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「老いに抗わない」とか言ってた私が、美人の誘い一発で歯のホワイトニングへ猛ダッシュした話

    私は自分の顔が、それほど嫌いではない。
    もちろん、世間一般的に見れば、お世辞にも整っているバランスとは言いがたい。
    肌がもうちょっと強ければな、顎がもうちょっと細ければな、鼻がもうちょっと上についていて、かつ小さければな、眉毛がもうちょっとフサフサしていればな、と思うことはある。

    ただ、たまに内に秘めた虎を見抜いたような「元ヤン?」というレアな意見は別にして、「上品」とか「優しそう」「愛嬌がある」と言ってもらえることもあるし、自分に似合う服を選んで、なんとか「雰囲気可愛い」という枠でそれなりに楽しく生きてきた。

    33歳の頃からずっとお世話になっている美容師さんには、行く度に「生駒さん、絶対に10歳サバ読めますって」と言われた。
    けれど、少し前までの私は、「アラフィフがアラフォーに見えたところで、何にどう活かせるのか。無駄なスキルである」と、鏡の前で元気に苦笑いしていた。


    私は白髪染めをしている。
    私の白髪は恥ずかしがりなのか、だいたい前髪の下に隠れている。そして額の真ん中からきっぱり右に白陣営、左は黒陣営、というキメラスタイルを採用している。
    だから、実はおでこを出していればかっこいい生え方なのかもしれない。

    老いに抗うのは、あまり好きじゃない。老いていく自分を、その時々で受け入れて楽しめばいいというのが私のコアにある考え方だ。

    ただ、私の額には、高3の頃から横しわが一本ある。
    たぶん高2で始めたバイトの後、ホットカーペットでうつ伏せバタンキューし続けたせいで、皮膚が乾燥してしまったのだ。これは老いではなく、若き日の不摂生だ。かくして、高3からの私は、その深いしわを隠すために前髪を下ろすしかなくなった。
    大学受験用の証明写真を撮ったら、写真屋さんが「前髪の隙間から覗くしわを修正しておいたよ」とドヤ顔をするぐらいには、そのしわは深かった。
    ちなみに、写真の前髪はほんの少し不自然に途切れていた。

    前髪の下にしか生息していなかった白髪は、つむじまわりにも少しずつ勢力を伸ばし始めた。
    白髪というのはなぜか硬く短い。そして黒髪よりウェルビーイングな暮らしなのかと思ってしまうほどにウェービーだ。
    そいつらの歪んだ自己主張は、老化に抗いたくないという話を、最低限の清潔感が損なわれるという別ステージのお話に変えてしまう。

    だから私は白髪を染めている。おでこのしわも隠し続けている。
    でも、必要以上に若さを追い求める必要はない。
    そう思っているのは変わらない。
    いや、変わらないはずだった。 あのLINEが届くまでは。


    「7月〇〇日、元同僚たちと集まるから、サプライズで来てよ。」
    関西で働いていた頃の、元後輩からの誘いだった。
    「こないだ〇〇さんとも久しぶりに会って、生駒さんの話になったんだよ。あと、〇〇さん、全然変わってなかった!」

    その瞬間、私の脳内は20年前へとワームホールを繋げていた。
    誰もが声に出して「美人だね」と言いたくなるけど、それをひけらかさない後輩、そして、当時から美魔女と言われていた上司〇〇さんの笑顔が、惑星のように浮かんでいた。
    後輩は二児の母親になったけど、たぶんいい感じに年を重ねて美魔女に昇格しているだろうし、当時すでに美魔女だった上司〇〇さんは、20年の時を経ても全く変わっていないと言う。もはやエルフだ。
    かつて私は、彼女たちに「ん~、生駒さんは…チャーミング!」という便利な言葉をもらい、それを鎧にして、雰囲気可愛いだけでなんとかそこに並んでいた。

    さぁ。今の私はどうだ。
    この20年、私は「お母さん」としての役割に全力を注いできた。その結果、自分のメンテナンスは完全に後回しだった。
    「実年齢より若く見られがち」という事実にどこか胡坐をかいていたのかもしれない。
    ふと鏡を見れば、小惑星によって傷つけられた月の裏側のような頬に、目の下の黒い三日月湖たち。ピテラの力なぞにはご縁がない。クッションファンデとコンシーラーで、なんとか最低限の清潔感のために頑張っている。

    無駄なスキルと笑い飛ばしていた美容師さんの「10歳サバ読めます」が、脳内でリフレインする。頼む、今こそ発動してくれ。
    そういえば、今年に入ってから、美容師さんのそのセリフを聞かなくなった気がするのは、気のせいだろうか。

    そうして、自分の「ガワ」を厳密にチェックし始めた私は、ある決定的な事実に気づいてしまった。

    ……歯が。
    歯が、まばゆい太陽の白さではなく、どこか淡い月光のような色味を帯びている。
    象の牙が、その頭角を現し出していたのだ。

    私は小学生の頃から、どちらかと言えば真っ白ではなくアイボリー寄りの歯をしていた。
    遠足で訪れた水族館のブラックライトコーナーで、白いTシャツや靴がボゥッと紫に光って、友だちが笑うと歯も紫に発光して、さらに笑った。でも鏡に映った私の歯は、紫の光を放っていなかった。
    大人になってから、歯医者さんに「元々エナメル質が薄いね」と言われた。市販のホワイトニング用品を試してもびくともしなかった私の歯は、気づけばエコフレンドリーアイボリーを通り越し、進化を遂げていた。

    これはもう、老化に抗うとかいう話ではない。象には申し訳ないが、清潔感案件である。
    20年ぶりの美女たちを含む同僚との集いに、私は最低限の清潔感を持っていかねばならない。でないと、ここまで私を養ってきてくれた夫の顔に泥を塗ってしまうのではないか。

    私は急いでかかりつけの歯医者に予約を入れた。
    今まで、会計待ちの間、待合室のポスターを隅から隅まで見てきてよかった。
    娘の大学受験期を経て、定期健診なんてものをぶっ飛ばしていたので、最後の治療から2年。痛む場所もなかったので高を括っていた。
    だが、そこは歳月の生んだ、私の知らない小宇宙だった。

    親知らずは人知れず領土を広げて隣の歯を押し、狭くなった隙間では虫歯が微細なドリルを使い始めていた。
    前歯の並びが綺麗だったせいで親に見落とされていた私の上奥歯は、実は「その狼藉はいかがなものか」というほど入り組んでいて、その隙間には屈強な歯石軍団が鳴りを潜めていた。
    歯科衛生士さんは言った。
    「引き続きのクリーニングと虫歯治療が最優先ですね」

    違う、衛生士さん。今、私が求めているのは根本治療ではなく、Xデーまでの突貫工事、表面の白さなのだ。
    黒のベタ塗りに集中線で囲んだ白い吹き出しに入っていた衛生士さんの言葉と共に、私の目論見はあえなく崩れ去った。


    しかし、諦めるわけにはいかない。私は必死にスマホの画面を叩き、調べに調べた。そして見つけたのが、とあるホワイトニングサロンだった。
    初日からカウンセリングの後にすぐ照射が受けられるらしく、しかも虫歯があっても問題ないという。これだ!私は飛びついた。すぐに予約を取り、文字通り猛ダッシュでその扉を叩いた。

    世の中そう甘くはなかった。
    サロンの綺麗な担当さんによるカウンセリングの結果、私の「淡い月光色の歯」をXデーまでに何とかするには、通常の美容ケアでは太刀打ちできないことが判明した。提示されたのは、歯科医師提携による「医療ホワイトニング」の1ヶ月短期集中通い放題プラン。普通のアラフィフ主婦なら、白目を剥いて怯むような金額である。

    けれど、今の私には、誰も知らない「無敵の軍資金」がある。
    今年の春から、夫の両親がきっかけで、東京にある伝統的な会で、役員と言えば聞こえはいいが、要は裏方ボランティア要員を引き受けることとなった。
    役員を受ける前から、ここ数年、月に一、二度、畳敷きの広い本部へと通っては、ご高齢の方々のお世話をしたり、汗を流して裏方仕事を頑張ってきた。ありがたいことに、義理の母が半年置きに交通費を支給してくれていたのだが、使わずにコツコツと貯めていた。それが積もり積もって、それなりの金額になっているのだ。

    自分の意思で通い、真面目に務めを果たして得たお金。これはもう、天からのボーナスだ。今使わなくていつ使うというのだ。知識の引き出しは貴重だが、引き出しのお金ほど無駄な物はない。お金は使ってこそ輝くのだ。
    私は覚悟を決め、支払いQRコードを読み込んだ。


    帰り道。
    駅ビルに少し立ち寄ったとき、ノースリーブロングワンピが目に留まった。モカ系の落ち着いた色味は、少し光沢のある生地のせいか、ゴールドにも見える。ウエストからの切り替えで、細かなプリーツが滑らかに下に流れていく。

    「よかったら試してみませんか?」
    二つ返事で試着した。着てみたら予想以上に「チャーミング」だった。店員さんも「私も、入荷したときから目をつけてはいたんですが、今ご試着されたのを見たら、自分でも欲しくなりました」と言った。セールストークかもしれないが、アパレルで働いている人は服が大好きなはずだ。だから私はその言葉を信じたし、お姉さんが着ている想像をしたら、とても似合っていた。
    「買います!」
    食い気味な宣言。心が躍って、声が上ずった。

    普段着以外でおしゃれのための服を買ったのはいつぶりだろう。
    貯め込んだ駅ビルカードの4,500ポイントを全て投入してもまだ値の張る最高の戦闘服。こんな高揚感は何年振りだろう。
    染みついた主婦魂、クレジットポイント欲しさに電子マネー決済にしたせいで、夫への説明が必要になったのは少々めんどくさいけれど、そこはひとまず銀河の彼方へ置いておく。


    来週後半、いよいよ私の前歯に青いLEDライトが照射される。
    タイムリミットは、7月〇〇日。
    購入したジェルは10回分。担当者さんは「一ヶ月で半分くらい使って、なんとか間に合わせましょう!」と頼もしく微笑んでくれた。いや、甘いよ、担当さん。私はあわよくば全部使い切ってやる勢いで通い詰めるつもりだ。

    「老いに抗わない」なんて言っていた私の大人の哲学は、美人後輩のLINE一本と、3週間の短期決戦プランの中に、あっさりと溶けて消えた。
    でも、それでいいじゃないか、と思う。

    この20年、私の生活の中心には、いつも娘がいた。
    理系脳を抱えて拘りに縛られていた幼少期は優しく包み込んだ。
    塾の代わりに中学受験の勉強を見て、模試の結果に一喜一憂した。
    高校では部長として思い悩む娘と一緒に悩んだ。
    大学受験では参考書を調べ尽くし、夏休みのスケジュールを管理した。「明日の午後までお時間下さい」と言ったまま二度と帰ってこないチャッピーを追いかけ回しながら、過去問研究に明け暮れた。
    娘の受験は娘のものだったけれど、私は勝手に第二の受験生になっていた。
    そしてこの春、娘は大学生として、自分の足で進み始めた。

    さぁ、私はどこへ向かおう。
    人生で初めてかもしれない。「娘の受験」と同じ熱量で「自分の歯の色」を気にしている。
    我ながらどうかと思う。でも、娘が自分の人生を走り始めた今くらい、私も少しだけ自分のことに本気になってもいいのかもしれない。たぶん、その第一歩が前歯だったというだけだ。

    私は若さを取り戻したいわけじゃない。ただ、自分が思う「チャーミングな私」という軌道に、もう一度乗りたいだけである。
    そのために、自分の足で通い、自分のお金を使い、自分で笑う準備をしている。たぶんこれは美容ではない。第二の人生の始業式みたいなものだ。


    Xデー。
    私は新しいモカ色のワンピースをまとい、突貫工事で仕込んだ限りなく白に近づいているであろう歯をひっさげて関西へ向かう。
    たとえ本物の美人たちの相も変わらない美魔女っぷりに、歯より先に白目を剥くことになったとしても。
    私は、私史上最高にチャーミングに「久しぶり!」と笑ってやるのだ。


     
     
    関東で暮らす関西人。 短くて小気味いい文章を書きたい長文書き。 最近登場率の少ないアイコンとサムネのクマは、イクマちゃん(命名:パルサー君)

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