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「怒ってはいけない母親。」……ほんとにそう?|お母さんが苦手だったわたしの話

    私は、子どもの頃、

    お母さんが苦手でした。

    「お母さんが大好き」

    とは、どうしても思えなかった。

    私がいつも追いかけていたのは、

    母ではなく、

    祖母でした。


    おばあちゃんの後ろを、いつも追いかけていた

    母は、詩吟の先生をしていました。

    昼間は農業もしていて、

    詩吟では、日本一の称号を何度ももらうくらい、

    たくさん表彰されていました。

    だから、

    母には母なりの誇りや、

    「こうありたい」という強い思いがあったんだと思います。

    でも、

    家の片付けは本当に苦手でした。

    綺麗好きだった祖母とは、

    いつも犬猿の仲。

    子どもの私は、

    どうして二人がそんなに仲が悪いのか、

    全部を理解していたわけではありません。

    ただ、

    私は祖母が大好きでした。

    いつも祖母の後ろを追いかけて歩いていました。

    今になって思えば、

    祖母のところは、

    私にとって安心できる場所だったんだと思います。

    母は仕事で忙しく、

    ずっと一緒にいることができなかった。

    でも祖母は、

    いつもそこにいる。

    私がそこに行けば、

    受け入れてもらえる。

    だから私は、

    自然と祖母のところへ行っていたんでしょうね。

    今思えば、

    祖母の部屋は私にとっての

    セイフティスペース

    だったのかもしれません。


    「幸代!」と呼ばれるのが嫌だった

    でも、

    私が祖母の部屋にいると、

    母が大きな声で私の名前を呼びました。

    「幸代!」

    その声が、

    私は嫌で嫌でしょうがなかった。

    当時の私は、

    ただ、

    「お母さんに怒られる」

    と思っていたんだと思います。

    だから、

    母の声が聞こえると、

    嫌だった。

    祖母のところにいたかった。

    そこから出たくなかった。

    でも、

    大人になった今になって考えてみると、

    あの頃の私は、

    もっと別のことを感じていたのかもしれません。


    安心できる場所を奪われるような感覚

    祖母の部屋にいると、

    安心できる。

    そこに母の大きな声が響く。

    そして、

    祖母のところから離れなければいけなくなる。

    もしかしたら私は、

    自分が安心できる場所を奪われるように感じていたのかもしれない。

    だから、

    あんなに嫌だったのかな。

    今の私は、

    そんなふうにも思います。


    母は、私が祖母に懐くのが嫌だった

    そして大人になってから、

    父から聞いたことがあります。

    母は、父によく、

    「幸代がおばあちゃんのところばっかり行く」

    というような話をしていたそうです。

    母にとって祖母は、

    自分がいじめられていると感じていた相手。

    そんな祖母に、

    自分の最愛の娘が懐いている。

    それが、

    母には嫌だったんだと思います。

    これは、

    私の想像だけではなく、

    母自身が父に話していたことです。

    だから今になって、

    少しだけ母の気持ちを想像できます。

    自分の大切な娘が、

    自分より祖母を好きになる。

    自分が苦手だった母親のところへ、

    娘が喜んで行く。

    それは、

    母にとって寂しいことだったのかもしれない。

    悔しいことだったのかもしれない。

    「私は母親なのに」

    と思っていたのかもしれない。

    もしかしたら、

    その奥には、

    自分に対する自信のなさや、

    娘を奪われてしまうような不安もあったのかもしれません。

    本当のところは、

    母にしか分かりません。

    でも、

    母には母なりの気持ちがあった。

    今の私は、

    そう思います。


    でも、私の「嫌だった」も本当だった

    ここが、

    私にとって大切なところです。

    母の気持ちが少し分かるようになったからといって、

    あの頃の私が感じていた、

    「嫌だった」

    という気持ちまで、

    なかったことにしなくていい。

    母には、

    母の事情があった。

    私には、

    私の事情があった。

    母は、

    娘を取られるように感じていたのかもしれない。

    私は、

    安心できる場所を取られるように感じていたのかもしれない。

    どちらも、

    その人にとっては本当だった。

    どちらか一方を、

    「正しい」

    「間違っている」

    と決めなくてもいいのかもしれません。


    そして、今の私が思うこと

    このことを思い出していると、

    今の子育てにも、

    つながってくることがあります。

    子どもに怒ってしまったとき。

    「また怒ってしまった」

    「もっと優しくしなきゃ」

    「私は母親失格だ」

    そんなふうに、

    怒った自分だけを責めてしまう。

    でも、

    その怒りの前には、

    何があったんだろう?


    私は、何をそんなに我慢していたんだろう?

    もしかしたら、

    ずっと我慢していたのかもしれない。

    子どものために、

    家族のために、

    ちゃんとしなきゃと思っていたのかもしれない。

    本当は、

    疲れていたのかもしれない。

    誰かに助けてほしかったのかもしれない。

    一人になりたかったのかもしれない。

    自分の気持ちを、

    誰かに分かってほしかったのかもしれない。

    でも、

    それを言えないまま、

    我慢して、

    我慢して、

    最後に爆発する。

    そして、

    爆発した自分を見て、

    「私は母親失格」

    と責めてしまう。

    でも、

    本当に見るべきなのは、

    怒った瞬間だけなんだろうか。


    怒りの奥に、何があったんだろう?

    怒りそのものを、

    「悪い感情」と決めなくてもいいのかもしれません。

    もちろん、

    怒鳴っていい、

    誰かを傷つけていい、

    ということではありません。

    でも、

    怒りを感じたことまで、

    悪いことにしなくてもいい。

    その怒りの奥には、

    「もう無理だよ」

    「苦しいよ」

    「本当はこうしてほしかった」

    「私は寂しかった」

    「誰かに分かってほしかった」

    そんな気持ちがあるのかもしれない。

    だから、

    怒りをなくそうとする前に、

    少しだけ立ち止まってみる。

    「私は今、本当は何を感じているんだろう?」

    と。


    「私は母親失格」を、少し横に置いてみる

    子どもに怒ってしまったとき、

    すぐに、

    「私はダメだ」

    と決めなくてもいい。

    まずは、

    「私は、あのとき何を感じていたんだろう?」

    でいい。

    「何がそんなに嫌だったんだろう?」

    「何を我慢していたんだろう?」

    「本当は、どうしてほしかったんだろう?」

    そうやって、

    自分の気持ちを一つずつ見ていく。

    すると、

    怒った自分の中にも、

    ずっと頑張っていた自分がいることに、

    気づくかもしれません。


    私がなりたいのは、「怒らない母親」じゃない

    私は、

    「絶対に怒らない母親」

    になりたいわけじゃないのかもしれません。

    イライラすることもある。

    余裕がなくなることもある。

    怒ってしまうこともある。

    人間だから、

    きっとある。

    でも、

    そんな自分を、

    「母親失格」

    と切り捨てるのではなく、

    「私は今、どう感じているんだろう?」

    と、

    自分に戻れる母親でいたい。

    そして、

    子どもに怒ってしまったなら、

    その後で、

    「さっきは怒りすぎちゃったね」

    と、

    また関係を作り直していけばいい。

    完璧じゃなくてもいい。


    あの頃の私にも、聞いてあげたい

    そして今の私は、

    子どもの頃の自分にも、

    聞いてあげたいと思います。

    「おばあちゃんのところにいたかったんだね」

    「そこにいると安心したんだね」

    「お母さんの大きな声、嫌だったんだね」

    「怖かったのかな」

    「安心できる場所を取られるように感じていたのかな」

    あの頃の私には、

    あの頃の私なりの理由があった。

    母には、

    母なりの理由があった。

    どちらかを否定しなくても、

    両方の気持ちを見てあげることができる。

    それが、

    大人になった今の私にできることなのかもしれません。


    「怒ってはいけない母親。」

    ……ほんとにそう?

    怒らないことだけを目標にすると、

    怒ってしまった自分を、

    また責めてしまうかもしれない。

    でも、

    怒りの奥にある気持ちを見てみる。

    その前に、

    何を我慢していたのかを見てみる。

    そして、

    自分の気持ちを、

    ちゃんと自分が聞いてあげる。

    それだけでも、

    何かが少し変わるかもしれません。

    「私は、今どう感じている?」

    「私は、本当はどうしたい?」

    まずは、

    そこからでいい。

    怒ってしまった自分も、

    頑張っていた自分も、

    どちらも置いていかない。

    そんなふうに、

    自分に戻っていけたらいいなと思います。

    今日も、

    自分に問いかけてみよう。

    ほんとにそう?🌿


    🌿「ほんとにそう?」から始まる、12の扉

    もしこの記事を読んで、

    「私にも、ずっと抱えているものがあるかもしれない」

    そう感じた方へ。

    12の扉では、

    出来事から、

    感情へ。

    その奥にある気持ちへ。

    そして、

    「こうあるべき」という思い込みへ。

    そこから、

    「ほんとにそう?」

    と、自分に問いかけていきます。

    いきなり変わらなくて大丈夫。

    いきなり手放さなくても大丈夫。

    まずは、

    「私は、本当はどう感じているんだろう?」

    そこから、

    ゆっくり自分に戻っていく旅です🌿

    第0の扉から第12の扉まで、無料で読むことができます。



    あなたの声を聞かせてください🌿

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    そんな時間になったら嬉しいです🌿


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