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保守䞻矩ずは䜕か③保守思想の歎史・政党・運動

    こんにちは。い぀もお越しくださる方も、初めおの方もご蚪問ありがずうございたす。

    今回は保守䞻矩の英語版Wikipediaの翻蚳をしたす。翻蚳のプロではありたせんので、誀蚳などがあるかもしれたせんが、倧目に芋おください。翻蚳はDeepLやGoogle翻蚳などを掻甚しおいたす。

    孊問・思想・宗教などに぀いお觊れおいおも、私自身がそれらを正しいず考えおいるわけではありたせん。

    序文

    今回は最初期の保守思想に぀いお芋おいきたいず思いたす。

    保守䞻矩

    歎史

    保守思想の歎史

    むギリスでは、王政埩叀期1660-1688のトヌリヌ運動が保守䞻矩の前身である。トヌリヌ掟は、神暩によっお支配する君䞻を䞭心ずした階局瀟䌚を支持した。しかし、䞻暩が囜民に由来するずいう考え方に反察し、議䌚の暩嚁や宗教の自由を吊定した点で保守掟ずは異なる。ロバヌト・フィルマヌの『パトリアヌカあるいは王の自然暩』1680幎に死埌出版されたが、1642幎から1651幎のむギリス内戊以前に曞かれた蚳泚日本語では『家父長論』ずも蚳されるが圌らの教矩を述べたものずしお受け入れられるようになった。しかし、1688幎の名誉革呜により、むングランドに立憲政治が確立され、この原則はある皋床厩れ、トヌリヌ掟ず察立するホむッグ掟の思想が芇暩を握るこずになる。敗北に盎面したトヌリヌは、運動を改革した。圌らは、䞻暩は王宀のみにあるのではなく、王宀、貎族、庶民の䞉暩にあるずするなど、より保守的な立堎をずるようになった。リチャヌド・フッカヌ1554-1600、ハリファックス䟯1633-1695)ずデむノィッド・ヒュヌム1711-1776はこの時期の原始保守䞻矩者であった。ハリファックス䟯は政治におけるプラグマティズムを掚進し、ヒュヌムは政治的合理䞻矩やナヌトピア䞻矩に反察した。

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    王暩神授説を提唱した政治思想家ロバヌト・フィルマヌ
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    むングランド囜教䌚の神孊者リチャヌド・フッカヌ
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    むングランドの政治家の初代ハリファックス䟯ゞョヌゞ・サノィル
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    スコットランドの哲孊者デむノィッド・ヒュヌム

    ゚ドマンド・バヌク1729-1797は、近代保守䞻矩の哲孊的創始者ず広く芋なされおいる。ロッキンガム䟯の私蚭秘曞ずしお、たたホむッグ党ロッキンガム掟の公匏小論執筆者ずしお掻躍した。18䞖玀末のむギリスでは、トヌリヌ党ずずもに保守掟ず呌ばれた。バヌクは、保守䞻矩ず共和䞻矩を䜵せ持぀思想家であった。圌は1775幎から1783幎のアメリカ革呜を支持したが、フランス革呜1789幎から1799幎の暎力を忌み嫌った。アダム・スミス1723-1790の私有財産ず経枈孊の保守的な理想は受け入れたが、経枈孊は保守的な瀟䌚倫理に埓属し続けるべきで、資本䞻矩は䞭䞖の瀟䌚䌝統に埓属し、ビゞネスクラスは貎族に埓属すべきであるず考えた。圌は、䞭䞖の貎族の䌝統に由来する名誉の基準を䞻匵し、貎族を囜家の自然な指導者ず芋なした。このこずは王暩の制限を意味し、圌は行政府によっお任呜された委員䌚よりも議䌚の制床の方がより良い情報を埗られるず考えたからである。圌は確立された教䌚を支持したが、ある皋床の宗教的寛容を認めおいた。バヌクは最終的に䌝統に基づいお瀟䌚秩序を正圓化した。䌝統は皮族の英知を代衚し、圌は瀟䌚改革よりも共同䜓ず瀟䌚の調和を重芖した。

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    むギリスの政治思想家゚ドマンド・バヌク
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    ホむッグ党の第2代ロッキンガム䟯チャヌルズ・ワト゜ンりェントワヌス
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    『囜富論』の著者でスコットランド生たれの経枈孊者アダム・スミス

    むギリスの保守䞻矩ず䞊行しお、フランスではもうひず぀の保守䞻矩が展開された。それは、ゞョれフ・ド・メヌスル1753-1821やルむ・ド・ボナヌル1754-1840などの反啓蒙䞻矩の著䜜に圱響されたものである。倧陞の保守掟の倚くは政教分離を支持せず、革呜前のフランスのようなカトリック教䌚を囜家が承認し、協力するこずを支持するものが倚い。保守掟はたた、それたでフランスでは自由䞻矩や革呜ず結び぀いおいたナショナリズムを早くから受け入れおいた。フラン゜ワルネ・ド・シャトヌブリアン1768-1848は、近代化の空虚さず䌝統的な信仰ず忠誠の「完党な心」を察比させ、近代化に反察するロマン䞻矩を唱えおいる。倧陞の別の堎所では、ドむツの思想家ナストゥス・メヌザヌ1720-1794ずフリヌドリヒ・フォン・ゲンツ1764-1832が、革呜から生たれた「人間ず垂民の暩利の宣蚀」を批刀しおいる。たた、アりグスト・ノィルヘルム・レヌベルク1757-1836、アダム・ミュラヌ1779-1829、ゲオルグ・ノィルヘルム・フリヌドリヒ・ヘヌゲル1771-1830も反察を衚明し、埌者は巊翌ず右翌䞡方の信奉者を刺激しおいる。

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    フランス王党掟の思想家ゞョれフ・ド・メヌストル
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    フランスの著述家ルむ・ド・ボナヌル
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    フランス・ロマン掟の䜜家フラン゜ワルネ・ド・シャトヌブリアン
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    ドむツの法孊者・政治家のナストゥス・メヌザヌ
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    ドむツの倖亀官・著述家フリヌドリヒ・フォン・ゲンツ
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    『人間ず垂民の暩利の宣蚀』
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    ドむツの文芞評論家アダム・ミュラヌ
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    ドむツの哲孊者ゲオルク・ノィルヘルム・フリヌドリヒ・ヘヌゲル

    バヌクもメヌストルも玔粋民䞻䞻矩に批刀的であったが、その理由は異なっおいた。メヌストルは人間が芏則に埓う胜力に぀いお悲芳的であったが、バヌクは人間の本来的な芏則を䜜る胜力に懐疑的であった。メヌストルにずっお芏則は神の起源であり、䞀方、バヌクは芏則は慣習から発生するず考えおいた。バヌクにずっおの慣習の欠劂、メヌストルにずっおの神の導きの欠劂は、人々が恐ろしい行動をずるこずを意味した。たた、䞡者ずも、間違った自由が困惑ず政治の厩壊に぀ながるず考えおいた。䞡者の思想は、共に反合理䞻矩的な保守䞻矩の流れに流れおいくが、それでも別々のたたであった。バヌクが議論や意芋の盞違に察しおよりオヌプンであったのに察しお、メヌストルは暩嚁ず服埓を求め、より非自由䞻矩的な思想の系統に繋がっおいた。

    保守政党・運動の歎史

    保守政党は、囜によっおその目指すずころが倧きく異なる。保守政党もリベラル政党も財産の私的所有を支持する傟向があり、共産䞻矩、瀟䌚䞻矩、緑の党が共同所有や財産所有者偎に瀟䌚的責任を求める法埋を支持するのず察立しおいる。保守掟ずリベラル掟が異なるのは、䞻に瀟䌚問題においおである。保守掟は、䜕らかの瀟䌚的芏範に適合しない行動を拒吊する傟向がある。珟代の保守政党は、リベラル政党や劎働党に反察するこずで自らを定矩しおいるこずが倚い。アメリカでは、「保守」ずいう蚀葉はその囜独自のものである。

    リベラル掟ず急進掟で統䞀されおいたむタリアむタリア統䞀運動では、保守掟ではなくリベラル掟が右掟政党ずしお台頭した。オランダでは1980幎に保守掟が合䜵しおキリスト教民䞻䞻矩新党ずなった。オヌストリア、ドむツ、ポルトガル、スペむンでは、保守䞻矩がファシズムや極右に倉容し、取り蟌たれおいった。1940幎、日本のすべおの政党はファシスト党に合䜵された。戊埌、日本の保守掟は䞀時的に政界に埩垰したが、公職からほずんど粛枅された。

    ラテンアメリカでは叀くから保守的な゚リヌトが囜家を支配しおきた。そのほずんどは、政党政治ではなく、垂民機関である教䌚や軍隊を支配し、支揎するこずによっお達成されおきた。䞀般的に、教䌚は皎金を免陀され、その職員は民事䞊の蚎远を免陀されおいた。保守政党が匱いか存圚しない堎合、保守掟は軍事独裁を望たしい政治圢態ずしお頌る傟向が匷かった。しかし、゚リヌトが民衆を保守政党に動員するこずができた囜では、より長い期間、政治的安定を埗るこずができた。チリ、コロンビア、ベネズ゚ラは匷力な保守政党が発達した囜の䟋である。アルれンチン、ブラゞル、゚ルサルバドル、ペルヌはそうでなかった囜である。ベネズ゚ラの保守党は1858幎から1863幎にかけおの連邊戊争の埌、消滅した。チリの保守政党である囜民党は1973幎の軍事クヌデタヌで解散し、その埌の民䞻化埌も政治勢力ずしお再浮䞊するこずはなかった。ルむス・ハヌツはケベックずラテンアメリカの保守䞻矩を封建瀟䌚ずしお定着した結果であるず説明した。アメリカの保守掟䜜家ラッセル・カヌクは、保守䞻矩がアメリカに持ち蟌たれたずの芋解を瀺し、アメリカ革呜を「保守革呜」ず解釈した。

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    アメリカの政治理論家ラッセル・カヌク

    感想

    トヌリヌ運動からロッキンガム䟯ホむッグ党たでの初期の保守思想から、むギリスのバヌク、フランスのメヌストル、ドむツの保守思想、そしお䞖界に広がっおいった保守思想に぀いお芋おいきたした。個人的にはドむツの保守思想ずいうのは新鮮であたり詳しくありたせん。フランス革呜期のフランスの政治家の革呜批刀などの圱響を受けおいるみたいですので、この蟺りを調べるず面癜いかもしれたせん。

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    今回はここたでになりたす。それではたたのご蚪問をお埅ちしおおりたす。

     
     
    歎史を怜蚌しながら、珟代日本のあるべき方向性に぀いお議論しおいきたいず思いたす。 確かな蚌拠の存圚や優れた掚論はその仮説が真実であるこずを必ずしも玄束しない。 最も自身が軜蔑し、嫌悪し、敵察しおいる盞手を擁護する衚珟力はそれでも必芁である。

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