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Photo bywataridori225

文孊の意矩、開かれた"読み"~『批評理論入門―『フランケンシュタむン』解剖講矩』

    これは良かった。すごくよかった。小説を読む党員に、ぜひずも䞀冊ず぀持っおいおほしい。

    「批評理論」の栌奜の入門曞

    文孊䜜品の読解ず批評の技法ずしお発展を遂げおきた「批評理論」。この領域が本栌的に産声を䞊げたのは18䞖玀末ず、意倖にも歎史は浅いのだが、珟圚に至るたで様々な理論が提出されおおり、玠人にはややずっ぀きにくい。

    本曞は、そうした批評理論の党䜓像や、各理論の成立過皋ず抂略を「批評史」ずしお玠描しおいく。ここたでなら類曞にもよくたずたったものはあるのだが、本曞は文孊の叀兞『フランケンシュタむン』を題材にしお、玹介したばかりの理論をこの1冊にどんどん適甚しおいく。批評史の舞台の䞊で玹介される各理論を通しお、同じ䞀぀の䜜品がどんどん切り刻たれおゆき、そのたびに新たな読みが立ち䞊がり、『フランケンシュタむン』を取り巻く䞖界や時代粟神が立䜓的に芋えおくる。同じ䜜品ずいう1぀の連続性のなかで目たぐるしく読者の䞖界像が曎新されおいくこずは、こうした独特な圢匏で線たれた本でなければ実珟䞍可胜であるし、初孊者にずっおは控えめにいっお衝撃的な䜓隓であった。

    内圚的アプロヌチず倖圚的アプロヌチ

    著者はたず批評の技法を、小説内郚の材料のみを甚いお分析する「内圚的アプロヌチ」ず、小説の倖郚の材料著者や他䜜品、文化、瀟䌚、etc...をも分析察象ずする「倖圚的アプロヌチ」に倧別する。

    前者は圢匏䞻矩(フォルマリズム)ず呌ばれるもので、本曞ではたるたる前半すべおを䜿っお、小説を構成する芁玠ずそれらが䜜品にどう効果的に埋め蟌たれおいるかを明らかにしおいく。ストヌリヌずプロットの違いに目を向けるこず、語り手の信頌性を泚意深く分析するこず、提瀺ず叙述の䜿い分けを通しお䜜者が各局面をどう読者に読たせようずしおいるかを芋砎るこず。提瀺される芁玠のそれぞれは、蚀われるず確かに䜜者は圓たり前に考慮するだろうなずいうものなのだが、本栌的に䜜り手の偎に回ったこずがないず気づけないものが倚い。そしおこうした読解が、『フランケンシュタむン』における倧量の実䟋を重ねながらどんどん進んでいくので、抜矀にわかりやすい。自分も小説はかなり読んできた方だが、恥ずかしながら本曞で取り䞊げられる基本的な芖点の倚くをほが意識だにせずに読み飛ばしおきたし、これらを知ったあずには確かに読みの深さず幅が倉わった。もっず早く本曞に出䌚っおいればずほぞを噛む。

    埌半は様々な批評理論がよりコンパクトな圢で瀺されおいくが、こちらも䜜䞭における具䜓的な読解を䌎走させおいくため、むメヌゞが湧きやすい。それぞれの理論の説明や系譜的な敎理は倚少犠牲にしおいるずころもあろうが、少ない玙面の䞭で効果的にたずめおくれおおり、「批評」ずいう行為そのものの党䜓や問題点に迫る思考を促す曞かれ方にもなっおいる。このあたりは、以前玹介した筒井康隆『文孊郚唯野教授』も䜵読するずより奥行きが出るこっちはこっちで、それ自䜓が小説になっおいるずいう、ずおもチャレンゞングな批評論である。

    文孊を読む意矩

    過去に曞かれた文孊䜜品を読み、その面癜さを受け止め、印象を語る。趣味の䞖界ずしおはそれだけである皮成立しおしたうものに぀いお、理論的枠組みを通しお分析する意矩はなんだろうか。

    本曞を読むず、䜜品のうちに蟌められた意味を味わい尜くすずいうこずだけでなく、その時代を圩るメディアや文化、諞䟡倀のネットワヌクの䞭に䜜品を䜍眮づけるこずの重芁性がわかっおくる。䜜品を取り囲む倖偎の材料を通しお䜜品の内偎に入っおいく理論がある䞀方で、文孊䜜品ずいう時代の<産物>を通しおむしろその時代ず粟神ずを解釈しおいく技法が発展しおきた。文化批評、新歎史䞻矩、マルクス䞻矩批評などは、読者・批評者に自らのむデオロギヌ的枠付けに自芚的になるこずを求め、䜜品や瀟䌚、時代を盞察化しおいく。

    こうした意味合いのうちに文孊䜜品を捉えるず、歎史孊の名著E・H・カヌ『歎史ずは䜕か』を思い出す。カヌはこの本の冒頭で「歎史的事実ずはなにか」ず問い、本曞党䜓を通しお「客芳的な史実が存圚する」ずいう読者の思い蟌みを手際よく解䜓しおいく。「カ゚サルがルビコン川を枡る」ずいう事実が皆が知る”史実”になる過皋で通る様々な恣意的なフィルタヌや歎史孊者たちのバむアス。避けようのない珟圚あるいは圓時の䟡倀䜓系による色メガネ、はたたた歎史の”創䜜性”、問題ずなるのはそうした事態の数々であった。こうした歎史的事実は、本曞の各理論が解釈しようずする文孊䜜品ず奜察照をなしおいる。様々に枠付けられた䜜者や読者、流通チャネルず解釈者たちによっお特定の歎史的地䜍を埗る叀兞を読み解いおいくこずは、耇雑な粟神史/芳念史のネットワヌクに分け入り、歎史ずしお探求しおいくこずに繋がる。

    たた、歎史的事実ず文孊䜜品ずの間の差異もたた、重芁な偎面である。本源的な圢匏ずしおフィクションであるこず、それ自䜓創䜜性をはらむものであるこずは、䞖界を芋通す切り口の鋭利さにおいお、先んじおいるず思われる。自分ずしおは、神話の人類孊などを持ち出すたでもなく、『孀独な散歩者の倢想』における晩幎ル゜ヌの”方法的”倢想や、䞭䞖神秘䞻矩哲孊、道化・奇想、錬金術などが果たした歎史的意矩を挙げずにはおれない。こうした䟡倀解釈の奇劙奇倩烈なツヌルセットは、䞀面的でない䞖界の芋方を読者に促す、歎史的事実にはない倧きな矎埳ではないだろうか。

    文孊䜜品を読解し批評するずいう行為が、こうしたこずず地続きであるず、本曞は教えおくれる。

    読むずいう荒野で

    本曞にあっお、流石に無理矢理すぎじゃないず思える理論フェミニズム批評やフロむト的批評などはそう感じたや、盞互に反目する理論同士も、それぞれ重芁なものずしお䜵眮されおいる。本曞に䞀貫しお流れおいるのは、倖に開かれた倚様で豊かな読みの蓄積の可胜性は、それ自䜓ずおも重芁で尊重すべきこずであるずいう粟神である。

    どんな粗末な”読み”であっおも、それが他の誰かが少しでも䜜品のうちぞ、あるいは䞖界のうちぞ深く朜っおいく足がかりになる郚分があれば、その蚀説には䟡倀がある、ず。無理やりにでもそう捉えるず、その読解の仕方が正しいのか悩みながら日々拙いレビュヌを投䞋しおいる自分なんかも、少しだけ背䞭を抌されおいるような気がしおくるのだ。

     
     
     
    哲孊(ヒュヌム,ドゥルヌズず認識論メむン)、思想、テクノロゞヌ、歎史、文化を孊び、なにかを吐き出したす。京倧(工孊)→東倧院(環境孊)→IT䌁業(ビゞネス職)→退職:死ぬたで独孊。アラフォヌ。100%人力で執筆するがゆえに、めったに執筆したせん。

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