
母が土下座した日―信じるという強さを知った瞬間 ―
突然の呼び出し
高校生になっても、
私は、まだどこか尖っていた。
「どうせ誰も私を信じない」
そう思いながら、
怖い顔を作るのが癖になっていた。
ある日、
突然校内放送で名前を呼ばれた。
「校長室へ来なさい」
「なんで?」
やってもいないこと。
疑われていた。
校長室の空気
重たい扉…
冷たい空気…
並ぶ大人たちの視線。
私の言葉は、
まるで届かない。
「違います」
「うちじゃない」
何度言っても、
空気は変わらない。
しばらくして、
母が呼ばれた。
母の土下座
母は校長室に来るなり、
何も言わず、
深く頭を下げた。
そして…
床に手をつき、
額を床につけた。
土下座だった。
私は、凍りついた。
「なんで謝るんよ…」
やってないのに!!!
悔しさと怒りで
涙が出た。
情けない。
みっともない。
そう思った。
母の目
ゆっくりと、
母が顔を上げた。
その目は、
まっすぐ校長を見ていた。
静かに、
落ち着いた声で言った。
「一言だけ良いですか?」
「この子にも、いいところはあります。
どうか、見てやってください」
責めるでもなく、
取り繕うでもなく。
ただ、
私を、信じている目をしてた。
その瞬間、
時間が止まったかのように、
何か強烈に感じた。
信じるという強さ
あとから、わかった。
母は、私を守るために
頭を下げたのではない。
私を信じるために
あの場に立っていた。
土下座は、
弱さじゃなかった。
あれは、
覚悟だった。
帰りながら母は優しい声で
私に言った。
「やってないんじゃろ」
「お母さんは、わかっとるけー」
(広島弁)
ニコッと微笑んだ。
私はあの日、
初めて知った。
強さとは
声を荒げることではない。
信じ抜くことなんだと。
担任の先生
高校の担任も、
同じ目をしていた。
悪いことをすれば本気で叱る。
でも最後には必ず言う。
「お前には、いいところがある」
大人なんて、
信じないと決めていた私に、
まっすぐ向き合ってくれた。
逃げても、
必死で追いかけてくれた。
信じる大人が、
二人もいた。
それが、
私の人生を変えた。
今、子どもたちに向き合う理由
だから今、
私は決めつけない。
一瞬で判断しない。
表に見えている行動だけで
その子を決めない。
あの日、
母が私を信じたように。
あの日、
先生が私を見続けてくれたように。
私は、
子どもを信じて待つ。
それがどれだけ
人の人生を救うかを知っているから。
最後に
もし今、
誰にも信じてもらえていないと
感じている人がいるなら、
あなたを信じている人は
きっといる。
気づいていないだけかも。
そして、
今度はあなたが、
誰かを信じる番かもしれない。
次回は、
私がなぜ「幼少期」の関わりに
こだわるのか。
すべてが繋がる原点を、
書きます。
3月3日ひな祭り🎎
母と折り紙で作ったあの日を
思い出しました(^^)
↓昨日の投稿はコチラです↓