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【17歳で脳腫瘍。松果体部混合性胚細胞腫瘍 寛解】第4章:14時間の開頭手術 ─ 復活の日、全摘出成功!


    「神の手でも取れない」と言われた、長径75mmの巨大腫瘍。 2021年4月5日、息子は14時間の開頭手術を受け、A先生は両手に4つのビンを抱えて手術室から出てきました。 ── 「100%全部とれた!約束したからね。」 私たち家族にとって、この日は永遠に忘れることのできない「復活の日」です。


    4月3日、聞いただけで気が遠くなる術式説明

    2021年4月3日 土曜日。明後日の手術前に、術式の説明を受けるためJ大病院へ行きました。A先生と、チームの若手の先生2名も一緒でした。

    先生は、1時間近くもかけて、詳細にどのような手術をするのか説明してくださいました。

    ◎松果体の巨大腫瘍へ到達するために、まずは後頭部からアプローチをする。今回後頭部からアプローチするのは、MRI画像から、腫瘍の根元(血液を供給している根っこの部分と思われる箇所)が後頭部付近であるため。

    ◎ボールペンくらいの大きさの穴をあけて、そこから腫瘍を少しずつ切り取って取り出してゆく。内側から削り取って、内側を削ったら、外側から少し腫瘍を押し込んで、また寄ってきた内側の腫瘍を削り取る。これを10回の工程に分けて行う。 ◎大きな血管をたくさん巻き込んでいる。これらひとつでも傷つければ命はない。 ◎手術は朝から始めて、深夜までかかる。ただし、翌朝までかかることはない。脳を開けっぱなしにしていられる時間の制約がある。もし取りきれなければ、いったん閉じて、体力の回復を待ち、3週間程度の後に2回目の手術を行う。 ◎手術を開始後、待機してもらって、夜24時頃まで何も連絡がなければ、順調に手術が進んでいる証拠。 ◎全摘出を行う予定で手術するが、上部に少し残存してしまう可能性がある。腫瘍の堅さと質感にもよる。 ◎MRIを見る限り、腫瘍は脳弓のすべてを圧迫している。脳弓は左右にあって、片方が無事なら記憶力に問題は生じないが、うちの息子の場合、両方とも圧迫し、すでに破壊されてしまっている可能性はある。

    ここで驚いたのは、A先生の術式の場合、腫瘍は固くてしっかりしているほうが取りやすいということでした。固いほうがしっかり押し込めて、削り取るとまとまって一緒についてくる、というニュアンスだったようです。

    地元の大学病院では「固くて取れない」と言われていたのですが、それは、地元大学病院は主に腫瘍組織を吸引する術式を主体としているためであったようです。

    A先生は、細かい説明をすべて、絵に描いて、詳しく教えてくださいました。これらの手術計画は、私がセカンドオピニオンに行った3月26日から、ずっと何日もかけて、何人もの先生が練りに練った手術計画であるということでした。

    私はもう気が遠くなるばかりで、

    「先生、どうかお願いします」

    と言うのがやっとでした。

    「1回の手術で全部取れるかは、開頭してみないとわからないが、大丈夫。多くても2回で取れるだろう。取れるまでやる!」

    そうおっしゃってくださり、先生と固く握手をしました。


    4月5日、手術当日の朝

    2021年4月5日。私にとって生涯忘れるはずのない日です。

    手術当日の朝、病院へは朝8時に来てほしいと言われました。手術中、呼び出しがあればすぐに駆けつけられるよう、近所で待機するため、ネットで調べてJ大病院から歩いて4分の距離にある、患者家族のための宿泊施設「ホームサン岩崎」を借りて待機することにしました。

    自宅出発は朝5時。いつもは車で行くのですが、病院の駐車場が夜には出庫できなくなってしまうことから、電車で行きました。

    病院に着くと、手術室の前で待機するように言われました。

    朝8時30分、息子が車椅子に乗って手術室の前にやってきました。

    コロナのために家族は病棟へ入ることができないため、救急車で転院して以後、一週間ぶりに息子に会いました。

    私「寝られたか?」

    息子「ほとんど寝られなかった」 「もう手術が恐ろしいから自分で死のうと思ったんだけど、死ぬ手段がなかった。舌をかむ勇気もなかった。」 私「これから手術で治すのに、死んでどうするんだよ!?」「頑張って治れ」 息子「どうしてこんな病気になっちゃったの?・・・」 チームの先生「息子君は、なんにも悪いことなんかしてない。たんなる偶然、病気になっちゃった。理由なんてないんだよ。でも大丈夫。手術は成功するよ。」

    私「よし、家のみんなに見せるから、記念写真撮ろう!」

    そう言って撮ったのが、頼りなさげなガッツポーズの一枚の写真です。私としては、まんがいち、本当にまんがいち手術で命を落としてしまったら、息子と会うのはこれが最後だと思って、無理して写真を撮りました。不安でいっぱいだったと思います。


    「A先生は、手術室で精神統一をしています」

    このとき、チームの若手の先生や看護師さん達は、手術室の前に集合していたのですが、A先生の姿が見えなかったので、チームの若手の先生に聞きました。

    私「A先生はどちらにいらっしゃいますか?」
    チームの先生「A先生は、すでに手術室に先に入って精神統一をしています。」

    執刀をするA先生は、早朝から誰よりも早く、一番始めに手術室に入って、精神統一をしていらっしゃるという。

    私は、セカンドオピニオンで先生の自信に満ちた「100%とれる」という言葉を聞いて以来、絶対にA先生なら手術が成功すると信じていましたが、この精神統一をしているという話を聞いたとき、

    失敗するわけがない。

    と思いました。

    普通のお医者様ではない。私のつたない語彙ではあらわしきれません。次元の異なる、究極的な医師の姿なのだと思いました。おおげさではないです。

    私は、最後に「頑張ってこい!」と言って、手術室に入っていく息子を見送りました。息子は小さな声でしたが、「がんばるよ。」と言っていました。


    人生で、最も長い1日

    手術室へ息子が入ってしまった後は、私にできることは、ひたすら深夜まで待つばかりです。

    人生で最も長い1日。

    どうしても外せない仕事もあったので、待機先の宿泊所でノートパソコンで仕事をしました。なにもしないで待つより、何かやることがあったほうがいい。さびしいので、ずっとTVをつけっぱなしにして、気を紛らわせていました。

    ほどなく、最低限やらなければならない仕事を終えてしまったので、あとは、ずっと部屋の中を行ったり来たり。なかなか時間が過ぎないので、コンビニに行って弁当買って食べて、帰ってきてまたすぐコンビニ行って、を繰り返しました。ぐるぐるぐるぐると、ずっと落ち着きませんでした。

    家族には、夜まで動きはないと伝えてあったのですが、たびたび「いま、どんな感じか?」とLINE連絡が入ります。妻は、医療的ケア児の三男の日常的なお世話があることもあり、自宅で待機しています。

    日が暮れてからがまた長かった。

    私は長年、自律神経などに起因する慢性頭痛で通院していたりするので、この日は1日中、ストレスからか猛烈に頭痛がしていました。当然ですね。


    「100%全部とれた!」── 24時を過ぎた知らせ

    やがて、24時を少し過ぎた頃、チームの先生から電話がかかってきました。

    手術は無事に終了したとのこと。

    詳細は会って話したいので、今から来てください、とのこと。

    手術室に入ったのが朝8時30分。姿勢制御等の準備ののち、執刀開始は朝10時とのことでしたので、14時間の大手術でした。

    やった!とにかく詳細を聞くために、走ってすぐに、宿泊所から病院へ戻りました。

    病院へ着くと、手術着でゴーグルをつけたままのA先生が手術室から出てきました。

    両手に摘出した腫瘍が入ったビンを4つ手にしていらっしゃいました。350mlくらいのビンがひとつ。100mlくらいのビンが3つ。全部で4つです。

    「100%全部とれた!約束したからね。」

    「執刀したのは俺だけど、ほかの医師や看護師チームがやったこと。」

    地元大学病院で「摘出不可」「神の手でも取れない」と言われた腫瘍を、

    取ると約束したから取った。

    とおっしゃる。

    神の手でも取れないと言われたものを取ってくれた、A先生。

    私は、「命を救っていただいてありがとうございました!」と泣きながら言うのが精一杯でした。

    先生は、取った腫瘍の説明もしてくださいました。手術はとてつもなく大変だったそうです。そして、驚いたことに、

    「詳しくは成分を検査しないとはっきりしたことは言えないが、実際の腫瘍の質感や取った感じとして、術後の抗がん剤・放射線は足さなくて良いかもしれない」

    とのこと。まだCARE1回、ICE1回、放射線治療も途中で中断しているので、術後もまだ治療が続くと思っていた私は、大変驚きました。それほどまでに、すっきりキレイに摘出できたということなのだと思いました。

    摘出した腫瘍の入ったビンも、家族に見せるために写真を撮らせていただきました。

    先生は、

    「ではまた、後日よろしくお願いします!」

    と言って、手術室に戻ってゆきました。

    ほどなくして、ストレッチャーに乗った息子が運ばれてきました。ICUへ移動です。手術直後で当然意識はありませんが、血色は良さそうに見えました。

    私は、息子に、

    「助かったんだぞ!よくがんばったな」

    と声をかけました。エレベーターに息子が乗るのを見届け、私も病院を後にしました。

    帰り道、このことを急いで家族に報告しました。これほどうれしいことはありませんでした。

    宿舎に帰っても興奮さめやらず、朝まで起きていました。そして始発で帰りました。まったく疲れなど感じませんでした。

    A先生、本当に本当にありがとうございました。言葉では言い尽くせません。


    道端で、号泣してくれた友達

    長男が4月5日に開頭手術で腫瘍の全摘出手術に成功した直後のことです。

    幼稚園の頃からいろいろと世話をやいてもらっていた、家族ぐるみのおつきあいさせていただいている、7歳年上のご近所のお友達がいるのですが、

    入院中の当時、うちの長男が入院、余命宣告までされた話、手術予定の話まではすでにお友達の親御さん経由で伝えていて、手術成功直後に道端で出会いました。

    お友達「〇〇ちゃん、どうでした!?(手術はどうだったか)」

    私「手術は大成功!腫瘍は全部きれいにとれたよ!」

    と伝えたところ、道端で人目もはばからず、

    「うわーっ!!良かった、本当に良かった!!」

    と、ボロボロ涙を流して大号泣してくれました。

    当時24歳の好青年です。

    こういう男を、「イイ男」っていうんだよ。人の不幸を悲しむことができる人。

    退院後も、手術の影響でまだ脳の腫れなどで言動がちょっととんちんかんだったころから、いろいろと遊びにさそってくれたり、話を聞いてくれたりしていました。優しいアニキ分。

    良いお友達に恵まれた、息子は本当に幸せ者です。


    術後1週目 ── 「いまいきてるよ」

    手術翌日の4月6日、15時頃。意識が回復して、問いかけると自分の名前を言うことができたと、J大病院の先生から電話がありました。

    術前の説明では、数日間くらい意識が戻らない場合もあるというお話でしたので、すごく順調なようでした。みんなで大喜び!

    手術が成功したことは、地元C大病院で脳神経外科の受付として働いている私の妹を通じて、C大病院の先生にも伝えたところ、手術の成功に大変喜んでくださったそうです。

    術後3日目(4月8日)、本人からLINEの連絡がありました。

    「手術しました。」

    と一文。看護師さんにスマホを操作してもらって送ったそうです。

    術後5日目(4月10日)、着替えなどの荷物を持ってJ大病院へ。担当の看護師さんに様子を尋ねると、呼べば返事はするけどほとんど寝ているとのこと。車椅子で散歩してもらったりしているとのことでした。経過はとても順調で心配ないとのこと。

    術後6日目(4月11日)、また本人からLINEの連絡が。

    「いまいきてるよ」

    と一文。

    そうだね、生きててよかったよ!第三脳室を占領していた長径75mmの巨大な腫瘍は、きれいに全部とれた。もう安心です。


    術後2週目 ── 歩行訓練の動画

    術後7日目(4月12日)、J大病院の先生が、息子の様子をビデオで撮影して送ってくださいました。

    「元気になったよ」「退院してバンドやりたい」と言っていました。まだ表情にこわばりはありましたが、ベッドの上で、しっかりと受け答えをしている動画でした。

    術後9日目(4月14日)、この日も先生が、歩行訓練をしている様子をビデオで撮影して送ってくださいました。

    点滴のついたキャスターを持ちながら、けっこうしっかりとした足取りで病棟を歩き回り、笑顔で手を振っている動画でした。

    14時間の大手術をしてからまだ9日目なのに、もう歩けるほどの回復したこと、 そして、大変お忙しいなか、先生がこれほど手厚く連絡をしてくださることに感動!

    術後10日目(4月15日)、長男が、自分でスマホでLINEを使って連絡をしてきてくれました。先週は看護師さんに代わりにスマホを打ってもらっていましたが、今は自分で。

    「久々にスマホしてるけど、体調いいよ!」

    どんどん、回復してきていました。


    病理結果と、「中等度悪性群」のガイドラインを越えて

    2021年4月23日、A先生にお会いしました。全摘出した腫瘍の成分の検査が終わったとのことで、その詳しいお話がありました。

    転院前のC大病院での生検の病理診断結果は、「DMTという日本で報告例がない腫瘍の可能性」というものでしたが、改めて全摘出できた腫瘍の成分をすべて検査した結果、

    「一般的な未熟奇形腫」

    とのことでした。DMTといったような謎の腫瘍ではないとのことで、一安心。

    そして、含まれていたと思われる卵黄嚢腫成分はどうなったかというと、すでに術前にC大病院で行っていたCARE1クール、ICE1クール、そして41.4Gyの放射線全脳室照射によって、すでに消滅しており、実際のところ、AFPを産生していた卵黄嚢腫成分がどの程度含まれていたのかは、もはや不明とのことでした。

    ◎ガイドラインを越えた治療経過 うちの子のような未熟奇形腫+卵黄嚢腫の場合、「中等度悪性群」として、一般的にはCARE療法3クール、ICE療法3クール、放射線は全脳室1.8Gyを28回照射で合計50.4Gyかけることが多いそうです。 こうした方法は、多施設共同研究の「初発の頭蓋内原発胚細胞腫に対する放射線・化学療法第Ⅱ相臨床試験」にのっとった方法のようです。 ですが、うちの長男の場合は、C大病院でCARE治療・ICE治療・放射線すべて無効で、腫瘍は45mmから75mmに増大。そののちJ大病院へ転院しての緊急摘出手術でしたので、ひとつもガイドライン通りには進んでいません。 もともと症例が少ないため、ガイドラインはあくまでガイドラインということなのかもしれません。一人一人事情は異なるのだと思います。

    A先生いわく、

    「すでに、悪性成分は現時点ですべて消え去っているので、抗がん剤の追加はしなくて良い。」 「放射線については、本当は術後照射はしたほうがよかったのだが、すでに41.4Gyまでは放射線をかけており、キレイに全摘出できたことを鑑み、あとは経過観察で良い。」

    そして、ゴールデンウィーク明けの 2021年5月1日に退院できる というお話がありました。

    ものすごく意外でした。


    退院後 ── 息子は、闘病のうたを作った

    退院後、長男はギターやドラムが趣味なので、闘病のことをテーマにオリジナルソングを作りました。

    入院していたころの、髪の毛は全部抜け落ちて、骨と皮みたいに痩せ細って、意識朦朧、ベッドに横たわっていたころの面影はもうありません。

    歌のメッセージは、

    「脳腫瘍になって、入院、治療はつらかったけど、退院できて、いま、好きな楽器演奏をしたりして毎日最高だぜ! 命の恩人の先生への感謝の気持ち! だから、みんなも治療頑張れよ!」

    院内学級の子に向けた曲だと言っていましたが、たぶんこの歌は、自分と近い世代の中高生前後の子に向けたメッセージだったのだろうと思います。

    尿崩症のお薬を飲み、易疲労性、複視は残っていますが、通信制高校の勉強、趣味の音楽、体力作りの散歩や筋トレ。こんな感じで、楽しく過ごせるようになりました。


    あの夢のこと

    3年後、術後3周年の節目にお墓参りに行ったとき、改めて思い出したことがあります。

    長男の病気がわかる少し前までに、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんはどちらも他界していました。

    長男が余命宣告されて、セカンドオピニオンに行って転院することが決まった日の晩、私の夢枕にひいおばあちゃんが出てきて、

    「◯◯は治るぞ!」

    と言っていたのです。

    夢に出てきたことなんて、これまで一度もなかったのに。

    その言葉どおり、息子は治りました。

    3年後、治った姿を見せにお墓参りに行きました。


    ◎ 同じ病気のお子さんを持つご家族へ

    長男のような中等度悪性群の松果体胚細胞腫瘍では、抗がん剤・放射線が標準治療として有効なケースが多い一方で、長男のようなgrowing teratoma syndromeのケースでは、その治療が効かないどころか、腫瘍が増大することがあります。

    そのときに大切なのは、

    • 早めに別の選択肢(セカンドオピニオン、別の術式を持つ先生)を検討すること

    • 腫瘍の質感・固さ・サイズと、その病院の手術実績を確認すること

    • 諦めないこと

    A先生の術式では、固い腫瘍ほど取りやすかったという話のように、術式によっても得意・不得意があります。同じ「松果体腫瘍」でも、施設によって取れる/取れないが分かれます。

    セカンドオピニオン、サードオピニオンを、ぜひあきらめずに。


    2021年5月1日、息子は退院しました。

    ここから、退院後の長い道のり ── 高校への復学、通信制大学、リハビリ、社会復帰へと続いていきます。

    次回からは、退院後の生活と、同じ境遇の方に役立つ実用情報をお届けします。


    次回:第5章「退院、そして高校への復学 ── 通信制高校で取り戻した日常」


     
     
    デザイン制作会社を起業して16年目。webデザイナー・グラフィックデザイナー。 防犯や子ども支援に携わり、難病の子ども達を支援する親でもあります。 長男:悪性脳腫瘍サバイバー、三男:医療的ケア児として生まれ、小学校支援級在籍中

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