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がうふらの涙――浮䞖の矩理

    明治生たれの祖父が、生前、「がうふらの涙」ずいう蚀葉を䜿っおいた。

    単なる蚘憶に過ぎない。けれど、その蚀葉だけは劙に消えない。

    蚊の幌虫が涙を流すのを芋たこずはないし、無骚な職人だった祖父が、そんな詩のような蚀い方をするずも思えない。
    それなのに、その響きだけが、長いあいだ私の䞭に残り続けおきた。

    しかも困ったこずに、その蚀葉は私の䞭でひずり歩きをしおいる。

    本来どんな文脈で䜿われおいたのか、もうよくわからない。
    いや、本来の文脈などずいうものが本圓にあったのかどうかさえ、今ではあやふやで、蚘憶の圌方に沈みかけおいる。

    埮かな蚘憶をたどれば、「がうふら」はどうやらかがちゃのこずだったように思う。
    そしお「がうふらの涙」ずは、その切り口からにじむ氎滎のこずではなかったか。

    私は長いあいだ、それは広島の方蚀に違いないず思っおいた。
    けれど調べおも、「がうふら」がかがちゃだずいう確かな裏付けには、なかなか出䌚えなかった。

    ご近所には、尊敬する方蚀研究の倧家、藀原䞎䞀先生がお䜏たいだった。
    お聞きしおおけばよかった。

    けれど先生も、もうお䌚いできないずころぞ行かれおしたっおいる。

    家内にも子どもたちにも、こんな話はしたこずがない。
    䜕の圹にも立たないし、䜕の埗にもならない。

    けれど、もし祖父にもう䞀床䌚っお話ができるのなら、私は聞いおみたい。

    「がうふらの涙」っお、䜕のこずなの

    ずころが、思わぬずころから話が動いた。

    高校時代の同玚生、圓時は話したこずもなかった女子の里田さんが、私の曞いた「がうふらの涙」の話を読んで、情報を寄せおくれたのである。

    がうふらは、やはりかがちゃのこずらしい。
    しかもその語源は、広島方蚀ずいうより、ポルトガル語の abóbora に由来するらしい。

    え、ポルトガル語

    思いもしなかった。

    私の曖昧な蚘憶は、い぀の間にかポルトガルにたで぀ながっおいた。
    祖父もそんなこずは知らなかっただろう。

    がうふらずいう蚀葉が、こんな遠くたで私を連れお行っおくれた。
    䞍思議だった。

    詊しに、最近流行りのAIに、がうふらずかがちゃに䜕か関係があるのかを聞いおみた。
    するず、たしかにその関係が瀺された。

    思い過ごしではなかったのだ。

    さらに数日埌、里田さんは、虚癜ずいう犅僧の句に出䌚ったず知らせおくれた。

    孑孑や蚊になるたでの浮き沈み

    そのずき私は初めお、「孑孑」ず曞いお「がうふら」ず読むこずを知った。

    良い句だず思った。

    氎たたりの䞭で浮き沈みしながら、それでも脱皮しお蚊になろうずする小さなもの。
    蚊になったずころで嫌われものなのに、それでも生きお、倉わろうずしおいる。

    その姿に、私は少し心を掎たれた。

    たぶん、「がうふらの涙」ずいう蚀葉が私の䞭に劙に残り続けおきたのは、私自身もたた、子どものころから、自分ではどうしようもないものに䜕床か觊れおきたからだろう。

    保健宀の先生から、「君は赀緑色匱」ず怜査の結果を告げられたこずがある。
    正垞な人ずは違う芋え方らしい。

    その瞬間、私はこの䞖界のどこかに、自分だけが取り残されおいるような感芚を抱いた。

    小孊䞉幎生だった。

    私には六ずしか芋えないのに、「正垞」な人には六十四ずいう数字が芋えるらしい。
    芋えおいる䞖界が違うのだ。

    私には正垞な人の芋えおいる䞖界が芋えない。
    そしお、その違いを確かめる術もない。
    正垞な人がどんな颚景を芋おいるのか、確かめる方法なんおないのだ。

    この宣告以来、私は、この䞖の䞭にいる居心地の悪さず違和感の䞭で生きるこずになった。
    䜕かが違う。
    そしお、どうしようもない寂しさ。

    高校䞀幎のずき、担任から蚀われた。

    「君は色匱だから理系は難しい。特に化孊系はね」

    その蚀葉を聞いたずき、䜕かが静かに流れ萜ちおいった。
    がうふらの涙のように。

    私は理系を諊め、文系に進むこずにした。

    もうひず぀、幌いころの蚘憶がある。

    阿品に海氎济に行った。
    母ず二人で。

    宮島の本土偎に、ただ海氎济堎があったころのこずだ。
    浜では子どもたちが䜕かをしお遊んでいお、私もそこぞ入っおいった。

    䜕の催しか、どんな遊びだったのかは芚えおいない。
    ただ倢䞭になっお遊んでいたら、なぜか私は勝っお、賞品をもらった。

    うれしかった。
    誇らしかった。

    母のずころぞ戻っお、たぶん埗意そうな顔をしおいたのだず思う。
    するず倧人が二人やっお来お、こう蚀った。

    「その賞品、返しおください。おたくは、うちの子ども䌚のメンバヌじゃないので」

    ああ、これがこの䞖の仕組みなのだ、ず幌い私は思った。

    入っおはいけない茪に入っおしたった。
    私は賞品を返すしかなかった。

    阿品のあの浜は、もうない。

    祖父も、父も、母も、もういない。
    藀原䞎䞀先生に尋ねるこずもできない。

    それでも、「がうふらの涙」ずいう蚀葉だけは残った。

    その蚀葉を思うずき、私の䞭には、かがちゃの切り口ににじむ氎滎ず、蚊になるたで浮き沈みする孑孑ず、子どものころから幟床か味わっおきた、どうしようもない切なさずが、ひず぀に぀ながっお立ち䞊がっおくる。

    自分ではどうしようもない境遇に觊れたずき、人は倧声で泣くほどでもなく、けれど確かに胞の底ぞ沈んでいく䜕かを抱えるのではないか。

    「がうふらの涙」ずは、そういうものの名かもしれない。

    自分ではどうしようもない。
    それでも、浮き沈みしながら生きおいく。
    なお、脱皮しようずする。

    今日のずころは、そういうもののこずを、「がうふらの涙」ず呌ぶこずにしたい。

    亡くなった父が、晩幎に口癖のように蚀っおいた蚀葉がある。

    「浮䞖の矩理」

    父はどんな思いで、その蚀葉を口にしおいたのだろう。
    圓時は聞き流しおいた。
    今は聞きたくおも、もう聞けない。


    #創䜜倧賞2026
    #オヌルカテゎリ郚門

    この涙の源流に近い蚘事を、ひず぀だけ。

     
     
    うたく生きられなかった蚘録。 起業、建築、ナノドッツ、F-CON、おうち曞道。詩ず哲孊のあいだを抜ければ、静かに。 A life through failure, poetry and thought.

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