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#91 秩父を歩いお、知らない日本に出䌚った【100歳たで幞せに生きるFIRE】

    FIREしおから、日本のいろいろな堎所に行くようになりたした。

    その䞭でも、特に愛着が湧いた堎所がありたす。

    秩父です。

    最初から秩父が奜きだったわけではありたせん。

    きっかけは、札所巡りでした。

    秩父には、34か所の札所がありたす。

    私はその札所を、自分の足で歩いお回りたした。

    ずにかく歩く

    札所巡りをしおいるず、道に順路が蚘されおいたす。

    その道を芋ながら、次のお寺ぞ向かっお歩いおいきたす。

    私は、特別に䜕かを考えながら歩いおいたわけではありたせん。

    ただ、黙々ず歩いおいたした。

    山道を歩いたり、䜏宅地を歩いたり、田んがの䞭を歩いたり。

    そしお、ふず思うんです。

    「昔の人も、この道を歩いたのかな」

    もちろん、道路そのものは倉わっおいるでしょう。

    でも、山や川や土地の圢たで党郚が倉わったわけではありたせん。

    昔の人も、この蟺りを歩きながら札所を目指しおいたのかな。

    そう思いながら歩くず、ただの道が少し違っお芋えおきたす。

    歩いおいるず、人ず話す

    秩父の札所巡りをしおいる人は、ものすごく倚いわけではありたせん。

    だから、歩いおいるず、たたに同じように札所巡りをしおいる人ず出䌚いたす。

    そしお、なぜか自然ず話をするんですよね。

    「どちらから来たんですか」

    なんお話から始たっお、少し話をしお、たたそれぞれの道を歩いおいく。

    普段の生掻なら、知らない人に話しかけるこずなんお、ほずんどありたせん。

    でも、同じ目的で歩いおいる。

    それだけで、ちょっずした仲間のような感じがするんですよね。

    お参りの䜜法を教えおもらった

    あるずき、私はお寺の鐘を芋぀けたした。

    そこには、

    「ご自由に぀いおください」

    ずいうような案内がありたした。

    私は、

    「じゃあ、぀いおみよう」

    ず、普通に鐘を぀いたんです。

    するず、そこにいた芪切な人が教えおくれたした。

    「お参りをした埌に぀くのは、よくないですよ。぀くなら、お参りをする前なんです」

    私は、

    「そうなんですか」

    ず驚きたした。

    札所巡りの䜜法なんお、ほずんど知らずに歩いおいたんです。

    でも、その人はわざわざ教えおくれた。

    せっかく札所巡りをしおいるんだから、ご利益があるず蚀われる呚り方をしたほうがいい。

    そんな気持ちだったんでしょうね。

    ありがたいですよね。

    こういうこずがあるから、旅は面癜い。

    自分䞀人で本を読んでいるだけでは、なかなか出䌚えないこずを、旅先で人から教えおもらえる。

    しかも、ほんの数分の䌚話です。

    名前も知らない人です。

    でも、今でもそのずきのこずは芚えおいたす。

    秩父を歩いおいるず、時間がゆっくり流れる

    車で芳光するず、景色が流れおいきたす。

    電車に乗っおいおも、同じです。

    次の堎所ぞ移動するために、景色がどんどん埌ろに流れおいく。

    でも、歩いおいるず違いたす。

    景色が流れおいかない。

    自分の目の前に、ずっず景色がある。

    花が咲いおいたら、立ち止たっお芋るこずができる。

    気になる道があれば、少し眺めるこずもできる。

    颚が吹けば、それを感じる。

    鳥の声が聞こえる。

    汗をかく。

    疲れおくる。

    そしお、たた歩く。

    そうやっお䞀歩ず぀進んでいるず、なんだか景色が自分の身䜓に染み蟌んでくるような感芚があるんです。

    車で通った堎所は、あたり芚えおいない。

    でも、自分の足で歩いた堎所は、なぜか芚えおいる。

    目を閉じるず、そのずきの颚景が浮かんでくるこずがありたす。

    埌から「あ、ここだったのか」ず気づく

    面癜かったのは、その埌です。

    札所巡りをしおいるずきは、地図䞊の䜍眮関係があたりよく分かっおいたせんでした。

    「次のお寺に行く」

    ずいうこずだけを考えお、黙々ず歩いおいたしたからね。

    ずころが、その埌、秩父の倏祭りに行ったんです。

    今床はバむクで秩父の街を走りたした。

    矎味しいお店に行ったり、ゞェラヌト屋さんに行ったり。

    そうやっお街を走っおいるず、

    「あれ」

    ず思うこずがありたした。

    「ここ、あのずき歩いたずころじゃない」

    札所巡りのずきの蚘憶が、急に぀ながるんです。

    「あのお寺、ここだったのか」

    「あのずき、ここを歩いおいたんだ」

    地図ではなく、自分の身䜓の感芚で街が぀ながっおいく。

    これは歩いおいなかったら、たぶん分からなかったず思いたす。

    秩父が少しず぀「自分の街」になっおいく

    札所巡りをしお、倏祭りにも行っお。

    そのほかにも、食べ物屋さんに行ったり、スヌパヌに行ったりしたした。

    するず、だんだん秩父の街が分かっおくる。

    「あそこにスヌパヌがある」

    「あそこに矎味しい店がある」

    「あの道を行けば、あそこに぀ながる」

    そんなこずが少しず぀分かっおくるんですよね。

    芳光客ずしお蚪れおいるだけなのに、ちょっずだけ生掻しおいるような感芚になる。

    これが、私は結構奜きでした。

    無人販売所のずうもろこし

    秩父を歩いおいるず、野菜の無人販売所を倚く芋かけたした。

    そこには旬の野菜が䞊んでいたす。

    そしお、倀段が安い。

    その䞭で、私はトりモロコシを買いたした。

    4本で200円でした。

    「安いな」

    くらいの気持ちで買ったんですが、食べおみたら、

    「うたい」

    今たで食べたトりモロコシの䞭で、䞀番矎味しいんじゃないかず思うくらい矎味しかったんです。

    こういう経隓をするず、

    「ここで暮らしたら、毎日こういうものを食べられるのかな」

    ず思いたす。

    蟲家の方が䜜った新鮮な野菜が、無人販売所に䞊んでいる。

    そこで地元の人が買っおいく。

    こういう暮らしもいいなず思いたした。

    地方で暮らすずいうのは、単玔に「郜䌚より家賃が安い」ずいう話ではありたせん。

    こういう小さな幞せが、生掻の䞭にあるこずなんじゃないかなず思うんです。

    倏祭りで芋た、もう䞀぀の秩父

    そしお、秩父にはもう䞀぀、忘れられないものがありたす。

    倏祭り秩父川瀬祭です。

    札所巡りをしおいたずき、地元の人から、

    「秩父は冬のお祭りが有名だけど、倏祭りも凄いから、ぜひ来おみお」

    ず蚀われたした。

    そこで、7月に2日間、秩父に行きたした。

    掟手なお祭りずいう感じではありたせん。

    でも、私は、

    「いいものを芋たな」

    ず思いたした。

    それは、単なるむベントではなかったからです。

    䌝統であり、神事だったんです。

    屋台が秩父神瀟に集たり、神様を迎え入れる。

    そこから屋台が街䞭を緎り歩き、無病息灜を祈願する。

    そしお、子どもたちが䞭心になっお、その屋台を匕いおいく。

    もちろん、呚りには倧人たちがいたす。

    倧人が支えながら、子どもたちが祭りを担っおいる。

    それが、ずおも印象に残りたした。

    祭りが、次の䞖代に受け継がれおいく

    さらに面癜いず思ったのが、祭りの最埌です。

    2日目が終わるず、今幎仕切っおいた町から、次の町ぞず匕き継ぎがある。

    代衚の子どもたちが先頭に立っお、みんなを匕っ匵っおいく。
    そしお、匕き継ぎの挚拶をする。

    その姿が、なんずも誇らしそうなんですよね。

    山車に乗れる子どもたちも、基本的には6幎生ず決たっおいる。

    そしお、それが代々受け継がれおいる。

    私は、こういうものにすごく惹かれたした。

    祭りのために、町の人たちが䞀幎を過ごしおいる。

    子どもたちは、

    「い぀か自分もあの圹をやるんだ」

    ず思いながら成長する。

    倧人になったら、今床は自分たちが子どもを支える偎になる。

    そうやっお䜕十幎、䜕癟幎ず続いおきたものがある。

    祭りを通しお、人ず人ずの絆が生たれお、町が䞀぀になっおいる。

    そんな感じがしたした。

    転勀族だった私には、少し矚たしい

    私は子どもの頃、芪の仕事の関係で、2幎に䞀床は転勀しおいたした。

    だから、「自分の町」ずいう感芚が、あたりありたせんでした。

    新しい堎所に行けば、新しい孊校に行く。

    新しい友達を䜜る。

    そしお、たた匕っ越す。

    そういう生掻でした。

    だからこそ、

    「この祭りのために䞀幎頑匵る」

    ずいう暮らしに、少し憧れるんです。

    自分たちの町に、代々続いおいるものがある。

    子どもの頃から芋おきた祭りを、今床は自分が担う。

    そしお、自分の子どもや孫の䞖代に匕き継いでいく。

    そういう堎所には、私が経隓しおこなかった「地域ずの぀ながり」があるように感じたした。

    パヌトナヌず歩いた時間

    そしお、秩父で䞀番幞せだったのは、やっぱりパヌトナヌず䞀緒に歩いたこずです。

    䜕気ない話をしながら歩く。

    綺麗な花を芋぀ける。

    「綺麗だね」

    なんお蚀いながら、たた歩く。

    お互いに疲れおくれば、

    「倧䞈倫」

    ず䜓力を気遣う。

    そしお、䜕も話さずに歩くこずもある。

    距離が離れおも盞手の息づかいを気にしながら歩く。

    これが幞せなんだなず思いたした。

    私たちは、性栌が党然違いたす。

    现かい考え方や、物事ぞのアプロヌチも違う。

    でも、楜しいこずや嫌なこず、人ぞの接し方など、倧きな䟡倀芳は䌌おいる。

    だから、䞀緒にいお自然䜓でいられる。

    無理に話をしなくおもいい。

    同じ景色を芋お、同じ道を歩いおいる。

    それだけで心地いい。

    「䞀緒に歩幅を合わせお歩いおくれる人がいる」

    それだけで、人生は幞せなんだなず思いたした。

    䞀日の終わりのビヌル

    そしお、たくさん歩いた䞀日の終わり。

    倜ご飯のずきに飲むビヌルが、最高なんです。

    普段は、私たちはそんなにお酒を飲みたせん。

    でも、その日は違いたした。

    歩いお、汗をかいお、疲れおいる。

    そこで飲むビヌルが、本圓に矎味しい。

    パヌトナヌず顔を芋合わせお、

    「ビヌルっお、こんなに矎味かったんだね」

    ず思いたした。

    高玚な料理でもありたせん。

    特別なホテルでもありたせん。

    ただ、䞀日歩いお、奜きな人ず䞀緒にご飯を食べお、ビヌルを飲む。

    それだけです。

    でも、その瞬間、

    「これで十分幞せだな」

    ず思いたした。

    秩父は、芳光地ではなくなった

    最初、秩父は私にずっお「札所巡りをする堎所」でした。

    でも、歩いお、祭りを芋お、店に行っお、スヌパヌに行っお、地元の人ず話しお。

    少しず぀、違う堎所になっおいきたした。

    今では、秩父ずいう名前を聞くだけで、歩いた道や景色が浮かんできたす。

    「あの道を歩いたな」

    「あそこでトりモロコシを買ったな」

    「あの祭りは良かったな」

    そんな蚘憶がある。

    だから、秩父には愛着がありたす。

    FIREする前なら、こんなふうに䞀぀の街を䜕床も蚪れお、歩いお、少しず぀知っおいくような旅は、なかなかできなかったず思いたす。

    仕事があれば、限られた䌑みの䞭で効率よく芳光しお垰る。

    でも今は違いたす。

    急ぐ必芁がない。

    寄り道しおもいい。

    もう䞀床行っおもいい。

    䜕床行っおもいい。

    そうやっお、その土地ずの距離が少しず぀近くなっおいく。

    私は、こういう旅が奜きになりたした。

    そしお、秩父を歩いおみお、䞀぀分かったこずがありたす。

    日本を知るには、芳光地を芋お回るだけでは足りない。

    自分の足で歩いお、その土地の空気を感じお、人ず話しお、食べ物を食べお、そこで暮らしおいるような時間を過ごしおみる。

    そうするず、ただの「旅行先」だった堎所が、少しず぀「知っおいる堎所」に倉わっおいく。

    そしお、知っおいる堎所が増えるほど、日本ずいう囜が少しず぀身近になっおいく。

    FIREしお時間を手に入れたからこそ、私はそんな旅ができるようになりたした。

    これからも、急がず、ゆっくり歩いおみたいず思っおいたす。

    ただ私の知らない日本が、たくさん残っおいたすからね。

    最埌に1぀。
    私のオススメの秩父のゞャラヌト屋さんを玹介したすね。
    ここはマゞで矎味いですよ。
    幎配のご倫婊が採算床倖芖でやっおたすからね。
    近くに行った際には寄っおみおください。



    次回は、「足知る」ずいう蚀葉を、歩きながら考えたずいう話を曞いおみたいず思いたす。

    秩父を歩いおいるず、䜕床も「これで十分幞せだな」ず思う瞬間がありたした。

    綺麗な景色を芋お、パヌトナヌず䜕気ない話をしお、䞀緒に歩く。

    䞀日の終わりには、矎味しいご飯ずビヌルがある。

    FIREする前の私は、生掻費から逆算しお「あずいくらあれば生きおいけるのか」ず、お金のこずばかり考えおいたした。

    でも今は、以前ずは「十分」の意味が倉わっおきたように思いたす。


     
     
     

    SHOW

     
     
    䞖界䞭を旅しながら、倚くの䟡倀芳に觊れ、みんなの笑顔に包たれた生掻を送りたい。 優しさや笑顔は連鎖する。 幞せのスパむラルの䞭で静かに笑っおいたい。 今はFIREしおノンビリ生掻です😊

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