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葛飾北斎【神奈川沖浪裏】:波の構図の分析と人気への設計を考察

    こんにちは。伊盾いだてです 🐺

    この記事は、名画『神奈川沖浪裏かながわおきなみうら』の波の構図にみる “ 大衆の心を揺さぶる設計 ” と、画工『葛飾北斎』の想いをひも解きます。

    大衆娯楽の提供で圧倒的な人気を誇った浮世絵師。孤高のアーティストにして異端のクリエイター。北斎の生き様に照らして考察します。

    ~ はじめに ~

    AI生成ではなく、私自身の執筆です。
    私の個人的な考察・感想を含みます。
    ( 敬称略 )

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    葛飾北斎『 冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい・神奈川沖浪裏 』
    出展:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
    ※ 編集を加えております。

    私の記事をご覧いただくにあたり【免責事項・リンク・著作権について】の内容もご了承くださいますよう、お願い申しあげます。

    本文の文字数:約1,800文字
    読了の推測時間:4分

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    浮世絵 『 神奈川沖浪裏 』

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    『 冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏 』
    出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム..
    https://colbase.nich.go.jp/

    名称:富嶽三十六景 神奈川沖浪裏
    分類:木版画 ( 浮世絵 )
    絵師:葛飾北斎 ( 1760年〜1849年 )
    制作年:1830年頃

    北斎は、江戸時代後期に大活躍した浮世絵師である。本作は、富士山をテーマとした木版画集『富嶽三十六景』のうちの代表的な1図。

    当初は36図の構想だったが、圧倒的な人気を受けて10図が追加され、全46図の大人気シリーズとなった。

    極めて象徴的な名画であり、現代においても世界中で多くの人に愛されている。なお、北斎の版画や肉筆画はパブリックドメインである。

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    波の構図から推測する意図


    当時の日本の文字は縦書きが基本であり、文章は「右から左へ」と読み進める。それが順行・平常であり、人びとは無意識に「安定・安心」を感じる流れだったことだろう。

    しかし、北斎は「 左から右へ 」向けて大波を描いた。これは自然な流れに逆らう構図だ。平常に流れるものではなく「 向かい来るもの 」として描いたと推測する。

    浪裏に浮かぶ船は「押し流されるもの」か「向かって行くもの」として描いたのだろう。どちらであれ「安定・安心」は感じられない。

    ちなみに、右利きの絵描きにとって ‘ 右向きの構図は描きづらい ’ との説もある。とはいえ、奇才の域に達していた当時の北斎に、描きづらい構図など、なくなっていただろうが。

    これらの点から、本作の波の構図には “ 北斎の意図が込められている ” と考えられる。

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    大衆の感情を揺さぶる設計


    なぜ、北斎は「向かい来るもの」として波を描いたのか。奇才であり、奇人ともいえる北斎の生き様に照らして考えた。

    とうてい ‘ 意味はない ’ なんてことはないはずだ。まず、北斎はアーティストなのかクリエイターなのか、その点の私の持論をお伝えする。

    < アーティストとは >
    自分が表現したいものを表現する。その衝動を実行し、自分の想いを自己完結させる。自己表現を受け容れてくれる人を待つ、または探す。

    < クリエイターとは >
    届いた数、揺さぶった感情の量、価値の変換を求め、需要に対して自分の思考・技術を駆使して提供する。届ける人たちを見定め、届ける。

    北斎は、画工としての探求を生涯にわたり実践したアーティストだが、もとより大衆の感情を揺さぶる設計ができるクリエイターだった。

    大波は「新しいもの」や「躍動」の表現であり、それらによって大衆から「好奇心」や「衝動」を引き出す設計があったと考察する。

    無論、それは “ 潜在ニーズ ” への設計だろう。

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    『 冨嶽三十六景・凱風快晴がいふうかいせい 』
    出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
    https://colbase.nich.go.jp/

    同シリーズの『凱風快晴』は「赤富士」で有名だが、当初の富士山は白だった。その後、売れることを見越した版元の戦略で赤富士として摺すられ、爆発的な人気を博した。

    安定の構図があっての戦略と成功だと思える。

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    波に込められた北斎の想い


    北斎は、14歳から18歳ころまで木版画の彫師として働き、知識と技術を習得している。その後、19歳から90歳で天寿を全うするまで、画工として生きた奇才である。

    人気の浮世絵師となってもなお、“ 庶民の視座 ” という地に足をつけた視点をもち、“ 画工としての表現技術の探求 ” に励みつづけた。

    そして、北斎の50年近い画業の集大成が『富嶽三十六景』シリーズとなる。『神奈川沖浪裏』を制作したとき、すでに70歳を超えていた。

    北斎が「向かい来るもの」として描いた波。

    「新しさ」や「躍動」の表現、それに向かう「好奇心」と「衝動」。本作は北斎の志であり、生き様そのものと思えてならない。

    それは、大衆の “ 潜在ニーズ ” につながった。提供する浮世絵師と、求める人びと。北斎の娯楽提供の精神は、垣根をつくらなかったのだ。

    この『富嶽三十六景』シリーズは、当時の旅行ブームまで巻き起こしたともいわれている。

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    『 冨嶽三十六景・相州江の嶌そうしゅうえのしま 』
    出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム.
    https://colbase.nich.go.jp/

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    海をも渡った北斎の探求心


    すでに西洋絵画も分析していたといわれる北斎である。西洋文化における「左から右へ」の構図と意図も理解し、体感もしていただろう。

    日本とは異なる文化、真逆となる表現。日本に輸入された『ベロ藍』こと、化学合成顔料「Prussian blueプルシアン ブルー」の斬新な発色 ―――――

    それらの衝撃を、言葉ではなく浮世絵として物語り、昇華したのだ。

    日本の大衆の目には ‘ 向かい来る自然の力強さ・脅威 ’ と映っても、北斎は異なる想いも込めて描き出していたのかもしれない。

    波は「新しい躍動」「挑みたい対象」であり、その浪裏に浮かぶ人びとを乗せた船も「新しいものに直面した人びと」の表現かもしれない。

    大衆との感覚に異なりがあったとしても、 北斎も版元も “ この新しさは大衆に求められる ” との核心めいた設計があったと思えてならない。

    北斎は自分の想いや情熱を言葉では語らず、本作の浪裏に刻み込んだのだ。これは、私の深掘りのしすぎだろうか。

    ぜひとも、ふれてみてほしい。
    葛飾北斎という一人の画工の生き様に。

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    関連サイト紹介:リンク集


    🔽 『アダチ伝統木版画技術保存財団』


    🔽『一般財団法人 北斎館』


    🔽 映画『HOKUSAI』


    🔽 映画『HOKUSAI』90秒予告


    映画『HOKUSAI』は私からのオススメ作品!
    90秒予告だけでも、ぜひご覧くださいませ。
    ご興味をもたれましたら、ご鑑賞を ――― ✨

    映画『HOKUSAI』配信サービス一覧

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    ~ おわりに ~

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