
最終話 「日没のセクター51 ―滅びゆく魂の挽歌―」
一八六八年、産声を上げた「大日本民国」。その初代代表に就任した藤原周敬は、三十四歳という若さで国家の解体と再構築という、あまりに過酷な責務を背負わされていた。西郷、木戸、勝海舟らと共に進める「近代化」の実態は、列強の要求を呑み続ける屈辱的な作業の連続であった。
廃藩置県によって三〇〇の藩は消滅し、地方の自治は死んだ。城下町は色あせ、誇り高き武士たちは路頭に迷う。経済の柱として設立された富岡製糸場などの官営工場には最新の西洋機械が並んだが、そこで働く日本の婦女子たちは、薄暗い工場で使い潰される安価な「部品」に過ぎなかった。
「……これは、サモン先生が語った『三角形』そのものではないか」
藤原は、アメリカ資本へと吸い上げられていく富と、奴隷のように酷使される同胞の姿に、連日押しつぶされそうな圧迫感を感じていた。鉄道も郵便も、すべてはアメリカがこの列島を効率よく収奪するためのインフラ(基盤)に過ぎなかったのである。
一八七三年、徴兵令が下る。武士の特権であった軍事は国民の義務へと書き換えられ、アメリカ製の武器セットを買い続けるための「国民軍」が誕生した。
翌一八七四年。制定された「大日本民国憲法」において、天皇は実権を持たない単なる象徴へと押し込められた。学校では武士道教育が厳禁され、代わって「従順な労働者」を育てるための洋風教育が強制された。
この憲法制定を見届けた直後、藤原周敬は倒れた。不眠不休の政務と、理想と現実の乖離に苛まれ続けた心臓が、四十歳という若さで限界を迎えたのである。
彼の死後、憲法下で初の総理大臣に就任したのは、より現実主義的な伊藤博文であった。
街には牛鍋の匂いが立ち込め、人々は太陽暦に従って時計を動かし始めた。お米に代わってパン食が推奨され、小麦の生産が奨励される。しかし、華やかな「文明開化」の裏側で、日本の知性は急速に痩せ細っていった。
庶民の学びを支えた寺子屋は、教師役であった武士の消滅と共に閉鎖され、教育を受けられない子供たちが街に溢れた。
アメリカに非協力的な藩主や北朝側の武士たちは次々と公職追放に遭い、ロシア領となった北の地へ逃げ込んだ。だが、彼らを待っていたのは、シベリアや蝦夷地の荒野を切り拓く下級市民という屈辱的な地位であった。
飢える国民、売られる娘たち。支配者アメリカへの憎しみはマグマのように煮えたぎり、各地で小規模な暴動が「モグラたたき」のように繰り返される暗黒の時代が続いた。
一九二三年九月。未曾有の大地震が首都・江戸を襲った。
火の海と化した街でパニックに陥った支配層のアメリカ人は、己の恐怖を日本人のせいにした。
「日本人が井戸に毒を入れた」
「暴動を画策している」
根も葉もないデマが蔓延し、米軍は怪しげな日本人を次々と強制収容所へ連行した。
ついに、生き残っていたサムライの血が沸騰した。
アメリカ人が「自由の権利」として所持を許していた銃が、今度は彼ら自身に向けられた。隠し持っていたリボルバーを抜き放った元士族の末裔たちが叫ぶ。
「異人を討て! 国を取り戻せ!」
各地でアメリカ人虐殺事件が発生。これに対し、米軍は即座に戒厳令を敷き、反逆者とその家族を、裁判という手続きすら踏まずに次々と処刑する血の粛清を開始した。
折しも、慶安天皇の次代、病弱であった「正和」天皇が崩御された。後継の途絶えた皇統の終焉は、日本という概念そのものの「死」を告げる弔鐘であった。
その年、歴史の幕は残酷に下ろされた。
アメリカは「大日本民国」を正式に併合。かつての黄金の国は、合衆国第五十一番目の州――「セクター51」へとその名を変えた。
学校から日本語の教科書が消え、子供たちは英語で星条旗に忠誠を誓う。
沈む夕日に照らされた富士山を背景に、もはや「日本」という名の国は地図のどこにも存在しない。ただ、海風の中にわずかな潮騒と、かつてこの地を駆けた志士たちの記憶の欠片が、英語の喧騒にかき消されながら、空虚に漂っているだけだった。
(完)