見てたけどほんとに精神分裂するんじゃないかと思って声かけてみたんですけど

     体調とかは大丈夫なんですか?」

     言葉の奥にある痛みを感じ取れる人たちが、確かにそこにいた。

     それまで「語る」ことを避けてきた私が、語らざるをえなくなっていた。沈黙しているほうが心の平穏を保てると思っていたのに、語ることでしか救われないものがあるのだと、このとき初めて気づいた。

     返信を交わしたり、メッセージでやり取りするうちに、仲よくなったアカウントの人たちとオフ会で会うようになった。大学の友人には絶対に話せないような事情を理解し合える者同士で、お互いの悩みや過去を語り合う時間は、私にとって大きな救いとなった。

     ある日のオフ会のこと。十人ほどが集まる会で、すでに何度か会ったことのある人が四人ほど、残りは初対面のメンバーだった。席についてまもなく、

    「じゅんかオンニ!」

     と声をかけられた。匿名での集まりのはずなのに、突然本名を呼ばれて驚いて振り返ると、そこにいたのはかつて同じ教会で活動していた妹だった。

     教会内では、二世信者同士を兄弟姉妹とみなし、韓国語でオッパやオンニと呼び合う文化がある。

     まさかこんな場所で再会するとは思ってもみなかった。

     彼女は大学に入ったタイミングで離教し、その後、宗教二世ホットラインを開設するなど、二世問題に積極的に関わるようになっていた。

     嬉しかった。

     オフ会で出会った人たちと話していると、共通の知り合いがいることも多かった。信仰共同体は狭く、濃密だった。名前を出すと「ああ、あの人ね」と話が通じることも少なくなかった。

     Twitterがなければ、きっと私はあの頃を乗り越えられなかったかもしれない。

     匿名の世界で、本音だけでつながれた人たちに、私は確かに救われていた。



    崩れていく家




     彼との交際が親に知られてしばらくすると、実家の空気が少しずつ変わっていった。

     きっかけは、五匹の子猫だった。もともと実家には一匹の猫が住みついていて、祖母が餌を与えながら、家の中と外を自由に行き来させていた。その猫が三匹の子猫を産み、そのうちの一匹がまた五匹の子猫を産んだのだ。

     子猫たちはとても可愛くて、お母さん猫と一緒にこたつで眠る姿を写真に撮り、私はSNSで里親を募集した。すぐに引き取り手が見つかり、実家から子猫を受け取って東京へ連れて行き、それぞれの里親に渡した。

     それで終わると思っていた。けれど、終わらなかった。すぐにまた猫は妊娠し、子猫を産んだ。

     私は親に伝えた。

    「もう、里親探しは手伝わないよ。自分たちで見つけて。避妊と去勢もしないとダメだよ」

     けれど、猫の繁殖は止まらなかった。

     ちょうどその頃、両親は猪を飼い始めた。田んぼの側溝に、瀕死のうり坊(猪の子ども)が倒れていたらしい。自然の摂理に任せて見送るという発想はなく、両親はそのうり坊を家に連れて帰り、ミルクを与え、ノミを取り、風呂に入れ、「赤ちゃん」のように大切に育て始めた。

     小さいうちは良かった。けれど、私が帰省するたびに、うり坊は少しずつ大きくなっていた。

     匂いがすごかった。猫の糞尿の臭い、猪の体臭、混ざり合ってこもるような悪臭。雑然とした家。

     もともと両親が住んでいたのは、母方の祖父が退職後に建てた平屋の注文住宅だった。内装にも調度品にもこだわりが詰まっていて、季節ごとに業者を呼んで整えられる小さな坪庭まであった。子どもの頃の私は、その家に帰省するのが大好きだった。

     でも、今やその面影はどこにもなかった。

     実家の猫の数はどんどん増えていった。最初は三匹だったのが、気がつけば十匹、十五匹、二十匹——避妊も去勢も間に合わず、次々と繁殖していた。

    「勝手に外に出て妊娠しちゃうのよ」

    「神様が与えてくれた命だから」

     母はそう言っていた。

     家の中は猫の毛と糞であふれ、床には新聞紙やブルーシートが敷き詰められ、空のキャットフードや猫砂の袋が山のように積み上げられていた。猫が近隣の家に迷惑をかけ、ご近所トラブルにもなった。

     私はメッセージで母に伝えた。

    「どうするつもりなの? このままじゃダメだよ」

     でも、母は既読をつけたまま、返事をよこさなかった。

     家が崩れていく。なにかがおかしい。でも、私はどうすることもできなかった。

     彼との交際——教義に反する恋愛——が、母を壊しているような気がしていた。娘に注げなくなった愛情を、動物たちに注ぎ込みながら、なんとか生きているような……。「祝福結婚以外は堕落だ」そう繰り返していた教会の教えが、母の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、ねじれた形で現れているように見えた。

     母の世界が、崩れていく——そう思った。

     彼を選ぶことは、母を壊すことだった。まさか、こんなかたちで問題が噴き出すとは思っていなかった。

     私はてっきり、彼との交際が知られたら、学費や仕送りを止められて、無理やり実家に連れ戻されるのではないかと想像していた。けれど、実際には、親はこれまでと変わらず援助を続けてくれていた。

     その代わりに、静かに、そして確実に、親の精神が崩れていった。

     私は、自分のせいだと思った。一人っ子で、親の期待を一身に背負って生きてきた。親の願いを裏切ってしまった。全部、自分のせいだ。自分がなんとかしなければ——そんな思いに支配されていった。

     当時の私は、親の問題と自分の問題を切り分けて考えることができなかった。すべてを自分の責任として抱え込み、私自身も心を病んでいった。

     誰にも相談できなかった。陽輝にだけは実家のことを話していた。でも彼は、嫌悪感を隠さず言った。

    「狂ってる。絶対、うちの親には知られないほうがいいよ」

     彼の実家でも保護猫を飼っていた。だからこそ、なおさらだったのかもしれない。

    「野良猫に餌やる人とか、うちの親マジで嫌いだから」

     わかってる。うちの親のしていることが、どれだけ無責任で倫理に反しているか、私だってわかっていた。

     助けて、とは言えなかった。彼に頼ることはできなかった。頼れないと感じてしまった。

     そして私はますます、この問題を自分ひとりで抱え込むようになっていった。



    記憶とネックレス




     親との関係はどうしようもなく拗れていたけれど、陽輝との交際は基本的には順調だった。

     不器用なところはあったけれど、基本的に優しくて、どこか達観している人だった。彼は私の希望を叶えてあげようと、いつも努めてくれた。

     私たちは、交際を開始してから二年半後、私が大学院を修了するタイミングで結婚した。

     入籍日や結婚式、マンションの購入など、ふたりにとって大きな決断は、たいてい私が言い出しっぺだったが、彼はそれに反対することもなく、むしろ自分の意思でよく考えたうえで決断していた。そして、どんな選択も決して私のせいにせず、「自分の責任だよ」と、静かに言った。

     彼とは同い年だった。出会った頃に遡ると、私は大学四年生、彼は大学院の二年生。彼は就職が決まっていて、大学院を修了すると同時に関東郊外の研究所に配属され、社員寮に住むようになった。遠距離というほどではないけれど、電車と車で片道二時間ほどの距離。私は大学院に進学し、彼は社会人になった。毎週末、互いの家を行き来しながら、少しずつ関係を深めていった。

     交際して初めて迎えた私の誕生日、パートナーから祝ってもらうのは人生で初めての経験だった。私はサプライズに憧れていて、あえて何もリクエストはしなかった。

     その日、私の部屋で彼が大きな紙袋を差し出した。開けてみると、中からデジタルフォトフレームの箱が出てきた。正直、要らないな、と思った。六畳一間の部屋には場所を取りすぎるし、使う気にもなれなかった。

    「最近、ふたりの写真が増えてきたから、見返してくれたらいいなと思って」と彼は言った。通販サイトで悩みに悩んだ末、ぎりぎりで注文したらしい。その気持ちは嬉しかった。でも、実際にパソコンと繋いでみると互換性が悪く、何度やっても砂嵐のようなノイズしか映らなかった。

     仕方なく返品することになった。

     使えなかったことよりも、彼が一生懸命考えてくれたことのほうが、嬉しかった。不器用な優しさが、心にじんわりと染みた。

     しばらく経ったある日、彼は小さなリボンのついた箱を私に渡してきた。

    「誕生日プレゼント、遅くなっちゃったけど」

     開けると、小さなダイヤモンドが一粒だけ付いた、華奢な十金のネックレスが入っていた。ベタだけど、ずっとこういうのが欲しかった。素直に嬉しくて、肌身離さず身につけていた。

     この一件を境に、私たちは”サプライズ”をやめた。その代わり、記念日や誕生日には、少し特別なレストランを予約して、美味しいものを一緒に食べるようになった。私はジュエリーを欲しがる女だった。高価なものではないけれど、記念日にはふたりでお店に出かけ、自分で気に入ったものを買ってもらった。

     一方で、音楽の趣味は壊滅的に合わなかった。

     彼は洋楽やEDMが好きで、寮に向かう車の中ではいつも賑やかなプレイリストが流れていた。私はそれがどうにも苦手で、誘われて行った野外音楽イベントでは、雨に打たれながら盛り上がる人たちの波に飲み込まれないよう必死だった。寒くて、しんどくて、二度と行くものかと思った。

     一方、私が好きだったのはボン・イヴェール。来日公演のチケットが取れたとき、彼と一緒にライブに行った。私は感動で終始涙が止まらず、心が震えていた。でもライブ後、彼に感想を聞くと、「苦痛だった」と一言。

     私たちはお互いの関係性の中で学び、成長していった。無理に共有しようとするのはやめよう。合わないものは、合わないままでいいのだと。それでも、ふたりの結婚式のBGMで使う曲はすべて私に選ばせてくれた。彼はそういう人だった。

     代わりに彼が好きだったスポーツ観戦にはよくつきあった。野球もサッカーも、それまで興味のなかった世界を垣間見ることができて、楽しかった。

     浴衣を着て花火大会に行ったり、ネモフィラを見に行ったり、水族館に行ったり、数えきれないほどいろんな場所に出かけて、美味しいものを食べた。

     あるとき、女友達にこう言われたことがある。

    「じゅってぃが人間になった」

     真意はよくわからなかったけれど、彼との関係のなかで、私は少しずつ変わっていったのだと思う。

    「彼氏ができると女の子って可愛くなるって、本当なんだね」とも言われた。

     CARPにいた頃は、化粧も最低限で、身なりに無頓着だった。珠希に恋していた頃から少しずつおしゃれを意識するようになったけれど、きっと”愛されている”という実感が、私をきれいにしてくれたのだ。

     今まで、孤独なときは友達に救われてきた。でも、それだけでは満たされなかった。特定のパートナーがいるかいないか、それ以前に、“ひとり”であることには限界があるのだと知った。

     彼との関係の中で、私は癒され、少しずつ再生していった。

     *

     ある夜、結婚してしばらく経ったころだった。ふたりで夜道を歩きながら、何気なく尋ねた。

    「子どもが生まれたら、どんな子に育ってほしい?」

     彼は間を置かずに答えた。

    「優しい子かなぁ」

     その一言で、私の心は一センチ上昇した。

    「でも、いまの社会では優しい人って生きづらいよね。だけどそれでも、人に優しくできる子に育ってほしいって思うよ」

     そんなふうに話す彼のことが、私は心から好きだった。

     *

     それでも、どれほど彼と幸せな日々を過ごしていても、夜空にふと飛行機を見つけるたび、私は貴美のことを思い出していた。

     今、彼はどこで、誰と、何をして生きているのだろう。

     数秒、頭の中にその問いが浮かび、そして私は、現実の時間へと帰っていくのだった。



    自由な家族




     陽輝と付き合い始めて数週間後、わりとすぐに彼の実家に連れて行ってもらった。

     彼は一人っ子で、両親は共働き。彼の両親は、生活費は毎月決まった額を共同の口座に入れて、それ以外の収入や貯金には干渉しない、対等な関係の夫婦だった。

     晩ごはんの時間、彼のお母さんはキッチンで手際よく料理を進めながら、「できたものから冷めないうちに食べられる人から食べてね」と声をかけていた。家族全員がそろって「いただきます」をしてから箸をつけるような、形式ばったスタイルではなかった。

     その自由な空気に、私はちょっとしたカルチャーショックを受けた。

     猫が三匹いて、お母さんの手料理はどれも美味しくて、彼の実家は不思議なほど居心地がよかった。帰るときには、食材や作り置きのおかずを袋いっぱいに持たせてくれる。

     実家との関係がぎくしゃくしていた当時の私にとって、彼の両親からのそのやさしさは、「親の愛情」として静かに、けれど確かに心に沁みていった。

     みんなで出かけた帰りにスーパーに寄ったとき、お母さんが「じゅんちゃん、食べたいものなーい?」と気さくに声をかけてくれた。私が遠慮しているのも構わず、いいお肉やお魚を次々にかごへ放り込んでいく。

     私の実家やCARPの学舎では、まず最初に削られるのが食費だった。だから、美味しいものを食べるのが当たり前という暮らしぶりに触れて、またひとつ、私はカルチャーショックを受けた。

     お母さんはある企業で役員を務めていた。私が就職活動をしていた頃、「可愛がられることがいちばん大事よ」と、働く女性としての持論を語ってくれたこともある。

     一方のお父さんはというと、バブル時代には芸能人の付き人をしていたことがあるらしく、その後は芸能事務所を辞めて、皿洗いのアルバイトをしたり、自由気ままに飲みに出かけたりしている、根っからの自由人だった。

     ふたりとも、息子である陽輝に対しては徹底した放任主義で、やりたいことには口を出さず、基本的に尊重するスタンスだった。

     あの家で過ごした時間は、私の中の「家族」という概念を、少しずつ書き換えてくれた。

     誰かを縛らないこと、干渉しすぎないこと、けれど必要なときにはちゃんと手を差し伸べること。

     干渉しないことが、こんなにもあたたかいなんて、知らなかった。




    結婚の報告



     陽輝の実家に挨拶に行くその朝、私はずっとお腹が痛かった。

    「大丈夫だよ。うちの親、そんな偏見ないし。今までも何回も会ってるじゃん」

     彼は軽く笑いながら言ったけれど、私の不安は消えなかった。私は統一教会の二世だ。普通の家庭の感覚からしたら、それは十分に「地雷」だ。それでも、隠して結婚することだけは私にはできなかった。

     彼の両親の前に座り、私は手を震わせながら切り出した。

    「私は……統一教会の信者の家庭に生まれました。いまは教会には行っていませんが、そのことを隠して結婚するのは嫌で……」

     彼の両親は私をまじまじと見つめ、しばらく沈黙が流れた。空気がすっと冷えたような気がした。

    「そうだったんだ」と、彼の母がぽつりと言った。父は口を閉ざしたまま、ゆっくりとうなずいた。

     私は、話すべきことを話さなければならないと、自分に言い聞かせながら、彼の実家のダイニングテーブルの椅子に座っていた。彼の母は丁寧にお茶を出してくれた。けれど私の手は震えていて、湯飲みを持つのもやっとだった。

     沈黙が続いたあと、彼の父が低く静かな声で訊ねた。

    「それで……あなた自身は、いつまで信仰を?」

     心臓が一度、深く沈んだ。言おうとして、言えなかった。本当のことを言ってしまったら、反対されるかもしれない。でも、嘘もつきたくなかった。

     けれど私は、嘘をついた。

    「高校生くらいから、ずっと辞めたいと思っていました。でも、親に辞めると言うと、学費を出してもらえなくなるかもしれなくて……。だから、信仰を持っているふりをして、親から経済的に自立したら辞めようと思っていました」

     本当は、大学二年生までは信仰を持っていた。CARPにも入っていた。訓読も、祈祷も、蕩減条件も、ちゃんとやっていた。あの頃の私は、誰よりも”信じよう”としていた。けれど、それを口に出すことはできなかった。

     あれは、私がついた精一杯の嘘だった。

     沈黙が落ちたあと、彼の父がこくりと頷き、ぽつりとつぶやいた。

    「頭いいね」

     その一言で、胸の奥がふっと緩んだ。私の嘘が、そのまま真実として受け取られたことに、安堵した。それは本当ではなかったけれど、どうしても守りたかったものが、私にはあった。

     彼の実家のリビングは少し雑然としていて、それがかえって緊張感を際立たせていた。硬い椅子に座っていると、お尻がじんわりと痛くなってくる。

    「ご両親は、今でも信仰を持っていらっしゃるんだよね?」と彼の母が訊ねた。

    「はい。なので、私の親は、私たちの結婚には反対しています。顔合わせや結婚式は、できないかもしれません」

    「統一教会かぁ」

     彼の父が少し顔をしかめ、続けた。

    「まあ、創価学会よりはマシだと思ってるよ。親戚にいてさ、選挙のたびに電話がかかってきたり、大変だったんだよね」

     私は笑うことも、相槌を打つこともできなかった。“創価よりはマシ”という言葉に、なぜか傷ついた。見下されているというより、宗教そのものが軽んじられているような気がして。もうやめたはずの信仰に対する反応なのに、私の中にまだ何かが残っていると知って、少し戸惑った。

     うまく笑えず、反論もできず、私はただ「そうなんですね」とだけ返した。それ以上、言葉を継ぐことはできなかった。

     しばらくの沈黙のあと、彼の母がやわらかい声で言った。

    「……結婚自体は、ふたりで決めたことだから。私は反対はしないよ」

     その言葉は優しかった。でも、そのやわらかさの奥に、見えない壁のようなものを感じた。受け入れてくれた。けれど、それは私という人間を信頼してのことではなく、息子が選んだ相手だからという”条件付き”の受容のようにも思えた。

     私は「ありがとうございます」と言うことができず、ただ小さく頭を下げるのが精いっぱいだった。

    「なんだ〜、改まって話があるとか言うから、妊娠でもしたのかって言ってたんだよ。そしたらお母さんが”仕事辞めようか”なんて言い出してさ」

     お父さんとお母さんの間にふっと笑いがこぼれた。そのとき、ようやく空気が少しだけ緩んだ気がした。

     私も、ようやく笑うことができた。重たい時間だったけれど、最後に少しだけ、場が和んだ。

     *

     帰り道、駅まで送ってもらう車の中。沈黙が続いたあと、助手席のお母さんがふいに言った。

    「うちは入らないからね」

     静かな声だった。でも、その一言が私の胸に、すっと冷たい杭のように刺さった。やっぱり、警戒されてる。信仰を捨てたと言っても、完全には信じてもらえない。過去は、簡単には切り離せないのだと痛感した。

     すかさず、運転席のお父さんと隣にいた彼が口をそろえて言った。

    「だから〜、じゅんちゃんは辞めてるんだから、それはないでしょ?」

     少し怒りながらも、場を和らげようとするような口調だった。でも私は、うまく笑えなかった。心の中で「そうだよ、もう辞めてる」と何度も繰り返しながら、窓の外のすっかり暗くなってしまった景色を見ていた。

     私はほんの少しだけ、息をつくことを許されたような気がした。



    祝福されなかった門出



     陽輝と付き合っていることを打ち明けた後、母に言われた言葉は、今でも忘れられない。

    ——「ゴール一歩手前で転んだみたいじゃない。大学受験なんか頑張らなくてよかったのに。祝福さえ受けてくれれば」

    ——「イエス様の十字架が無駄になる」

    ——「ご先祖様の苦労が無駄になる」

    ——「立派な人が生まれるまで七代かかるって言うから、二代じゃ無理よね。仕方ないわ」

    ——「サタンに乗っ取られてる」

    ——「帰ってきて」

     焼肉を食べながらそんな話をされたり、ホテルに一緒に泊まって、深夜から朝まで延々と説得されたり。そんなとき、胸の奥に鉛を詰め込まれたようで、息がうまく吸えなかった。精神的に本当にきつかった。

     実家は猪がいたり猫が増えすぎたりで、とても泊まれる状況ではなかったから、私は帰省してもいつもホテルに泊まるようになっていた。父と母も一緒に宿泊することになり、「話があるんだろうな」と覚悟していた。

     夜中、寝ていると親に起こされた。時計を見ると、一時を回っていた。

    「彼氏と別れてほしい」

     母がそう言った。こんな時間に話を始めるなんてどうかしてる、と苛立ちを覚えながら、きつい目つきで母を見返した。

    「別れるつもりないから」

     すると母は言った。

    「帰ってくる道があるって、わかってるでしょう?」

     眉間に深く皺を寄せ、厳しく、けれどどこか切実な表情で訴えてくる。私が黙っていると、母は叫ぶように言った。

    「サタンにやられてるよ!!」

     心外だった。

     そのとき私は、母が私自身を見ていないことをはっきり理解した。母にとって、私は「サタンにやられた娘」、さらにはほとんど「サタンそのもの」に見えていたのだと思う。目の前にいるのは、心を持ったあなたの娘なのに。何を言っても通じない。だから私は睨み返すことしかできなかった。

     母はきっと、そんな私を見てさらに「やっぱりサタンだ」と思っただろう。

     *

     彼と入籍することが決まって、親にはメッセージで報告した。

    「○月○日に入籍します」

     相談でも、お伺いを立てるでもなく、決定事項として簡潔に。既読はついた。でも、返事はなかった。

     それ以降、彼に関するメッセージは、決まって既読無視。顔合わせについて聞いても無反応で、こちらからもう一度聞くと、はぐらかされる。返信がきたとしても、ずっとあとに、全然違う話題で返ってきたりする。

     ——親にとって、それだけ目を背けたいこと、向き合いたくない現実だったのだろう。

     *

     私が「一般」で結婚することが決まったあと、ある日母は涙ながらに言った。

    「あなたにしてあげられなかったことが、たくさんあるの」

     確かに、私も親の愛を受けたい時期に、受けられなかった。もう過去はどうにもできないし、お互いに、消えない”恨(ハン)“が残っていると思う。

     たとえ祝福という形ではなかったとしても、私は、私の選んだ人生を、自分の足で歩いていくしかなかった。



    凸凹な結婚式




     陽輝との結婚式。私は、大好きな友人たちに囲まれていた。

     けれど、母は来なかった。

     まさか本当に来ないとは思っていなかった。心のどこかで、「強行突破して結婚式を挙げれば、イヤイヤでも参加してくれるだろう」という甘い期待があった。

     式の日程は、かなり前から打診していた。結婚式の話をメッセージで送っても、既読スルー。開催の直前まで、なんとか参加できないかとやり取りを重ねた。

     結局のところ、母の返事はこうだった。

     行きたい気持ちはある。だけど、介護しているおばあちゃんと、家にいる猪と猫たちを置いて、上京はできない。

     そうして——花嫁の母が存命であるにもかかわらず、結婚式に出席しないという、少し奇妙なかたちになった。

     式の入場では、新婦の母によるベールダウンはなし。披露宴の挨拶では、「コロナ禍のため母が来られませんでした」とだけ、一言簡潔に説明した。披露宴の最後、新婦からの手紙では、父に宛てた部分だけを読み、「この続きは、お母さんと一緒に読んでください」と付け加えた。

     参加してくれた友人のひとりに、「お母さん来れなかったんだね」と言われたが、それ以上踏み込んでくる人はいなかった。事情を知っている友人も何人かいたけれど、式のあとで改めて触れてくることもなかった。きっと、私の気持ちを察してくれていたのだと思う。

     *

     どうしても結婚式を挙げたかったのは、今までお世話になった人たちに感謝を伝えたかったから。そしてもう一つ——「テンプレート通りの幸せの形」に、私も憧れていたからだった。

     自分の出生や、家の事情を理由に、そういうものを最初から諦めたくなかった。誰かに見せるためじゃない。自分の中の「普通」を、どうしても一度、経験したかった。

     今になって思えば、両家顔合わせもまともにできていない状況で、親を式に招こうとしていた私は、だいぶ考えが甘かったのかもしれない。いっそ、友人だけを招いた会にしていたほうが、よかったのかもしれない。

     *

     式は、キリスト教式で執り行われた。

     讃美歌の生演奏とコーラス隊の歌声が、チャペルに響きわたる。牧師が式を取り仕切るなか、私たちは神の前で、互いに愛を誓った。

     視界の隅で、客席の最前列に座っていた彼のお母さんが、涙をハンカチでそっと拭っているのが見えた。その姿を見た瞬間、「……やってよかった」とそう思えた。その姿は今でも脳裏に焼き付いている。

     心から祝福してくれた、彼の家族や友人たち。その一方で、私の父は、披露宴の間ずっと不満そうな顔をしていた。

     ベールを下ろしてくれる母はおらず、父の表情は曇っていた。それでも、隣には確かに愛する人がいた。

     すべてが揃わなくても、足りないままでも、それでも一歩は踏み出せるのだと思った。



    父と母




     父と母のことは、なんだかんだ言っても、やっぱり愛していた。子どもが生まれてみて思うけど、無条件に愛されているのは、むしろ親の方なんじゃないかと思う。

     両親は一九八八年、韓国のメッコール工場で、教祖によるマッチングの末に祝福を受けた。その数年後、教祖の呼びかけによって韓国に大卒の女性信者たちが集められた。そこで突然、海外宣教に行くよう言い渡されたのだ。

     当時、私はまだ三歳だった。母は宣教に行きたいと言い、父は「行ってきたらいいよ」とだけ答えたらしい。

     母は私を出産した際、里帰りしていて、私が三歳になるまで母方の祖父母の家で暮らしていた。父は東京で仕事をしていて、たまに会いにくるような生活だった。けれど、母が宣教に行くと決まったとき、「このまま祖父母の家に預けていたら、娘がみこころの通りに育たない」と考え、私を父のもとに送り返した。こうして、子育て未経験の父とのふたり暮らしが始まった。

     私が最初に覚えている母の記憶は、父と暮らしていたゴミ溜めのようなアパートに、宣教から母が一時帰国したときのことだ。家の汚さに母が激怒し、私は泣きながら父と一緒にゴミを拾って部屋を片付けた。母はいつも不在で、ビザが切れたときなどにだけ帰国していた。スーツケースを開けるときの異国の香りと、鮮やかなお土産が、幼い私にとっての数少ない楽しみだった。

     母は中央大学の法学部出身だった。司法試験を目指していたかどうかはわからないけれど、「理屈が通っていないこと」を極端に嫌う人だった。だからこそ、教会の教えに心酔したのかもしれない。神が与えた絶対的な真理が、彼女にとっては世の中のどんな法律よりも明快で、公平で、信じるに足るものだったのだろう。

     家庭内でも、母はいつも裁く側だった。間違いを指摘する口調は鋭く、言い返すと「原理に照らして正しいと思ってるの?」と問い返された。そう聞かれると、何も言い返せなかった。母の中には常に「正義」があり、私はいつもその前に立たされる被告だった。

     母は信仰生活にも非常に厳しかった。毎朝の祈祷会と訓読会は絶対で、週に一度の五時起きの日に寝坊すると、「蕩減条件」として朝食抜きが命じられた。いつも原理の尺度で生活を律し、何でも厳しく主管してくる人だった。感情的に怒ることも多く、幼かった私はいつも母の目を気にして怯えていた。

     一方で父は、母とは対照的だった。無口で、何を考えているのかよくわからない人だった。母の宣教費用を捻出するために、世界日報で働きながらアルバイトを掛け持ちしていた。家で見る父はいつも寝ていて、疲れ果てていた。帰宅するのは深夜で、私は同じアパートに住む信者の家庭に預けられていた。

     母が不在がちだったため、保育園や小学校の送り迎えや参観日も、いつも父が来ていた。「なんでじゅんちゃんちはお父さんなの?」と友達に聞かれて、返答に困ったこともある。服装には無頓着で、よれよれでみすぼらしい格好の父を見られるのが恥ずかしかった。

     でも、父には芸術を愛する一面があった。クラシック音楽が好きで、父の希望で私は四歳から中学一年までピアノを習っていた。グループレッスンだったが、うちの家計には高い月謝だったと思う。よく滞納しては、レッスン終わりに先生に封筒を手渡しするのが常だった。

     休日には、美術館や博物館に連れて行ってくれたこともある。給食費も滞納が多く、先生にこっそり封筒を渡すのが、とても恥ずかしかった。

     私が五歳くらいのときだったか、母方の祖父が父の顔を叩いたことがある。母は宣教中で不在、私と父のふたりだけで母方の実家を訪れていた。「純香を置いていけ」と言う祖父と、「連れて帰る」と主張する父。酔っていた祖父は顔を真っ赤にして怒鳴り、そして手を上げた。父は殴られても黙って耐えていた。私はただ、ふたりの間で号泣するしかできなかった。

     成長するにつれ、我が家の信仰が親戚一同から反対されていることを理解するようになった。父方の親戚とは、統一教会の信仰が原因で疎遠になっており、私は物心ついたときから一度も訪れたことがなかった。

     父と母が苦労している姿をずっと見てきた。だからこそ、報われてほしいという思いが強くなった。その願いを胸に、私は高校生になると同時に、信仰生活にも、勉強にも懸命に取り組むようになった。そうすれば、きっと父と母が喜んでくれる。そう思っていた。

     教会で様々な教えを学べば学ぶほど、み旨に対して一生懸命な自分の両親を誇りに思うようになっていった。信仰にすがるしかなかったふたりの愛は、不完全だったけれど、私にはそれがすべてだった。


    *


     宅配便が届いた。送り主の名前は父だったが、字は母のものだった。


     夫が段ボールを開けて、中を覗き込んだ。しばらく無言で確認してから、真顔で言った。


    「お菓子入ってたよ」


     私は苦笑いした。フルーツや乾物に、食べないお菓子。相変わらずだった。


     荷物は決まって届く。娘の誕生日、私たちの誕生日、クリスマスやお雛様の季節。母のリズムで、母のタイミングで。


     娘の写真を送ると、いつも喜んでくれる。成長のたびに、短い言葉が返ってくる。


     完全にはわかり合えない。たぶん、これからもそうだろう。それでも母は、この段ボールを丁寧に詰めて、父の名前で宛名を書いて、郵便局まで持っていったのだ。


     それが、今の私たちの距離だった。



    再会



     高倉さんと再会したのは、陽輝との結婚式から約一ヶ月後のことだった。とある離教した元二世の人が開催したオフ会での出来事だった。

     その会は誕生日会を兼ねていた。私の誕生日も近かったということで、高倉さんから図書カードをもらった。後日、そのカードで『銀河鉄道の夜』ともう一冊、小説を買った。

     その本のことを高倉さんにお礼を兼ねて報告した。そこから自然な流れで、「久しぶりに会おうか」となった。

     高倉さんは、私がCARPの寮にいた頃、同じ屋根の下で暮らしていた。貴美の親友であり、大学の同級生でもある。専門は物理だった。黒髪のワンレングスに細縁の眼鏡という出で立ちで、いかにも理系らしい、変わり者で知的な雰囲気をまとっていた。どこか浮世離れしたようなその佇まいは、CARPの中でもひときわ異質で、けれど不思議と場に馴染んでいた。

     私や貴美が「祝福二世」と呼ばれていたのに対し、高倉さんは「信仰二世」だった。信仰二世とは、親が祝福結婚を受ける前に授かった子どもを指す。教団ではその子どもたちは「神の血統」ではなく、「堕落の血統」とされていた。

     今考えれば、それは明らかに差別的な教義だったけれど、当時の私たちには、それを疑問に思う感覚すらなかった。あまりにも当たり前に空気のように存在していて、意識することすらなかったのだ。

     表参道で二度目の再会を果たした私たちは、ランチをしながらたわいない話をした。そのとき、思いがけないことを知った。

    「え、彼女いたんですか?!」

     思わず口から出た驚きの声。高倉さんは中高生の頃から熱心な信者で、CARPに所属し、大学卒業後には献身までした人だった。それなのに、浪人中に付き合っていた彼女がいたなんて。しかも相手は高校の同級生で、彼は教会活動と並行して、ずっと片思いを募らせていたらしい。

     まさにダブルスタンダードの典型。でも、聞いて共感した。教会の教えと恋愛感情、その狭間で自分もずっと苦しんでいたから。「この人も、そうだったんだな」と思った。

     話してみて驚いた。こんなに共通の話題があるなんて、想像していなかった。あの結婚式から、まだ三ヶ月ほどしか経っていなかった。

     *

     その日の二軒目のカフェで、私は初めて、高倉さんに貴美のことを話した。

    「CARPにいたとき、私、死ぬほど好きな人がいたんですよね」

    「え、自分?」

    「なわけないじゃないですか」

     笑いながら返す。的外れもいいところだった。私と高倉さんは、CARPの学舎で一年同じ屋根の下に暮らしていたけれど、当時はほとんど接点がなかった。

    「……え、もしかして、貴美?」

     私は、こくんと頷いた。

     教会関係の人に、貴美への想いを打ち明けたのは、これが初めてだった。ずっと自分の中で封印していた過去——遠い昔の出来事が、再び動き出したような、不思議な感覚があった。

     卒業制作で貴美を思いながら作品をつくった話をすると、高倉さんはぽつりと言った。

    「……なんて美しいの……」

     その言葉が、胸に沁みた。



    救い



     実家で猫の多頭崩壊が起きていること。猪を飼っていること。そして、親が参ってしまい、精神を病んでしまったこと。

     ——全部、自分のせいだと思っていた。

    「純香さんは悪くないですよ」

     高倉さんにそう言われて、正直、救われた。それに、神様の足音がした。これは完全に感覚なのだけど。

    「貴美が迎えに来てくれるまで帰らないから」

     神様にそう反抗期宣言をしてから、いったい何年の月日が流れただろう。迎えに来てくれるのは貴美だと信じていたけど、もしかしたら、高倉さんだったのかもしれない。このときの私は、そう思わずにはいられなかった。

     高倉さんには、これまでの人生を全部話した。貴美とのことも、統一教会のことも、教義の矛盾点も——とにかくすべて。私にとって、彼は”外付けハードディスク”と呼んでもいい存在だった。自分ひとりでは抱えきれない記憶を、一時的に預けておける場所。

     ある日、高倉さんから連絡が届いた。

    「貴美についてわかったことがあるから、お伝えするね」

     貴美はまだ未婚で、教団内でお見合いしている人がいるらしい。隣の部屋からは、夫の寝息が聞こえる。やり取りを簡単に終えて、私はスマートフォンの画面を消した。

     ——貴美が、結婚していなかった。

     その事実が、胸に重たくのしかかる。それなのに私は、陽輝と結婚してしまった。選んでしまったこの人生を、後悔の念が覆っていく。

     突然、古い痛みがよみがえった。頭がガンガンする。吐き気がする。目の前に広がる地獄のイメージ。サタンに支配されるような感覚に、飲み込まれそうになる。

     ——この感じは、久しぶりだった。

     駒場グループと関わったあと、よくこういう状態になっていた。数字の「6」をよく目にして、それを見るたびに恐怖が押し寄せてくる。

     気づいたら、泣いていた。かち割れそうな頭を押さえて、とりあえず言葉を吐き出す。大丈夫、対処法はわかってる。この状況を客観視できているから、大丈夫。

     ——これは、PTSDの再発だった。

     *

     日を改めて、高倉さんとカフェで会った。貴美がお見合い中であること。そして、いまも私のことを覚えていて、何よりも楽しそうに話していたこと。

     彼の話を一通り聞き終えた頃、外はもうすっかり暗くなっていた。

     交差点で赤信号に差し掛かり、私たちは立ち止まった。

    「私たちは、健全な関係でいましょうか」

     高倉さんが言った。

    「そうですね」

     私も返した。

    「健全な関係でいましょうって言ってる時点で、アレなんだけどな」

     高倉さんが笑った。そのままふたりで歩き出す。もう少しだけ、このまま一緒にいたかった。

     貴美のことも、自分の過去も、ひとりで抱えるにはあまりにもしんどかった。全部を聞いて、受け止めてもらえたことが、心の底からありがたかった。

     “友人として”——高倉さんは、すでに私の人生に欠かせない存在になっていた。

    「晩ごはん食べてく?」

     駅が見えてきたタイミングで、高倉さんが言う。

    「そうですね。食べていきましょうか」

     中目黒のスープストックに入った。

     会計のとき、財布を出しかけて、ふと手を止めた。以前、女友達のMが「お会計は男の人に出させてあげるのがいい」と言っていたのを思い出したのだ。

     席についてから、高倉さんが言った。

    「板についてきましたね」

     お会計のときの流れのことだろう。例の女友達の話をしながら、少し自分の分を少なくするようにお金を出した。

     高倉さんは、人づき合いが不得手だ。話していて「??」と思うこともあるし、私は大丈夫だけど、他の女の子だったら絶対に嫌われるようなことを、平気で言ってしまう。それだけ、教団の中に長くいすぎたということだろう。異性との関係が、これまでまったくなかったのだ。

     でも、頭はいいし、ポテンシャルはある。教育のしがいがありそうだ……なんて、思ってしまう。

     *

    「私たちの今の関係、貴美に言える?」

    「言える」

     頭痛がしてきた。

    「ごめん。……純香さんが、貴美と旦那さんの間でどれだけ苦しんでたか、全然わかってなかった」

     こんなに私のことを理解してくれる人は、高倉さんしかいない。CARPで一時とはいえ、同じ時間を過ごし、貴美の親友でもあり、教会のこともよくわかっていて——しかも、離教している。

     気づいたときには、私たちの関係は、プラトニックであるがゆえに、かえって深くなっていた。




    ソウルメイト




     この日は、研究室の同期である恵里香と会う約束をしていた。約束を取りつけたのは、もう一ヶ月も前のことだった。

     ストレスが限界近くまで達していた私は、常に考え事をしていた。家を出たあとも、思考の渦が止まらず、ずっと頭の中のものを鍵アカウントに吐き出し続けていた。なんとか正気を保つためだった。すると、気づかぬうちに乗り換えを間違え、降りなくていい駅で降りてしまった。焦って次に来た電車に乗り込み、空いていた席に座る。

     しばらくして、視界の端に昼間から酒をあおっているおじさんが映った。右隣、すぐそこだ。普段なら変に空いている席には警戒して座らないはずなのに、この日に限っては注意が散っていた。

    「オイ!」

     突然おじさんが大声を出した。体がビクリと跳ねる。

     私の反応が面白かったのか、数秒おきに「オイ!」「おいっ!」と繰り返し怒鳴ってくる。車内に緊張が走る。私はなるべく刺激しないように、息を殺してじっと座っていた。

     一駅分我慢して、周囲の乗客と一緒に電車を降りた。ところが、おじさんも後を追って降りてきた。私は走って隣の車両へと逃げ込み、影に隠れながらガラス越しに様子をうかがう。

     おじさんはそのまま「オイ!」と叫びながら、駅の階段へと消えていった。

     ドアが閉まり、電車が動き出す。よろよろと空いている席に座った。安堵とともに、震えがこみ上げた。自分の震える手に目を落とす。

     思い出した。CARPを出たばかりの頃も、今と同じように頭の中が思考でいっぱいで、注意散漫だった。気を抜けば死ぬかもしれない——そんなふうに感じたあの頃。今の一件で、また死を身近に感じてしまった。

     気を取り直し、再び電車に揺られる。スマートフォンは触るまい。だがまたもや、別の駅で間違えて降りてしまう。限界だった。ホームで不意に涙が止まらなくなった。

     恵里香にメッセージを送る。「今日だめかも」

    「迎えに行こうか?」

     彼女はそう言ってくれたけど、私は「大丈夫、頑張って行く」と返した。

     泣きながら飯田橋にたどり着くと、改札の前まで恵里香が迎えに来てくれていた。遅れたことを謝ると、彼女は泣いている私に対して驚いた顔をしながらも、落ち着いて受け止めてくれた。

     カフェに向かう道すがら、酔っ払いに絡まれた話をしながら、私は今日までのことを、恵里香に一気に語った。

    「私の運命の人、誰だと思う?」

     遅めのランチをひとしきり食べ終わったあと、私はふとそんな質問をしていた。一応、私は結婚している。しかし、そんな思いがこのときの私の頭の中を支配していた。

     彼女は少し笑って、「すごい話だな。本になって出版されたらすごいね」と言った。

    「書こうかな」と私が言うと、

    「じゅってぃの今までのこと、ちゃんと棚に並べられるといいね」

     と、静かに返してくれた。

    「書けたら、いちばんに読ませるね」

     *

     話し終わって帰る頃には、外はすっかり暗くなっていた。

     ふたりで、飯田橋駅近くの橋の上から夜空を見上げた。金星だろうか、夜空にはひときわ強く輝く星がひとつ。

     今日見た星の輝きも、たぶん私はずっと忘れないと思う。

     *

     ——眞子さまの結婚とPTSDの報道、瀬戸内寂聴さんの訃報。その狭間に起きた今日の出来事。ひとつの時代が、音もなく幕を引いたような気がした。




    精神崩壊




     高倉さんが、貴美と私が再会できるように会をセッティングしてくれた。

    「平田さんが会いたいって言ってる」

     そう伝えてくれたところ、貴美は、

    「え!ぜひお会いしたい!」

     と返してくれたという。高倉さんは、私が一般で結婚したことも事前に伝えてくれていた。

     私は、その再会で、昇華しきれなかった想いを軽く伝えられたら、それで終われると思っていた。終わらせられると思っていた。そうすれば夫にも、ちゃんと向き合える。少なくとも、もうこの胸の奥に刺さった針が、日常のたびに疼くことはなくなる。

     けれどその日、私は病院にいた。再会の約束をしていたその時間、私は陽輝と一緒にメンタルクリニックを受診していたのだ。

     *

     崩れはすでに前日から始まっていた。

     貴美との再会が近づくほど、私は「整理できる」と思っていた。会えば終わる。会えば、昇華できる。そう信じたかった。けれど私の身体は、すでに限界を超えていた。

     初めてひとりでメンタルクリニックを受診しようとした日、私は電車の乗り継ぎに失敗し、自分が今どこにいるのかもわからなくなり、駅のホームの冷たい床に座り込んだ。お金もうまく払えず、ただぼんやりとうずくまっていた。

     そのとき、真っ先に連絡したのは陽輝ではなく、珠希だった。

     ——どうして、今、珠希なのか。

     理由は説明できない。ただ、体がそう動いた。

     教会から離れた頃の、あの底なしの孤独。友達の支えはあったけれど、あの頃、病み切らなかったのは、珠希への恋心が私を生かしていたからだった。世界がいったん空っぽになってしまったとき、あの人の存在だけが、かろうじて私の呼吸のリズムを守っていた。

     *

     数日前の深夜、私は珠希にメッセージを送っていた。たぶん「話したいことがあります」「ありがとうって伝えたい」と、そんな文面だったと思う。胸の奥にこびりついた気持ちを、ようやく言葉にできた夜だった。

     翌朝六時台、すぐに返信が来た。珠希がそんな早い時間に返すなんて珍しい。

    「予定確認するね」

     その一文を見て、私はほっとして再び眠りについた。救われたような、抱きしめられたような気分だった。

     でも、あの時期の珠希は仕事がとても忙しかった。会う約束は結局流れた。

     *

     ホームに座り込んだ私にも、珠希はすぐに返してくれた。

    「大丈夫なの?」

     仕事中なのに、すぐに。優しさが染みた。結局、仕事で動けない珠希の代わりに、同じ教会の妹が迎えに来てくれて、一緒にクリニックへ向かった。

     人生で初めて受診したメンタルクリニックで、私は「PTSDの可能性がある」と言われた。

     病院からの帰り、妹に途中まで送ってもらい、夫に駅まで迎えに来てもらった。私は珠希に、「夫に迎えに来てもらったから大丈夫だよ」とだけ連絡した。既読がついた。返事はなかった。

     *

     貴美と再会する予定だった日、陽輝は「直接先生から話を聞きたい」と言ってくれた。だから再会はキャンセルになり、私は陽輝と一緒に病院へ向かった。

     その道中——私の中で、世界が音もなく裏返った。

     それは発作でも、錯覚でもなかった。

     星座の線がすべて引き直されてしまったみたいに、私はまったく違う世界を生きていた。見慣れたテレビの天気予報図が、急に”別の規則”で動き始めたように感じた。

     誰かが私の内側にスイッチを入れたみたいに、「閃き」の連続だった。その瞬間、私は現実の手触りを失った。

     けれど、恐怖よりも先に来たのは”確信”だった。

     ——いま、この世界は私を中心に動いている。

     そう思ってしまった時点で、もう元には戻れなかった。

     ある瞬間、突然こう閃いた。

     ——この場所にいたら殺される。

     ——ある女が、私の命を狙っている。

     それは考えではなく、電流みたいに、確信として私を支配した。

     私は走り出した。

     陽輝が慌てて追ってくる。私はその手を振り払い、不動産屋に飛び込んだ。会議室のような部屋に入り込み、隠れられる場所を探し回った。店員が驚いて追ってくる。

    「ここではダメだ」

     私はまた走り出し、今度は駄菓子屋へ飛び込んだ。

    「命を狙われてるんです。匿ってもらえませんか?」

     驚いた店主は、レジの奥に私を匿ってくれた。少しして陽輝が追いつき、私の様子を店主に説明した。

     結局、前日と同じ病院に行くことになった。けれど私の言動はすでに支離滅裂だった。待合室で私は突然、

    「高倉さんと不倫した」

     と口走った。本当はしていない。陽輝は青ざめて、私はその場で陽輝と口論になった。

     医師は「統合失調症の急性期だ、すぐに入院した方がいい」と言った。けれど、その日は空きがなく、入院先が見つからなかった。

     陽輝は混乱し、「もう離婚する」と言って先に帰ってしまった。

     私は高倉さんに連絡して、迎えに来てもらった。けれど精神的に不安定な私をひとりで支えることは難しく、高倉さんは妹と、共通のオフ会仲間にも連絡してくれた。仲間が陽輝に「不倫はしていない」と真実を伝えてくれたことで、再び陽輝に迎えに来てもらえた。

     あの日は、人生で最も混乱した一日だった。

     *

     そこから先の私は、もう「私」ではなかった。

     陽輝と新宿の地下街を歩く。すれ違う人たちは皆、私を見てひそひそと話している。

    「あの子がメシアなんだって」

     全員がスマートフォン越しにチャットでそう囁いているのが、なぜか私には”わかった”。

     雑居ビルのエレベーターで七階まで上がると、そこは天国の病院だと確信した。自動精算機にお金を入れると、入れた額よりも多く出てくるのが見えた——それは天国の経済の仕組みなのだと信じた。

     名前を呼ばれたとき、私は診察室の中に、友人や過去に好きだった人たちが勢ぞろいしているものだと思い込んでいた。けれど、そこにいたのは白髪混じりの日焼けした五十代くらいの医師が一人だけだった。

    「神側の勝利ですか?」

     そう尋ねると、医師は優しく笑って言った。

    「そうだよ」

     私は喜びのあまり手を一回叩き、椅子の上でくるりと回った。その後の陽輝と医師の会話は、もう耳に入らなかった。

     私はメシアで、六千年の摂理史を終わらせたのだ。文鮮明にできなかったことを、私が継いだのだ——そう思い込んでいた。

     家で飼っていた猫を見て、私はそれが”DNA版ノアの方舟”なのだと思い込んだ。天国の猫なのだ、と。可愛いという感情は本物だとしても、その意味づけだけが異常に膨らんでいった。

     薬を大量に処方された。陽輝の管理のもと、毎日飲まなければならなかった。

     副作用なのか、私は極端に動けなくなった。ご飯も食べられず、咀嚼の動作そのものが苦痛で、体は重く、水すら飲めず、ひどい脱水になった。

     それでも私はスマートフォンだけは手放さず、意味のわからない言葉をSNSに垂れ流し続けた。

     *

     そして、珠希が——混ざってきた。

     最初に現れた妄想は、「珠希が死んでしまう」だった。

     突然電流のように「珠希が危ない!」と閃き、私は慌てて連絡を送った。返事が来ないと、さらに焦り、珠希と仲の良い同級生ふたりにも同時に連絡をした。

    「珠希がヤバい!!どこにいるの!?」

     そのうちのひとり、藤原くんからすぐに着信が来た。

    『……山田?』

    「ううん、平田。珠希が危ないの、どこにいるかわかる?」

     私は泣きながら叫んでいた。藤原くんはすぐに珠希に連絡を取り、落ち着いた声で私に言った。

    『大丈夫、落ち着こう』

     その言葉がどれほど優しかったか、今になってようやくわかる。

     でも私の中では、“珠希が死ぬ”という妄想は確信になっていて、何日も続いた。安否を確認するメッセージを何十通も送り続けた。

     やがて私は、今度は大量のラブレターを送り始めた。

     珠希が大好きだという気持ち。今は陽輝と結婚していて苦しいこと。珠希の好きなところを延々と書き連ねた。苦しさも、愛も、しがみつきも、全部混ざった支離滅裂な文章。

     珠希は返信はしなかった。けれど既読だけはつけ続けてくれた。

     既読。

     あの小さな表示が、私の世界に残された最後の手すりみたいだった。

     私は次第に、自分の物語の”構造”まで作り変えていった。

     陽輝は、実は会社の社長らしい。メシアである私は今回世界を救い、神の女性格となった。だから神の男性格である村上くんと結婚しなければならない。陽輝はそのことを知った上で、私との結婚を引き受けてくれたのだ——と解釈した。

     村上くん、早く迎えに来ないかな。

     そんな願望を抱えたまま、私はトイレにこもって大量のメッセージを送り続けた。意味不明な言葉を。

     珠希は”サタンの申し子”だと思っていた。神の子である私は彼を救わなければならない、と。一番かわいそうな人は珠希なのだと、本気で思っていた。今思えば、ひどく失礼な話だ。

     私は村上くんと結ばれて神の子を産む使命がある一方で、珠希とも結ばれて”神とサタンの合いの子”を産まなければならない、と信じていた。

     神、サタン、摂理史、使命。

     私の妄想は、長いあいだ教義で塗り固められてきた世界観にそのまま影響を受け、歪んだ形で膨れあがっていった。

     *

     後になって思う。

     貴美が結婚していなかった——そのニュースが胸の奥に刺さったとき、私はもう、崩れ始めていたのだ。

     駒場グループの儀式の記憶が突然よみがえり、「神の元に永遠に帰れない」と言われた言葉が呪いみたいに蘇った。自分の人生が丸ごと間違いだったのではないかという想いが込み上げてきた。

     教会から離れた頃の、あの底なしの孤独を思い出していた。

     友達の支えもあったけれど、あの頃病み切らなかったのは、珠希への恋心が私を生かしていたからだった。

     だから壊れたとき、珠希が混ざった。混ざるというより、現れた。脳のどこかの非常口が開いて、そこから珠希という名前が洪水みたいに流れ込んできた。

     *

     統合失調症の急性期が落ち着いたあとも、深い抑うつ状態は長く続いた。いつからか、私のスマートフォンは村上くんにハッキングされていると思い込むようになった。地図アプリを開くと突然彼の位置情報が現れ、近所に来て私を迎えに来ている、と信じた。

     鍵もかけずにパジャマのまま家を飛び出す。知らない住宅街を彷徨い、矢印に従って歩く。

     あと少しで辿り着くというところで、陽輝から着信があった。「動かないで、迎えに行くから」と言われ、道路ぎわに座って待っていると、スマートフォンが震えた。北朝鮮のミサイルを、私が止めたらしい。そんなニュースが流れてきたと思った。

     その日を境に、陽輝は仕事を二週間ほど休むことになった。私をひとりにしておけなかったのだ。

     副作用でひどい便秘になり、食べられなくなって激しく痩せ、やがて過食になって体重が急増した。

     そしてこの出来事によって、私がどれほど教団と深く関わっていたかが、陽輝にすべて明らかになった。教団内で好きな人がいたこと。監禁されたことがあること。そして、高倉さんと連絡を頻繁に取っていたこと。

     高倉さんとの親密なやり取りに、陽輝は当然のように腹を立てた。陽輝の意向により、私は高倉さんとの連絡を断たざるを得なかった。

     あの日、もし貴美と会えていたら、私はこんなふうに壊れずに済んだのだろうかと、今でもふと思うことがある。

     答えは、出ない。

     *

     離婚が成立して、私が元気になった頃。飲み会で久しぶりに珠希と再会した。

    「もう大丈夫なの?」

     そう問われて、私はうなずいた。

    「あのときのメッセージ、ほんとにしんどかったよ」

    「ブロックしようとも思ったけど……」

     一拍置いて、彼は言った。

    「ブロックしたら本当に死んじゃいそうだったから、既読だけつけてた」

     その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が静かに震えた。

     優しいなぁ、と思った。

     あの地獄みたいな時期に、既読という細い糸だけでも繋いでくれていたことが、今ではただありがたかった。

     星には寿命があるという。光っているように見えても、もうとっくに燃え尽きて、光だけが旅をして届いているのだと。

     あの頃の私は、燃え尽きていたのかもしれない。

     でも、誰かの「既読」みたいな、かすかな光が、私の足元にだけ届いていた。

     その光は、手には届かない。抱きしめることもできない。

     それでも、確かにそこにあって——私は、なんとか生き延びた。



    天国の午後




     あの日の光は、どういうわけか異様にやさしかった。世界の輪郭がやわらかく溶けて、午後の色だけが強く残った。胸の奥ではまだ”別の規則”が静かに動き続けていたのに、それでも風景はやたらと美しく見えた。

     キャンピングカーの振動に合わせて、オフ会で再会した妹と並んで座っていた。その妹、そしてオフ会で知り合った岩井さんともっちさんが、バーベキューを企画して私と陽輝を外へ連れ出してくれたのだった。この頃の私は、少し動けるようになってはいたものの、妄想症状はひどく、メイクすらまともにできないほどの状態だった。みんなと出かけるからと無理やり化粧をしたけれど、アイシャドウのグラデーションもうまく作れず、今思えばひどい顔をしていたと思う。

     キャンピングカーに揺られながら、目の前を流れる景色が、まるで私に向かって祝福のサインを送っているように見えた。その感覚がどこから来るのかはわからなかったけれど、“これは天国へ向かう道だ”と、心のどこかで確信していた。

     その日は本当に気持ちの良い秋晴れの日だった。ハロウィンが近づいていて、バーベキュー場へ向かう途中、薪置き場にはかぼちゃの飾りがたくさん置かれていたのを覚えている。

     バーベキュー場に着いたとき、川の光があまりに眩しくて、私は一瞬、本当にここがあの世なのだと思った。水面が風で揺れるたびに、小さな星が無数に散りばめられたみたいにきらきら光った。

    「ほんとに天国に来ちゃったみたい」

     そんな言葉が自然に浮かんだ。私の世界では、美しいものは全部”神側のサイン”だった。

     妹と川辺を歩きながら、キノコ帝国の曲を口ずさんだ。彼女の声が風に混ざり、午後の光と一緒に空へ吸い込まれていくようだった。その瞬間だけはたしかに美しくて、私はたしかに生きていた。

     みんなが肉を焼いて、笑っていた。肌寒い気候に、焚き火の熱が心地よかった。煙の匂いも、肉の焼ける音も、子どものはしゃぐ声も、どれも現実のはずなのに、どこか自分のためだけに用意された”演出”のように感じられた。

     その裏で、もうひとつの物語が動いていた。村上くんが、この場所に来ている——そう信じていたのだ。

     ティファニーの指輪を持ってきて、私にプロポーズするはずだ、と。SNSに流れてきたティファニーの広告を、村上くんからのサインだと思い込んでいた。

     村上くんが私に跪き、その指輪が午後の日差しを受けた瞬間、世界は完成し、私は”神の女性格”として定着するのだと信じていた。

     私は靴を脱いで、裸足になった。砂利道の小石が冷たくて痛くて、それでもその痛みさえ、“村上くんと出会って完成した神になるための試練”のように感じられた。

     駐車場を歩きながら、何度も村上くんの車を探した。呼ばれていると思った。近くまで来ていると思った。

     でも現実では、私はただ、迷子のようにふらふら歩く危険な状態だった。

    「戻ろう。ほんと危ないから」

     陽輝が追いかけてきた。必死で、誰よりも現実の世界にいる顔で。

     私は捕まえられるみたいに抱き上げられ、そのままおんぶされた。彼の背中は生温かくて、その温度だけが、私と現実をつなぐ細い糸みたいだった。

     日が暮れはじめ、少し薄暗くなった午後。村上くんは来ないよ、と陽輝に言われた。

     帰りのキャンピングカーに揺られながら、流れていく夜景と夜空を眺めた。村上くんには、いつ会えるのだろう。天国にも、現実にも、どちらにも完全には戻れない——私はその狭間で、綱渡りみたいに揺れながら、ただ光のきれいさだけを握っていた。



    気付き



     崩れきった世界の中にも、かすかな”現実”の影が差し込む瞬間があった。ほんの一秒、雲が切れたみたいに、私の中に別の光が落ちてくる。それは治りかけの痛みのようでもあり、ずっと忘れていた体の正しい位置を思い出す感じでもあった。

     村上くんは、いつになっても私に会いには来なかった。それは私の”摂理”の中ではありえないはずのことだった。おかしい——そう思った。おかしいのに、それを疑うという発想すら当時の私は持っていなかった。

     最初のきっかけは、映画だった。『ビューティフル・マインド』。

     なぜだかわからない。ただ、強烈に「もう一度見なければならない」と思った。実家で見たときの記憶がふいに浮かび、胸の奥をざわつかせた。

     画面の中の彼は、自分の頭の中で作り上げた世界と、現実を同時に生きていた。その姿を見ているうちに、胸がすっと冷えていった。内側の熱が、一瞬だけ引いたのだ。

     ——もしかして私も、なのかな。

     その考えが浮かんだ瞬間、世界がかすかに揺れた。揺れたのは現実ではなく、私のほうだった。長いあいだ固定されていた”確信”の根元が、ほんの一ミリだけ緩む感覚。心の奥に、細くて白いひびが入った。

     でも、すぐには全部が壊れなかった。妄想は、ひとつずつ、ひとつずつ、時間をかけて剥がれていった。急に消えることはなく、まるで雪解けみたいにゆっくり溶けていった。

     *

     陽輝と夕方の散歩をしていたときのことだ。アパートの廊下を抜けると、風がひやりと頬を撫でた。まだ暖かさの残る時期だったけれど、夕方だけは季節がひと足早く進んでいるようだった。

     空は、オレンジとも紫とも表現し難い、不思議な色をしていた。まるで水彩絵の具を紙の上で溶かしたときの、にじむ色の境界。私の中で混ざり合った”妄想と現実”の境界にもよく似ていた。

     白い街灯がひとつ、またひとつ灯りはじめ、光と影が足元に落ちる。少し前をゆっくり歩く陽輝の背を見つめていた。しばらく歩いたあと、ふいに言葉が漏れた。

    「ねえ、陽輝って社長じゃないの?」

     自分でも驚くほど自然に口をついて出た。そのときの私は、まだ”世界の物語”を信じていた。だから陽輝がどう答えるかで、この世界全体が変わるようにさえ思っていた。

     陽輝は一瞬だけ立ち止まって、私の顔を見た。目は細く、どこか微かに哀しさと優しさが入り混じった表情だった。ため息をつくでもなく、眉をひそめるでもなく、本当にただ、私を見つめていた。

    「ちがうよ」

     その声は、責めるでも否定するでもなく、ただ静かに事実を置くような響きだった。

     その一言が胸の奥にじんわり落ちていく。破壊ではなく、音のない微かな衝撃だった。

    「そっか」

     私は立ち止まることなく歩き続けた。陽輝もまた、私が崩れないように、少し前で歩き続けていた。

     ——あれも、間違いだったのかな。

     ——じゃあ、あれも?

     頭の中で、大きな崖がゆっくり軋む音がした。でもそれは”崩壊”ではなかった。正しい位置に戻ろうとする揺らぎだった。

     風が吹いて、街路樹の葉がさらさらと音を立てた。その音が、私には初めて”ただの木の音”として聞こえた。そのことに気づいたとき、胸がひゅっとなった。

     世界が、ほんの少しだけ戻ってきた。

     陽輝は歩きながら、声をかけた。

    「歩けてるね。今日、調子よさそう」

     その言葉を聞いた瞬間、一瞬我に返った。理由はわからなかった。でも、私がまだ”こちら側”にいることを肯定された気がした。

     *

     それからの日々は、現実と妄想の境目を確かめる作業の連続だった。ひとつ気づくごとに胸が冷え、同時にどこかが温まる。傷つくのに、救われる。そんな奇妙な回復の感触だった。

     何人かの仲の良い友達に、初めて「統一教会の二世だったんだ」「監禁されたことがある」と話したのもこの頃だった。怖かった。嫌われるかもしれないと思った。

     だけど、話してみたら、拒絶されるどころか、ただ静かに受け止めてくれた。当時はまだ安倍元首相の銃撃事件も起きていない頃で、「統一教会」と言っても、私たちの世代には聞いたこともないという人が多かった。

     その優しい反応に、世界の色がひとつ変わった気がした。現実は冷たくて硬いと思っていたけれど、ほんとうはその中にも、こんなふうにあたたかい場所があるのだと知った。

     妄想はすぐには消えなかった。でもその日を境に、私は少しずつ”こちら側”に戻り始めた。まだ足元は震えていたけれど、確かに地面を踏んで歩ける気がした。

     世界のほうから私を救いにきてくれるのではなく、私が世界へ戻っていく——その始まりだった。



    手放すもの



     陽輝と世田谷の松沢病院へ行った日のことを、私は今もはっきり覚えている。紹介状を用意したり、予約がなかなか取れなかったりして、受診できた頃には私は半分くらい正気に戻っていた。

     受付の蛍光灯がやけに白くて、病院特有の消毒液の匂いが鼻についた。

     レントゲン室の冷えた空気。MRIの機械が発する大きな金属音。閉じた空間の中で、自分の頭のざわめきだけが響いていた。

     検査が終わり、医師がプリントを広げた。

    「脳に異常はありません」

     一拍置いて、

    「……多分、統合失調症ですね」

     その言葉は、思っていたよりも優しく身体に落ちた。否定でも肯定でもなく、ただ事実を置かれたような感覚だった。

     レントゲンの画面に映った自分のお腹には、びっくりするほど大量の便が詰まっていた。医師の説明を聞いて、私はぼんやり画面を見つめるしかなかった。自分の身体なのに、どこか別の生き物の内部を見ているみたいだった。

     *

     回復の途中、家の中にもうひとつ”向き合わなければならないもの”があった。仕舞い込んでいた教会の本だ。

     ある日、陽輝が静かに言った。

    「ねぇ、本……いい加減に捨てな」

     その声は怒りでも呆れでもなく、ただ私をこれ以上苦しませたくないという、祈るような優しさが混ざっていた。

    「エリカも言ってたよ。捨てたほうがいいって」

     その言葉に、胸の奥がぎゅっと縮んだ。捨てる——それがこんなにも恐ろしいことだなんて。その瞬間まで思いもしなかった。

     昔はあれを”尊いもの”だと思っていた。メシヤの言葉だと信じていた。触れただけで身が引き締まり、逆らうのは悪いことだと本気で思っていた。

     引っ越しのたびに、開けずに収納の奥深くに仕舞い込んできた段ボールを引っ張り出す。本を手に取っただけで手のひらが汗ばみ、背表紙の文字を見ただけで心臓が小さく跳ねた。

    「……これ、捨てるね」

     そう言ったとき、声が自分のものとは思えないほど震えていた。

     陽輝が透明なゴミ袋を広げ、本を入れていく。本を手渡すときの紙の重さは、ずっと背負ってきた信仰の重さにそっくりだった。一冊入れるごとに、胸の奥がざわついた。痛いような、でもどこか少しずつ軽くなるような感覚だった。

    「これも捨てよう」

     陽輝が手にしていたのは、村上くんの色紙だった。私が作ったものだ。

     七日間修練会への参加が決まったとき、学舎のメンバー全員からメッセージを集め、丁寧に気持ちを込めて作った寄せ書きだった。

     あれを作ったときの私は、神の摂理の中で、村上くんには特別な使命があるのだと信じていた。私にもあるのだと信じていた。

     でも今、その色紙を見つめていると、胸の奥で何かがすっと静かにほどけていくのを感じた。

     村上くんは来なかった。プロポーズも、再会の奇跡も起きなかった。神の男性格でもなかった。そして——私も、神ではなかった。

    「……うん。捨てる」

     自分が言った言葉なのに、まるで他人の声みたいに聞こえた。

     色紙を袋のいちばん上にそっと置く。

     袋を結び、陽輝が持ち上げた瞬間、その重さが、私の人生からひとつ離れた気がした。

     私は深く息を吸った。泣かなかった。泣く代わりに、胸の奥にぽつんと空いた場所を感じていた。

     それは失われた空洞ではなく、これから埋めていくための新しい場所だった。



    別れ




     痛みと違和感で目が覚めた。

     乾ききった膣に、指が入れられていた。

     息を止めて、目をつむった。動かないふりをした。夢だと思いたかった。

     けれど、それは現実だった。陽輝は、私の身体の声を聞こうとしなかった。私が目を覚ましたことにも気づいていないふりをしていたのかもしれない。

     あの頃の私たちは、もうどうしようもなく壊れていた。会話は必要最低限。目を合わせることも、日に日に減っていった。

     だけど彼は、セックスさえすれば、何かが修復されると信じていたようだった。夜這いは次第にひどくなっていった。それは、愛ではなかった。慰めを求めるような、孤独な行為だった。

     でも私は、肉体的なつながりなんて、もう求めてはいなかった。ただ、話を聞いてほしかった。孤独を共有するという、小さな奇跡を望んでいただけだった。

    「話を聞いてほしい」

     ある日、私は勇気を出して、そう伝えた。彼は少し黙ってから、苛立ったように言った。

    「で、俺に何をしてほしいわけ?」

     それでも私は、食い下がらなかった。

    「ただ聞いてくれるだけでいい。大変だったねって、そう言ってほしいだけ」

     その言葉に、彼は目をそらしてから、短く言った。

    「……それは無理だよ」

     それが、私の心にとどめを刺した。彼が、私の声を一度も受け止めてくれなかったことが。

     新居のマンションは、ふたりで何度もリノベーション会社に足を運び、間取りを決め、細かい内装までこだわった場所だった。希望を全部詰め込んだ”未来”の象徴のような空間だった。

     でもその未来は、思ったより早く色あせていった。私は夜這いを避けるために、自分の意志でリビングのソファーに逃げた。彼はそれを咎めることもせず、寝室でひとり眠るようになった。

     ある夜、私がソファーで寝ていると、彼がそっと近づいてきた。そして、黙って私の腕に手を置いた。

     言葉はなかったけれど、彼の顔がそう語っていた。寝室に来て、一緒に寝よう、と。寂しさと、どこか諦めたような表情。

     でも私は、首を横に振った。彼は何も言わず、寝室へと戻っていった。

     その背中を見ながら、私は涙も出なかった。ただ「もう限界だ」と、静かに理解した。

     その数日後、私は別居を決めた。

     猫が飼えるマンションを探したら、案外すぐに見つかった。荷物を段ボールに詰める手は、不思議なほど軽かった。

     陽輝が仕事に出ている間に、引っ越し業者を呼び、私は静かに家を出た。“私たちのこだわり”でできた家は、もう私にとって何の意味もなかった。




    誓いのその先で




     陽輝と別居したあと、正式に離婚届を提出したその日、私はその足で高倉さんのもとへ向かった。


     空は曇っていた。晴れでも雨でもない、どこか宙ぶらりんな色をした空だった。


     下町の定食屋に入った。向かい合って席に着き、しばらくたわいない話をした。開放感と緊張と安堵が、胸の中でぐるぐると混ざり合っていた。


     定食が運ばれてきた。湯気の立つ味噌汁と、白いご飯。


     私は箸を持つ前に、口を開いた。


    「離婚したので、付き合ってもらえますか」


     高倉さんは笑いながら言った。


    「はい」


     それだけだった。それだけで、十分だった。


     こうして、私は高倉さんと再婚した。

     すぐに子どもができた。

     いまは——ようやく、と言っていいほど、穏やかな日々を生きている。

     陽輝に対して、「たとえ地獄に落ちてもこの人を愛し抜こう」と心の中で誓ったあの想いは、まぎれもなく本物だった。でも、私はその「本物だった想い」にすら、縛られたくない。

     人は、何度でも、自分の選択をやり直していい。私はそう信じている。

     選びなおす自由は、誰の手の中にもある。



    信仰と洗脳の狭間で



     私が生まれた時から、信仰は空気のようにそこにあった。生まれて七日目に、両親は私を神に捧げる奉献式という儀式を行った。白い式服に身を包んだ両親と、その腕に抱かれたまだ生まれて間もない私の写真は、今も実家に残っている。

     物心つく前から、家庭での信仰教育、毎日の祈祷や訓読、礼拝などが当たり前にそこにあって、それが私の世界を形成していた。

     小学校低学年になって、ようやく自分の家と友人たちの家がどうやら違うらしいということに気がついた。

     どんな親だったとしても、親のことを無条件に愛していた。悲しませたくはなかった。

     高校生になると同時に教会活動に打ち込むようになり、徐々に信仰の世界を深めていった。

     振り返ると、あの頃の私は、教会の教えを「自分の意志」で信じていたと思っていた。でも今なら、マインドコントロール的側面もあったのだと、少しずつ言葉にできるようになってきた。

     教会では、「洗脳」や「マインドコントロール」という言葉を嫌っていた。メディアでそう報じられるたび、「世間は何もわかっていない」と反論していた。

     私はずっと、洗脳というのは暴力的に誰かの意志を奪うものだと思っていた。しかし私が体験したのはもっと静かで、じわじわと、気がつかないうちに思考の選択肢を狭めていくようなものだった。

     小さな疑問があっても、祈れば消えていく。反発心が芽生えても、「それは堕落性の声だ」と言われ、次第に自分の感じていることすら自己否定するようになる。間違っているのはいつも「私」のほうだった。「信じられないなんて、サタンの誘惑だよ」と言われるたび、苦しみの原因は自分の未熟さにあるのだと思い込んでいった。そうやって、世界はだんだん二色に塗り分けられていった。

     本当の「信仰」って何だったのだろう。自分で考えて、自分で選んで、自分の言葉で祈ることじゃなかったのか。あの頃の私は、自分の言葉を持っていなかった。祈りの言葉すら、誰かに与えられたものだった。

     信じていたものを否定するのは、とても怖い。だから私は、ただ静かに、そこから離れるしかなかった。信じていたものを失うことは、自分を失うことでもあったから。離れて、はじめて、自分の中に「考える」という力が残っていたことに気づいた。

     *

     「自分の意思で信じていた」と言ってしまえば、すべてが自己責任になってしまう。「信じさせられた」と言ってしまうと、あの頃の祈りや涙まで嘘になるようで怖かった。

     初めて『塩狩峠』を読んだ高校一年の冬、列車の下に自らを投げ出して人々を救った青年の物語に、私は心を撃たれた。ああ、こういう人になりたい。人のために命を差し出せるような、強くて清らかな人間に。教会の中で繰り返し聞いた「怨讐を愛せ」「為に生きろ」という言葉も、私にはまっすぐに響いていた。私の中には本当に、それを選びたいと思う気持ちがあった。

     でも、同時に、「堕落した二世は地獄に落ちる」と教えられてもいた。サタンの声に耳を貸すな、誘惑は試練だ、疑問は堕落性だ。そんな言葉が私の周囲を囲っていた。だから私は、自分の行動に常に神とサタンの目があるように感じていた。

     母は信仰に厳格だった。感情的に怒ることも多かった。けれど、母の怒りの裏には、「娘には信仰に守られてほしい」「幸せになってほしい」という切実な願いがあることも感じ取っていた。だから私は、なるべく母を悲しませたくなかった。

     祈ると、自分の心の奥深くに潜っていって、良心を通じて神が語りかけてくるような感じがした。祈る時間が好きだった。ひとりで静かに目を閉じ、神様に語りかけると、心の中が不思議と澄んでいった。私の悩みを全部知ってくれている存在がいるのだと感じていた。

     「たった一人の人のために、自分を清く保つ」——祝福結婚という教義にも、私は惹かれていた。誰とでも付き合って、別れて、を繰り返すのではなく、神様が用意したたった一人とだけ愛し合う。なんて潔く、美しい生き方だろうと思った。良い人間になろうと努力したし、自分の幼さを悔い改めて泣いた夜もあった。あの気持ちは本物だったと思う。あれが私の信仰だったと言いたい。でも、その純粋さの裏に、誰かの期待や恐怖に背中を押されていた自分も見える。

     信じたのは私だった。でも、選んだのは私ひとりじゃなかった。

     今でも私はその境界を行ったり来たりしている。何が「自分の意志」で、何が「植えつけられた価値観」だったのか。問い直すこと自体が、かつての私にとっては罪だった。その罪を、今はあえて引き受けてみようと思っている。

     *

     二〇一八年十二月、信仰を手放してしばらくしてから、私は匿名のアカウントでTwitterを始めた。同じように迷ったり苦しんだりしている人がいる気がしていたし、名前を隠さないと、正直な気持ちは書けなかった。

     タイムラインには、私が知っていたのとは、まるで違う教会の姿があった。

     親の高額献金のせいで進学を諦めた人がいた。父親から殴られ続けて育ったという子もいた。中には、信頼していた年上の信者にレイプされたと打ち明けている人もいた。霊感商法、家庭崩壊——画面の向こうに、私の知らなかった闇が広がっていた。

     どうして知らなかったんだろう。いや、どこかで気づかないふりをしていたんじゃないか。そんな思いが喉の奥に張りついて、苦しくなった。信じていたものの根っこに、誰かの苦しみが絡みついていたなんて。知ることは大いなる苦痛を伴った。

     私が信じていた場所は、本当に「良い場所」だったのか。それとも、たまたま見えなかっただけだったのか。それを今、簡単に答えることはできない。けれど、あの声たちを無視して、何もなかったように生きることだけは、もうできない。

     私が知っていたのは、綺麗な部分だけだった。助け合い、祈り合い、家族のように支え合う人々。困っている人に声をかけ、笑顔で迎え入れる姿。それが、私の知っていた「教会」だった。

     だけど、それは一枚の絵の表側だった。離れてしばらくしてから、ようやく裏面に目が向いた。霊感商法、自己破産前提の高額献金、壊れた家庭、取り返しのつかない傷。ニュースで知ったわけでも、誰かに告発されたわけでもなかった。ただ、静かに、過去の記録や証言に触れるうちに、自分の中で形成されていた教会のイメージが音を立てて崩れはじめた。

     「知らなかった」ということが、こんなにも選択を歪めるのだと思い知った。あのときの私は、本当に自由だったのだろうか。見せられたものの範囲でしか選べなかった私は、誰の人生を生きていたのだろう。

     それでも、あの頃の私を責めきれない。誰だって、自分の見たいものしか見えないときがある。ただ、今の私は、それに気づいている。

     *

     問い直すことは、過去を否定することではない。むしろ、過去を受け止めるための、最も丁寧で正しいやり方なのかもしれない。

     教えのすべてが悪だったとは言いたくない。ただ、その教えのもとで、声を奪われ、選択肢を奪われ、今もなお傷ついている人がいるということは、絶対に忘れてはならない。

     ただ一つ、言えることがある。私はもう、自分の疑問を押し込めたりはしない。何かを信じるとき、信じないとき、その選択が本当に自分の手にあるのかを問い直す。その問いを手放さないことが、私にとっての自由なのだと思う。

     私は何を信じて、どう生きていきたいのだろう。

     その問いに、今はまだ、はっきりと答えられない。けれど、選びなおすことを恐れないでいたい。問い直す力を、私自身の中に持ち続けたい。

     *

    娘の出産の話はこちらから読めます。







     
     

    jutty

     
     
    宗教、家族、恋愛。 そのなかで揺れた記憶や感情を、私小説として綴っています。 離教した宗教二世。 現在は『宙の臨界』を執筆・改稿中。 日々の暮らしと、制作と、言葉のあいだを行き来しています。 東京藝術大学大学院修了 一児の母

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