メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【父の日】 思い出の中の父 〜記憶の中にしか居ない人〜 | ゆず缶

    6月14日 父の日

    父は思い出の中にしかいない
    幼い頃の家族写真に存在する父

    父は私が8歳の時、病気で亡くなった

    小学校の頃から
    入退院を繰り返していたので
    父=病院のイメージが刷り込まれていた

    もう40年も前なので、父に対して
    「父の日」と結び付くことはなかった

     父 ≠ 父の日
     父 = 命日 
    になっていた

    今年はなぜか「命日」ではなく
    「父の日」に思い出されたか

    「母の入院」が「父の入院」に
    重ね合わせてしまったから

    母の入院は、高齢による病気・リハビリ
    父の入院は、癌という病気だ

    入院は同じだが、起因が全く異なる
    ただ同じなのは「死」を連想される点

    今まで母は何度か入院をした
    以前の入院で「死」は連想しなかった

    ・若かったから?
    ・退院後の生活が見えたから?

    そう、未来の元気な姿が見えたから

    8歳の私は「死」を理解していなかった
    今の私は「死=悲しみ」と認識している

    元気な頃の思い出の中の父

    父は子供好きだった
    いつも大人数で川や海や山とよく連れて行ってくれた

    私たち兄弟3人+幼馴染4〜5人の子供を連れて、大人4人の大移動

    仕事で来れない幼馴染のお父さん役もしていた

    私はこの大移動が好きではなかった
     ・母は弟を抱っこしている
     ・父はみんなを楽しませている
     ・姉はみんなと楽しんでいる

    私は・・・何してたんだろう?
    心声:手を繋いで欲しかった。。。

    父と手を繋いた思い出

    日曜日の朝ご飯はパンに決まっていた
    父と姉と私の3人でパン屋さんへ
    その時だけは
    父と手を繋いで歩く楽しみがあった

    もうひとつの楽しみ
    パン屋さんの隣の文房具屋さん
    ここでノートや色鉛筆などをひとつ買ってくれる

    父自身は絵を描く
    私の色鉛筆好きを一番理解してくれた

    父との唯一の共通点だったかもしれない

    小学校の運動会

    入院中の父は運動会の為に外出して見に来てくれた
    でもかけっこの時には父はいなかった
    体調が悪くなり母と病院に戻った

    父の入院中

    1年以上入院していたと思う

    大部屋だった頃
    大変な病気だと思っていなかった
    父も話し笑っていた

    個室に移った
    病院にはほとんど行けなくなった
    母も家にいる時間が少なくなった

    病室には母が泊まれる簡易ベッドがあった、母と弟はよく病室に泊まっていた

    心声:弟が羨ましかった

    なぜ特別室だったかを後で知った
    癌の臨床試験だった

    臨床試験
    「まだ開発中の新しい薬」や「他の国では使えるけれど日本では未承認の薬」が、がん患者さんに本当に効果があるか、安全に使えるかを調べるために、実際の患者さんの協力を得て行われる

    GoogleAIより

    父の癌は特殊だったらしい
    がん患者何十万人にひとりの癌だった

    母は新薬に望みをかけたのだろう
    新薬は効かなかった

    弟の父の記憶

    これまで弟と父の話をした事がなかった
    「母の日」の後初めて話した

    病室のベッドで遊んでいたこと
    そして
    弟の小学校入学式の日
    式後、制服で病院に父に見せに行った事
    その夜に父は亡くなった事

    父の命日=弟の小学校入学式の日

    弟から聞くのは初めてだった
    弟の父の記憶は私より
    もっと悲しかった事を
    私より年下の弟は
    手を繋いで欲しいより
    もっと現実の体験をしていた

    この年になってわかった気がする

    なぜ父の話をしなかったのか?
    したくなかったのか?
    出来なかったのか?

    今年は、母の日が父を思い出させた

     
     
    日々の何気ない瞬間を大切に ITとアナログを大切に 創作活用できたらいいな AIは大切なパートナー ※画像は、AI(パートナー)との共同作業で作成しています

    あなたへのおすすめ