🌈『明日に向かう架け橋』
その橋は、町の外れにあった。
古びた鉄橋。
塗装は剥がれ、雨の日には鈍く軋む。
けれど、夕暮れになると、
川面に映るその姿は、
まるで“明日”へ続いているように見えた。
高校二年生の結衣(ゆい)は、
いつもその橋の上で立ち止まる。
制服のポケットには、
折れ曲がったオーディション用紙。
夢は、歌手になることだった。
けれど現実は、
そんなに優しくない。
「また落ちたの?」
帰宅した瞬間、
母の言葉が胸に刺さる。
「……うん」
「もう諦めたら?
そんなの、一握りの人しかなれないんだから」
悪気がないことくらい、
結衣にも分かっていた。
だからこそ苦しかった。
応援されない夢は、
時々、自分でも信じられなくなる。
それでも。
それでも結衣は、
夜になると橋へ向かった。
イヤホンを耳につけ、
スマホの録音ボタンを押して歌う。
誰もいない橋の上。
川の音だけが、
静かに背中を押してくれる。
何度も歌詞を間違えた。
高音で声が裏返った。
SNSに動画を投稿しても、
再生回数は増えなかった。
コメント欄には、
時々、心ない言葉も並ぶ。
『夢見すぎ』
『普通だね』
『プロは無理じゃない?』
そのたびに、
スマホを閉じて泣いた。
悔しかった。
自分には、
“特別”がない気がした。
才能も、
運命みたいな輝きも。
何者にもなれないまま、
大人になる気がして怖かった。
ある日の夜。
橋の上で歌っていた結衣は、
ついに声を止めた。
「……もう無理かもしれない」
吐いた息が白く消える。
夢を追うほど、
周りとの差が見えてしまう。
同じオーディションを受けた子は、
もう事務所に所属していた。
キラキラした投稿。
増えていくフォロワー。
なのに自分は、
コンビニのアルバイト帰りに、
凍えながら橋で歌っている。
「何やってるんだろ、私……」
その時だった。
後ろから、
小さな拍手が聞こえた。
振り返ると、
一人の老人が立っていた。
作業着姿の、
白髪の男性だった。
「いい歌だな」
「……聞いてたんですか?」
「毎晩な」
結衣は恥ずかしくなって俯いた。
「でも私、全然ダメで……」
すると老人は、
静かに橋を見上げた。
「この橋もな、
昔は“無駄な橋”って言われてた」
「え?」
「金ばっかりかかるって、
誰も期待してなかった。
でもな――」
老人は、
ゆっくり笑った。
「橋ってのは、
完成するまで意味が分からないんだ」
結衣は黙って聞いていた。
「夢も同じかもしれんな。
途中だけ見たら、
ただ苦しいだけだ」
冷たい風が吹く。
けれどその言葉だけは、
不思議なくらい温かかった。
「……完成、するんですかね。
私の橋」
「さあな。
でも、途中でやめた橋は、
どこにも辿り着かん」
その言葉が、
胸の奥に静かに残った。
翌朝。
結衣は久しぶりに、
自分から鏡を見た。
泣いた目。
寝不足の顔。
それでも、
まだ終わっていない顔だった。
結衣は深呼吸し、
スマホを手に取る。
新しい動画を投稿した。
派手な編集もない。
橋の上で歌うだけの動画。
けれど最後に、
こう書き添えた。
『何度転んでも、
私はまだ、明日に向かう途中です。』
投稿ボタンを押した瞬間、
少しだけ怖かった。
でも。
その怖さの先にしか、
夢はない気がした。
数日後。
通知が鳴り続けていた。
一人の有名音楽プロデューサーが、
結衣の動画を共有していた。
『この子の歌には、
不器用だけど、本気がある』
画面を見た瞬間、
結衣の目から涙が溢れた。
才能があったのかは、
まだ分からない。
夢が叶う保証も、
どこにもない。
それでも。
くじけながら、
もがきながら、
それでも前へ進もうとした時間は、
確かに“橋”になっていた。
明日へ続く、
たった一人の架け橋。
夕暮れの鉄橋を渡る結衣の背中は、
もう少しだけ、
強く見えた。
💗柊紅葉💗

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