
見える vs 見えないレディファースト:欧米と日本比較論【ひとりごと】
『アメリカの男社会論』で「レディファースト」の概念にちょこっと触れたので、それを日本/欧米で比較してもう少し掘り下げてみた。
ええ、暇人ですが何か。
欧米のそれは「可視化」、日本のそれは「不可視化」とまとめられる。真逆に見えて、そのベースは同じところにあるのだ。
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#1. 欧米は「可視化のレディファースト」
欧米の「レディファースト」って、いかにも分かりやすい。
ドアを開けてあげる、椅子を引く、コートを着せる、道の外側を歩く、腕をとってエスコートする、レディを先に通す。
これぞ欧米式ジェスチャー文化。
表面だけ見れば「女性のほうが偉い」ように錯覚させられる。
でもその起源は割とエグい。
あれは「女性は男性の所有物=庇護すべき存在」だから守ってやる、という父権的、家父長制的ロジックの延長にある。「男が明確に上」という前近代的価値観の残滓だ。
ドアを開けてあげるのは「弱い存在を守る」発想、椅子を引くのも「彼女は自分のものだからそう扱う」発想。
つまり、欧米式ジェスチャー型レディファーストは「父権の可視化」と言えるだろう。
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#2. 日本は「不可視のレディファースト」
では、日本はどうか。
ドアを開けてくれる男は少ないし、椅子を引かれることもあまりない。
いや、私は割と実行するほうですよ?(無駄な自己主張)
ただ、可視性が弱い代わりに、ダーツバーで女性だけチャージが安い、カラオケで女子はドリンク半額、女性専用車両、カップル割引のような、「見えないレディファースト」はそこらに転がっている。
何かと炎上しがちな「男は奢るべき論争」も、その延長線上にあるだろう。
公的空間では平等を装いつつ、私的制度やサービスで差を出す、かなり独特のやり方だ。
これは「商業的庇護」とも呼べる。
表面には出さず、値札の裏にこっそり書いてあるレディファースト。
「空気」として内面化された「見えない男社会」とも呼べるかも。
商業は男が回してるんだという暗黙の主張とでも言おうか。
これは江戸時代以前からの「家制度」からの地続きとも捉えられる。
「男性は外で稼ぐ」「女性は家に属する」というナラティブが未だ根強い、実に日本的なやり方じゃないか。
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#3. 始まりは異なれど、結局帰結するところは一緒?
結局のところ根本は一緒で、庇護の起源が宗教か、資本主義かの違い。
欧米が「父権の可視化」なら、日本は「父権の不可視化」。
どっちも家父長制的なんだが、演出の仕方がまるで違う。
だからこそ面白いのは、可視化されているレディファーストのほうが「男女平等っぽく」見えてしまう点だ。
表面・形式上は女性が優先されているから。
逆に日本の不可視型は「女性優遇」「男性不遇」と感じられやすい。
だがどちらも突き詰めれば「男が払う」「男が守る」という構造に基づいている。
結局のところ、レディファーストの見える/見えないは「どの角度から父権を演出しているか」の違いに過ぎないのかもしれない。
いずれも表面的には対等を装うけど、制度設計や暗黙のルールで性差が染み込んでいる。
そう考えると、欧米のドアを押さえるジェスチャーと、日本の女子ドリンク半額サービスは、意外にも同じ根から生えているのかも。
真逆に見える双子のようなものなのだ。
知らんけど。
※なお、筆者はレディファーストの是非についてジャッジする意思はなく、あくまで客観的・歴史的な視点から掘り下げるのみ、という立ち位置です。その善悪を問うてるわけではありません。以上、念のための注釈でした。
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