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Photo bypiccolotakamura

ーー帰りたい場所は、風に散った桜のように

午前三時の静寂の中で目覚めると、私はいつも迷子になる。
カーテンの隙間から差し込む月の光が、見慣れない天井を青白く照らしている。ここはどこだろう。私は誰だろう。そんな問いが、まるで霧のように心を包んでいく。
ニュージーランドに来て、もう6ヶ月。
でも、まだ時々、自分がここにいることが夢のように思えてしまう。


日曜日の肉じゃがの匂い
ーーー失くした日曜日を探している

帰りたい場所を思い浮かべるとき、最初に蘇るのは母の作る肉じゃがの匂いだった。
毎週日曜日、決まってキッチンから漂ってくるあの香り。醤油と砂糖とみりんが混ざり合って、家全体を包み込むような温かさ。
「今日は肉じゃがよ」という母の声が、リビングまで聞こえてくる。テレビでは日曜日の夕方の番組が流れていて、父はソファでうとうとしている。私は宿題をしながら、なんとなくその音を聞いている。
平凡で、当たり前で、特別じゃない日曜日。
でも、今思えば、それが私の「帰りたい場所」だったのかもしれない。
あの時間は、まるで琥珀の中に閉じ込められた虫のように、今も私の心の奥で静かに光っている。
でも、今の私がどんなに恋しくても、もうあの匂いは私を迎えてくれない。
距離という名の海が、私たちの間に横たわっているから。



桜並木の記憶
ーーー散らばった日常のかけらたち

春になると、学校までの道のりは桜のトンネルになった。
ランドセルを背負って歩いた小学校時代。自転車で駆け抜けた中学校時代。そして去年の春まで、制服を着て歩いていた高校への道。
毎年、同じ桜が同じ場所で咲いて、同じように散っていく。私はその下を通りながら、少しずつ大きくなっていった。
桜が散るたびに、私は一つずつ何かを失って、一つずつ何かを得ていたのかもしれない。
でも、今年の桜は、私のいない日本で咲いて、私のいない日本で散った。
来年の桜を見る頃、私はどんな私になっているのだろう。そもそも、あの桜並木は、変わってしまった私を覚えていてくれるのだろうか。


友達からのLINEが運ぶもの
ーーーガラス越しの友達と、雪降る異国の私

高校の友達からのLINEを読むたびに、胸がきゅっと苦しくなる。
「部活疲れた〜」「先生うざい」「今度のテストやばい」
そんな日常の愚痴が、今の私にはとても眩しく見える。キラキラと光る宝石のように、手の届かない美しさを持っている。
彼女たちの時間は、私がいない間もずっと流れ続けている。新しい話題、新しい悩み、新しい恋の話。新しい放課後、新しい秘密、新しい涙。
私の知らない彼女たちがそこにいる。
そして、彼女たちの知らない私がここにいる。
スマートフォンの画面に映る友達の顔を見ていると、まるでガラス越しに別世界を覗いているような気持ちになる。
「元気にしてる?」という問いかけに、私はいつも「元気だよ」と答える。でも、本当は元気じゃない日もある。寂しい日も、泣きたい日もある。
だけど、それを言葉にしてしまうと、私たちの間にある見えない糸が、ぷつりと切れてしまいそうで怖い。
時間は残酷だ。大切なものを少しずつ、気づかないうちに奪っていく。



父の背中の小ささ
ーーー溶けていく境界線の向こうで

去年の夏休み、父と一緒に花火大会に行ったことを思い出す。
人混みの中で、父の後ろを歩いている私。その時、ふと気づいたのは、父の背中が思っていたより小さいということだった。
子供の頃は、空まで届きそうに大きく見えた背中。でも、いつの間にか私の方が背が高くなって、父の肩は私の視線より下にあった。
それでも、父は私の前を歩いて、人混みから私を守ろうとしてくれていた。
「大丈夫か?」と振り返る父の顔には、新しいしわが刻まれていた。私がニュージーランドにいる間にも、父は少しずつ年を重ねている。
私が帰る頃、父の背中はどれくらい小さくなっているのだろう。


この国の空の青さ
ーーー九時間の距離が運んでくる郷愁

不思議なことに、ここニュージーランドの空も、私にとって大切な場所になりつつある。
特に、放課後の図書館から見える夕焼け空。オレンジ色の光が雲を染めて、まるで絵の具を溶かしたみたいに美しい。
その空を見上げていると、日本にいた頃の私と、今の私が、静かに溶け合っていくような気がする。
ここで出会った友達の笑顔。ホストファミリーの優しさ。一人で歩いた街角の記憶。
これらも、いつか私の「帰りたい場所」になるのだろう。
でも、それはまた、手の届かない場所になってしまうということでもある。

時の川に流されて

私たちはみんな、時間という大きな川に流されている。
戻ろうとしても、流れは止まってくれない。同じ場所に留まろうとしても、川は私たちを押し流していく。
帰りたい場所は、実は時間の向こう側にあるのかもしれない。
あの頃の私。あの頃の家族。あの頃の友達。あの頃の世界。
それらは、もう二度と戻ってこない。


雪の降る夜に
ーーー琥珀に閉じ込められた日曜日

今夜、窓の外で雪が降り始めた。
日本とは逆の季節。六月なのに、白い雪がひらひらと舞い踊っている。
この雪は、日本の雪とは違う。でも、雪の冷たさは同じ。雪の静けさも同じ。
私は窓辺に立って、その雪を見つめている。
母の手のぬくもり。桜の花びら。友達の笑い声。父の背中。
それらは時間に流されることなく、私の中で静かに光り続けている。
新しい場所、新しい私
いつか日本に帰るとき、私は新しい私になっている。
ここで流した涙も、ここで見つけた笑顔も、すべて私の一部になって。

新しい場所、新しい私
ーーー異国の地で見つけたもの
いつか日本に帰るとき、私は新しい私になっている。
ここで流した涙も、ここで見つけた笑顔も、すべて私の一部になって。
でも、最近気づいたことがある。
変わってしまった私を、きっと家族は温かく迎えてくれる。友達も、新しい私を受け入れてくれる。なぜなら、愛というものは、変化を恐れるものじゃないから。
母はきっと、また肉じゃがを作ってくれる。その匂いは、前とは少し違って感じられるかもしれない。でも、それでいい。私も少し違う私になって、その匂いを嗅ぐのだから。
友達とのLINEも、きっと新しい深さを持つようになる。お互いが知らない時間を過ごしたからこそ、話せることがたくさんある。


心の中の地図
ーーー私の成長記録
本当に大切なのは、場所じゃないのかもしれない。
どこにいても、私が私でいられること。どこにいても、愛することができること。どこにいても、希望を持ち続けられること。
そして気づいたのは、私の心の中には、とても大きな地図があるということ。
その地図には、日本の桜並木も、ニュージーランドの青い空も、同じように美しく描かれている。母の手のぬくもりも、ここで出会った友達の笑顔も、同じように大切な場所として記されている。
私は、もう迷子じゃない。


風に散った桜のように
ーーー雪の降る六月に想う、桜の国

雪はやんで、窓の外に星が見えている。
私は温かいココアを飲みながら、その星を見つめている。
帰りたい場所は、風に散った桜のように、もうそこにはない。でも、その美しさは、私の心の中で永遠に咲き続けている。
そして、新しい桜も、きっとどこかで芽吹いている。
明日もまた、この異国の空の下で、私は私になっていく。
新しい場所で、新しい私として。
でも今度は、怖くない。なぜなら、私にはたくさんの「帰る場所」があることを知ったから。
それは場所の名前じゃない。愛している人たちの心の中にある、私という存在。そして、私の心の中にある、愛している人たちの記憶。
桜は散るから美しい。でも、散った後には新しい緑が芽吹く。
思い出は失われるから尊い。でも、失った後には新しい出会いが待っている。
私も、変わっていくから私なのだから。

希望という名の翼
ーーー私が見つけたもの

最後に、一つだけ確信していることがある。
いつか日本に帰ったとき、私は両手いっぱいの贈り物を持って帰る。
ここで学んだこと、ここで感じたこと、ここで愛したもの。それらすべてを、大切な人たちと分かち合いたい。
そして、ここニュージーランドで出会った人たちにも、いつか日本の美しさを伝えたい。
私は橋になりたい。二つの国を、二つの文化を、二つの心を繋ぐ橋に。
帰りたい場所を探すのをやめて、新しい場所を作ることにした。
みんなが帰ってこられる場所を。みんなが愛される場所を。
それが、私なりの答え。私なりの希望。
明日も、明後日も、希望という名の翼で飛んでいこう。


留学という、機会を私に提供して下さった、私の留学に関わって下さった一人一人に感謝します。


「私の帰りたい場所」

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