
第11章 バブル崩壊「葬儀費用は、なぜ重荷になったのか」#12お葬式で、なぜお坊さんがお経をあげるのか
お葬式で、なぜお坊さんがお経をあげるのか。
誰もが知っている風景です。
しかし
「なぜ」と問われると、答えに詰まる。
「昔からそうだから」
——その先を、
私たちはほとんど考えたことがありません。
仏教はもともと、
海外から輸入された最新鋭の統治OSでした。
それが1500年をかけて巨大化し、
解体され、やがて葬式仏教として
人々の暮らしに残った。
そして今、
少子化・墓じまい・AI進化の波の中で、その仕組みは限界を迎えつつあります。
本書は、その栄枯盛衰を歴史とビジネスモデルの両面から読み解く試みです。
そしてこの旅の終着点は、過去ではありません。
1500年間、制度に預けてきた葬送という
「当たり前」に、一度疑問を持つこと。
そして、自分なりの考えと基軸を持つこと。
そのための入口です。
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第11章
バブル崩壊「葬儀費用は、なぜ重荷になったのか」
1991年、バブルが崩壊した。
土地の値段が下がり始めた。
株価が崩れた。企業が倒産した。
「永遠に続く豊かさ」
という幻想が、音を立てて崩れた。
しかし
葬儀の費用は、すぐには下がらなかった。
バブルの熱気の中で積み上がった
「当たり前の水準」は、
社会の空気が冷えた後も、惰性で残り続けた。
しかし人々の財布の中身は、
確実に変わっていた。
そのギャップが、やがて臨界点を超えた。
■ 「なぜこんなにかかるのか」——初めて声に出た問い
バブル崩壊後の1990年代、葬儀費用への疑問が、初めて公の場で語られるようになった。
週刊誌が「葬儀の裏側」を特集した。
消費者団体が「適正価格とは何か」を
問い始めた。
「戒名料の相場」がテレビで取り上げられた。
なぜこのタイミングだったのか。
お金がなくなった。共同体が解体され、
「近所に何を思われるか」を気にしなくていい匿名性の中で本音が言えるようになった。
インターネットの普及によって情報の非対称性が崩れ始めた。
この三つが重なったとき、
葬儀費用への疑問が、初めて
「消費者問題」として語られるようになった。
■ 「直葬」の登場——タブーを破った選択
1990年代後半から2000年代にかけて、
「直葬」という言葉が広まり始めた。
通夜も葬儀もせず、
火葬場に直接運んで荼毘に付す
——最低限の手続きだけで死者を送る形だ。
直葬は、葬式仏教への「無言の拒否」だった。
お坊さんを呼ばない。
戒名をつけない。
お布施を払わない。
1500年続いた「当たり前」を、静かに、
しかし確実に、拒否する人が現れ始めた。
■ お坊さん便——プラットフォームによる「価格の可視化」
2015年、衝撃的なサービスが登場した。
Amazonのサイトで、僧侶の派遣を手配できる「お坊さん便」だ。読経料は一律3万5000円
(当時)。メニューと価格が明示されていた。
全日本仏教会は猛反発した。
「宗教行為の商品化だ」と。
しかし消費者の反応は違った。
「ようやく価格がわかった」
「これで安心して頼める」
——そういう声が広まった。
お布施の「不透明性」は、
寺院を守るための仕組みだった。
しかし消費者にとっては、
「搾取されているかもしれない不安」
の源だった。
その不安が、価格を明示した
プラットフォームへの移動を引き起こした。
■ 「意味を問う」世代の登場
バブル崩壊後に社会に出た世代は、問う。
「なぜ戒名が必要なのか」
「なぜ法事を続けなければならないのか」
「なぜお布施の金額を教えてくれないのか」
この問いは、信仰の問いではない。
意味の問いだ。
「これをやることに、
自分にとっての意味があるのか」
——その問いに答えられないなら、
やらない。払わない。
しかし寺院は、
この問いに答える準備ができていなかった。
長年、
「当たり前だからやる」
という自明性の上に成立してきた。
「なぜ」
と問われることを、想定していなかった。
問いに答えられない組織は、
問いを持つ顧客を失う。
そこに、コロナウイルスが来た。
静かに崩れていたものを、
一気に崩壊させる力が。
その話を、次章で見ていこう。
前回|第10章「バブル経済——何が"過剰な葬送"を生んだのか」
次回|第12章「コロナ襲来——止まってわかった、儀礼の正体」