
元沖縄戦軍医の祖父が未来を込めて答えた手紙
子供のころ、戦争について調べるという課題がでた。
そのとき、私は祖父に手紙を書いていくつかの質問をした。
祖父は沖縄戦から帰還したひとだった。穏やかな人だったけれど、戦争の話になると時折、厳しい顔で語ってくれた。
帰ってきた手紙にはそんな祖父の「語り継がなければならない」という強い気持ちがにじんでいた。
正直、当時の私は内容の重さを受け止め切れていなかったと思う。でも今、この手紙をだれかと共有したいと思った。
戦争って、どこか遠い世界の話じゃない。
これは、祖父が生きて体験した「現実」の記録。
以下、祖父の手紙をそのまま載せる。
拝復
速達見ました。締め切りが迫っているので
用件のみ。
1.戦争中の兵隊さんの食べ物
陸軍は乾パン、時々米、いもづる、最後は、砂糖きび、ねずみ、何でも食べた。食物がなくて餓死した人も多かった。
海軍は最初は今と変わらぬぜい沢な食事だったが、最後は陸軍と同じだった。
2.戦争中の対人関係
終始一貫 上官の命令は絶対。命令一下死地におもむいた。この関係だけは恐ろしい位だった。日本軍が負けてからは上下の関係が逆転し、かねて嫌はれていた上官は、元部下からリンチを受けた。数は多くなかったが。
又戦支同志の間柄は極めて団結が強い。仲互いして内輪もめなどしたら、直ちに死につながるからである。
3.おじいちゃんはどういうところにいたのか。
昭和20年4月
今の沖縄県の南部にいて、上陸した米軍と斗った(戦った)が、圧倒的な米軍の物量(軍艦、飛行機、戦車、大砲、兵員数)に押され、3カ月間善戦して住民18万、軍人10万が死んで負けた。
おぢいちゃんは生き残った僅かの人々と共に米軍の重戦車の火焔放射機に追い込まれ、摩布仁(マブニ)の海岸で海にとびこんでにげたが、米軍舟艇に捕虜になった。
4.戦争責任についてどう思うか。
勝つ見込みのない戦争を始めた人達の責任は重い。
戦争のために300万人の人達が死に1千万人の家族たちが苦しみに泣いたのである。たとえ勝つ戦争でも始めてはならない。戦争の現場は、まるで地獄そのもので、生きた人間の体が虫けらの様にふみつけられ、切り裂かれ、焼かれ、生きうめにされ、空中にぶっとび、この世の事とも思えない。未来永却どんな戦争も始めてはならない。戦争を始めた人は勝っても負けても責任を負わなければならない。
内園洋三 70歳
元 陸軍軍医大尉
この手紙は1989年、祖父が70歳の時に私にくれたものだ。
今年は戦後80年。この時からもうずいぶん時間がたった。
当時の私には重すぎて、正直読み返せなかったこともある。
でも今は、ちゃんと受け取れる。
「勝つ戦争でも、やってはいけない。」
祖父の言葉が、遠い過去じゃなく、今にも未来にも向けたものだってわかるから。
たくさんの命のうえに、今の平和があるってこと。
この手紙が誰かの心にも残ってくれたらうれしいし、伝えていかなきゃいけないって思った。
戦争は地獄そのもなんだよ。どんな戦争も始めてはいけないと、私たちも未来に言い続けなければならないんだ。。。

祖父が遺した沖縄戦の真実(本人の手記)はこちらで全文読めます。↓↓
(終わり)