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【161】 かちかち山

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    (*写真は食肉目イヌ科タヌキ属タヌキ種ホンドタヌキ亜種)

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    童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎うさぎとは、舌切したきり雀すずめのかすかな羽音を聞きながら、しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。とほくに懶ものうい響ひびきを立ててゐるのは、鬼ヶ島へ通かよふ夢の海の、永久とわにくづれる事のない波であらう。

    老人の妻の屍骸しがいを埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、細こまかく空にのばしてゐる。その木の上の空には、あけ方の半透明な光が漂ただよつて、吐息といきほどの風さへない。

    やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、海辺につないである二艘にさうの舟を指さした。舟の一つは白く、一つは墨をなすつたやうに黒い。

    老人は、涙にぬれた顔をあげて、頷うなづいた。

    童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、花のない桜の木の下に、互たがいに互たがいをなぐさめながら、力なく別れをつげた。老人は、蹲うづくまつたまま泣いてゐる。兎は何度も後をふりむきながら、舟の方へ歩いてゆく。その空には、舌切雀のかすかな羽音がして、あけ方の半透明な光も、何時いつしか少しづつひろがつて来た。

    黒い舟の上には、さつきから、一頭の狸たぬきが、ぢつと波の音を聞いてゐる。これは龍宮の燈火ともしびの油をぬすむつもりであらうか。或あるひは又、水の中に住む赤魚あかめの恋を妬ねたんででもゐるのであらうか。

    兎は、狸の傍かたわらに近づいた。さうして、彼等は徐おもむろに遠い昔の話をし始めた。彼等が、火の燃える山と砂の流れる河との間にゐて、おごそかに獣けものの命いのちをまもつてゐた「むかしむかし」の話である。

    童話時代のうす明りの中に、一頭の兎と一頭の狸とは、それぞれ白い舟と黒い舟とに乗つて、静に夢の海へ漕こいで出た。永久にくづれる事のない波は、善悪の舟をめぐつて、懶ものうい子守唄をうたつてゐる。

    花のない桜の木の下にゐた老人は、この時漸やうやく頭をあげて、海の上へ眼をやつた。くもりながら、白く光つてゐる海の上には、二頭の獣が、最後の争あらそひをつづけてゐる。除おもむろに沈んで行く黒い舟には、狸が乗つてゐるのではなからうか。さうして、その近くに浮いてゐる、白い舟には、兎が乗つてゐるのではなからうか。

    老人は、涙にぬれた眼をかがやかせて、海の上の兎を扶たすけるやうに、高く両の手をさしあげた。

    見よ。それと共に、花のない桜の木には、貝殻かひがらのやうな花がさいた。あけ方の半透明な光にあふれた空にも、青ざめた金きんいろの日輪が、さし昇つた。

    童話時代の明け方に、――獣性の獣性を亡ほろぼす争あらそひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌ざうがんのやうな桜の花は。

    『かちかち山』(芥川龍之介)

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    Amazon Kindle でトリに関する本や写真集を出版しています。 昭和後期のサブカルチャーの研究をライフワークにしています。

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