🌸ご縁は偶然じゃない〜魂が共鳴する確率🍀〜
私たちは、一生で何人と出会うのだろう〜
ご縁って、なんだと思いますか?
偶然でしょうか。
それとも、必然でしょうか。
毎日、無数の人とすれ違いながら、なぜか氣になる人がいます。
なぜか、何度も巡り合う人がいます。
私たちはそれを「ご縁」と呼んでいるのかもしれません。
🍀ご縁とは、わかりやすく言うと
ご縁とは、同じ時間・同じ場・同じ感覚が、重なったこと。
ただ視界に入っただけではなく、
・心が何故か動いた。
・記憶に残った。
・何かを感じた。
そんな「共鳴」が起きたとき、人はご縁を感じるのではないでしょうか。
ですから、ご縁は、
単なる「接触」ではなくお互いの「共鳴」。
目には見えないけれど、確かに残る「響き合い」。引き寄せ。

では、人は一生で、どれくらいのご縁とつながるのか。
少しだけ、AIと数字の力を借りて試算してみたいと思います。

🍀当ブログのカテゴリー別リンク🍀
A:癒し&スピリチュアル体験
(例:おさづけ、氣流、レイキ)
B:信仰・参拝・教え
(例:ぢば参拝、祭典、教会の理)
C:日常セルフケア&気づき
(例:言霊、生体電流、触れ合い)
D:伝承・個人ストーリー
(例:祖母の話、家族エピソード、実話)
🌸日本の人口は、約1.2億人。
もちろん、そのすべての人と出会うわけではありません。
一生で出会う人を、AIに試算してもらいました
※やや広めの試算です。( )内は全日本人人口比
・実際に顔を見る人
10万〜20万人(0.08%~0.17%)
・短くても言葉を交わす人
1万〜2万人(0.008%~0.017%)
・名前や顔を覚える人
1,000〜2,000人(0.0008%~0.0017%)
・ある期間、関係が続く人
100〜200人(0.00008%~0.00017%)
・人生の節目に関わる人
20〜30人(0.000017%~0.000025%)
・生き方に影響を与える人
10〜15人(0.000008%~0.000013%)
居住地域やお仕事の内容などの環境によって、多少ブレはあるとは思いますけれど、概ね、的を得ているのではと思います。
こうして見ると、人の人生は、思っている以上にたくさんの出会いで満ちています。
それでも最後に残るのは、深く、静かに続くご縁です。
🌸ご縁は、無理に作るものではない
面白いことに、ご縁は「つなごう」としなくても残ります。
努力して近づいた人より、なぜか自然に続いた人。一度離れても、別の形で戻ってきた人。
ご縁は、必要なタイミングで、必要な距離に落ち着くものなのかもしれません。

🍀noteでの「ご縁の糸」
ここから、noteの話に移ります。
noteでの出会いも、現実世界のご縁とよく似ています。
記事を書く🟰灯りをともす。
ただ、その灯りに気づく人は、ほんのわずかです。
🌸noteで「ご縁」の糸が繋がる確率(試算)
( )内は、日本の人口を母数にした場合の割合
note利用者:推定約 600〜840万人(5%~7%)
実際に読む側としてアクティブな人数:推定約 180〜250万人(1.5%~2.1%)
①記事と出会う確率【noteアクティブユーザーの0.5〜2%】
→ 9,000〜50,000人(0.0075%~0.0125%)
②記事に「スキ」を押す(押される)確率【①の10〜30%】
→ 900〜15,000人(0.00075%~0.0125%)
③相互フォローになる確率【②の20〜40%】
→ 180〜6,000人(0.00015%~0.005%)
④ 相互のメッセージに至る確率【③の8〜24%】
※片方が送る:20〜40%
相互に続く:40〜60%(片方が送るの内)
→ 14〜1,440人(0.00001%~0.0012%)
🌸数字が教えてくれる、本当のこと。
この数字を見て、
「多い」と感じますか?
「少ない」と感じますか?
✨noteは、共鳴のご縁
noteは、拡散の場ではなく、共鳴が起きる場所。
・読む
・感じる
・つながる
・声を交わす
この流れは、人生そのものの縮図のようだと思います。
🍀ご縁の確率とは
どれだけ誠実に、自分の想いを言葉としてあらわしたか?
どれだけ丁寧に、想いの響きを感じ取ったか。
その積み重ねが、静かに数字として現れるのだと思います。
今日もどこかで、あなたの言葉に触れ、心を動かしている人がいるかもしれません。
昨年秋にnoteにメッセージ機能が追加されました。
この機能は、想いの響き合いで、ご縁の糸をつないでくれます。
まだスキは押していないかもしれない。
まだフォローも、メッセージもないかもしれない。
それでも、想いが届き、ご縁はもう、始まっているかも知れません。
あなたもメッセージ機能で、ご縁の糸を紡いでみませんか🌸
🌸プロフィール🌸
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ありがとうございます🍀
すべて御賽銭として神前に御供えさせていただきます。