見出し画像

🌸お出直しのおさづけ ―― 魂の旅立ちに寄り添うということ🌴

先日、長年おつきあいのあった信者さんが、静かにこの世をお出直しされました。

この2週間前に、お見舞いに伺わせていただき「おさづけ」をお取り次ぎさせていただいたときは、身体は動かせない状態ではありましたけれども、誕生日を迎えられお歳を重ねられたことや、娘さんやご家族のことなど色々お話しされて、「ありがとう」としっかり話されていらっしゃいました。

この日は、入院されている病院へ、お見舞いと「おさづけ」を取り次がせていただこうと、ちょうど向かっていた道すがら、その方の娘さんから「今、母が息を引き取りました」との知らせを受けました。

病室には、ご家族の皆さんがベッドを囲み、涙をこらえながらも、静かに寄り添われておられました。

ベッドの上には、まるで眠っているかのような、安らかな表情のお母さまがいらっしゃいました。長い間病気と向き合い、今年になってからは全く飲食もできなかった身体をようやく脱ぎ捨て、今まさに魂が新しい旅路へと歩み出そうとしている――そんな静けさが漂っていました。

直接うかがうことが出来ないときは、朝と夜に、離れたところから「おさづけ」を、毎日お取り次ぎさせていただいていました。

けれど、この時は、最後の「お出直しのおさづけ」をお取り次ぎさせていただくことになりました。

私は深く一礼し、手を合わせ、神名を唱え
「親神様、どうぞこの魂が無事に道中をお通りくださり、早くお戻り下さいますように」と「おさづけ」をお取り次がせていただきました。

すると、ふわりとやさしい光で包まれたように感じ、驚くことにゆっくりと少しお口がひらかれて何かをお話しされているようなご様子でした。

思えば、初めて教会にお参りくださったのは、十数年も前のことです。

「陽気ぐらしがしたくて、この教会を見つけて来ました」と笑って話されたあの日から、毎月の月次祭には欠かさずご参拝くださり。

私の母親と同い年ということもあり、母と仲良く、とても親しみを感じていました。
母とも「いつか一緒におぢば帰りしましょうね」と語り合っていた約束が叶わなかったことは寂しいですが、こうして最後のときに「お出直しのおさづけ」をお取り次がせていただけたことに、深い感謝の思いが湧き上がってきました。

✨父の旅立ち ―― 魂が抜けていく瞬間

これまで、何度か「お出直しのおさづけ」をお取り次がせていただく機会がありましたが、今でも忘れられないのは、父が息を引き取るその時に、おさづけをお取り次がせていただいたことです。

最期の床に臥した父に手を当て、「親神様、どうぞお導きください」と心を込めて祈っていた時、私の心の奥に、こんな思いが浮かびました。

「良くがんばったね。早く新しい身体で生まれ変わっておいで」と心を切り替えて、おさづけをお取次ぎしていると、父の苦しそうな呼吸はふっと穏やかになり、そして静かになりました。

その時です。
父は突然、両目を大きく見開き、口を大きく大きく開けました。
まるで、魂が口からふわりと抜け出していくような――そんな不思議な感覚でした。

「死」という言葉では到底言い表せない、神聖で静かな時間。
それは、父の魂が親神様のもとへと還っていく瞬間でした。

人は誰でも、必ず出直す。


父の旅立ちを通して、私は「出直し」という教えの意味を深く感じました。

人は誰でも、生まれたからには必ず出直していきます。これは例外なく、誰にも与えられた自然の道筋です。


この教えでは「身体は神様からの“お借りもの”、心だけが自分のもの」と教えられます。
私たちはこの世に生まれる時、神様から身体をお借りしてこの世界に出てきます。そして役目を終えたら、借りた身体を返して魂だけが元の世界へと帰っていくのです。

それは悲しい出来事ではなく、最初から決められている大いなる摂理であり、魂の旅路の一部に過ぎません。新たな出直しに向けた旅路の途中です。

この教えでは、人類は「ぢば」と呼ばれる世界の元はじまりの地から創造されたと教えられています。
そこは、親神様が人間を創造された“はじまりの場所”です。

ですから、「死」は終わりではありません。むしろ、また新しい道を歩み始めるための節目なのです。

魂がこの世を離れる時、その道中が安らかであるように、親神様とおやさまのお導きのもとで新たに旅立てるようにと祈り、お取り次がせていただくことも、「おさづけ」の大切な役割です。

魂の旅路の中で、「お出直しのおさづけ」に立ち会わせていただくことは、人としての命の深さ、神様の思召しの大きさに触れる、何にも代えがたい経験です。

その尊い瞬間に立ち会えることを、私は心からありがたく思っています。

🍀神儀「おさづけ」は、どなたでもお取り次ぎすることができる

「おさづけ」という神儀は、特別な人だけが使える力ではありません。

どなたでも「別席(べっせき)」という講話を十回聴かせていただき、お許しをいただくことで、親神様の御力を取り次ぐことができます。

取り次ぐ私たちは、自分の力で何かをするのではなく、ただ「おやさまにお取次ぎするだけの役割」をいただいて、そこに立つだけです。
その心が定まった時、おさづけは確かに届きます。


✦ ✦ ✦


「心以外は、すべて神様からの“お借りもの”」
「おさづけは、どなたでもお取り次ぎできる神儀」


この二つの理は、出直しという出来事の中で、よりいっそう深く心に刻まれます。
そして、魂の旅路は今も続いています。私もまた、いただいたおさづけを通して、「旅立ち」や「新しい一歩」に寄り添わせていただきたいと願っています。

🍀今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

🌸メッセージはこちらから


いいなと思ったら応援しよう!

🍀「心」がいまを創り現実化する🎈     ありがとうございます🍀 すべて御賽銭として神前に御供えさせていただきます。

この記事が参加している募集