
クルーズで地球一周した母と、自走する息子
応募作品あらすじ
夫を亡くし、親の介護を終え、家を手放して世界一周クルーズに出た私。
一方、幼い頃は線が細く、犬を追いかけて山道を走っていた一人息子は、やがてトレイルランナーとして自分の足で人生を切り開いていく。
これは、母が息子の自走を見届けながら、自分自身の選択をようやく許していく物語である。
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2026年、青梅高水30キロトレランで、一人息子が1位になったと聞いた瞬間、私の脳裏に、五日市で犬を追いかけていたあの子の姿が一気によみがえった。
色白で、食も細く、線も細い。
小学校では貧血で倒れたことまである。
生協で自然野菜を取り、添加物に気をつけ、私はそれなりに「身体にいい子育て」をしているつもりだったから、自然派母さんとしては正直、メンツ丸つぶれの息子だった。
けれど今思えば、あの子はあの子なりに、自分の身体と時間をちゃんと育てていたのだと思う。
小学校選びを前に、私たちは五日市の戸倉地区へ引っ越した。
息子はまだ幼稚園の年長だった。
ある日、スーパーの張り紙を見た息子が言った。
「犬くれるんだって。僕、飼いたい」
やって来たのは、ビーグルと野良犬の血が混ざったような雑種犬。
名前はハッピー。
家の前には城山がそびえていて、聞こえはいいが、犬の散歩にはなかなかハードな土地だった。
ハッピーは容赦なく引っ張る。
綱を手放せば、そのまま山へ向かって駆け上がっていく。
息子はそのたびに、必死で追いかけていた。
さらに、中学生になる前だったか。
今度は「ミニチュアダックス譲ります」という話が舞い込んだ。
それを“タダでもらえる”と勘違いした息子は、どうしても欲しくなり、お小遣いで分割払いにしてもらって、毎月せっせと支払いに通っていた。
こうして我が家の中には、いたずら盛りで吠えまくるダックスのクリ。
外には脱走名人のハッピー。
犬が二匹になれば、当然ながら脱走騒ぎも二倍である。
今なら、子どもを一人で留守番させて出かけるなんて、と言われる時代だろう。
けれど、あの頃の我が家は、今の価値観だけでは測れない、いびつで必死な暮らしの中にあった。
夫は建設職人で、朝早くから夜遅くまで不在。
雨の日はパチンコ。
その代わり、季節に一度、友人家族とキャンプに行くのが、我が家なりの家族の楽しみだった。
私は私で、親のこと、地域の役割、生協の活動で家を空けることも多かった。
息子は留守番の多い子だったと思う。
それでも、放っておかれていたのではない。
犬に逃げられて追いかけ、近所の方に声をかけてもらい、パンやおやつをもらいながら、その子なりに地域の中で生きていた。
私が親や地域に引っぱられているあいだに、息子は息子で、自分の時間を積み上げていたのだろう。
犬たちに振り回されながら、坂を上り、山の気配を覚え、自分の足で土地を知っていった。
のちにトレランへ向かっていくあの子の足は、もしかしたらあの頃、すでに育ち始めていたのかもしれない。
その一方で、あの頃の私は、丈夫な母ではいられなかった。
家を買う頃、実は私の身体はすでに悲鳴を上げていた。
引っ越す前には、人知れずよく倒れていた。
親の介護のストレスもあったのだろう。
けれど、それ以前に身体そのものが、もう限界に近かったのだと思う。
私はお腹の開腹手術を三度受けている。
癒着がひどく、お腹が張って苦しい日があった。
呼吸もつらく、横になれず、座って眠る夜もあった。
こんな身体で両親の面倒を見きれるのだろうか。
いや、その前に、自分のほうが先に倒れてしまうのではないか。
そんな不安が、ずっと胸の奥にあった。
だから親たちの中間地点を選んだのは、親のためだけではなかった。
もし私の身に何かあった時、そこが一人息子のライフラインになる。
あの家は、家族の都合をまとめるための家であると同時に、私が倒れても息子が育ち上がるための備えでもあったのだ。
大雑把に生きてきたように見えて、私は案外、人生の節目では考えていたのだと思う。
子どもを育てる場所。
親の介護に動ける距離。
自分が倒れた時の逃げ道。
夢を見る前に、まず生き延びること。
あの頃の私は、そんなふうに暮らしの土台を組み立てていた。
介護が終わった時、私はもう疲れ切っていた。
親より一日でも長生きしなければ。
そんな思いに、長いこと自分を縛られていたのだと思う。
今振り返ると、あれは長い戦争のような年月だった。
その戦争が終わる頃、小さかった一人息子は、いつのまにか大人になっていた。
一人息子の父親は、五十一歳で亡くなった。
檜原村には、家と畑と山が残った。
私は息子に、小さい頃から折に触れて言っていた。
義務教育はしっかり頑張ってほしい。
できれば林業や森林のことを学び、知識と人とのつながりを持って、助け合って生きていってほしい、と。
その思いは、どこかで届いていたのかもしれない。
息子はやがて山と関わる学びや仕事の道を歩き、自分の暮らしの土台を築いていった。
色白で、線が細く、貧血で倒れていたあの子が。
犬を追いかけ、坂を上り、山の中で足を育てていたあの子が。
しかも今は、ひとりではない。
結婚し、支えてくれるお嫁ちゃんがいて、二人の子どもたちにも恵まれた。
私は、お嫁ちゃんにとても感謝している。
息子が自分の人生を生き、その先に新しい家族が育っていること。
それを見られる今の私は、ほんとうに幸せだ。
私は家を処分する時、胸が痛んだ。
故郷はどうなるのか。
帰る家をなくしてしまっていいのか。
そんな思いが、ずっとどこかにあった。
けれど一方で、資産価値が下がっていくことも目に見えていた。
あの家を抱えたまま、生活に追われ、夢のない顔で老いていく自分を、私は見たくなかったのだと思う。
だから売った。
最後の夢を叶えるために。
子どもの頃から憧れていた外国へ。
胸の奥に原石のように眠っていた、クルーズでの世界一周へ。
夫に扶養されてきた時間が長かった私が、夫の死後、改めて社会人として働き、自分で稼ぎ、自分で暮らしを組み立てる感覚を知った。
資格を取り、働き方を変え、家を売り、団地で独り暮らしを始めた。
それは落ちぶれるためではなく、自分の人生を自分で引き受け直すためだった。
帰国してからも、どこかに小さな後ろめたさはあった。
本当にあれでよかったのだろうか、と。
「もう世界一周してきたのだから」
そう笑って言えたらいいのに、なかなか言えなかった。
でも、息子が1位を取った日からだ。
私はつい、調子に乗って言った。
「あなた、招待選手としてサイパン行けるんだよね? まり婆、サイパン行ったことない〜。連れてって」
すると息子は、間髪入れずにこう返した。
「世界一周してきた人が何言ってるの? 丁重にお断りします」
そう言いながら、笑顔でスマホの画面を見せてきた。
そこには、ちゃんと1位の記録が出ていた。
その瞬間、私の中で何かがすとんと落ちた。
ああ、この子はもう、自分の足でここまで来たんだ。
私が倒れないことに必死だった頃、犬を追いかけ、山を駆け、近所の人に見守られながら育っていたあの子は、もう親の不安の外側まで走っていってしまったのだ。
私は、私の人生を生きてよかったのだと思えた。
家を売ったことも。
世界一周に出たことも。
帰る場所を手放した痛みも。
全部を抱えたままで、それでもよかったのだと。
世界一周をして帰ってきた今、前よりも強く思うことがある。
日本はやっぱり、いい国だということだ。
四季があり、都会と自然がほどよい距離で共存し、治安がいい。
遠くへ行ったからこそ、足元の良さが見えるようになった。
だから私は願っている。
これからも、その脚力を楽しんで、ますます活かしてほしい。
ただ速く走るだけではなく、与えられた身体と、土地との縁を生かしてほしい。
今回のレースでは、もしかしたら、お父さんが空から伴走して、息子の力をひと押ししてくれたのかもしれない。
そんなことを、母は少し本気で思っている。
そしてもうひとつ、心の中で願っていることがある。
先祖代々、檜原村にある自然や資産を、自分なりの形で守り育てていってほしいということだ。
以前、私は息子に冗談まじりで言ったことがある。
「檜原村でトレラン大会でもやれば〜?」
半分は思いつき、半分は本気だった。
だって地方創生、檜原バージョンである。
受け継いだ山があり、そこを走れる脚がある。
その二つが結びついたら、ただ速く走るだけではない、地域に風を通すようなことができるかもしれない。
母は勝手に、そんな夢を見ていた。
もちろん、大きな大会は専門の人たちにお任せすればいい。
その代わり私が夢見るのは、もっと小さくて、もっと暮らしに近い檜原版だ。
家族で歩いたり、少し走ったりできて、犬も一緒に楽しめるようなコース。
名づけるなら、ハッピー&クリコース。
外では脱走名人ハッピー、家では吠えまくるクリ。
あの二匹に振り回されながら育った息子の足を思えば、案外それが原点回帰なのかもしれない。
それは競技のためだけではない。
子育て中の世代にとっては、自然の中で身体を動かす楽しさや、健康づくりの入口になる。
人や犬の気配がほどよく入ることで、山や道の様子、隣地の管理、獣の気配にも自然と目が向く。
そして何より、地元の高齢者とも挨拶が交わせるような関係が少しずつ育てばいい。
速さを競う前に、まず顔が見えること。
そんな小さな交流の積み重ねも、檜原らしい地方創生なのかもしれない。
最近まで私は、AIと地方創生についてあれこれ書いてきた。
遠くの地域のことを考えながら、結局最後は、自分のいちばん身近な檜原の山や道や記憶に戻ってきた気がする。
地方創生とは、大きな事業や立派な言葉だけではないのだろう。
その土地で育った身体、その土地に残る記憶、その土地をもう一度面白がる視点を、結び直していくことでもあるのだと思う。
クルーズで地球一周した母と、自走する息子。
ずいぶん違うようでいて、案外、同じものを見ているのかもしれない。
遠くへ行ったからこそ、足元が見える。
自分の脚で走れるからこそ、帰る土地の意味もわかる。
私は今、最高である。
だからようやく、少し笑って言えるのだ。
もう世界一周してきたのだから、と。
✨️追記✨️
親がすべてを抱えなくても、子はどこかで自分の足を育てている。
そして親もまた、子育てのあとに、自分の人生を走り直していい。
by風天のまり婆
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2025年この記事の裏側事情を書いております😊お読み下さると嬉しいです。
https://note.com/joyous_viola448/n/nf3bef40a0c65