
Vol.24 飲める喜びを、すべての人に
私は自他共に認める本当にコーヒーが大好きな人間です。
「生まれ変わったらコーヒー豆になりたい!」と本気で思い人に話続けて、理解されない時も多々ありました。笑
そんなコーヒー大好きな私がコーヒーの仕事をする様になってからふと思う事がありました。

「もし明日からコーヒーが飲めなくなったら。」
妊娠や出産。
体質の変化。
病気や薬の影響。
眠れなくなったり、カフェインがとれなくなったり。
当たり前だった一杯が、ある日突然、我慢しなければならなくなることがあったとしたら?
私にはまだその出来事が起こった事はありませんが、この仕事をしているとそういった方のお話しをお聞きする事が何度となくあります。
私は30年前、その「飲めなくなった人」と出会ったことがきっかけで、デカフェという世界に人生を懸けるようになりました。振り返ってみると、なんだかこの30年間はデカフェを研究してきた時間というより、本来コーヒーが好きな人に対して「飲める喜び」を再度感じて欲しいと思い続けた時間だったのだ、と振り返って思っています。
コーヒーの世界に入った1998年
当時のコーヒー業界は、今とはまったく違う世界でした。

炭焼きコーヒー。深煎り。苦味。喫茶店。新聞。タバコ。
そんな言葉が当たり前に並び、コーヒーはどこか男性の世界で女性は入りにくいもの・・という空気がありました。
一方で、私は輸入食品にも携わっていたので、紅茶の世界にも触れていて、紅茶はパッケージも世界観もやわらかく、暮らしに寄り添うような商品がたくさんありました。その頃から私が思っていたのは、
「コーヒーにも、もっと違う表現があっていいんじゃないかな。」
ということ。
女性が自然に手に取れるコーヒー。
夜でも楽しめるコーヒー。
家族みんなで飲めるコーヒー。
そんな存在があってもいいはずだと。
その頃、日本には「デカフェ」という言葉すらほとんどありませんでした。
売られていたのは「カフェインレスコーヒー」というものでした。
しかも、お店で探してもほとんど見つからず、妊婦さん向けと言えばたんぽぽコーヒーが主流でした。私自身も妊娠中、たんぽぽコーヒーを「コーヒーなんだ」と思って飲んでいたその一人でした。ところが後になって、それはコーヒー豆ではなく、たんぽぽの根から作られた飲み物だと知りとても驚いたのを覚えています。
「え、じゃあ本物のコーヒーは飲めないっていう事?」
といった疑問が頭から離れなくなりました。
カフェインレスコーヒーの情報が何もない時代
そこから私は自分の為にも調べ始めました。
しかし時代は1998年。
今のようにスマホもなくインターネットはまだまだ黎明期。
情報を求めて図書館へ行き、本屋へ行き、海外の資料を探し、人に会って話を聞く。といった地道な方法を続けて情報をとっていきました。
それだけでは納得しきれずコーヒー会社にもお話しを伺いに行きました。
「カフェインレスコーヒーって、どこの農園の豆なんですか?」
「ブラジル……かな?」
「どうやってカフェインを抜いているんですか?」
「水じゃないかな。」
そんな、なんとも曖昧な返答しかかえってきませんでした。(ご対応して下さった方スミマセン・・)
でもそれは、その方が無知なわけではなく本当に誰も知らなかったんです。
そこから私の疑問は増えるばかり・・。

どこの農園の豆なの?本当に安全なの?薬品は使っていないの?どうして味が違うの?
調べれば調べるほど、知らないことが増えていった訳ですが、不思議と嫌な気分にはならず、むしろ「もっと知りたい」という気持ちの方が大きかったです。世界中のデカフェを取り寄せ、飲み比べ、焙煎して、また飲む。その繰り返しを何度も何度もしていました。
今思えば、この頃から私の研究は始まっていたんだと思います。(無意識!)
人生の転機
そんなある日、忘れられない出来事がおこります。
ご主人が病気になり、コーヒーを飲めなくなってしまったという奥様が、お店にいらっしゃいました。
「このデカフェは本当に安全ですか?」
「薬品は使っていませんか?」
とても真剣な表情でにご質問に私は当時わかる限りのことを、時間をかけて丁寧にお話しさせて頂きました。すると後日、ご夫婦でお店に来てくださり、デカフェのコーヒーを飲んでくださいました。
その時、ご主人が笑顔でこう言ってくださいました。
「久しぶりにコーヒーを飲めました。本当においしかったです。」
その笑顔を見た瞬間、私は本当に胸がいっぱいになったのを今も忘れる事ができません・・。

私は病気を治すことはできません。
でも、大好きだったコーヒーをもう一度楽しむ機会を作ることはできた。それだけで、人はこんなにも笑顔になるんだ・・と。私は、その時初めて思いました。
「これが私の仕事なんじゃないか?」と。
おいしいコーヒーを売ることだけではなくて、飲めない人にもう一度飲める喜びを届けること。
それが私の役目なんだ!と。そこから、「飲める喜びを、すべての人に」という想いが、私の中で少しずつ形になっていきました。
デカフェへの情熱
デカフェを研究していると、正直「美味しくない」という言葉もたくさん聞きました。
「やっぱり普通のコーヒーには勝てない。」
なんて言われた事は何度もありました。やっぱりとっても悔しくて、そのたびに思っていたのは
「だったら、もっとおいしいデカフェを作ろう!」
この気持ちでした。

もっと香りが残る方法はないのか?
もっと甘みを引き出せないのか?
もっとコーヒーらしい余韻を残せないのか?
などなどなど・・・。
ただ答えは、いつも現場にあって、
焼いて、飲む。
また焼いて、飲む。
少しだけ条件を変えて、また飲む。
その積み重ねで、私は何かの変化や気付きを導き出そうとしていました。
デカフェへのリアルな反応
そんな私に、大きな転機が訪れます。
2014年。
ドイツで加工された、超臨界二酸化炭素抽出法のデカフェとの出会いがあった時です。
一口飲んだ瞬間、衝撃を受けたのは忘れません!
「これが、本当にデカフェなの?」
今まで出会ってきたデカフェとは、まったく違い、
香りがある。甘みがある。酸味もきれいに残っている。
「こんなデカフェがあるなら、日本にも絶対に広めたい!広められる!」
そう心から思ったんですよね。
この豆なら、きっとデカフェの未来を変えられる。そう確信し、2015年にスペシャルティデカフェ専門ブランド「innocent coffee」を立ち上げました。
そしていよいよ自分のブランドで日本全国へデカフェを広めていくぞ!と強く思っているなか、甘くない現実にぶち当たる事になります。
デカフェを進める中での反応は
「デカフェ?」
「でかいコーヒー?」
イベントへ行けば、そんなやり取りから始まります。
説明しても、「美味しくないでしょ」と言われ、営業に行っても、「需要がない」と断られる。
軽井沢では約200店舗を回りましたが、ほとんど相手にしてもらえないという現実に正直心が折れそうになりました。
「私の作っているコーヒーは、本当に必要とされているんだろうか。」
そんなことを何度考えたかわかりません。
ただ・・それでも続けられた理由があります。
それはお客様からの
「久しぶりにコーヒーが飲めました。」
という言葉。その一言を聞くたびに、「もう少し頑張ろう」と思いつづけられました。デカフェは、売れるから続けてきたわけではなくて、飲めなかった人が笑顔になる。ここなんですよね。
その笑顔が、あの時の私を本当に支えてくれたんだと今思い返しても心から思います。
デカフェへの追い風
そんな頃、もう一つの運命的な出会いがありました。
三重県で超臨界二酸化炭素抽出法を研究している博士と、超臨界技術センターの皆さんです。
「日本でも、この技術を研究している人がいる。」
その知らせを聞いた時は、本当に嬉しくってすぐにお会いして、一緒にデカフェを飲みました。
その時のその味にもとても驚きました。
ブラジルのコモディティ豆なのに、雑味がなく、とてもクリーン。甘みまで感じられる。(これ凄い事なんです)
「日本でも、ここまでできるんだ。」
と胸が高鳴りました。その時に博士からこう聞かれました
「デカフェは、これから売れますか?」
私は迷わず答えました。
「売れます。一緒に広げましょう。」

今思えば、あの時の私は夢しか見ていませんでした。
でも、その夢があったから、私の熱量もたやす事なく走って来れたし、多くの方が関わって下さったんだと思います。
希望と挫折
そこからは、ひたすら試作の日々!
どの品種ならデカフェに向いているのか?
どの焙煎なら香りが残るのか?
抽出はどうするのか?
デカフェになる前と後で、何が変わるのか?
何千回と比較しました。
でもその答えは、自分で飲むこと。
この姿勢は、30年前から変わっていません。
その積み重ねが、今のMade in Japan Decafにつながっていきました。
そして2020年。
量産機が完成!
あの日のことは今でも忘れません。
「これから日本のデカフェが変わる。」
本気でそう思っていました。
15種類ものデカフェを作り、日本中、そして海外へ届ける未来を思い描いていました。
ところが、その直後・・
新型コロナウイルスが広がりました。
卸先は止まり、売上も落ち込みました。
それでも、不思議なことが起きました。
デカフェを探している方から、
毎日のようにお問い合わせをいただくようになったんです。
「家でコーヒーを楽しみたい。」
「夜も飲めるコーヒーが欲しい。」
そんな声が次々と届いた事で、
「やっぱり必要としている人はいるんだ!」
と信じられたその矢先、今度は超臨界二酸化炭素抽出工場が閉鎖するという知らせが届いたのです。
その時、私の頭はショックを通り越して真っ白になってしまいました。
三重へ何度も足を運び、工場にもお願いし、量産機を残せないか。
小さい設備でもいい。何とか続けられないか。投資家にも話し企業にも声をかけ、やれることのありとあらゆる事を考えてあげ出して、藁をも掴む想いで動きました。
でも、結果はどうにもなりませんでした。
夢だったMade in Japan Decafの世界進出は、完全に止まり、
そこで私は完全に力が抜けてしまいました。これまで話してきた夢も、未来も、全部なくなってしまったような気がしました。その時はしばらくデカフェのことを考えるだけでも苦しく、虚無感だけをまとった状態でした。
それでも私がやる理由
それでも、不思議なものというか、諦めが悪いと言うか時間がたつと、また考え始めるんです。
「もっといい方法はないだろうか。」「新しいデカフェは作れないだろうか。」
気づけば、また研究を少しずつ再開している自分がいました。やっぱり私は、デカフェが好きなんですよね。そして、研究者の皆さんの努力も知っているし、
もっと美味しくしたい!もっと安心できるものを作りたい!時間は少しずつ前を向かせてくれて、新しいデカフェを考え、ミルクブリューを開発し、今はまた新しい挑戦を始めています。
私は、この技術を未来へ残してほしいと心から願っています。そこまで自分がデカフェにこだわる理由、執着する理由をよくよく考えると、正直会社のためでもなく私のためでもないなと思いました。私がやりたいのはこれから先、「コーヒーが飲めなくなった誰か」のためなんですよね。その人が諦めなくてもいい未来を残すのは自分なのだ。と言う強い使命感を持っている事に深く気付く事ができました。
デカフェを30年見続けていると、コーヒー豆と人が時として重なる瞬間があるんですよね。(変わってるかもですが本当に・・)
デカフェの生豆は、カフェインを取り除く過程で負荷がかかります。
色が変わることもあります。
傷がつくこともあります。
形も少し不揃いになります。
ゆえに「欠点豆」なんて呼ばれることもあります。
でも私は、その豆たちを見るたびに「よく頑張ったね」と思ってしまうんです。たくさんの負荷を受けながらも、もう一度誰かにコーヒーを届けようとしている姿が、とても愛おしく見えてしまう・・。そんな気持ちなんです。

そして時として人も同じだと私は思っています。
何にも傷つかずに生きてきた人なんていないと思います。
遠回りしたこと。
失敗したこと。
涙を流したこと。
思うようにいかなかったこと。
etc・・・
そんな経験を持った過去が、人としての器となり、相手の気持ちを自分に照らし合わせて人の気持ちを深く理解できるのだと思っています。
完璧だから魅力があるのではなくて、完璧ではない部分も認めながら生きていく事こそ、その人らしさが滲み出るのだ、とデカフェを見ているとそんなことをつくづく教えられます。
だから私は、もっと美味しい一杯を届けるためにこれからも研究を続けていきます。そしてもっと安心して選んでもらえるように。デカフェという文化が、未来へと受け継がれていくように。
「飲める喜びを、すべての人に。」
この言葉は、ブランドのキャッチコピーでもあり、
30年間デカフェと向き合ってきた私自身の心からの願いです。
誰かが、「もうコーヒーは飲めない」と思ったその日に、「大丈夫ですよ」と胸を張って伝えられるように。その一杯が、その人の心に灯りをともすことを信じて、今日もコーヒーを焙煎していこうと思います。
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