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なぜネトウヨやパヨクは極端なのか?頭が悪いからです。

    Xやネットのブログで、ネトウヨやパヨクが極端な事ばかり言っているのを見て、うんざりとした経験がある人も多いでしょう。

    彼らはなぜ極端な事ばかり言うのか?疑問に思っている人も多いでしょう。

    結論から言えば、ネトウヨやパヨクはIQが低く頭が悪いからです。


    詳しくは以下の論文を読んでみてください。知性や幼少期のコンプレックスが、政治思想に影響を与える研究結果が出ているのです。

    Political orientations, intelligence and education

    Intelligence and Politics Have a Complex Relationship

    ■政治思想と平均IQ

    ●中道右派:105.29
    ●中道:102.53
    ●中道左派:100.67
    ●左派:97.57
    ●右派:95.20


    正確に言えば、右翼や左翼にも賢い人は存在するが、知能の低い層が右派と左翼に固まりやすいので、全体として平均IQが下がってしまうというのが実情です。

    これは、知性が足りない層は複雑な事が考えられないことが原因です。その結果、頭の悪い人ほど短絡的で極端でシンプルなメッセージに飛びつくのです。

    例えば「日本を良くするにはどうすればいいか?」という議題があったとします。

    普通の人は

    「議論の観点は、XXXと△△と■■があります。それぞれの現状と客観的なデータ分析結果は~~~で、これらのファクトから〇〇〇と◇◇◇の対応策が考えらえます。これらは△△△というメリットがある一方で、□□□というデメリットがあり、別のXXXXという問題と相関があるため、総合的で柔軟な具体案を練り上げていかなければなりません。また、△△△という環境変化要因と◇◇◇といった諸外国の外部要因により今後影響を受けるため、時系列で変化する要素を分析に取入れ、■■■などの方法により段階的に状況を見ながら対応をしていく必要があります」

    といった言説を好むでしょう。

    これは当たり前の話であり、言説がデータと根拠を元にしており、不確定要素や変化要因も俯瞰的に見た分析を行っているからです。つまり、客観性と論理性があり、施策の背景や全体像が見えるからこそ好ましく思うのです。


    一方で、バカな人達は、

    「日本が悪いのは政治のせい!うるせえ!いいから減税しろ!」

    という言説を好みます。

    なぜ後者を好むのかというと、前者の言説が理解できず議論に入っていくことができない馬鹿だからです。

    知能の低い人は、複雑なことが理解できません。そのため、一言で感情に響く断定的な言い方に心を惹かれるのです。

    正常な知能がある人から見れば信じられないかもしれませんが、実はこのような頭の悪い人達がXなどのネットのSNSにたくさん集まっているのです。


    ①知性が足りないと主観と客観の切り分けができない

    知性が足りない者は「主観と客観の切り分けができない」という特徴があります。

    例えば、1つ事例を挙げてみましょう。

    貴方の娘がクルド人に強姦され殺されたと仮定してみてください。貴方は移民政策に反対しますか?

    これで「YES」と答える者は主観と客観の切り分けが出来ていない可能性があります。

    当たり前の話ですが、「娘がクルド人に強姦され殺された」という個人的な出来事と、国家全体として「移民をどのように扱うのが国益が最大化するか?」という社会の話は全く別の話です。

    知性が足りない者ほど、個人的な感情や主観から、勝手に主語を大きくして、政治的思想や全体の話につなげがちなのです。


    なお、当然ですが、この記事では移民に反対するのが正しいのか賛成するのが正しいのかという話をしているわけではありません。個人的な感情や主観ではなく、論理やファクトに基づいた冷静な意思決定なのかを問うているのです。

    知性が足りない者ほど、ここまでの記事を読んで腹を立て、「この記事の筆者は移民に賛成してる左翼だな!」と勝手に決めつけて攻撃してきたりします。頭が悪い者の相手は本当に疲れます・・・。

    知性が足りない者は「たとえ話」や「抽象論」が本気で理解できていない事が多いのです。

    また、知性が足りない者ほど、このような「移民に賛成」「移民に反対」といった二元論に陥る傾向にあります。


    政治や社会問題について考える際、主観的な個人の感想と客観的な政策論を区別することは、非常に重要な視点です。

    まず、私たちが政治や社会問題について考えるとき、どうしても感情や個人的な経験が大きく影響します。例えば、「最近の若者は働く意欲がない」といった意見をよく耳にしますが、これは多くの場合、個人の限られた経験や主観的な印象に基づいています。自分の周りにいる若者や、メディアで取り上げられる事例から得た印象が、必ずしも社会全体の実態を反映しているとは限りません。

    このような主観的な感想は、決して無意味なものではありません。むしろ、私たちが社会問題に関心を持つきっかけとなり、より深く考えるための出発点となることが多いのです。しかし、ここで重要なのは、その主観的な感想を出発点としながらも、そこから一歩進んで、より客観的なデータや証拠に基づいて問題を検討することです。

    先ほどの若者の就労意欲の例で考えてみましょう。この問題を客観的に検討するためには、まず実際の就労統計や労働時間のデータ、若者へのアンケート調査結果などを確認する必要があります。そうすることで、「若者の就労意欲が低下している」という印象が実際のデータと一致するのか、あるいは単なる思い込みなのかを判断することができます。

    また、仮に若者の就労意欲の低下が事実だとしても、その原因を考える際には、個人の責任に帰するのではなく、社会構造的な要因を検討することが重要です。

    例えば、給与水準の変化、労働環境の変化、教育システムの問題、経済状況の変化など、様々な要因が複雑に絡み合っている可能性があります。

    このように、個人の主観的な感想から出発しつつも、客観的なデータや多角的な分析に基づいて政策を考えることで、より効果的な解決策を見出すことができます。特に政策を立案する際には、感情的な判断ではなく、証拠に基づいた冷静な判断が求められます。

    この主観と客観の区別を意識することは、建設的な政治的対話を可能にするためにも重要です。異なる価値観を持つ人々の間でも、客観的な事実や証拠に基づいて議論することで、より生産的な対話が可能になります。

    さらに、メディアからの情報を評価する際にも、この区別は役立ちます。ニュースや評論の中には、客観的な事実の報告と、主観的な意見や解釈が混在していることが多いため、それらを区別して理解することが重要です。


    ②馬鹿ほど二元論に陥り主張が極端になる

    では、社会問題を極端な二元論で語ることの問題点から考えてみましょう。

    「移民を受け入れるべきか、追い出すべきか」という議論は、実際の社会が直面している複雑な現実を極端に単純化してしまいます。この単純化は、問題の本質を見失わせるだけでなく、建設的な解決策を見出す機会も奪ってしまいます。

    例えば、「移民により治安が悪化する」という主張を考えてみましょう。この主張には、様々な要因が複雑に絡み合っています。治安の悪化が見られる地域があるとすれば、それは単に「移民だから」という単純な理由ではなく、言語の壁、文化的な違い、経済的な機会の不平等、教育へのアクセス、社会的な孤立など、多くの要因が関係している可能性があります。

    これらの複雑な要因を無視して、単純に「移民を追い出せば解決する」と考えることは、問題の本質を見誤ることになります。同様に、「無条件に受け入れれば良い」という考えも、現実的な課題や困難を軽視することになります。

    より建設的なアプローチは、これらの複雑な要因を丁寧に分析し、具体的な対策を考えていくことです。例えば、以下のような具体的な施策を組み合わせて検討することができます。新しく入国する移民に対する言語教育の充実、文化理解プログラムの提供、職業訓練や就労支援の強化、地域コミュニティとの交流促進プログラム、子どもたちへの教育支援、医療サービスへのアクセス改善などです。

    また、受け入れ側の社会についても、少子高齢化による労働力問題で移民を排除することが現実的でないなどの考慮点も存在します。共生に向けた教育や啓発活動、差別防止のための法整備、文化交流の機会の創出など、様々な取り組みが考えられます。

    もちろん、移民による害が実益を上回ると想定される場合や、今後のAIの発展で労働力が足りる状況になれば、移民の制限に舵を切ることも考えられでしょう。


    現実的な政策は「移民に賛成」「移民に反対」といった二元論になることはほぼありえません。

    客観的なデータを元に現実を直視し、ちょうどよい中庸的な落としどころを模索することが政治なのです。

    中庸を探ることは、単に「中間的な立場を取る」ということではありません。それは、様々な立場や意見を理解し、それぞれの懸念や期待を踏まえた上で、最適な解決策を模索することを意味します。これには、異なる意見を持つ人々との対話や、専門家の知見の活用、データに基づく分析など、多角的なアプローチが必要です。

    また、この落としどころの基準は環境の変化や外部状況により、日々刻刻と変化する複雑なものであることも忘れてはいけません。政策は一度決めたら終わりというものではなく、常に状況に応じて見直しと改善を行っていく必要があります。社会情勢の変化や新たな課題の発生に応じて、柔軟に対応できる制度設計が求められます。

    このような細やかな制度設計や政策立案には、高い知性と感情をコントロールする能力が必要となります。

    残念ながら、知能が足りない者は、このような複雑な推論が出来ません。そのため、短絡的で幼稚な極論に陥ってしまうことが増えるのです。特に、治安や安全という敏感な問題に関しては、恐怖や不安といった感情が理性的な判断を曇らせることがあります。


    SNSの極端なネトウヨやパヨクは相手にしてはいけない

    SNS、つまりソーシャルネットワーキングサービスは、私たちの生活に欠かせない存在となっています。Facebook、Twitter、Instagram、TikTokなど、さまざまなプラットフォームがあり、私たちはそこで情報を共有し、コミュニケーションを楽しんでいます。しかし、このSNSの世界には、文章の文脈を理解できない人が多いという問題を理解しておく必要があります。

    特に政治的な意見や主張が飛び交う場面では、その情報を真に受けることがどれほど危険であるかを理解することが重要です。

    特に右翼や左翼の意見は、しばしば感情的で、根拠が薄いものが多く、文脈を無視している場合が少なくありません。このような状況において、議論が成立しにくいという現実もあります。

    SNS上での政治的な主張は、非常に短い文やキャッチフレーズで表現されることが多いです。このため、情報の全体像や背景を理解することが難しくなります。

    特に、知能が低い者ほど、複雑な問題に対して単純な答えを求める傾向が強く、これが誤解を生む原因となります。政治の問題は、たいていの場合、一面的ではなく、様々な視点や要因が絡み合っています。しかし、SNSではそのような複雑さが無視されがちです。

    また、SNSでは感情的な反応が重視されやすく、冷静な議論が行われることは少ないです。感情に訴えかけるような言葉やフレーズが多く、これに心を動かされる人が多いのが現状です。

    右翼や左翼の意見も、しばしば感情的な表現が多用され、論理的な根拠が乏しいことが多いです。このため、意見の内容を深く考えることなく、感情に流されてしまう場合が多く見られます。

    加えて、SNSは情報の信憑性を確認することが非常に難しい環境です。誰でも簡単に情報を発信できるため、専門的な知識や正確なデータに基づかない意見が横行しています。特に政治的な話題に関しては、意図的に誤った情報を流す人も少なくありません。これにより、誤った情報を信じ込んでしまうことが多く、その結果として偏った考え方が広がることになります。


    SNSでの政治的な主張を真に受けることは非常に危険です。

    SNSの極端なネトウヨやパヨクは相手にしてはいけません。わかりやすくシンプルに心に響くメッセージは、思考と知性を放棄する「低IQの世界への誘い」だと思ってください。

    内容を鵜呑みにするのではなく、冷静に分析し、他の情報源と照らし合わせて考える姿勢が求められます。自分の意見を持つことは大切ですが、それに対して反対の意見も受け入れられる柔軟さが必要です。

    特に重要なのは、「正解は一つではない」という認識です。社会問題には往々にして、完璧な解決策というものは存在せず、様々な選択肢の中から最適なバランスを見つけていく必要があります。これは、単純な二元論的思考では達成できません。

    また、時間軸の視点も重要です。短期的な対応と長期的な展望を組み合わせながら、段階的に施策を実施していく必要があります。

    急激な変化は社会に混乱をもたらす可能性があるため、慎重かつ計画的なアプローチが求められるのです。


     
     
     
    就職氷河期世代のおじさんです。非正規底辺職低年収で生活は辛い上に妻とは離婚になりました。孤独死まっしぐら弱者男性です。 ロスジェネを代表し社会と公益のために発信してます。SNSの他責思考や衆愚政治を問題視してます。 https://hyogakioji.xxxxxxxx.jp/

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