
「家族のために我慢するのが、いい母親。」……ほんとにそう?
私は、ずっと思っていました。
家族のために、自分を後回しにする。
それが、いい母親なんだって。
自分のことは我慢して、
家族を優先して、
家族が困らないように頑張る。
それが愛情なんだと思っていたんです。
なぜなら、私はそんな母に育てられたから。
「うちは貧乏」というフィルター
私の母は、よく、
「お金がない」
と言っていました。
自分の洋服を買うことはほとんどなく、知人から譲ってもらった服を着ていました。
子どもの頃の私は、
「うちは、お金がない家なんだ」
と、そのまま受け取っていました。
「お金がない」
という言葉を、私は「事実」だと思っていたんです。
でも、今の私から振り返ってみると、
母にとっては「お金がない」という現実だけではなく、
「お金がなくなったらどうしよう」
という不安や恐れもあったのかもしれない、と思います。
もちろん、本当のところは母にしか分かりません。
ただ、ひとつ分かることがあります。
私は母の言葉を通して、
お金に対する「感じ方」まで受け取っていたのかもしれない。
ということです。
「自分のために使う」と、なぜか罪悪感があった
息子が生まれてしばらくした頃。
私も、
「自分が使ったら、家族のお金が減ってしまう」
そんなふうに思っていました。
家族のためなら使える。
子どものためなら、迷わず使える。
でも、
「自分のため」
となると、
「本当に使っていいのかな?」
と、立ち止まってしまう。
今思えば、不思議ですよね。
誰かに、
「あなたは自分のためにお金を使ってはいけません」
と言われたわけではありません。
それなのに、自分の中には、
「家族を優先しなきゃ」
「私が我慢すればいい」
「私のために使うのは、もったいない」
そんな感覚がありました。
「家族のために我慢する」は、本当に愛なのかな?
家族のために我慢する。
自分のことは後回しにする。
家族が困らないように、自分が頑張る。
一見すると、とても優しいことに見えます。
もちろん、誰かのために何かをすることは、愛情のひとつだと思います。
でも、
「私さえ我慢すればいい」
が当たり前になってしまったら?
自分の気持ちや欲しいものを、いつも後回しにしていたら?
それは本当に、
「家族のため」
だけなのでしょうか。
もしかしたら、その奥には、
「私が頑張らなきゃ」
「私が我慢しなきゃ」
「私がちゃんとしなきゃ」
という、別の思い込みがあるのかもしれません。
だから私は、自分に問いかけるようになりました。
「ほんとにそう?」
「これは、誰の考えなんだろう?」
自分の心と向き合うようになってから、私は少しずつ、自分の中にある「当たり前」を見つめるようになりました。
「私は、今何を感じている?」
「どうして、そう感じるんだろう?」
「これは、本当に私がそう思っているのかな?」
そして、
「これは、誰から受け取った考え方なんだろう?」
と。
すると、
「あれ?」
と思うことが増えていきました。
「母がそうだったから、私もそう思っているだけじゃない?」
「ずっとそうしてきたから、当たり前だと思っていただけじゃない?」
そんなふうに、自分の中にある「こうあるべき」に気づくようになったんです。
親から受け取ったものは、全部そのまま持っていかなくていい
親から受け取ったもの。
それは、愛情だけではないのかもしれません。
価値観。
考え方。
お金との付き合い方。
人との関わり方。
自分自身の見方。
「こうあるべき」というルール。
私たちは、知らないうちに、いろんなものを受け取っているのかもしれません。
でも、
受け取ったものを、そのまま持ち続けなければいけないわけではない。
一度、自分の手のひらに乗せてみる。
そして、
「これは私のもの?」
「それとも、誰かから受け取ったもの?」
「私は、これからも持っていたい?」
と、自分に聞いてみる。
そのための問いが、
「ほんとにそう?」
なのだと思っています。
自分の良いところも、悪いところも
私自身も、自分と向き合う中で、
「もっと頑張らなきゃ」
「もっとちゃんとしなきゃ」
「こうならなきゃ」
と、自分を追い立てることが少しずつ減っていきました。
良いところだけを認めるのではなく、
自分の嫌なところも。
弱いところも。
うまくできないところも。
全部ひっくるめて、
「これも私なんだ」
と思えるようになっていったからです。
完璧な自分になったわけではありません。
ただ、
「こうじゃなきゃ」
と自分を縛っていたものに、
「ほんとにそう?」
と問いかけられるようになった。
それだけでも、見える世界は少しずつ変わっていきました。
あの出来事は、私に何を教えてくれたんだろう?
私は今、
「母が間違っていた」
と言いたいわけではありません。
母を責めたいわけでもありません。
ただ、
あの環境で育ったからこそ、
私は「人は、自分が見ている世界を通して物事を受け取っている」ということに気づけた。
そして、
「事実」と「自分がそこから受け取った意味」は、同じとは限らない。
ということも、少しずつ分かってきました。
母の「お金がない」という言葉を、
私は「私は我慢しなければいけない」という意味で受け取っていたのかもしれない。
そして、その受け取ったものを、
自分の人生でも繰り返していた。
だから今は、
「この出来事は、私に何を教えてくれたんだろう?」
と考えるようになりました。
家族を大切にすることと、自分を大切にすること
私は、今でも家族を大切にしたいと思っています。
誰かのために何かをすることも、素敵なことだと思います。
でも、
自分を犠牲にし続けることまで、「愛」だとは思いません。
自分の気持ちを置き去りにしてまで、
誰かのために生きなくてもいい。
自分のことを大切にすることと、
家族を大切にすること。
そのふたつは、本当は両立できるのかもしれません。
だから、
「家族のために我慢するのが、いい母親。」
って、
ほんとにそう?
私は、今も自分に問いかけています。
🌿 あなたが親から受け取ったものは何ですか?
もしよかったら、少しだけ振り返ってみてください。
親は、どんな言葉を口癖にしていましたか?
何を「当たり前」にしていましたか?
お金について、どんな話をしていましたか?
人間関係について、どんなことを言っていましたか?
「我慢しなさい」
「ちゃんとしなさい」
「人に迷惑をかけちゃダメ」
「お金は大切だから使っちゃダメ」
そんな言葉はありませんでしたか?
そして今、
あなた自身も同じようなことを思っていないでしょうか。
もし何か見つかったら、
すぐに手放そうとしなくて大丈夫です。
ただ、
「これって、本当に私の考え?」
と聞いてみてください。
🌱 心の結び目を、ひとつずつほどいていく
私は、人生を生きづらくしているものは、
必ずしも「出来事」そのものだけではないと思っています。
その出来事を通して、
何を感じたのか。
何を信じるようになったのか。
どんな「こうあるべき」を持ったのか。
そこに気づいていく。
すると、
同じ出来事でも、少しずつ見え方が変わっていくことがあります。
そして、
見え方が変わると、
これからの選択も変わっていく。
それが、
自分の人生を、自分で選び直していくこと
なのかもしれません。
🌿 「ほんとにそう?」心の結び目をほどく12の扉
ここまで読んで、
「これって、私にもあるかもしれない」
そう感じた方へ。
親から受け取った価値観だけではなく、
「もっと頑張らなきゃ」
「私さえ我慢すれば」
「ちゃんとしなきゃ」
「嫌われちゃいけない」
そんな、自分の中にある「こうあるべき」も、一度ゆっくり見つめてみませんか?🌿
12の扉では、
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→ 感情
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答えではなく、問いを届けています。
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自分が信じてきた世界を、やさしく見つめ直すnoteを書いています。
「ほんとにそう?」という問いが、
本当はどう生きたかったのかを思い出すきっかけになれば嬉しいです。
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これからも大切にしたいものもある。
もう持っていなくてもいいものもある。
どちらなのかを決めるのは、
親ではなく、
今を生きている私たち自身。
だから今日も、
「ほんとにそう?」
と、自分に問いかけてみます。
あなたは、親から何を受け取ってきたと思いますか?
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