
アメリカの「男社会」は日本より根深い:敗戦国との決定的違い【ひとりごと】
ひとりごとシリーズ第1弾。
今回はアメリカ社会に残る「家父長制」を学校・家庭・公共空間の3カテゴリで整理してみた。
米国の「男社会」はその宗教道徳的に、むしろアジア圏よりも根深い部分に残っている(キリスト教の根本は基本的に「男性優位」である。分かりやすい事例としてひとつだけ挙げるなら、「アダムとイヴの生まれ方」を検索・参照ください)。
ただし、日本のそれとは共通点と、決定的な違いがある。
それは「戦勝国と敗戦国の抗えない差」だった。
#1. アメリカの学校(教育制度・学生文化)
●体育・スポーツ
プレイヤーもコーチも男性が多数派、特にアメフト・野球・バスケ。女性はチアやマネージャー、サポート役に回ることが多い。
いわゆるJocksは「男尊女卑」の思想も色濃い(特に地方で)
●女性体育教師の少なさ
特に中高で顕著。体力系の授業は男性教員が中心
●プロム文化
伝統的に「男子が女子を誘う」「男子がリードして踊る」構造。「レディファースト」とは原則として、「相手を対等の立場として見ず、庇護の対象として扱う」思想である
●STEM分野の性別偏り
数学・物理・工学系のクラブや授業で男子が優勢、女子は文系やアート系に集中しやすい文化的バイアス
●学生会・自治会の役割分担
会長職や議長は男子、副会長や書記は女子という暗黙の配置が起こりがち
---
#2. アメリカの家庭(家族・親族文化)
●家計管理・資産名義
保守的地域では夫が収入・資産を管理する傾向。住宅・車ローンも男性名義が多い
●子どもの姓の慣習
父姓がほぼデフォルト、母姓やダブルバレルは例外扱い
●家事分担の領域分け
屋外作業(芝刈り、車整備)=男性、室内家事=女性という線引き
●BBQ・キャンプの主導権
食材準備は女性、火や道具操作は男性という役割分担
●宗教行事の役職
教会の牧師や指導的役職は男性、女性は補助・教育担当に回ることが多い
---
#3. アメリカの公共空間(地域社会・職場・娯楽など)
●地域スポーツ
父親がコーチ、母親は送迎やスナック提供など裏方作業
●政治的リーダー像
地方議会や市長職などで男性が多数派、女性は教育委員会や福祉分野に集中しやすい
●メディア表象
広告や映画でも「仕事で稼ぐ父」と「家庭を支える母」の構図が依然として多い
●レジャー・趣味空間
釣り、狩猟、オートバイなど「男性っぽい」イメージを持たれるレジャーのほうが「一人で没頭する権利」が認められやすい
●職場での社交
ゴルフやスポーツ観戦など「男性向けっぽい社交」が昇進ルートと結びつきやすい
---
#4. 日本と似てる?いや、決定的に違う部分がある。それは戦勝国と敗戦国のナラティブの違いだ
といった感じで、まあ日本と被る部分は多い。かなり。アメリカの「男女平等」は幻想に近い。
結局は、アジアだろうと欧米だろうとジェンダーバイアス自体はさほど変わらない、ということ。
が、大きな違いは、バイアスが残っている領域と、それを正当化する文化的物語の差。
例えば、
●アメリカは「男らしさ=アウトドア・スポーツ・リーダーシップ」という物語が強く、それがBBQやスポーツコーチ文化につながる
●日本は「男は外で稼ぎ、女は家庭を守る」という物語が根強く、家事・育児分担の非対称性がより露骨に残っている
つまり欧米社会は、社会制度の表面はかなり男女平等っぽく見せられるのに、裏にある「家父長制的理想像」のテンプレが国ごとに違う形で温存され、それが表面上は見えづらい形になっている。
また、アメリカやヨーロッパが(あえてな言い方をするが)「ズルい」のは、家父長制や世界的人権侵害の歴史を作ってきたのは彼らのくせに、さも「平等を体現する神からの使い」みたいな顔して他人種や地域に首突っ込んでくるところ。そこが一番の皮肉である。
「人権」や「自由」といった概念は確かに西洋近代で体系化されたが、それを生み出した社会こそ、植民地支配・女性蔑視・奴隷制度・ジェノサイドをガッツリやってきた張本人の彼ら。
しかも、その加害の歴史はきれいに「過去の話」の美談としてパッケージ化しつつ(過去の日本への原爆投下もその一形態)、
●学校教育やメディアではそれらを「進歩の歴史」として描く
●現代の外交では「道徳的優位」の免罪符として使用する
●「自分たちは間違いを正してきたのだから、今こそ世界を導く資格がある」というナラティブを押し出す
歴史的に見てもかなり巧妙な「加害者のポジティブ自己物語化」だ。
※高校留学時、アメリカ史の授業で “Jap” を連呼する古いビデオを見せられ、友人に心配されたのは留学体験記後編でも記載した通りである。
しかも植民地時代の遺産は経済・軍事・文化的にまだ残っているので、その上で説教できる立場を維持できている。
日本や他の非西洋諸国は、こういった「自己洗浄された覇権ナラティブ」をどう料理するかが、外交・文化戦略の鍵となる。
なぜなら、日本は第二次世界大戦に敗けたから。その負い目を今も引きずっている。
あの敗戦は、日本にとっては単なる軍事的敗北というだけでなく、「国際秩序の中での立場の喪失+勝者側が作った価値観の強制を甘受した立場に落ちた」という面のほうが、後の政治環境を考えると重要度が大きい。
その心理的影響は今も残っている。
●戦争責任の物語が「勝者の歴史」として固定化されたこと
●敗戦国であるがゆえに、道徳的に上から目線の立場に立つのが難しいこと
●軍事・外交上の主体性を制限される中で、経済発展を唯一の正当性にしてきたこと
結果、日本は国際政治で「意見を持つより、空気を読む」外交姿勢にならざるを得ない。
ガラパゴス的価値観では「慎み深さ」として美徳とされるが、国際的には不利。なぜなら「自分の物語を語れない国」としてしか見られないから。
そして、この「敗戦国のナラティブ制限」が欧米の「図々しい自己正当化構造」と絶妙に噛み合ってしまった結果、「文化コンテンツや経済面では優位なのに、その文脈で下位の国より発言権が低い」という状況が発生してしまっている。
さて、では戦争に勝てばよかったのか?とも言い切れないのが難しい問題である。
現在の日本に治安維持法が現在もあったりしたら目も当てられない、というか個人的に嫌っす(スパイ防止法ぐらいは必要だとは思いますが)。
と、歴史のifをほじくってばかりなのもしょうがないので(状況的に絶対に勝てなかったし)、「敗戦国は敗戦国の住民なり」の国際的自己主張の方法を、そろそろ本気で考えなければならないっすね。
ちょっとどこかで本気論稿としてまとめる……かも知れない。
「ひとりごと」とかタイトルに書いておいて何ですが、読んでくれた方はどう思います?よければコメントお寄せください。
※なお、筆者はどんな思想も弾圧・糾弾する立場にはおりません。多元的な視点から考察することを旨としています。本稿も、中立を前提に文化的現象の一側面を考察したものです。
---
👉️次回予告
明日は昼頃に「名盤批評」を投下予定。
Red Hot Chili Peppers《Blood Sugar Sex Magik》を解剖します。
↓
投稿しました!
👉️関連記事
★「不自由の国」アメリカのステレオタイプ
筆者のお気に入りバンド(Dave Matthews Band)の生き様と繋げて語っています。
★アメリカ留学体験記:異国の高校生活を文化論を交えて振り返る(マガジン)
我が思春期の黒歴史こと留学体験記も公開中(本編は前・中・後編で完結)。
覚悟を決め、筆者の甘酸っぱい?黒歴史を素っ裸で描いてます。
またアメリカの衣食住を体験記&文化論として描く外伝も執筆中。
★本当は怖い洋楽歌詞・和訳シリーズまとめ(マガジン)
掘れば掘るほど深淵へとはまり込む。実は怖い歌詞の曲、文化論や言語学などを交えて翻訳・解説してます。
📝アカウントの全体像はこちらにまとめてます