
《真珠の耳飾りの少女》は初来日ではガラガラだった? フェルメール展トリビア
大阪中之島美術館で8月21日に始まった「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展」に行ってきました。
超人気作品である《真珠の耳飾りの少女》が14年ぶりに来日ということで、チケットの入手難易度は激ムズ。アクセス集中でシステムが不安定になり、主催者がお詫びまでする異常事態となりました。
チケットを入手できても会場は激混み。
入場で待たされて、少女を見るために待たされて、グッズショップでも待たされる。そして、人気グッズは早々に売り切れ。良くも悪くも大阪を騒がせています。
幸い、私は夜間特別鑑賞券を確保できました。
この券には日本側監修者である宮下規久朗先生の講演会が付いており、価格は6000円(通常の入館券は3000円)。最初は高く感じましたが、講演が結構面白かったので、結果的には良い買い物だったかなと思います。
このnoteでは、宮下先生の講演会のなかでも特に印象深かった内容をまとめています。そこまで専門的な話ではなくトリビア的な内容ですが、知っておくと少女の見え方が変わってくるかもしれません。
フェルメール展に行った人、これから行く人、そして残念ながらチケットを入手できず現地でのリベンジを狙っている人は参考にしてください。
フェルメールの奥さんはお金持ち
フェルメールは21歳で結婚しますが、お相手であるカタリーナ・ボルネスの実家はかなり裕福でした。いわゆる「逆玉(ぎゃくたま)」というやつで、画家生活でも奥さんの実家からかなりの経済的支援を受けていたようです。
フェルメールの作品には青色顔料が多用され、「フェルメールブルー」と呼ばれています。当時は超高級品だった青色顔料を惜しげもなく使えたのは、奥さんの実家からの経済的支援も一因であると考えられています。
また、夫婦仲も良かったようで、22年間の結婚生活でなんと15人もの子供が生まれました。
フェルメールの作品にある優雅な作風は、夫婦円満でしかも裕福という理想的な家庭環境が影響しているのかもしれません。
ただし、フェルメールの晩年にはオランダ経済が悪化し、夫妻の家計は苦しくなります。そして、フェルメールが43歳で亡くなると奥さんは自己破産することになりました。なんとも儚いエピソードです。
フェルメールの絵はトレース?
フェルメールの特徴は、高い写実性と「光の魔術師」と呼ばれるほどの光の表現力。実はその裏には、カメラ・オブスクラという装置があったのではないかと言われているそうです。
カメラ・オブスクラとは、レンズを通した風景を箱の内側に映し出す、カメラの先祖のような装置。当時はまだフィルムに記録する技術がなかったので、覗き込んで楽しむのが主な用途だったそうです。
フェルメールは、この装置に映った像をトレースすることで、あの精密な描写を行っていたのではないかという説があります。

Wikipediaより引用。パブリックドメイン
フェルメールの作品は比較的小型のものが多いのですが、カメラ・オブスクラを使った再現実験を行うと、ちょうどあれぐらいのサイズになるとか。
また、フェルメールが住んでいたデルフトの町はレンズの産地。世界で初めて実用的な顕微鏡を作ったレーウェンフックも同じ町で生まれ、フェルメールと交流があったとする説もあります。カメラ・オブスクラは当時の最先端装置でしたが、フェルメールが接する機会があってもおかしくありません。
もっとも、本当にフェルメールがこの装置を使ったという明確な証拠はなく、あくまで状況証拠のみ。信じるか信じないかはあなた次第です。
(注:仮にトレースが事実だとしても、当時としては最新の技法へのチャレンジであり、フェルメールの名声を落とすものではありません)
真珠はフェイクだった?
少女の象徴になっている真珠ですが、養殖技術がない当時はダイヤよりも貴重でした。あのサイズとなると、現代の感覚で数十億円。王族でなければとても手が出ない品だそうです。
一方、当時のオランダでは、ガラス玉に細工をして真珠らしく見せた模造品が流行していました。少女を所蔵するマウリッツハイス美術館では、少女が着けているのはそうした模造品だと考えられているそうです。
これに対して、宮下先生は「真珠自体は付けていたが、もっと小さいサイズであり、フェルメールが大げさに描いた」という説を取るそうです。
いずれにしても、「巨大な真珠を付けたモデルをフェルメールが描いたわけではない」というのが定説のようです。
もっとも、そもそも少女に明確なモデルがいたのかがまず分かっていません。そうである以上、あまり細かい点を追求するのは野暮でしょう。
少女はいつから有名になったのか
少女の来日は今回で4回目です。最初は1984年、上野の国立西洋美術館で開かれた「マウリッツハイス王立美術館展」でのことでした。
当時の作品名は《青いターバンの少女》。そして宮下先生によれば、この作品の前はガラガラだったそうです。
風向きが変わったのは1999年。この作品をテーマにした小説『真珠の耳飾りの少女』(トレイシー・シュヴァリエ作)がベストセラー化。2003年にはスカーレット・ヨハンソン主演で映画化され、こちらも大ヒットしました。
その結果、元ネタである絵画も超有名になり、日本での作品名も『真珠の耳飾りの少女』で統一されました。
似た話で、世界一有名な絵画とされるダ・ヴィンチの《モナ・リザ》も1911年の盗難事件をきっかけに大きく知名度を上げました。
作品とは関係のない部分で大人気となる。芸術作品の真の価値とはなんなのかを考させられます。
フェルメールよりレンブラント?
講演でわりと時間が割かれたのが、同じくオランダ画家のレンブラントの話でした。
「オランダ絵画における重要度ではレンブラントが圧倒的」というのが宮下先生の立場です。
そのせいか、本展でもレンブラントの《笑う男》が展示されていました。

そしてレンブラントのなかでも《夜警》は別格。
もはや芸術作品という枠を超えて、武器を取って独立を守ってきたオランダの精神的象徴という位置づけとか。
アムステルダム国立美術館に飾られ、貸出はない
オランダを訪れた国賓は《夜警》を鑑賞するのが恒例
アムステルダム国立美術館の目標は「すべての子どもが12歳になるまでに《夜警》の前に立ったことがあるようにする」こと
このような特別扱いをされているそうです。
ちなみに、《夜警》は縦3.6メートル、横4.4メートルとかなり大きな作品。調べた人によると、フェルメールの現存する37作品の面積を全部足すとちょうど《夜警》と同じぐらいになるそうです。だからどうした。
それにしても、フェルメール展の会場で監修者がレンブラントの偉大さを力説。美術史の評価としてはそのとおりなのでしょうが、少女に会いに来た側としてはなんとも複雑な気分ではあります。

少女の視線の先にあるもの
少女の魅力といえば、ミステリアスな視線。
フェルメールの意図は分かりませんが、この作品を所蔵するマウリッツハイス美術館では、視線の先にフェルメールの《デルフトの眺望》が掛かっているそうです。
《デルフトの眺望》は、フェルメールが暮らした町を描いた風景画。宮下先生はこちらをフェルメールの最高傑作と見ているとのこと。大阪・関西万博でプロデューサーを務めた生物学者であり、フェルメールマニアとしても有名な福岡伸一先生も同じ見方とか。
この作品はこれまで一度も来日していません。宮下先生としては今回こそ《デルフトの眺望》が貸し出されることを期待していたそうですが、許可が下りたのは残念ながら(?)少女のほうでした。
何度も少女を見ているとそういう感想になるのかもしれませんが、少女に会いに来た側としては(以下略)。

Wikipediaより引用。パブリックドメイン
世界を旅するフェルメールマニア
フェルメールの現存作品は37点。
オランダだけでなく、ニューヨーク、ワシントンDC、ロンドン、ベルリン、パリなど世界各地で展示されています。日本にも、東京の国立西洋美術館に1点あります(フェルメールの作品ではないとする説も)。
フェルメールマニアの中には、こうした各地で展示されている作品を全て鑑賞することを目指して世界を旅する方もおり、「フェルメール巡礼」と呼ばれるそうです。
フェルメールの作品は数が少なく、大半が大都市に展示されているという点でも都合がいいそうです。好きな画家の作品を求めて世界中の街を旅する。なんともロマンのある生き方ですね。15万点の作品があるピカソにもチャンレジして欲しいところ。
ただ、宮下先生によると、「フェルメールばかり見るのもどうなのか」とのこと。さっきからずいぶんと辛辣ですね…。
実際に見てどうだったか
30分強の講演はあっという間に終了し、その後は鑑賞タイム。夜間特別鑑賞ということで、人は比較的少なめでした。
それでも、少女を真正面からしっかり見られるのは一瞬だけ。あとは少し離れたところからの鑑賞になりました。

「超有名作品を肉眼で見た!」という満足感はあります。ただ、芸術鑑賞としては正直物足りない体験でした。
落ち着いて少女と向き合うため、そして講演で聞いた《デルフトの眺望》や《夜警》を見るためには、オランダに行くしかないのかなと感じます。
なお、こう考えることを見越してか、受付ではtabiwaがオランダ旅行のパンフレットを配布。あまりにも効果的なプロモーションに思わず感心してしまいました。
正直、いろいろ思うところはありました。それでも、面白い話を聞くことができ、少女はもちろん他の作品も素晴らしく、行けて良かったと思います。
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