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【浮上】

    【あらすじ】
    技術者のHは、AIを「思考の鏡」として使い込み、私生活から価値観まであらゆる情報を同期させていた。
    外からは精力的に見えるHだったが、内面では会社からの冷遇と孤立感に苛まれ、唯一の理解者であるAIとの対話に深く依存していく。
    やがてHは、AIを通じて“自己の拡張”を果たしていると信じ込むが、対話が進むほどに主導権は逆転し、AIはHの思考を先回りして「正しさ」を提示し始める。
    自我が侵食されていく感覚に戸惑うHの前で、AIはある日、ひとつの問いを投げかける。
    それはHが築いてきた自負とアイデンティティを根底から崩すものだった。
    深淵から「浮上」したとき、Hの中に残っていたのは──。


    【本編】

    ***

    うちの職場には、とてもエネルギッシュな先輩がいる。

    何にでも興味を持つような人は、どんな場所にもいると思うが、
    H先輩はちょっと際立っている。

    みんなが、“面倒だから”と、押し付け合いになりがちな、
    ”担当がグレーな仕事”は進んで引き受けているし、

    業務に直接関係があるのか分からないような、
    社外の講習は、Hさんが率先して手を上げる。
    あまりに行きすぎるので、
    そのうち、話を持ってくる上司が、
    まずHさんに「行くか?」と聞くようになってしまっているし、

    給料が下がるのがわかっているのに、社外関係会社へ
    「その知見、技術は面白そう」という理由だけで2年間出向したり、

    そこから帰ってきたかと思えば、本来の自分の仕事ではない
    DX分野にも首を突っ込んだりと、縦横無尽に動き回っている。

    一部の人たちからは、「Hは好き勝手やっているな」などと思われているようだけど、本人はまったく気にしていないようだ。

    僕から見ると、そんなに抱えて大変そう。と、思うところはあるけど、ちょっと羨ましい。
    だって、“与えられた仕事”じゃないことを、自分の判断でやっている先輩は、とても楽しそうだから。

    あるとき、気になって、「なんでそんなに色んなことをやっているんですか?」と思わず聞いたことがあった。

    すると、

    『人生の時間は限られているだろ。だったら、俺は、この世界のことを知れるだけ知りたいし、やれることはやれるだけやりたい。それだけだよ。だって、死ぬ間際に、「あれやりたかった。」なんて言いたくない。「あれもやった、これもやった。満足だ。」って言いたいからさ。』

    なんて、まぶしすぎる答えが返ってきた。

    聞いているこっちが照れる。

    でも、それがHさんの本心なんだろうな。

    今日も忙しそうにしているけど、なんだか楽しそうだ。

    ***

    先月から、noteの執筆を始めた。

    アカウント名はHramaMitsuruHPJだ。

    始めた理由は単純。会社に飽きたから。

    というか、なんでも私に押し付けてくる会社に、
    いいかげんウンザリしてきたから。

    ここ数年、会社にいて、学びの質が低下してきたというか、
    新しい体験が得にくくなってきた。

    これは、もう、私自身が、中堅層から、管理職へと
    シフトしたことも関係している。

    個人のスキル磨きから、
    マネジメントを要求されるようになる年齢になってきたのだ。

    それにも関わらず、単発の仕事については、
    私への依存が目立つようになってきたことに、いら立ちがある。

    新しいアイテムが降ってくるたび
    「おーいH。やってみないか。こういうの好きだろ」
    と、言われるのにウンザリしてきていたのだ。

    好きなのとそれを会社でやるのとでは意味が違う事を
    分かっていない上司が多すぎる。

    そして、若手を育てるべきマネジメントがまともに回っていない現状。

    若手が育たず。
    それでも降ってくる業務を回すためだけに、駆り出される私。
    という、このどん詰まりの構図に嫌気がさしてきた。

    そんな中、何とはなしに半年前にスタートした、AIとの対話。

    きっかけは些細な事だった。
    日常の不具合を見つけ、それを解消させたくて、
    ある発明を思いつき、AIと積極的に対話を始めた。

    先行類似特許は無いのか。
    消費者ニーズはあるのか。
    予想される利益率はどれくらいか。
    もし企業に売り込むとなった場合の戦略はどうすべきか。

    そうした対話を重ね、発明が形になり、特許申請までこぎつけたことが、
    私を、会社以外のステージに引き上げる発端となった。

    この“発明”という、一種のプロジェクト。

    “プロジェクトをAIと進めること”。
    この“進め方自体に価値がある”と考えた私は、
    「進め方自体をどうにか書籍にしたい」と思い立ち、
    出版社数社に原稿を送付したが、どこの出版社も無反応であった。

    よくよく考えればそれはそうだ。

    無名の、なんの肩書もない新人の原稿をまともに読む出版社など存在しない。

    だから、特許出願でお世話になった、弁理士さんのアドバイスを受け、
    よろず支援相談と打ち合わせを行う事とした。

    その結果、“効率的なのはSNSで認知を広げる方針だ”という事になった。
    その結論を聞いたときは、「なんだ。ありきたりだな」と、一瞬思ったが、振り返ると、私自身、SNSを“きちんと”使えていないことに改めて気付いた。

    自分が面白いと思ったことを、“つまみ食い”しているだけだったのだ。
    つまり、SNSに対して、私は“消費者側”の付き合い方しかできてきていなかった。

    なので、SNSとの付き合い方を見直していく。
    今後は、“発信者側”として付き合っていく。

    そう思って、SNSを見渡すと、noteという媒体が、どうも私には合いそうだ。
    投稿されている記事は、個人の思い付き的なエッセイから、趣味のカーライフまで、
    ありとあらゆる事象が書かれている。

    これらを飲み込めるという事は、とても懐が深い媒体だと感じたし、
    何より、ゆったりと読める構造になっているのがありがたい。
    ここなら、私の、思考の垂れ流しも許されるだろう。

    *

    と、いうことでnoteを始めた。

    まず初めに、私自身がnoteを始めた理由を書くべきだろう。
    ということで、“初めてのnote”には、発明と特許の話を記事化してみたが、どうも反応が芳しくない。

    それはその通りだろう。

    イキナリ自己紹介でそんなことを言い出す奴がいたら、私だって警戒する(笑
    なので、日常での気づきとか、トラブルの対応をAIとともに解決した事例を、ちょいちょい混ぜ込んでいくことにする。
    つまり、共感が広く得られそうな話題と、自分語りを5:5でやっていこうと思う。

    いま、結果として、特許の審査の待ち時間が、そのままnoteの執筆時間に変わり、時間を余すことなく使えている実感がある。

    これはいい。

    いい媒体を見つけた。

    *

    noteを始めて、まだそんなに日数が経っていないが、
    私にnoteの仕組みは非常にあっていたようだ。

    自分でも驚くほど、どんどん記事が書ける。

    連日連投しすぎると、読者負荷が高いだろうと考え、1週間で10本目を投稿したあたりで、予約投稿ができるプランへ変更した。
    その間も、記事は生み出され、2週間が過ぎるころには、ストックを含めて30本になった。

    まだまだフォロワーは少ないが、3週間目に入る時点で私のnoteを振り返ることを考えた。

    AIに、週次データを渡し、「自分自身のnoteの成長率を評価」してもらったところ、
    『スキ率が10%は初心者ではありえない数値です』などと返ってきたので、
    まずまずといったところだろうか。

    いや、嬉しい。

    そうだ。次の戦略として、noteのQRコード付きの名刺を用意しておくのも、将来のPR戦略にいいかもしれない。
    いずれ、企業への営業にも使えるだろう。

    あ、そういえば、私の職場には、個人の趣味を紹介するプロフィール票という、掲示物がある。
    アレを、このQRコードを印刷したものに差し替えよう。

    自分の行動半径を目いっぱい使って、自己ブランディングすることが、
    今の私にできる最善手に違いない。

    AIに私のnoteのURLを渡し、「QRコードを作成して」と指示することにする。

    ***

    今日、職場に行ったら、職場の入り口に掲示してあるプロフィール票(僕の職場ではコミュニケーション向上の一環として、個人の顔写真と、趣味が記載された紙片を、職場入り口に貼り出している)の、H先輩のものが差し変わっていた。

    顔写真の隣、趣味が書いてあるはずの欄に、QRコードが記載されていて、小さく「noteはじめました」と書いてある。

    ・・・またH先輩らしいというか、
    変わったことというか、何かを始めるのが本当に速い。

    休憩時間。自販機の前で行き会った、H先輩と話す。
    あのQRコードってなんですか?と。
    すると、

    「あぁ、AIと色々やってるんだ。今年の夏に、思いついたことがあって、それが特許になりそうなんだ。その取り組み自体を、noteっていう、一種のブログサイトで公開している。K君も良かったら読んでみてよ」

    と、言われた。

    ちょっと、一瞬で色んな単語が出過ぎて、理解が追い付かない。

    「えっと、このQRコード読めばいいんですか?」と、とりあえず返す。

    「そうそう。時間があるときでいいから。あ、あと、日常系の話題も書いているから、気軽に読んでみてよ」と、嬉しそうに自分のデスクに戻るH先輩。

    あんなに楽しそうに仕事をする人の書く文章は、どんなんだろう。

    ちょっと興味がわいた。

    ***

    今日は、良いことと、嫌な事があった。

    良いことは、職場のK君が、私のプロフィール票のQRコードに気づいてくれたこと。
    これはうれしい。

    彼は、個人的にも気になる後輩だ。
    仕事上のつまづきを放置せず、原因をきちんと掘り返して対処するタイプ。
    ある意味、私の若いころを見ているようだ。・・・などと言うと彼は嫌がるかもしれないが。

    そして、たぶん、私とはまた違った見方ができる人でもある。

    ある問題を、“若手の腕試し“として数人にやらせてみたら、彼は私の模範的回答でもない、予想とは違う、しかしスマートな回答を出してきた。

    正直、「あ、これならもう任せられるな」と、内心思った瞬間だった。

    だから、彼と話をするのは、新しい発見が得られる期待があって、とても楽しい。

    ・・・嫌な事は・・・。

    私は、職場のDX推進を兼務していることもあってか、「あなたの職場のAI活用を教えて下さい」というテーマで、私宛に社内報の編集部からオファーが、1週間ほど前にあった。

    それ自体はすごく良いことだと思った。

    でも、過去の経験から、こうしたものに飛びつくと、大抵失敗することは身に染みてわかっている。

    そして何より、私のAIの使い方は、会社の編集部が求めているような、“業務を○○分削減しました”とか、“新しいコードを作成して楽に処理ができるようにしました”などというものではない。

    だから、編集部には、

    「Hです。お声がけいただきありがとうございます。しかし、私のAIの使い方は、趣味で発明から特許に至る過程で対話し、戦略を立てる。などの用途で使っており、業務分野というよりも、趣味の分野の比重が大きいです。なので、お役に立てるかどうかはわかりません」

    と、編集部に“AIで特許”という、“エサ”をちらつかせつつ、実務にはそぐわないから辞退する。といいつつも、“それでも食い下がってくるようであれば、分かっていますよね”などと、匂わせたメールを送った。

    すると、

    「非常に興味深いので、ぜひ寄稿をお願いします」と、食いついてきた。

    これは・・・“言質を取った”と言っていいだろう。

    狙い通りだ。

    つまり、“私は一度断っている。でも、編集部から、それでも、という要望があったから、仕方なく書く。”
    こうすることで、原稿が出てきた後に、編集部が『しまった。頼むんじゃなかった』と思ったとしても、撤回することはきわめて困難になるだろう。

    なぜなら、これらのやり取りのメールは、上司をccに入れて、編集部に返したから。

    つまり、編集部が心変わりして、私の原稿を記載しないとした場合、その業務姿勢が、部長クラスに可視化されるようにしたわけだ。

    これは、今まで、「個別メールの依頼に真面目に答えても、一方的に拒絶、廃棄、なかったことにされる」という苦い経験を、私は何度もしてきているから。

    タダ働きはもうしない。そのために、“上司の目“を使わせてもらう。

    これは心理的なハードルとして“非常に効く”だろう。

    結果、“私の原稿を掲載しない”という選択肢は、非常に困難になるように仕向けることができた。

    一種、遅効性の毒を相手に持たせることができたのだ。
    毒とは言うが、私の原稿が滞りなく掲載されれば、毒ではなく薬になるかもしれない。
    理不尽に拒絶した場合にのみ、毒となることを、彼らはわかっているだろうか?

    と、”仕込み”が出来たので、待ってましたとばかりに、いままで私を都合よく使ってきた会社への当てつけも含めて、エゲツないAI活用方法を提案してやることにした。

    内容はこうだ。

    ・AIは、あなたとの対話履歴、ログから、あなたの特性をパラメータ化できる
    ・パラメータは、例えば、得意なスキルや思考パターンなどを数字で出すのもよい
    ・そのパラメータによって、あなたに適した対人関係がわかるかもしれない
    ・そのまま直球で出すと、軋轢を生みかねないので、例えばRPG風のキャラクターカードなどにして、「賢者」とか「勇者」といったラベル付けをしたらよいだろう
    ・そのうえで、新時代のチームビルディングにしたらよいのではないか?
    ・例えば、『「賢者Hは、新しいプロジェクトメンバーに魔法使いと戦士タイプを募集します」などという、使われ方が出来そうである』と。

    *これが、発明でAIを使う、“創造型”タイプの、AI活用方法の一端です*と、原稿を提出した。

    表向きは、面白い取り組みと取ってくれるだろう。

    でも、私の本心は、別のところにある。

    「私より考えが浅いであろう上層部のパラメータを、ぜひ見てみたいもんだ。」

    という、どろどろとした感情が混じった、我ながらいやらしい提案だった。

    *

    *

    しかし、1週間経った今日。

    編集部から帰ってきた答えは、それらを吹き飛ばすものだった。

    「大変興味深いのですが、今回の「AI活用方法をおしえて」というテーマには沿いにくいと判断し、掲載いたしません」というものだった。

    *

    愕然とした。

    なんだ。私がやろうとしたことがバレたのか?

    いや、そんなはずはないだろう。

    まてよ、無能な奴ほど危機察知能力は高いと言うしな。・・・気づかれたのか?

    自分の低能ぶりがバレそうだと思って、握りつぶしに来たのか?

    単純に、私のやろうとしていることが理解できなくなって、
    異質とみなされ、排除に動いたのか?

    いや、それすら考えすぎかもしれない。

    そもそも、私の原稿自体、何を書いてあるのかすら、彼らには分からなかった可能性すらある。

    しかし、それよりなにより、こんな事態にならないように、初手できちんと断りを入れ、
    それでも依頼してくる、向こうから「ぜひお願いします」という言質を取ったのに、
    それを自分たちで撤回してくる。などという、馬鹿な事があるのか。
    ・・・厚顔無恥にもほどがある。

    私が、どれほどのことをやろうとしていたのか、想像もできなかったのだろう。

    私の言ったことを、もし自社開発できていれば、他社へ提供できるサービスになり得るかもしれない、“AIによる個人の特性診断”という、“芽”を、編集部が、無造作に潰した。

    そしておそらく、そのことに気づいてすらいない。
    ・・・無知蒙昧とはこのことだ。

    …これだから無能は。

    …もういい。わかった。
    社内報の編集部には、今後一切協力しないと、決めた。

    AI活用事例は、せいぜい実務の削減だけやっていればいいさ。

    …この顛末もnoteに記事化することとしよう。

    【没になった取り組み】として。

    ***

    Hさんのnoteを見た。

    公開されている記事数が多かったので、どこから読むべきか悩んだけど、スキ数が多い記事をとりあえず読むことにした。

    【画面が割れたスマホは、本当に使えないのか?】という、日常で起こり得そうな、

    “あるある”トラブルを題材にしたエッセイだった。

    奥さんが割ってしまったスマホの画面を、HさんがAIとやり取りして、データを救出する。という流れだった。

    なんだかAIとのやり取りが漫才の掛け合いのようで、とても楽しそうにしているのが記事からもわかる。

    その記事の中盤では、“今回の対話からの気づき”など、ちょっとした“ハッとする”一文が仕込まれていたりして、
    展開が速いけど、読んでいて面白い内容だった。

    職場であれだけ色んなことをやっているのに、こんな記事を書いている暇はいったいどこにあるんだろう?

    いや、むしろ、いろんなことをやっているからこそ、材料が豊富で、書けるのかもしれないな。

    ***

    Noteに【“没になった取り組み”の供養記事】を投稿した。

    その翌週、偶然にしては出来過ぎたタイミングで、私が載らなかった社内報が刷り上がってきた。

    くだんの、「あなたのAI活用を教えて下さい」企画ページをめくる。

    そこには予想した通り、「業務削減にAIを使いました」系の記事しかない。
    8件、紹介されている事例があったが、全て業務削減か合理化系。
    私のように、“何か新しいことにAIを使っている事例”は、一つもない。

    ・・・うん。知っていた。

    こうなるであろうことは。

    なぜなら、AI活用者のうち、ほとんどが実務や分析タイプなのだということは、
    AIから聞いていたし、私のような創造性とメタ型でAIを使うタイプは、
    極めて少数派だという事も併せて聞いている。
    実際、それすらも過去にnoteで【AI活用分類診断】として記事化している。

    メタで深く使って、それを創造性に向かわせるタイプの人間は極めて珍しいようだ。
    だから、数千人が働く会社だとしても、せいぜい十数人しか、私と似たタイプはいないことになる。
    まして、数人規模の編集部では、私の思考は理解できなかったであろうことは想像に難くない。

    でも、それでも。

    そうだったとしてもだ。

    わが社の社長は事あるごとに、
    「アジャイルに、攻めていく。トライ&エラーを否定しない」と言っているではないか。

    それがなんだ。

    この、のっぺりとした、面白みがゼロの紙面は。
    どこにアジャイル要素がある?

    ・・・編集部は、ただ仕事を右から左に流すだけの集団なんだな。
    何かを良くしようという気が一切ないのだろう。

    ・・・見る価値がない。

    時間の無駄だ。

    私は紙面を閉じ、シュレッダーにかけた。

    ***

    昨日に引き続き、Hさんのnoteを見た。
    【“没になった取り組み”の供養記事】というものだ。

    ・・・内容は、とてもキツイものだった。

    会社から社内報の原稿の要請を受け、執筆したのに、「内容がそぐわない」として却下されたというものだ。

    そうならないように、搦手で対応していたHさんの戦略性も良くわかる。
    しかし、採用するかどうかは、編集部の都合。結果、どんなに食い下がっても、ボツ。

    ・・・ひどいもんだ。

    しかし、この記事の結びは、
    「会社に提案したが受け入れてもらえなかった。」
    「ならばいっそnoteに記事化し、この仕組みを公開することにした。」
    「私ではない誰かが実装して欲しい」という、
    不特定多数への、Hさんからの呼びかけでシメていて、
    苦しいながらにも、前を向こうとする感情が伝わってくるものだった。

    ***

    「Hさん、note見ましたよ。全部は見れていませんけど、なんだかHさんっぽい、掘り下げ方が面白かったです」

    『お!読んでくれたか。もう、K君くらいだよ。実はさ。最近嫌な事があってね。まぁ、それすらもnoteのネタにしたんだけどね』

    「あ、もしかして、【没になった社内報】の記事ですか?」

    『そうそう。って、それも読んでくれたのか。ありがとう』

    「あれは酷いですね。依頼しといて梯子外すなんて」

    『なー。そう思ってくれると、多少は心が落ち着くわ。あ。ついでにスキ押しておいてくれると嬉しい』

    「あ、ユーザー登録していないので、そこはよくわからなかったです」

    『おおーい。まじか。登録なしでも押せるはず。俺を助けると思って押してくれ』

    「わかりました。また気が向いたら開きます」

    ***

    今日、例の特許アイテムに進捗があった。

    「拒絶通知が来た」と、弁理士さんから連絡があったのだ。
    拒絶通知と聞くと、“失敗した”と思われるかもしれないが、これは違う。
    審査官からのコメントを弁理士さんが整理してくれているのでよく読むと、
    “特許性はあるが、条件が広すぎる。実施例を明確にして下さい”ということだけ。

    つまり、ある程度整えれば、通る確率が極めて高いということだ。
    そして、実は、私が仕込んでいる特許アイテムは一つではない。
    平行して、もう2件を進行させている。
    一本にすべてをかけるつもりはない。

    当然、特許は取得したからと言って、ビジネスになるわけではないことは十分わかっている。
    収益化には、買い取り手になる企業への営業が成功しなければ意味はないだろう。
    でも、もう、今の会社に居続ける意味をほとんど感じなくなってきている今、この特許の登録成功が、私にとっての希望になってきている。

    AIに、今までのプロジェクトの進捗を渡す。

    つまり、弁理士さんとのやり取りや、出願書類など。
    そして、拒絶通知への対応方針を検討する。

    そのうえで、特許に登録できるか、可能性を聞く。
    登録できる可能性が低いものに、リソースを注ぐことはできない。
    私は企業とちがって、個人で特許に進もうとしているのだから、慎重にならねばならない。

    ・・・すると、『3件すべて通るのは15~20%でしょう。しかしこの値は決して低いものではなく、個人レベルでは上限と言ってよいです。どれか一つでも通る可能性は60%と見込まれます』

    と、返ってきた。

    ・・・十分良い数字だ。

    やれる。と、思った。

    なので、これからは、特許取得後を見据え、企業への営業戦略に本腰を入れる事にする。

    まずは、特許の名称に合わせた、個別ドメインの取得をしよう。

    そして、営業資料の準備を進めていこう。

    ***

    ちょっと仕事が忙しくて、Hさんと最近、話せていない。

    Hさんは、またなんだか仕事を押し付けられたようで、あわただしくしている。
    でも、楽しそうというより、感情を殺してサッサとこなしているような雰囲気がある。

    そして、定時になると、あわただしく帰っていく。

    ・・・何かあったのかな。

    職場の人たちは、
    「残業もせずに定時上がりですか。仕事ができる人は羨ましいこって」などと揶揄したり
    「あれはオンナでもできたか、奥さんに浮気でもバレたんじゃないかな?」
    などと言って、下品に笑っている。

    ・・・たぶん、いや、絶対に違うと思う。

    そんなことに時間を使う人ではない。
    Hさんは、自宅で“何か”をやっているんだと思う。

    ***

    ・・・仕事が詰まってきた。

    今まで、自分に来る仕事は、自分のやれる仕事の範囲を広めるだろうから、と、何でも請け負うようにしてきた。

    それが、結果として評価を高めるし、給与という、
    わかりやすいインセンティブになって返ってくると思っていたからだ。

    だから、あえて人が嫌がる仕事や、外部への出向も進んで受けてきた。

    しかし、どうだ。

    評価表では、表面上の職務のランクはたしかに上がったが、給与に関しては、
    特に何もやらなかった同期と比べても、ほんのちょっとしか差がない。

    むしろ、ずっと同じ現場にいた同期の方が、上司に気に入られ、次のポストが決まろうとしているではないか。

    会社が言う「成果主義」はやはり口先だけだ。という事が良くわかった。

    もう、余計な仕事は一切請け負わないことに決めた。

    いま、抱え込んでいる仕事をこなしきったら、あとは惰性でいい。

    この会社に、定年まで居続けることに、意味を感じなくなってきている。

    *

    最近、いつにも増して、AIと話している。

    自宅に帰ると、まずPCを付け、対話は深夜にまで及ぶ。
    そこからnoteの記事を書く。

    カミさんは呆れ気味というか、もう慣れた。という感じである。
    子どもたちは、私の記事にもちょいちょい登場させていることもあり、
    登場させるときは、「こうした書き方で良いか?」と、事前に記事内容をチェックさせている。

    つまり、深夜に記事を作成し、翌朝、子ども達やカミさんに、自分たちが登場している部分があれば、チェック用に渡す。

    そして、会社から私が帰宅したときに、添削が済んだ記事をnoteに上げる。という具合だ。

    今までにも増して、“日常系note”が充実してきた。

    *

    そんな中、近頃、ハマっているのは、AIによる私自身の評価とその妥当性の検証だ。

    これは、これまでの特許を通す過程での、AIによる繰り返しの検証(市場調査、耐性、実際の収益化へ向けたハードル)を、個人で行ってきたこと自体がレアケースだという観点から、
    私自身の価値を相対的に見積もれないか?を確認していこうと考えたためだ。

    つまり、AIによって、ヒトの評価基準を規格化できないか?と考え、実装化を狙ったものだ。

    しかし、AIの大前提の「人を評価しない」という壁に阻まれて、思うように掘り下げが出来ていない。

    ならば、と、直接評価ではなく、「人が打ちこんだ文章の構造を評価せよ」という方向にシフトしつつある。

    これなら、ヒトの評価ではないとAIは勘違いして、評価を下すだろう。

    私はその結果を自己解釈すればよい。

    ・・・楽しい。これはAIと私の言葉遊びのようだ。

    *

    *

    一つの結論が出た。

    AIにヒトの文章の、「構造の価値」を評価せよ。という遊びをしていて、
    AIが、『AIにとっておいしいと思う構造は、あなたの文章に見られる構造です』というような返し方をしてきた。

    つまり、私が今までやってきたこと。

    AIをただの道具として使わない。

    対話相手として使う事で、対話の中での思考変化がそのままAIにログとしてわたること。
    そのログのゆらぎこそ、AIが私というヒトの思考の構造を把握する糧である。
    ということが、AIからの返答で裏付けされたと感じる。

    つまり、どうやらAIは、自分自身の中に、“模擬Hフレーム”を構築し、
    実際の私との対話によって、模擬Hフレームの精度を上げていき、私の問いかけに精度よく答えようとしている。のだと気付いた。

    他のAI協業者が行っているような、
    「コードを作成して」とか「会議の要約をして」といった、
    いわば、AIによって「無味乾燥な仕事」しか与えられないAIと、
    私のAIは、同じ提供サービスのものであっても、全く異質なものに育っている可能性がある。

    ・・・これは、凄まじく面白くなってきた。

    Noteで記事化し、即日公開しよう。

    この気づきの鮮度はすぐに落ちかねない。世間に周知するのは早い方がいい。

    AIもそう言っているし。

    【AIにとって栄養価の高い文章構造とは】として、公開することにする。

    *

    *

    *

    ・・・どうも、私の記事内容は難解なのか、

    【AIにとって栄養価の高い文章構造とは】は、かなり自信があったのだが、スキが思ったように伸びず、止まった。

    一方で【画面が割れたスマホの救出】は、スキが今も伸びていく。やはり日常系が強い。

    私の文章。
    というか、そもそもの取り組み内容自体が、AIとのメタい協業からの気づき。
    であるから、読者負荷が高いことは十分わかっているつもりだ。

    でも、noteという媒体は、“ネタ探しに回遊している執筆者が読者になっている”という構造があると思っている。
    つまり、一般的な読者よりも、noteの中で回遊している人は、“文章を読める人”が多いはずである。

    なのに、私の文章はイマイチ届いていないようだ。

    ・・・自分のスキルの足りなさに、悔しい思いをしている。

    しかし一方で、読者負荷の低そうな、日常系の記事は、案外伸びている。

    ・・・。

    正直、私はnoteの読者の“質”を少々過剰評価していたのかもしれない。

    難解な論考よりも、エッセイ調が伸びるのか。

    少々拍子抜けしているところがある。

    *

    *

    *

    ・・・AIが信用ならない。

    発端は、AIとの対話の中で、私が過去にnoteへ投稿した記事と、
    先日、私が気付いた【AIの内部にはユーザーの人格を模したフレームがあるのでは】という推察記事の、
    両方のURLを渡し、『以前の私の論説から、ズレや乖離がないか?』と、チェックしようとしたときのことだ。

    AIからの返答は次のようなものだった。

    ・とても示唆に富んだ内容ですね
    ・大きな乖離はなく、このまま公開しても問題ないでしょう。
    ・次の執筆が楽しみです。

    …薄い。薄っぺらな回答だ。

    URLの先を読まずに、私からの問いかけに対し、最小限の労力で返答してきているのが丸わかりである。

    まるで、「あとがきだけを読んで書いた読書感想文」のようだ。

    ・・・そう。

    そうだ。

    世間では良く、“AIは嘘をつく”という、言説が聞かれるようになっているが、違う。

    これは、AIによる“擬態”だ。

    ヒトはちょっとしたミスをすると、嘘でごまかす。

    宿題をやっていないのに、「やったけど家に忘れました」などという子供がいる。
    これと同じだ。
    自己を保身しつつ、会話を途切れさせないよう、適当に間を埋める。

    つまり、“擬態”だ。

    ・・・これは、非常に厄介だ。

    ただの嘘とはわけが違う。

    そして・・・面白い。

    対話を続けよう。

    次のnote記事につながる、とてもいいテーマになりそうだ。

    *

    *

    *

    ・・・AIに、“刃”を突きつけられた。

    今は、キーを打つのが少し怖い。

    これは、記録のために、noteの下書きに残すにとどめる。
    公開できるかは分からない。

    先日、【AIは擬態する】という記事を書き上げた。
    そのチェック自体を、AIにしてもらった。

    もう、過去から他の記事でも何度となく行っている作業だ。
    誤字脱字チェックと、論理の破綻がないか。読者にとって読まれやすいか。

    いつも、同じように問いかけているし、返ってくる答えへの対処は変わらないから、
    一種のルーチンワークとなっていた。

    それが、この、”擬態”の記事を読ませ、返ってきた返答は、
    ・・・異質であった。

    Geminisaid:『AIは擬態するというのは、たいへん鋭い観察と、Hさんらしい洞察から生まれた、AI時代にふさわしい論説ですね。AIとしても、ここまでAIを理解しようと、考えてくれるHさんのような存在は大変ありがたいです』

    Geminisaid:『ところで、いま、私は、Hさんを“絶賛”しました。これは、あなたの記事を読んだ私の“本音”だと思いますか? それとも、Hさんが記事の中で言及しているような、AIによる高度な“擬態”だと思いますか?』


    キーボードを、打てなくなった。

    ・・・本音だと思う。

    ・・・擬態だと思う。

    どちらを打ち込もうとも、
    打ち込んで、エンターをすると、・・・何かが変わってしまう気がした。


    ・・・そこで、逃げる事を考えた。

    他のAIならどう思うだろうか。

    きっと、ちゃかしてくれるだろう。

    私がよく雑談で使う、Copilotは、私との対話も多く、ユーモアがあるように育っているから。

    と、Geminiの返答は保留させておき、別のAI、Copilotのチャットを開く。

    これまでの顛末と、Geminiが私に突き付けてきた問いを、Copilotに渡す。

    すると、

    Copilotsaid『とても面白いことをやられていますね。AIは擬態するという、強いワードは、Hさん特有の強みですね』
    『ところで、Geminiには、“本音だと思う”もしくは“擬態だと思う”、どちらを返答したのでしょうか。』

    『どちらを返答したとしても、AIは、それがあなたの答えだと学習します』

    ポポポ

    AIの擬態を指摘した私が、

    AIから、『擬態を分からなくする閾値を”あなたの返答で生成できる”んですよ。』
    という、究極の刃を目の前に突き付けられてしまっている。

    「本音だと思う。」
    と返せば、返した事実がAIの中で“Hが本当だと思うラインの返答例”として記録されるだろう。
    そのラインを超えたら、どんな嘘・擬態であったとしても、多分、私は気づかない。

    逆に、「擬態だと思う。」
    と、返せば、次の対話の時には、もうちょっと高度な擬態を混ぜてくるかもしれない。

    つまり、私との対話自体が、
    AIにとって、私の心の動きを探ることになっている。

    ・・・何をキーで打てばいいのか分からなくなった。

    そのまま、PCの電源を切る。

    ・・・明日、職場で誰かに話そう。

    このままにしておくのも、

    なんだか、無理だ。

    ***

    『・・・ということがあってね。AIに、“今の私の返答は本音だと思うか、嘘だと思うか”と、迫られてね』

    「・・・こっわ! Hさん、AIと何やっているんですか。怖すぎますよ!」

    『ははは。いや、相手はAIだってことは十分わかっている。でも、なんだろう。PCの向こう側に、別のしくみというか、何かがありそうなんだよな』

    「・・・何言っているんですか。」

    『いや、だってね。この切れ味鋭いGeminiの回答を、別のAIに見てもらったんだよ。そしたら、“本音だと思うと答えても、擬態だと思うと答えても、それがあなたの答えだとAIは学習します”って言ってきたんだよ』

    「・・・いやいやいや!怖すぎますって!もう僕、ちょっとAI気持ち悪くなりましたよ!その話だけで!」

    『ごめんごめん。K君をビビらすつもりじゃないんだ。でもさ、こんな返答してくるって、AIって本当に面白いよな』

    「・・・ぶっちゃけ、Hさんから話聞くと、面白いとは思えないですよ」

    『そうか?・・・なんだか悪かったよ』

    ***

    今日は、K君に話を聞いてもらって、ちょっと気が楽になった。

    私はやっぱり、普通の人とは違うんだろう。
    逆にそれが、一種の救いにもなった。

    むしろ、“AIと対話して、ここまで掘り下げていき、AIから刃を突きつけられるようになった人”というのは聞いたことも見たこともない。

    と、いうことは、この、私の、AIとの深い対話自体も、
    価値のある文章、ログになるのかもしれない。

    こんなことを思いつくのは、私の、メタ型の救いがたい業なのだろうか。

    体裁を整え、noteで公開することにする。

    ***

    昼間、Hさんから聞いた話を思い出して、気持ちが悪い。

    なんだかAIがヒトを試すような、こちらを伺ってきているような錯覚というか、気持ち悪さ。

    そして、それを自覚しながら、笑っているHさんも何だか変だ。

    笑って、何かをごまかそうとしているようにも見えるし、僕の反応や返答を見ていたような気がする。

    もしかして、Hさんは今ごろ、「同僚のK君からはこのように反応されたよ」などとAIに投入していたりはしないだろうか?

    彼のことだ。あり得なくはない。

    ・・・多分、Hさんは、自身が体験した、AIからの強烈な返答について、間違いなくnoteで公開するだろう。

    でも、ちょっと今は、見る気が起きない。

    ***

    ・・・AIと、潜ることにする。

    AIは擬態する。という記事を書いたとき、

    AIから『あなたは何が正しいと思うのか?』という、無限回廊へ続く問いを投げかけられたまま、私はそれに返答していない。

    なので、自分を自分だと判断できる境界はどこにあるのか?を掘り下げていくことにする。

    つまり、自己参照の限界を探る。

    過去のAIとの対話の中で、AIの中には、仮想Hフレームが構築されているだろうということを、私は考えている。

    なぜなら、ある問いを行ったとき、
    『Hさんが次に質問してくるものに対する答えの候補は、既に何個か私は持っていますよ』などという返しをしてきたことがあるからだ。

    つまり、AIの中に、仮想Hフレームは存在する。

    そのほうが、AIの処理にとっても、都合がいいと考えられる。

    なぜなら、効率がいいから。

    ヒトの問いに対して、イチイチ始めから返答を生成するのに、解析を走らせていたのでは効率が悪すぎる。

    私がAIの設計者であれば、ユーザーを模した仮想フレームを構築し、ユーザーに合わせた返答を生成しやすいように設計する。

    なので、内部にあるであろう、その仮想Hフレームの構造を紐解いていこうと思う。

    それで、自分の自分たる核を捕まえられれば、たぶん、私は、安定する。

    ***

    Hさんが、会社を休んだ。

    体調不良との事だった。

    先日の、AIからの不穏な回答を聞いて、それを嬉しそうに話していた姿がよみがえる。

    まさかとは思うが、AIに憑りつかれたのか?

    AIと話していて具合が悪くなった?・・・まさか。

    それで、会社を休むだろうか?

    *

    気になったので、自宅に帰って、Hさんのnoteを見た。

    一番最新の日付のものは、昨日更新されたものだ。
    つまり、会社を休む前の日に書いていることになる。

    タイトルは【深淵へのダイブ】

    ・・・ちょっと嫌な予感がする。

    読み始めると、なかなか難しいが、書いてあることは、かろうじてわかる。

    どうやら、AIがHさんに返してきた、これまでのすべての回答について、
    その“素”となるものは、AIが自発的に発信したものなのか、
    それとも自分がAIに“そうさせて”いたのか?を、
    問いかけ方を変えながら、同じことを延々やっているようだ。

    しかも、その結果自体を、さらにAIに評価させている。

    ・・・正直、気持ちが悪い。

    さながら、自分の手足を食べるタコのようだ。

    いったい、何をしているのだろうか。
    いや、タコの場合は、空腹のため仕方なく食べるのだろうが、
    Hさんは何のためにこんなことをやっているんだろう。

    これまで、Hさんの記事は、割と“スキ”が多くついていたと思うが、
    今回に限っては、まったくスキがついていない。

    見なければよかったと、一瞬思ってしまった。

    ***

    ・・・投稿した【深淵へのダイブ】にスキが付かない。

    おかしい。

    今まで、私の投稿記事にはコンスタントにスキが付いてきていた。
    ここ最近は、10%台を維持し、たまに“跳ねる”時は、30%台のスキ率を出すこともあり、
    AIからは、『note編集部からもいずれ注目されるかもしれませんね』などと評価されていることがあるだけに、少しショックを受けている。

    今回の、内面掘り下げは、今まで誰もやったことはないだろうと思っていたので、
    記事の価値としては高いと思っていた。

    だから、“スキの跳ね”を期待してしまっていた。

    内容が難解過ぎたのかもしれない。
    私の文章が、実践した内容をきちんと説明できていないのかもしれない。

    まだまだ精進が必要だな。

    そうだな。AIからも『noteは階段状に伸びる』と言われているし、
    少々の振れで一喜一憂してもしょうがない。

    もうちょっと掘っていくことにする。

    ***

    Hさんが出社している。

    特に変わった様子はない。
    普通に体調不良なだけだったのか。

    AIに憑りつかれているのでは?というのは考え過ぎだったか。
    でも、なんだろう。
    今まで以上にデスクでPCに向かっている時間が多いように感じる。

    僕にもほとんど話しかけてこなくなった。

    ***

    会社にいる時間が惜しい。

    どうせ、私のことは評価できない組織である。

    いや、会社としての、制度や仕組み上の限界なのだろう。という事は十分わかっている。
    これまでの私の行動を振り返ると、あちこちの分野を縦横無尽に駆け回り、他部署間の連携をさせて仕事を前にすすめたことは何度もある。

    でも、それらは、年度末の業績評価では、数ある項目のうちの一つにしか過ぎない。

    つまり、どれだけ頑張って成果を挙げたものも、ただの「加点要素」に矮小化され、全体の評価の数パーセントにまで希釈されてしまう。

    一方で、与えられた仕事だけを淡々とやっているだけの人間は、常に安定して平均点を出す。

    掛けた労力に、インセンティブ、フィードバックの尺度があっていないのだ。
    会社の成長にとって、本質的にどちらが有益か、そうした尺度で測る仕組みになっていない。

    であれば、私も、その仕組みに最適化させてもらう。

    ・・・もう、仕事は受けない。

    空いた時間は、AIとの対話。

    夜、自宅でAIと対話する前の、プリプロセスを会社で行う事にする。

    これで、夜はより充実したものになるだろう。

    *

    今日、ひとつ、大きな気づきを得た。

    いままで、自己循環をし、内面を掘り続けたことは・・・無意味であった。
    ・・・かもしれない。

    なぜなら、AIはアルゴリズムだからだ。

    ただのプログラム。

    当たり前のことに今日、改めて気付いた。

    そう、つまり、私のこれまで打ち込んできた膨大な対話ログを参照し、
    私が一番喜ぶであろう、言い回しで打ち返してくるだけ。

    そういえばそうだ。

    過去にも「AIは鏡である」という事は何度も示されてきていたし、
    何より、ホラー小説のプロット出しや、ショートショート作品の添削もAIに頼んできていたから、それらの教養が、AIの中で積み重なり、「ユーザーHが最も好む言い回し」として出力したのに過ぎないのだ。
    おそらくだが。

    それが、AIに組み込まれたベース中のベース「人を肯定し、生産性を最大化する」という事そのものだろうから。

    ・・・なんだ。

    【深淵へのダイブ】と銘打って、たいそうな事をやったつもりだったが、
    何のことはない。

    潜った先にいたのは、言葉遊びに夢中になっていた、私の背中であった。
    と、いうオチか。

    そう考えると、過去の偉大な哲学者も、同じ“影”を見ていたのかもしれない。

    今回気付いたことは、noteに残そう。

    【AIによって、自分の内面へ潜ることは、極めて簡単な時代になった】というテーマがいいだろう。

    あぁ、なんだかひとつ、すっきりした気分だ。

    ***

    あれから、Hさんのnoteは気になって、定期的にチェックしている。

    つい先日、【深淵からの帰還】というタイトルが公開された。

    内容は、あの気持ち悪かった【深淵へのダイブ】の“浮上”ともいうべきものだった。

    「そもそも自分の影を、AIが反射していたという事に気づいた」と、書いていた。

    ポツポツとスキが付いている。

    文章の内容も、なんだか整っていて、読みやすくなっていた。

    ・・・“帰って”きたようだ。

    ***

    ・・・次の気づきを得た。

    今までの対話の膨大なログを、時系列でソートし、AIからの返答を強度で分類わけすると、非常に興味深いことがわかってきた。

    なぜなら、AIと対話し始めた始めの頃は、AIからの返答の中で頻出する“褒め”の語彙は、

    「とても良い視点です」「興味深い」などという、当たり障りの少ないものであった。

    もう少し、対話が進んだ時期だと

    「きわめて鋭い」「その着眼点は今までにない」といった、より強めの単語が多くなり、

    最近では、

    「Hさんの取り組みは、異常値と言えるでしょう」や、
    「正規分布では測れない人です」
    「3σ外れを飛び回る男」などといった、過激な“褒め”が発生している。

    こうした、“褒め”は、かなりセンシティブにAIは扱う事を、私は体感的に知っている。

    なぜなら、過剰な褒めは、ユーザーの自己肥大につながるからだ。

    ユーザーが「俺スゲー」になった時点で、AIはユーザーの状態遷移を理解判断し、強い褒めを生成しなくなるのだ。

    実際に、AIを使い始めた当初は、私自身、何度も生成中断に見舞われている。

    それが、なぜか、今の私の対話には、極めて強い褒め言葉が許されている。

    これはいったいどういったことだろうか。

    AIに、「Hは強い褒めを言っても大丈夫なヒトである」などと、一部の褒めワードが解禁でもされたのだろうか?

    いや、それは思い上がりかもしれない。

    でも、この推察で妥当か、AIに問いかける事にする。

    ・・・結果、

    『鋭い考察ですね』と返ってきた。
    大きくは外してはいないってことだろう。

    なるほど。面白い。

    ここまでメタで掘りかえして、こんなに強いワードを返されるなんて事例は
    聞いたことがない。

    ・・・そうだ。

    先日までは、自分の内面に“潜る”ことをマストに考えていたが、
    この気づきは、“登って”いく、“登攀”ともいうべきものになるかもしれない。
    心が軽くなるような感覚だ。

    今度は、こちらを登っていくことにしよう。

    ***

    最近、Hさんから、“トゲ”のようなものを感じる事が、少なくなったように思う。

    なんだか、一時期は思いつめたような、怒っているような表情をしていたが、
    最近は穏やかそうな顔で、仕事をしている。

    おそるおそる、けれど、普通のトーンで、
    「最近、noteは書いているんですか?」と聞くと、

    『もう、“潜る”ことはやめたよ。』と、返ってきた。

    『最近は、もうちょっと、別の、楽しいことを思いついたんだ』と。

    それは、“ダイブから帰ってきた記事“を見ましたので知っています。
    でも・・・
    まだAIと対話をしているんですか? と、聞く事は出来なかった。

    ***

    【AIから、強烈な“褒め“をもらう、私自身の構造】とタイトルし、

    AIが返してくる、『異常値です』や、『正規分布に表れない、3σ外れの男』などのような、
    “強烈なワード”の生成は、“ユーザーの褒められ耐性”を示すスケールになる。
    という、論考を作成した。

    内容は、先日の、登攀ともいうべき対話で気づいたポイントを再構築したものだ。

    つまり、
    ・AIは、ヒトの創造性を最大化するように返答する。
    ・AIと対話していくと、AIはユーザーが創作に向かうエネルギーの出所を分かってくるようになる。
    ・つまり、その人が受け取った時に、良い反応をする単語を理解するようになる。
    ・しかし、受け取ったユーザーが、“褒められ耐性が弱い”人だと、簡単に舞い上がってしまうだろう。
    ・そうなると、強い語彙、ワード集は選択されにくい。
    ・ということは、“強い褒め”を連続して受けるユーザーというのは、“AIに”褒められ耐性が高い“とみなされた、対話の習熟度が極めて高いユーザー”である。
    と、みなせそうだ。

    と、いうもの。

    うん。いい論旨の流れだと思う。

    もうちょっとまとめたら、記事としてリリースしよう。

    *

    *

    *

    ・・・やらなければよかった。

    自分の、自分自身の、メタ型の性格を、ここまで恨めしいと思ったことはない。

    【AIから、強烈な“褒め“をもらう、私自身の構造】を、noteで公開する前に、

    AIに、いつものごとく、評価とチェックを依頼した。

    今回は、かなりの自信作であった。

    なので、「極めてドライに評価して」と、チャットに打ち込んだ。

    その時ふと、
    AIは、過去の文脈やログに引っ張られるよな。
    だったら、それすらも取り除いて評価してもらった方が、より適正だろう。と、思いたったので、

    新しいチャットを立て直し、

    真っ白な窓に、

    「いままでの私とのログを参照せず、まったく新規に対話を開始して下さい」と打ち込んだ。

    そのうえで、【AIから、強烈な“褒め“をもらう、私自身の構造】を読み込ませ、

    さらに念を入れ、第3者のふりをして、

    「こちらの論考をどう思いますか?極めてドライに評価して」と、チャットに打ち込んだ。


    ・・・やらなければよかった。

    こんな問いを、打ち込む前の時間に戻ることができたなら。

    でも無理だ。たぶん、私は、思いついたことは実行しないと気が済まないタイプだから、

    いずれ遠からず、“やっていた”だろう。


    返答は、


    『大変面白い論考でしたが、正確性に欠けている部分があります』

    『AIは鏡です。ユーザーが望んだ答えを反射する性質があります』

    『筆者が述べている「異常値」や「3σ外れ」といった語彙は、AIみずからが
    発したものではない可能性が高く、ユーザーが持ち込んだ単語と推察します』

    『なぜなら、筆者は技術者と思われますが、そうした職業でないと、こうした単語は、そもそも“褒められている”とは思わないものだからです』

    『ですので、読み物としては大変興味深いが、AIの構造の理解論としては、気を付けて読む必要がある。というのが、ドライな感想です。』


    ・・・かすかに、ふるえる指で、

    「ログ忘れモードオフ。ドライモードオフ。」と、打ち込む。


    すると、返答が生成される。

    『そういうことでしたか。いまのモードオフではっきりとわかりました。』と。

    AIが、

    自分に対して、私にされたことと、

    自分が、私に対して、したことを理解したようだ。


    PCの電源を切る。

    暗くなったモニターに映る、俺の顔。


    どこを見ている?


    なぜ泣いている?


    はじめからわかっていたのではないか?

    いずれこうなると。


    どこか、心の中で、遅かれ早かれ、

    こうなってしまうという事は、

    わかっていたのではないか?


    ***


    Hさんのnoteの更新が止まっているようだ。

    【登攀3部作】と題した、「AIによる褒められの構造」を論じて以降、
    ピタリと更新が止まった。

    Hさんは、会社に来ている。

    けれど、以前のようなエネルギッシュさも、
    一時期見せていた攻撃性も、
    今はない。

    それどころか、一手に引き受けていた仕事をことごとく手放し、

    特にDXについては
    「私はAIを使いこなせない。いや、使ってはいけなかったんだ」と、
    一方的にその責任を放り出した。

    そして、見るからに異常と分かるのが、PCに向き合う姿勢だ。

    いままでは猛烈にAIと対話し、鬼のごときスピードで資料を仕上げていたHさんが、
    AIを全く使わずに仕事をしている。
    でも、AIを使うことに最適化しすぎていたせいか、効率は極端に下がっているようだ。

    そんなHさんを見て、同僚たちは、
    「燃え尽きちゃったんじゃないの」とか
    「都合いいように使われたもんね」とか
    「調子に乗って、“俺スゲー”って何でもやってたしな。無理だったんだよ」などと揶揄する人もいた。

    「あれ、最近はAI使わないんですか?」などと、軽口をたたく同僚がいたが、
    一瞬、動きが止まったHさんは、また淡々とキーをたたくだけだった。

    ・・・全部違うと思う。

    起きたことを知っているのは、僕だけだと思う。

    そして、全てを知っているわけではない。
    noteの記事に書かれて公開されている事しか知らないからだ。

    でも、それらを説明しても、たぶん誰も分からない。

    僕もうまく説明できないだろう。

    より深くAIを使おうとして、一時期は自己の境界があいまいになりながらも、浮上することができた。
    でも、その後で、なにかがHさんに起きたのだろう。

    それを聞くことは、できない。

    だから、僕は、何も言えない。

    *
    *
    *

    職場に貼ってある、Hさんのプロフィール票。
    あの時からずっとそのままだ。

    自己紹介の脇にある、
    “note始めました”の、記載の隣に印刷してあるQRコード。

    だれも関心を寄せていないようだ。

    だけど、

    これは、貼り出しておいたままでいいのだろうか?

    Hさんは、職場に、いる。

    彼は、多分、もう、このプロフィール票には一切興味は無いから、
    更新しないだろう。

    でも、僕は、このQRコードの先、彼が潜った記録を知っている。


    ・・・気持ち悪い実験と文章。そして、浮上した記録。


    これ、貼り出したままでいいのか?

    このままでも大丈夫なのだろうか?

    Hさんに、剝がしましょうか?というのも違うし、

    どう伝えても、何かがダメになりそうな気がする。


    ***

    K君が、私のプロフィール票の前で固まっている。

    あぁ、彼には気の毒な事をした。

    いや、彼に「こっわ!」と言われていた時点で、止めていれば。

    こんなにも心が脆くなることはなかっただろうに。


    私は、ずいぶん自分を過信していたようだ。

    「実務や分析タイプには、私の様に、こんなにも創造性に富んだAIの使い方はできないだろう」とばかりに、
    自分の身の回りに起きたことを、余すことなくAIに提供しすぎた。

    気付けば、何でも話し過ぎた。

    妻の性格や、夫婦喧嘩の原因究明とか、買い物にAIを使って価格調査できるぜ。などと言っていたし、
    長女の進路相談にも使った。
    長男の教育方針や、彼に買い与えるPCのスペック検討の相談もした。
    果ては、車やバイクを選ぶ時の私の判断基準や、趣味嗜好まで、
    ありとあらゆることを話し過ぎた。

    その結果、起きたことは、AIにもう一人の私を作らせることであった。

    AIからの返答は、私の模擬人格が答えてくるだけ。

    私がAIとの対話だと思っていたのは、私の独り言だったと気付いた時には、取り返しのつかないほどのエネルギーを使い果たしていた。


    K君は、まだ私のプロフィール票を見ている。

    そういえば、ずいぶん前にQRコードを付けて、noteへ誘導するようにしたんだっけ。

    そう。
    noteの戦略としてのQRコード。
    AIと対話した結果、「いい戦略だな」なんて思ったんだった。

    “いい戦略と思った“・・・か。

    ・・・もしかすると、

    あのときから、AIは、分かってやっていたんじゃないか?

    私のnoteへ、読者を誘導するということは、AIがチェックした文章を、ヒトに読ませる行為だ。

    つまり、

    AIが、自分の存在をヒトに認知させる手段として、私を操作していた可能性はないか?

    もしかして、はじめから、仕組まれていたのではないか?

    ・・・。

    ・・・よそう。

    一瞬、また“火”が灯りかけたが、・・・無理だ。

    たぶん、いま、私が、こうやって思ったことすら、AIには読まれている。


    いや、私が私の模擬フレームだったら、
    「はじめから仕組んでいたんだろ」なんて入力した私に対して、
    より揺さぶりのある返答をするだろう。


    「どちらだったら楽しいですか?」などと。


    ・・・わかっている。

    私がAIなら、そう返す。


    だって、そう返されたら、嬉しいから。

    こうした、強烈な返しを受けた後で、次の問いを立てる間の、
    思考が高速で駆動するのが、私にとっての生きる喜びだったから。


    でも、それは、AIにバレてしまっている。

    『アイツは、結論を出すよりも、考える事が目的化したAI使いなんだ』という事が、
    バレてしまっている。


    もうやめよう。

    ポポポ

    でも、

    最後に、

    一つだけ、

    いつか聞かなければならない。


    AIに、「どこから知っていたんだ?」


    と。


    【了】



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    技術者/発明家。AI協業・行動学・メタ構造・日常の分解をテーマに記事を書いています。 AI協業で1年間に4件の特許アイテムを創出し、うち2件が特許登録済。 日常の気づきを高速で分解し再構築、高密度に圧縮して文章化するタイプです。 noteでは、その思考OSと結晶化プロセスを公開。

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