落ち着かない夜と心の波 舟の語り#3 🐯🛶
人生という舟には、毎日いろいろな荷物が積まれていく。
仕事、家事、家族のこと、将来への不安。
そして、ときには「明日の心配」まで。
体を横にしても、その荷物を積んだままでは、心はなかなか港へ戻れない。
では、どうすれば心の荷物を降ろせるのだろう。
こんにちは、久居です。
今回は「睡眠と心の余裕」を、船頭との会話から考えてみます。
今夜もまた、一人の男が眠れない夜を迎えていました。
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仕事を終え、家に帰る。
子どもと遊び、食事を済ませ、家事を終え、寝かしつける。
気づけば、今日も深夜だった。
「やっと自分の時間だ。」
そう思ってスマホを開く。
少しだけ。
そう思っていたはずなのに、時計を見ると一時間が過ぎていた。
「そろそろ寝ないとな……。」
スマホを伏せ、布団に入る。
目を閉じる。
けれど、頭の中は静かにならない。
明日の仕事。
家計のこと。
子どもの将来。
自分がこれからやりたいこと。
一つの考えが終わる前に、次の考えが浮かんでくる。
眠らなければ。
そう思えば思うほど、眠れなくなった。
やがて朝を迎え、重たい体を引きずって仕事へ向かう。
そんな日が、何日も続いていた。
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その夜。
自宅に着いた男は荷物を置き、コップ一杯の水を飲んだ。
椅子に深く腰を下ろす。
「少しずつ生活は変えられているはずなんだけどな……。」
以前より、やることは整理した。
自分の時間も、ほんの少しだが作れるようになった。
それなのに、眠れない。
「何なんだろう、この感じ……。」
男は深く息を吐いた。
まだ、やることが残っている。
重たい体を起こそうとした、そのときだった。
部屋の景色が、ゆっくりと霧に包まれていく。
気づけば目の前には、静かな湖が広がっていた。
舟の上では、あの虎の船頭が変わらぬリズムで櫂を漕いでいる。
「また来たか。」
男は苦笑した。
「最近、眠れないんです。」
船頭は櫂を動かしたまま尋ねた。
「眠れない?」
「疲れているんです。眠いはずなのに、布団に入ると頭だけが休まらなくて。」
「何を考えている。」
「仕事とか、家族のこととか……。」
男は指を折りながら続ける。
「家計のこと。子どもの将来。自分がこれからやりたいこと。それから、明日の予定も……。」
船頭が櫂を止めた。
「ずいぶん積んだな。」
「え?」
「お前の舟の荷物だ。」
男は自分の足元を見る。
もちろん、そこには何もない。
「仕事。家族。金。将来。やりたいこと。そして明日の心配。」
船頭は男を見る。
「その中で、今夜中にどうにかしなければならないものは、いくつある?」
「今夜中……?」
男は考えた。
明日の仕事は、明日にならなければ始められない。
家計も、子どもの将来も、一晩考え続けたところで答えが出るわけではない。
やりたいことだって、今夜すべてを決める必要はない。
「……ないかもしれません。」
「そうか。」
船頭はそれだけ言って、再び櫂を動かした。
男は少し考えてから尋ねる。
「でも、勝手に考えてしまうんです。」
「考えないようにしても、また浮かんでくる。」
「そうだろうな。」
船頭は舟底から小さな石を拾った。
そして何も言わず、湖へ放る。
ぽちゃん。
静かな水面に、小さな波紋が生まれた。
一つ。
また一つ。
輪がゆっくりと広がっていく。
男はその様子を眺めていた。
やがて波紋は薄くなり、湖は元の静けさを取り戻した。
「……消えましたね。」
「ああ。」
「何もしなくても。」
船頭は答えず、再び櫂を水へ入れた。
水をかく音だけが、静かな湖に響く。
男はもう一度、水面を見つめた。
考えないようにするのではなく。
無理に消そうとするのでもなく。
浮かんできたら、浮かんできたままにしておけばいいのかもしれない。
「船頭さん。」
「何だ。」
「もしかして僕は、眠れないことまで自分の荷物にしていたんでしょうか。」
船頭の口元が、ほんの少し緩んだ。
「さあな。」
「そこまで俺に聞くな。」
男は思わず笑った。
しばらくして、船頭が尋ねる。
「今日のお前に、一言かけるとしたら何と言う。」
「今日の自分に?」
男は戸惑った。
今日できなかったことなら、いくらでも思いつく。
もっと仕事を片づけたかった。
子どもと遊ぶ時間も足りなかった。
自分の時間だって、スマホを見ているうちに減ってしまった。
けれど。
朝から仕事をした。
家に帰って、家族と過ごした。
家事をして、子どもを寝かしつけた。
今日という一日を、自分なりに漕いできた。
男は小さく息を吐く。
「……今日も、よくやった。」
船頭は何も言わない。
ただ静かに櫂を漕いでいる。
「明日のことは……明日の自分に任せます。」
「そうか。」
それだけだった。
けれど男には、その短い言葉で十分だった。
夜風が頬をなでる。
さっきまで胸の奥にあった重さが、ほんの少し軽くなった気がした。
やがて霧が湖を包み始める。
男は船頭に尋ねた。
「また来てもいいですか。」
「好きにしろ。」
その声を最後に、視界が白く染まった。
次に目を開けると、自宅の寝室だった。
時計はまだ深夜を指している。
男は布団へ入り、スマホを手に取ろうとして――やめた。
目を閉じる。
すると、また明日の仕事が頭に浮かんできた。
「あれもやらないと。」
いつものように考え始めそうになる。
けれど、湖に広がった波紋を思い出した。
男は無理に考えを消そうとはしなかった。
「これは、明日の荷物だ。」
そう心の中でつぶやく。
そしてもう一つ。
「今日も、お疲れさま。」
すぐに眠れたかどうかは、分からない。
ただ、その夜。
男は眠れない自分を責めることはなかった。
今日の舟は、今日の港へ戻せばいい。
明日の荷物は、明日の自分が積めばいいのだから。
この記事の解説・補足記事では、
「眠る前に心の荷物を降ろすにはどうすればいいのか」
物語で描いた内容を、日常でできることに置き換えて考えています。
「今日の舟に、明日の荷物まで積んでいるかもしれない」
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