Ubisoftとアサシンクリードの「真実」──欧州ゲーム産業から『シャドウズ』問題まで
日本を舞台に、アフリカ人の「弥助」を主人公の1人にすえた『アサシンクリード シャドウズ』。その作中描写や開発者に対し、国内外で大きな批判が展開され、ついに先日Ubisoftが公式に謝罪するに至った。
しかし、SNSやYouTubeなどでこの『シャドウズ』問題をめぐる意見を読んでいても、ゲーム文化にきちんと立脚した意見はあまり見られない。仮にゲームに詳しくともUbisoftやアサシンクリードまで理解した意見は多くないし、先日放送されたAbemaでも問題提起したゲストを含めた全員が「アサシンクリードは知らないけど」と前置きされていた。

現在、『シャドウズ』を取り巻く問題はすでに国際的なものに発展し、ゲームコミュニティを飛び出している。また問題の対象も、Ubisoftが『シャドウズ』開発に参考にしたと思われる一部の歴史家やその著作をめぐる史学的問題まで拡げられるなど、もはや収拾ができないほど拡散してしまっており、筆者もこれら全てを認知できているわけではない。
しかし、問題に対してどんな立場を取るにしても、ゲーム文化やゲーム産業に立脚した知見──とりわけ、『シャドウズ』を開発した当事者であるUbisoftや、『シャドウズ』以前から続く「アサシンクリード」シリーズへの知見、ひいては「なぜUbisoftが『シャドウズ』を作ったか?」という仮説──がないまま、議論が進んでいることには、一人の作家として危機感を覚えずにはいられない。
日本ではあまり知られてこそいないが、実はUbisoftは欧州最大のゲーム企業であり、その経済的・文化的影響は絶大だ。さらに「アサシンクリード」シリーズも17年以上続くシリーズで累計2億本も売れるなど、日本でいう「ファイナルファンタジー」に匹敵する(FFは累計1億8500万本)ほどの人気ゲームだ。

そこで本稿では、この『アサシンクリード シャドウズ』の問題を「きっかけ」として、Ubisoftとアサシンクリード、ひいてはこれらを生み出した欧州ゲーム産業という構造について、ゲームジャーナリズム的な立場から膨大な資料と論理をもちいて「真実」を追求したいと思う。
皮肉だが、今や『シャドウズ』問題によって、日本人にも本来その影響力から注目されてしかるべきだったUbisoftと「アサシンクリード」が大きな注目を集めている。だからこそ、この記事では『シャドウズ』問題を理解するヒントのみならず、ゲームファンなら知るべき欧州ゲームの本質について理解できる、かつてないゲーム批評に挑戦できたと自負している。
また、筆者はUbisoftの作品には20年以上に渡ってプレイし、特にアサシンクリードはナンバリング本編すべて(13本)をプレイするほか、実際に何本も批評した経験があるなど、この企業とシリーズに対しては一定の知見があり、だからこそこの企業の持つ魅力や課題を理解している自負がある。
もし特定のイデオロギーに対する賛同ではなく、純粋にビデオゲーム文化や産業に関心があり、今回の問題を冷静に理解したいと考えている人がいれば、ぜひ最後まで読んでいただければ幸いである。きっと今回の問題が落ち着いた後にも、役立つ知見が必ずあるはずだ。

シャドウズ問題の整理
まず今回『アサシンクリード シャドウズ』(以下、シャドウズ)を巡って展開された論点は、おおむね以下のようなものがある。
・『シャドウズ』トレイラーで散見された歴史的正確性を欠いた描写
・インタビュー等で発信された『シャドウズ』の開発者の発言
・「弥助」と呼ばれるアフリカ系を主人公にしていることの恣意性
・Ubisoftが参考にしたと思われる「弥助」伝承の学術的根拠
・Ubisoftが参考にしたと考えられる歴史家とその著作『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』への疑問視
・コンセプトアート等に著作物を無断使用とした実例
こうした現在指摘されている問題に対し、筆者個人としての結論は、本稿の末尾まで控えておく。
第一に、どの立場であれイデオロギーありきの結論には賛同しないし、その結論だけで記事を「切り抜き」されることを避けたいこと。第二に、上記の論点やそれに対する反論そのものに一部疑問が残ること。第三に、この議論にはゲーム文化に対する理解(Ubisoftとアサシンクリード)が不足しており、その状態で結論を出すのは早計だからである。
だから筆者はあくまでこの問題を理解するうえでのヒントとして、今回の記事──特に、欧州最大のゲーム企業「Ubisoft」と、その看板タイトルにして『シャドウズ』も類する「アサシンクリード」、それらを生み出した「欧州ゲーム産業」──の本質について議論したいと考えている。
ではUbisoftと「アサシンクリード」の本質を、どういう順番で議論していくべきか。それは、以下の順番で考えている。
・Ubisoftとアサシンクリードの客観的な説明、特にUbisoft創業の1980年代から「アサシンクリード」が誕生した2000年代まで
・Ubisoftと「アサシンクリード」が誕生した土地、「欧州ゲーム産業」の日本・北米と異なる、歪な構造
・Ubisoftの肯定的な補足 特に2010年代、フランス・カナダ系ゲーム企業としてもたらした、オルタナティブの批評性
・『シャドウズ』に至る2020年代におけるUbisoftの「衰退」と、その主な2つの原因について
このように、筆者にとって、あくまで『シャドウズ』問題はUbisoft、アサシンクリード、それらを生み出した欧州ゲーム産業の、結果的な帰結に他ならないという立場を前提に議論を展開していく。累計約2万字のかなり長い批評となるため、ある程度、時間に余裕のあるときに読んでほしい。
(なお歴史的な問題に関しては、本稿では扱わず、原則として専門家である歴史研究家の方々に委ねたいと考えている)
良くも悪くも今回の問題は『シャドウズ』というタイトルに限った話ではない。偶然、「日本」という我々が当事者となる文化が土台となったことで、これまでUbisoftとアサシンクリードが抱えてきた矛盾と魅力が表面化したことにあると思う。
では具体的に、Ubisoftとはどのような企業で、アサシンクリードとはどんな作品だったのか。こうした客観的な歴史を振り返りながら、上記の問題へと踏み込んでいきたい。
Ubisoftとアサシンクリードはどう生まれたのか──1980〜2000年代のUbisoft
最初に、前提知識としてUbisoftとアサシンクリードはどう生まれ、どう発展していき、どんな立場にあったのかという事実を整理したい。
繰り返すように、Ubisoftは世界でも有数の大企業でありながら、不思議と日本では会社そのものに注目が集まることは稀だ。そんなUbisoftだが、実はなかなかにユニークな出自である。実はUbisoftはヨーロッパ、それもフランスのゲーム企業なのだ。
以下の内容は、Ubisoftとアサシンクリードの真実について、このような論点で整理しています。
・Ubisoft「フランスゲーム企業」という圧倒的ハンデとは何か? 創立から発展まで
・欧州ゲーム産業が苦しむゲーム市場の知られざる構造とは?
・Ubisoftが『シャドウズ』前にアジアを軽視していた「問題」と、一方でUbisoftにしかなしえない批評的「達成」の功罪とは?
・2020年代のUbisoftがぶつかった「課題」とは?──投資家向け資料と作品批評から考える
・Ubisoft衰退の原因となった「2つの問題」──「人材」と「経済」
・総論として『シャドウズ』問題をずばりどう思うか?
・終わりに──Ubisoftとアサシンクリードの「真実」とは
いずれもUbisoftとアサシンクリードを理解する知見・批評であると同時に、特に2020年代現在のゲーム文化とその未来について考える上でも、重要なヒントになると考えています。
このほか、ゲームゼミでは「The Last of Usの真実」「スクウェア・エニックスの真実」など、既存のゲームメディアでは扱えない高度な批評を数多く扱っており、一度有料会員になることでそれらもお読みいただけます。ジャーナリズム活動をご支援いただくうえでも、ぜひメンバーシップ加入をご検討ください。
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