
なぜ日本語の曲には「名ギターリフ」「反復」が生まれづらいのか?:日本語のモーラから考える、英語曲との意外な違い
私が何か作業をする時によく聴くのが、お気に入りである Dave Matthews Band。その代表曲『Crash Into Me』を聴きながら思ったこと。
この曲、改めて聴くと不思議だ。ギターはかなり長い時間、ずっと同じようなパターンを弾いている。なのに飽きない。
コード進行が目まぐるしく変化するわけでもない。Aメロになったから別のコード進行、Bメロになったからさらに別の進行、サビでドーンと転調、みたいなこともしない。
むしろ、「このギター、いつまで同じところにいるんだ?」というくらい、同じ地面の上にいる。
でも、その上でデイヴ・マシューズの歌はグニャグニャ動く。フレーズの始まる場所が変わる。言葉を詰める。伸ばす。弱くする。強くする。
そしてカーター・ビューフォードはその下で「地面? 知らんな」とばかりに、変化に富んだドラムを叩き続ける(というかバラードでやるフレーズじゃない。やはり化け物)。
とにかく結果として、
ギターリフ:反復する
コード進行:あまり動かない
ボーカル:めちゃくちゃ動く
ドラム:もっと動く
という妙なことになっている。
そこで、ふと思った。日本語のポップスって、これと逆の曲が多くないすか?
歌のメロディが動く。
コードも動く。
ベースも動く。
セクションごとに展開する。
もちろん全部がそうではない。でも、英米ロックに山ほどある「短いギターリフを延々と繰り返して、その上に歌を乗せる」というタイプの曲が、日本語ロックでは相対的に少ない気がする。
なぜだろう。
調べていくと、意外なところに穴が開いた。
「日本語そのもの」のリズムである。
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#1. そもそも「名ギターリフ」とは何をしているのか
ロック史に残るギターリフを思い浮かべてみる。
Deep Purple『Smoke on the Water』。
Cream『Sunshine of Your Love』。
Led Zeppelin『Whole Lotta Love』。
AC/DC『Back in Black』。
Metallica『Enter Sandman』。
Lenny Kravitz『Are You Gonna Go My Way』。
もちろん音楽的にはそれぞれ全然違う。でも、乱暴にひとつの特徴を取り出せば、「短い音型を何度も繰り返す」という点では共通している。
つまり、リフ主体の曲って、
ギター「しばらく俺、同じ顔しながらここにいますわ」
という作曲でもある。
これは結構重要だ。ギターが同じリフを繰り返すためには、そのリフが成立する「地面」がしばらく維持されなければならない。
2拍ごとにコードが、
C → Am7 → Dm7 → G7 → Em7 → A7……
みたいに移動していたら、ギター側もその和声に対応する必要が出てくる。
もちろん、コードが動きながら同じリフを維持することもできる。しかし少なくとも、
「この短い音型を何小節も固定して、曲のアイデンティティそのものにする」
という発想には、ハーモニーをある程度その場に留めておくこととの相性がいい。では英語の曲は、なぜそんなことが無理なくできるのか。
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#2. 英語は、言葉を置いただけで勝手にデコボコする
ここで音楽から一度、言語の話になる。
英語は一般的に「強勢拍リズム」、日本語は「モーラ拍リズム」の言語として扱われる。
ざっくり言えば、英語では強勢のある音節と弱い音節の差が大きい。
たとえば、
CRASH in-to ME
と言うだけでも、全部の音節を同じ強さ・長さで発音するわけではない。強いところ/弱いところがあり、弱い母音は縮まり、子音が連結する。
実際、日本語がモーラを重要な知覚単位として持つことや、英語が一般に強勢拍、日本語がモーラ拍として研究されてきたこと自体には、音声学上かなり長い研究蓄積がある。
日本語を母語とする話者の英語についても、強勢音節と非強勢音節の長短差が英語母語話者ほど大きくならない(つまりアクセントが平坦になりやすい)ことが、発話研究で確認されている。
つまり英語は、
●強勢
●弱音節
●子音
●母音の長短
●単語同士の連結
●シンコペーション
などを使って、言葉そのものがかなりのリズム情報を持てる。極端に言えば、「コードがあまり動かなくても、発話だけで歌が動ける」。先に挙げた『Crash Into Me』なんてまさにそうだ。
同じようなギターの景色の上で、デイヴ・マシューズが言葉の置き場所を変え続ける。だから地面が動かなくても、景色が変わる。
※余談。「日本語話者が、英語を英語っぽく発音する」うえでは、LとRやthといった個々の音だけでなく、「アクセント(強勢)」がかなり重要。特に英語らしいリズムを作るなら、「ちょっとやり過ぎ?」と思うくらい強弱に幅を持たせると、一気にそれっぽく聞こえるようになる。英語発音に悩んでる方、ご参考までに。
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#3. 一方、日本語は「わ・た・し・は」と置かれる
日本語はちょっと違う。たとえば、
わ・た・し・は・あ・な・た・を
と発音すると、それぞれのモーラが比較的独立した時間単位として知覚される。「ん」「っ」、長母音の後半などもモーラとして数えられる。
ただし、ここは注意したい。
「日本語はすべてのモーラをメトロノームのように完全に同じ長さで発音する」「英語は強勢が完全に等間隔になる」というほど単純ではない。
実際、こうした言語を強勢拍/モーラ拍などの箱にきれいに分類できるかについては、音声学でも昔から議論がある。日本語のモーラタイミングについても、実際の発話では各モーラの長さに当然ばらつきがある。
なのでここから先は、「日本語だからこうなる」と証明された話ではない。私が音楽を聴きながら考えた仮説である。
そのうえで。
日本語の歌では、英語ほど「弱い音節を猛烈に圧縮して、強い音節との落差そのものをグルーヴにする」ことが自然には起こりにくい。平坦な印象になりやすい。
すると、英語なら言葉そのものが担当していたデコボコを、メロディで作る。さらにコードで作る。ベースで作る。アレンジで作る。AメロからBメロへ行く。サビでさらに景色を変える。
そんな方向へ発達しやすかったのではないか。
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#4. 日本語の曲は、歌も地面も動かしたくなる?
ここまでを、かなり乱暴に図式化してみる。
英語曲では、
リフ:固定
ハーモニー:比較的固定
言葉:強弱と伸縮で動く
リズム:動く
という設計が成立しやすい。
一方、日本語では、
歌詞のリズム:比較的均質になりやすい
↓
ので、メロディを動かす
↓
メロディに合わせてコードも動かす
↓
ベースやアレンジも動く
↓
同じリフを延々と固定する余地が減る
ということが起きているのではないか。
これなら、私が以前からなんとなく感じていた、「日本のロックにも印象的なギターフレーズは山ほどある。でも英米ロックのような“曲全体を支配する名ギターリフ”とは少し違う」という感覚にも説明がつく。
たとえば L'Arc〜en〜Ciel。
印象的なギターフレーズなんていくらでもある。
でもkenはひとつの良リフを見つけたからといって、「よし、4分間これだけで押すぞ」という方向にはあまり動かない。
イントロではこれ。
Aメロでは別のこと。
Bメロで景色を変える。
サビではコードもメロディも大きく展開する。
間奏になったらまた別の仕事を始める。
ギターが「曲の地面」というよりは「曲の各場面を彩る存在」になっている。
そう考えると、日本には「名リフが少ない」というよりも、「名イントロ・名フレーズが発達した」と表現したほうが正確なのかもしれない。
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#5. そして、これはベースやドラムにも波及する
ここまで考えて、さらに嫌なこと?に気付いた。
これ、ギターだけの話じゃないのでは?
コードが頻繁に動けば、当然ベースも動く。
ルートを追いながらもメロディックに動く。
セクションが変わればドラムパターンも変わる。
つまり、曲全体として、
英語圏:反復する楽器 + 動く言葉
に対して、
日本:動く楽器 + 比較的均質な言葉
というアレンジ思想の違いにまで繋がる可能性がある。もちろん、こんなんを「日本語と英語の違い」だけで説明したら怒られるけども。
ブルース。R&B。ファンク。ロックンロール。
日本側なら加えて歌謡曲、演歌、フォーク、ニューミュージック、シティポップ。
楽器演奏の文化も違えば、音楽産業の歴史も違う。だから、
日本語のモーラ
→ J-POPはコードが多い
→ 名リフが少ない
という一本の単純な矢印を引くつもりはない。
そんな研究結果を私は見つけていない。
あくまでここで言いたいのは、
「なぜ英語圏では反復リフ主体の曲があれほど自然に成立するのか」を考える時、言語のリズムも説明変数の一つとして考えられるんじゃないか?
という話である。
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#6. じゃあ、日本語では「ループの快楽」は作れないのか
ここが一番言いたかったことかもしれない。
日本語で「リフの快感」を伴う曲は、絶対に作れないのだろうか?
もちろん、そんなことはない。
ここで猛烈に面白い曲がある。
Sugar Soul feat. Kenjiの『Garden』。
特徴的なストリングスのフレーズがある。
そして、それがずーーーーっといる。
普通のJ-POPなら、「Aメロになりましたので、いったん引っ込みます」「Bメロですので別の展開へ行きます」「サビなのでコードを広げます」となりそうなところ。
『Garden』は「いや、こいつが気持ちいいんだから、こいつをずっと回そうぜ」とやる。
あれだけキャッチーなサビ(「さあ みんなここに〜」)を迎えても、バックトラックのリフは1ミリも変わらない。コード進行は変えず、メロディの抑揚とボーカルの表現力だけで「ここがサビである!」という高揚感を演出している。
完全にループミュージックの発想だ。
しかも重要なのが、その上に乗る日本語。
Sugar Soulの歌唱はかなりリズミックだし、kjは当然ラップ由来。
日本語を「一音一音綺麗なメロディに収納する」だけではなく、ビートの上に日本語を置いていく。だからバックが動き回らなくても成立する。
これ、ものすごく重要な反例だと思う。というより、反例があることで仮説が面白くなる。日本語だからループ主体の曲が作れないわけではない。
そうではなく、「日本語でループ主体の音楽を成立させるために、日本語側の乗せ方も変化した」としたほうが正確なのかも。
日本語ラップやR&Bが発達させた「フロウ」は、日本のポップスに英米的な反復の快楽を持ち込む装置の一つだったのではないか。
そう考えると、『Garden』のあのストリングスが25年以上経っても異常に耳に残る理由まで、ちょっと違って聞こえてくる。
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#7. 「日本語はコードを動かす。英語は言葉を動かす。」
もちろん、この見出しはかなり乱暴なまとめ。
英語圏に複雑なコードの曲はいくらでもある。日本語にもリフ主体の曲はいくらでもある。そもそも「日本語=モーラ拍、英語=強勢拍」という分類自体、現代音声学においては単純な二分法として扱えるものでもない。
それでも。『Crash Into Me』を聴いて、
「なんでこの曲、こんなに同じところにいるのに飽きないんだ?」
と思ったところから始めると、妙に腑に落ちる。
英語は同じコードの上で言葉そのものが伸び縮みする。だからギターは同じことをしていられる。
日本語では、言葉だけでは作りにくい変化をメロディやコードやアレンジが引き受けてきた可能性がある。だからギターも忙しくなる。
ものすごく雑に各一行でまとめるなら、以下だ。
●英語は言葉が動くから、楽器は反復できる。
●日本語は言葉の粒が揃いやすいから、楽器側が動く。
そして、それが本当に日本語ロックの名ギターリフの生まれ方にまで影響しているのだとしたら。
我々が『Smoke on the Water』を聴いて「なんでこんな単純なフレーズを延々繰り返して、こんなにカッコいいんだ」と思う、その遥か後ろには。英語という言語そのものがいるのかもしれない。
……などということを考えながら『Crash Into Me』を聴いていた。
普通に曲を聴けない身体になっている。
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