
元銀行員日記⑥
銀行員には転勤がつきものだ。
僕にも、ついにその日が来た。
昼過ぎ、人事部からFAXが流れてくる。
銀行全体の人事異動。
流れるたびに、自分の名前があるかどうか、めちゃくちゃ気になる。
まず支店長が見て、
総務がコピーして、
係長に渡されて、
自分が見るのは最後だ。
でも、自分の名前があれば、
その前に呼ばれる。
打診なんてない。
そのFAXで、初めてわかる。
唐突なのである。
支店長に呼ばれた。
大阪南支店。
「いい店だけど、大変だぞ。
でもお前ならやれる。応援してるからな」
そんなことを言われた気がするけど、
正直、あまり覚えていない。
すれ違う行員みんなに言われる。
「おめでとう」
決まり文句みたいなものだ。
降格じゃない限り、みんなそう言う。
でも僕は、この店が好きだった。
だから、
「おめでとう」と言われるたびに、
少しずつ、寂しくなっていった。
最終日、みんなの前で挨拶した。
挨拶したことは覚えている。
何を話したかは覚えていない。
声が震えていたことと、
みんなが笑顔で聞いてくれていたことだけ、覚えている。
泣いたのかどうかも、よくわからない。
出発の日。
得意先係の何人かが、
駅のホームまで見送りに来てくれた。
仕事中なのに。
さすがに、泣いた。
これは恥ずかしかったから、ちゃんと覚えている。
大阪行きの電車が動き出して、
ずっと手を振ってくれていたみんなの顔は、
今でもはっきり覚えている。
―――
銀行の屋上にある看板が、遠くに見えていた。
「あっちに行けば戻れる」
そう思っていたのに、気づけばその看板すら見えなくなっていた。
ナビなんて無い時代だし、大阪は一方通行が多い。
曲がって、曲がって、また曲がっているうちに、完全に方向がわからなくなった。
でも、焦りはなかった。
方向音痴は生まれつきだし、こういうのは慣れている。
「あ、これはもう無理だな」
そう思った瞬間、迷わず支店に電話した。
経験上、ここから自力で戻るのは無理だとわかっていたからだ。
迎えに来てくれたのは、
この支店では先輩になる、一年後輩だった。
「一方通行多いですからね、慣れるまでは仕方ないですよ」
笑うでもなく、呆れるでもなく、そう言ってくれた。
初任店でも、初日にトイレで伝説を作っている。
この支店でも、また初日に伝説を作った。
狙っていないのに、なぜかそうなる。
だからこれは、僕にとっては失敗談じゃない。
ただの、いつもの話だ。
いつもの話のおかげで、
僕は、誰よりも早く新しい場所で名前を覚えられる。