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【17歳で脳腫瘍。松果体部混合性胚細胞腫瘍 寛解】第2章:抗がん剤、放射線、そして「余命2週間」の宣告


    抗がん剤を打っても、放射線を当てても、息子の腫瘍は止まりませんでした。 45mmだった腫瘍は、わずか3ヶ月で75mmに。 「神の手でも取れない」「余命2週間」と告げられた日のことを、今も忘れることはできません。 5年前、私たち家族が経験した、絶望の日々のことを書きます。


    病理診断 — 世界で10例の希少疾患

    生検手術から2週間後、ようやく病理診断結果が出ました。告げられたのは予想もしていなかった内容でした。

    ◎Desmoplastic Myxoid Tumor(DMT)という、世界で10例程度しか報告のない希少疾患という診断。 診断根拠は、SMARCB1(INI1)遺伝子の欠失。

    過去6例はいずれも経過がそれぞれ異なりすぎており、全摘出して長期生存している例もあれば、特に症状も出ずにそのまま経過観察を続けている例もある。珍しい事例だからといって、必ずしも危険度が高いというわけでもない、という説明でした。

    ただし、腫瘍が非常に固く、レーザーメスで焼き切ったごく微少な組織片しか採れなかったため、この診断が正しいかどうかは定かではないとのこと。臨床症状(尿崩症、AFP高値)をもとに、まずは抗がん剤治療を開始する判断となりました。

    このとき、本来であれば開頭腫瘍摘出手術を行うべきだが、松果体という脳の最深部にあること、サイズが長径45mm程度と大きく、また生検時に判明した腫瘍の固さを考慮し、手術のリスクが高すぎるというお話がありました。

    「神の手と呼ばれるような医者でも躊躇する」

    そう先生はおっしゃいました。一発で全摘出できれば良いのですが、それは難しい。まずは、少しでも腫瘍を小さくすることを期待して、抗がん剤をはじめる、ということになりました。

    ◎振り返って思うこと このときにセカンドオピニオンを聞きに行っていれば、抗がん剤・放射線の量は少ない程度で済み、目などの後遺症も軽く済んだ可能性があります。ただ、それは結果論にすぎません。 このときは、手術摘出の可能性について、自分から他の病院へ聞きに行くというアクションを起こす考えにはまったく至りませんでした。 脳腫瘍は大変希少な疾患で、患者によって病状はケースバイケース。とくに最高難度の手術については、施設による差が出るということは、後になってわかったのです。


    正月早々、緊急入院

    12月28日、退院時の血液検査で、悪性度を示す数値AFPは240.5 ng/ml。前回12月14日に測定した135.0から、2倍近くまで上昇していました。

    生検で腫瘍の表面一部を切り取った際の出血に起因する可能性があるとのことでしたが、年末ということもあり、いったん一時退院となりました。一時退院期間は1月3日まで。1月4日から再入院し、病理診断結果待ちで待機の予定でした。

    ところが、年が明けて1月2日の夜、39.5度の高熱が突然発生しました。

    病院に電話したところ、すぐに診察してくださるとのことで、21時に夜間窓口へ駆け込みました。コロナの検査、術後に髄膜炎にかかっていないかの髄液検査などをしてもらい、特に問題はないものの、もう2日後にはもともと入院する予定だったということで、そのまま緊急入院となりました。

    深夜に病棟へ送り届けたときはさすがに寂しそうでしたが、仕方ありません。私が帰宅したのは午前2時でした。


    CARE療法開始 — そして「AFP低下!」の希望

    2021年1月14日から、CARE療法が開始されました。3日間かけて、カルボプラチン、エトポシドという抗がん剤を点滴します。

    吐き気止めも一緒に処方されることから、昭和のドラマで見るような激しい嘔吐や倦怠感に見舞われることは少ないという話は聞いていましたが、本人も意外とけろりとした様子で、いつも通りLINEでやりとりをしていました。

    そして、2月1日の採血検査の結果、抗がん剤治療開始前の1月6日に432.2 ng/mlあったAFPの値は、155.6 ng/mlまで下がりました。

    抗がん剤の効果は出たということ。正常値は6.9 ng/ml以下です。 このまま腫瘍のサイズも縮小することを期待して待つほかありません。

    ただ、CTで見る限り、腫瘍のサイズは縮小はしていないようだということでした。病棟でコロナのクラスターが発生しており、MRIが使えなかったため、CTで取り急ぎ確認したものでした。

    このときは、まだ希望がありました。


    まさかのコロナ陽性 — 抗がん剤治療中の院内感染

    CARE治療1クール目が終わり、体調が良ければ待ちに待った一時退院ができる予定だった、2月5日。コロナの院内感染が出ていたことから、念のためコロナウイルスの検査を行うことになり、そこでまさかの陽性。

    夕方に主治医の先生から電話がかかってきました。院内でコロナウイルスが発生した直後から個室へ移動していたのに、感染してしまったことが信じられないとのこと。

    幸いまったくの無症状ですが、コロナに感染してしまった以上、隔離が必要。1クール目の抗がん剤治療が終わって、もともと一週間程度の一時退院が予定されていたことから、治療そのものの遅れは1週間程度に抑えられるとのことでしたが、1ヶ月以上入院しっぱなし、コロナのせいで面会もなかったことから、一時退院がなくなったことのショックが大きかったです。

    抗がん剤治療中に、コロナ陽性。こんな不運は、いったいなんなんだ!

    主治医の先生は、白血球が下がっているところだったので、無症状なのは不幸中の幸いとおっしゃってくださいましたが、いったい、どれだけの不運が重なってこんなことになってしまったのか。

    このとき、ただただ悲しかったです。一時退院できず、脳腫瘍に加えてコロナにもかかってしまった長男自身は、想像を絶するショックだったと思います。


    1ヶ月半ぶりの一時退院 — 大好きなチーズバーガー

    コロナ隔離から10日後の2月15日に、ようやく退院できることになりました。

    血液検査の結果、AFPは37.5 ng/mlまで下がっていました。治療前432.2 ng/mlあったので、かなりの効果がありました。

    ただし、腫瘍のサイズに関しては、CTで確認したところ、はっきりとはわからないけれど少なくとも縮小はしておらず、変わらないか増大しているようだとのこと。腫瘍内部が空洞化している部分もありましたが、それが腫瘍崩壊を示しているのかどうかは、この時点ではわかりませんでした。

    それでもAFPは下がったので、一定の効果はあったと判断し、再入院後はICE治療と放射線治療を行う予定で、1ヶ月半ぶりの一時退院となりました。

    久々に自宅に帰ってきて、大好きなマクドナルドのチーズバーガーを食べ、お風呂では湯船にもつかることができました。治療の合間ですが、ひといきつくことができた一週間でした。

    このときは、まだ、希望をもってこの治療を続ければ腫瘍が縮小し、改善していくことを期待していました。


    再入院 — 腫瘍が、増えていた

    2月22日、再入院しました。この日は朝から造影剤MRI。病棟でコロナが発生したせいでしばらくMRI装置は使用不可になっていたので、抗がん剤1クール目の結果はここではじめて確認できる検査でした。

    午前中に造影剤MRIが終了し、長男は病棟へとうつって行きました。

    夕方、MRIの結果が出たとのことで、私が再度病院へ行きました。

    CTの結果で、腫瘍は縮小はしていないことはわかっていたのですが、造影剤MRIで見たところ、縮小どころか、かなり増大していました。

    発見時45mmだった腫瘍が、60mmに。

    ただ、中身が蜂の巣状にポコポコと空洞があるように見えました。希望的観測では、空洞になった部分が腫瘍が死滅した箇所である可能性もあるかもしれない、まだCARE療法を一回しか行っていないこともあり、放射線を合わせて行えば反応が変わるかもしれない、という説明を受けました。

    放射線治療を併用したCARE療法を再度行うことを提案されましたが、同じ治療を行って効果があるのか疑問が生じたため、より強度の強いICE療法(イホスファミド+シスプラチン+エトポシド)を行っていただくことになりました。

    この段階で抗がん剤の効果が出ていないのであれば、外科手術に踏み切れないのか、ということも聞きました。けれど、ただでさえ固くてサイズの大きい腫瘍がさらに大きくなってしまったこと、わずか数週間で45mmから60mmに増大してしまったことから、増大速度の速い腫瘍=悪性度の高い腫瘍であるという判断で、手術したとしても一回で治療として有効なほど大きく摘出することはできない、というお話を聞きました。

    ◎後からわかったこと このときの腫瘍増大の反応は、未熟奇形腫が抗がん剤に反発して大きくなったもので、**growing teratoma syndrome(成長奇形腫症候群)**と呼ばれる症状でした。中身が蜂の巣状になることも、その大きな特徴のひとつです。 こちらの大学病院では、こういった事例は過去にほとんど例が無いということでした。最初に入院していた大学病院では、松果体胚細胞腫瘍の患者は年間5人程度治療していたそうですが、その大半は抗がん剤や放射線に感受性の高いジャーミノーマです。 基本的には、抗がん剤や放射線で腫瘍をできるだけ小さくしてから、残った成分があれば手術で摘出するというのが標準的な治療マニュアルなのです。長男の腫瘍は、そのマニュアル通りのものではありませんでした。


    「中等度悪性群」から「高度悪性群」へ

    ICE療法と並行して、放射線治療が開始されました。

    入院した当初は中等度悪性群だったのに、CARE療法が効かず腫瘍が増大してしまったため、この高度悪性群としての治療となりました。

    高度悪性群の治療同意書には、

    「1年で半数の方が亡くなり、5年間生存する方は25%程度です。」

    という恐ろしい記述がありました。

    後から気づいたのですが、この同意書、「目的と効果」の箇所に選択肢があるのですが、「治癒」にはチェックがなく、「生存期間延長」「病勢制御」にチェックが入っていたのです。息子の場合は、治るかどうかわからないけれどやってみる、というものだったということです。

    放射線治療は、1日線量1.8Gy × 28日間 = 50.4Gyの予定。再入院の直前に作った、顔を固定する網のようなマスクを使って照射。本人としては、ちょっと暖かい感じがした程度だったようです。

    数年から数十年後に生じるリスクのある晩期障害のことは心配でしたが、このときは、増大の止まらない腫瘍に対して、少しでも効果が出ればという思いでした。

    そして、この時点で行っていたICE+放射線の治療がまったく効果がなかった場合のために、末梢血幹細胞移植を伴う大量化学療法の準備として、まずは末梢血幹細胞採取を行う話も聞いてきました。


    「お風呂で湯婆婆倒したよ」— 幻覚のはじまり

    3月13日、ICE+放射線治療をはじめて3週間近くが経とうとしていたころ、LINEのメッセージに突然、こんな文章が届きました。

    「お風呂で湯婆婆倒したよ❗️」

    ゆばーば? そう、千と千尋の神隠しに出てきた、あの湯婆婆のことです。

    はじめは、なにかスマホでゲームか動画でも見た話なのかと思ったのですが、本人は、シャワーを浴びているときに突然湯婆婆が現れて、それを倒したと言っています。

    このとき、第三脳室を占拠するほど長径60mm以上に増大してしまった腫瘍は、脳幹などあちこちを圧迫していました。そのせいで幻覚を見たのだと思います。先生にあとで聞いたら、そういう症状はあり得るということでした。

    とうとう、幻覚が見えるようになってしまった。

    家族で泣きました。このときのことも、もうあまり覚えていません。当時の資料や、LINEの通話履歴を見て、1年経ったいま、思い出して断片的に書いています。

    そして1週間後、絶望の日を迎えます。


    余命2週間 — 一生忘れることのできない日

    3月19日、ICE+放射線治療を3週間行ったうえでの、MRIの結果を聞いてきました。

    このときほど、つらかった日はありません。

    ・腫瘍はICE+放射線治療開始前に撮った長径60mmよりもさらに増大している。長径75mm程度。 ・増大速度はやや落ちたかもしれない。ICE+放射線治療の成果であるかどうかは定かではない。 ・すでに第三脳室を占拠する大きさで、脳幹まで圧迫しはじめている。このままの速度で腫瘍増大が続けば、余命は2週間。 ・この病院では、摘出は不可能。大きすぎるし固すぎる。 ・ただし、手術は行う。でもそれは、治癒のための手術ではなく、腫瘍の分量を少しでも減らすための延命治療になる。 ・後頭部から、頭頂部から、2箇所から2回に分けて手術をしても、50%摘出できれば良いほう。 ・後頭葉(健康な脳の一部)を半分切除すれば、もう少しは摘出できるかもしれない。ただし、失明ほか、いろいろな機能を失う。 ・この病院では過去最大の巨大腫瘍である。 ・緩和ケアも考慮する。 ・神の手でも取れない。

    私はこの話を聞いたとき、何も答えることはできませんでした。

    ◎とても重要な話をするときは、先生のほかに、告知の場に立ち会いの方がつくようです。 いつもは先生と私だけで話しているのですが、このときは、看護師さんが後ろで何かメモをとっていらっしゃるようでした。 もしかすると、余命宣告をすると暴れ出したり倒れたりしてしまうご家族もいるのではないかと想像しています。子どもが余命宣告されたら、その場で発狂したってなんらおかしくないと思います。


    窓の景色

    説明を受けたあと、「息子さんの顔を見て行ってください」とのことで、コロナ対策で面会禁止だったのですが、特別に5分程度、病室へ入れてもらいました。

    息子はこのとき、本来けっこうな高額の特別室に入っていました。その部屋に無料で入ったのは、他の部屋が埋まっていたからと聞いていたのですが、余命宣告の話を聞いて、ああ、これはそういった特別の待遇をしてもらっていたのか、と思いました。

    息子は、壁一面ある広い大きな窓から、一人ぽつんと窓際に座って、寂しそうに外を眺めていました。

    自宅からすぐ近くの大学病院でしたから、窓からは、自宅や、小さいころからいつも遊んでいた公園がよく見えます。それらを毎日、1日中眺めていたのだと思います。

    私は、息子になんと声をかけてよいかわかりませんでした。余命宣告されてしまったことは息子には伝えていません。

    「大丈夫か、またくるからね!」

    と声をかけるのが精一杯でした。

    私は、このときの光景を一生忘れることができません。

    その窓は、自宅からはっきりと見えます。退院して1年経過した今でも、その窓に夜中に明かりがついていると、誰かが息子と同じように脳腫瘍と闘っていると思って、まともに見ることができません。

    結果的に生還できたけれど、あまりにも悲しい記憶。正直な話、いずれ引っ越そうと思っています。


    それでも、最後に残った一筋の希望

    この日、2021年3月19日。呆然とするなか、ただ、**「セカンドオピニオンをしたい」**という話だけして、先生には書類をお願いしました。

    このとき、同じ病気で現在元気に働いていらっしゃる方のブログを見て、お一人、気になっている先生がいたからです。

    そして家に帰り、妻と一緒に泣きました。私の母(息子から見て祖母)にも伝えました。

    もう、頑張ろうとかそういう話ではなくて、ただ泣いていました。

    あのときの絶望を、私は一生涯忘れることはありません。

    このブログ記事は、退院して1年経過してようやく書いたものです。


    ◎growing teratoma syndromeについて 松果体部胚細胞腫瘍の中でも、抗がん剤・放射線治療がよく効くと言われている胚細胞腫瘍の一種でありながら、抗がん剤・放射線の効き目がなく、逆に増大してしまうケース ── growing teratoma syndromeに関する情報は、まだまだ不足しているように思います。 同じような反応を示すお子さんがいらした場合、このシリーズが、なにかの参考になればと思っています。


    最大増大時、75mmにまで成長した腫瘍。「神の手でも取れない」と言われた、息子の命。

    しかし、ここから先、奇跡のような出会いがありました。

    ある先生が、この巨大な腫瘍に向き合ってくださった。そして、腫瘍は全摘出されることになります。

    次回、第3章「セカンドオピニオン ── 息子を救った奇跡」に続きます。


    第2章は以上です。

    最大増大時の腫瘍と、全摘出後の腫瘍のMRI画像はこちら:ブログ該当記事

     
     
    デザイン制作会社を起業して16年目。webデザイナー・グラフィックデザイナー。 防犯や子ども支援に携わり、難病の子ども達を支援する親でもあります。 長男:悪性脳腫瘍サバイバー、三男:医療的ケア児として生まれ、小学校支援級在籍中

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