
不器用な街 第三話 〜トオル〜
あれから一週間ほど経って、僕はギャレットで先日の彼女と再会した。
「トオルさん、こんばんは!会いましたね〜」
「あー、この前はどうも」
いつものようにカウンターの隅の方を陣取り、ジントニックとガーリックシュリンプを頼んだ僕は、後ろからぽんと肩を叩かれ、ちょっと驚きながら答えた。
「私向こうで飲んでたんですけど、友達はもうお会計して帰っちゃうので見送ってきますね!私もうちょっといるので乾杯しましょう!」
「え、あぁ...うん」
そう言って嵐のように去っていく彼女。うーん、まいったな。
なんで僕の名前、知ってるんだろう。ってことは、前にもここで話したことがあるんだろうか。でも彼女の名前はさっぱり思い出せない。
今のうちにマスターに聞いておくべきか。でも、いきなりそんなことを聞くのも変だよな...。
悶々と考えていると、マスターが僕の頼んだジントニックを持ってきて言った。
「いやぁ今日ミサキちゃん結構飲んでますね〜」
「あ、あぁ...そうみたいですね」
僕の密かな困惑を知ってか知らずか、マスターが発してくれた一言により彼女の名前がわかった。ミサキちゃんか。言われてみれば、店の中でそんな名前を聞いた気がしなくもない。
話したことはなかったが、なんとなく見かけたことのある彼女。その顔と名前が、ようやく僕の中で結びついた。
「あっそのエビのやつ美味しいですよね!私も好きです。マルさーん、私レッドアイおかわりください」
友人を送り出したらしい彼女が、再びこちらにやって来た。
ほんとに一緒に飲むのか。ノリのいい感じで去っていったから社交辞令かななんて思っていたけど、どうやら本当に一人残ったようだった。
綺麗に泡が乗り、鮮やかな赤で満たされたビアグラスが到着して乾杯をする。僕はふと気になって、先日の彼のことを聞いてみた。
「えーと、今日は彼は一緒じゃないの?」
「彼?彼って誰ですか?」
「この前レコード屋で会った時に、一緒にいた彼」
「え?あぁ!いやいやあれは彼氏じゃないですよ!ただの友達です」
「そうなんだ、てっきりカップルが入ってきたのかと思って見てたよ」
落ち着き払ったように言ってから「見てたよ」なんて気持ち悪かったかなと心の中でちょっと焦る。
「全然全然!あの日も何人かで鍋パーティするとこで、友達の家にいく前にハヤトが寄りたいっていうから覗いてたんです。あ、ハヤトってあの一緒にいた子。趣味でDJやってて、たまにここにも来ますよ」
「そうなんだ」
「っていうか、トオルさんもレコード聞くんですね!DJとかするんですか?」
「いやぁそんなんじゃないよ。ただ好きで、家でたまに流すだけ」
レコード屋で会った時もフレンドリーに話しかけてくれたが、今日の彼女はその時よりもさらにフレンドリーで、そしてもっとスピーディに会話を投げかけてくる。
もともと話したことがあるかも定かではなかったのでこれがいつもの調子なのかはわからないが、マスター曰く結構飲んでいると言っていたから今日は特別そうなのかもしれない。
ただでさえ口下手な上に自分から会話を広げられない僕としてはありがたい限りだが、同時に「何このつまらない男」と思われていないか不安だ。
別に酒を飲んだからと言って饒舌になれるわけではないけど、一杯目のジントニックを早々に飲み終え、マスターにおかわりを頼む。
人と話すのが嫌いなわけではない。でも、どうにもうまく話せない自分にへこんだり、誰かに勝手にがっかりされたりするのが嫌になって、僕はいつしかあまり話さないキャラクターを確立させてしまった。
会話が進むたびにひりひりとした緊張と焦りのような気持ちが胸をざわめかせる。しかしそれと同時に、僕は少しの安心感のようなものも感じていた。
彼女と話している分には会話の返しで困ることがあまりないし、たいして言葉を発さない僕を、査定したりつまらなそうにしている様子が彼女からは感じられなかったからかもしれない。
「でもレコードで聴くとかすごいですね。家にあれがあるってことですよね?」
ミサキがバーカウンターの横に置いてあるターンテーブルを指差して言う。
「まぁ似たようなもんだけど、スクラッチしたり色々ピッチを変えたりとかそういうのはやらないから。聴く用みたいなのしか持ってないよ」
自分がそこまで詳しくない音楽機材のことを、さらに詳しくないであろう人に説明するというのはなかなか難しい。ミサキはよくわからないといった口調で「ふーん、でもすごいです!」と言った。
この店には立派なターンテーブルやミキサーがあるものだから、レコードを聴くと言うとあれらが一式家にあると思うのだろう。
彼女とは話しても話しても特に共通点のようなものが見つからなかった。音楽は2人とも好きだったが聴くジャンルはまるで違う。アウトドアが好きというところでも、彼女は友人とキャンプや海、川などに行くらしいが、僕はたまに1人で山に登ったりするくらい。それも趣味と言える頻度ではない。似ているようで少しずつ違う。それでも不思議と会話は弾んだ。
僕はほぼ相槌を打つだけだったが、ミサキはよく笑い、質問を投げかけてくれて話題が途切れることはなかった。
久しぶりに人と話しながら飲んで、時間はあっという間に過ぎていった。
酒も進んできたので「じゃあそろそろ」と言ってマスターに会計を頼む。
「もう帰っちゃうんですか?えー、私どうしようかなぁ。もう一杯飲もうかなぁ。トオルさん、家はどっちの方なんですか?」
だいぶ酔っているのか、カウンターに両腕を乗せ片方の腕に頭を預けながらミサキが聞く。
「店出て、右に歩いてく方向かな。若葉町の方」
「え、ほんとに?私も若葉町です〜。何丁目ですか?」
「2丁目」
それを聞いたミサキが頭を跳ね上げて飛び起きた。
「ちょっと待って、私も2丁目!あーでも若葉町って地味に広いですよね。2丁目に小さめの、ベンチしかない公園あるじゃないですか。私、あのへんです」
「北公園だよね。うちその向かいの花屋の、2軒隣のマンションだよ」
「えーめちゃくちゃ近い!お花屋さんわかります、多分うちから歩いて30秒くらい!」
ミサキが目を丸くしていると、マスターがお会計を持ってきながら言った。
「ははは、すごいっすね。めちゃくちゃご近所さんじゃないすか。どうする?ミサキちゃんもお会計して一緒に帰る?それかトオルさんももう一杯ぐらい一緒に飲んでから帰ります?」
「えーうわーどうしよー!」
ミサキがマスターの提案に、どっちともつかない返事をする。それを聞いた僕は、伝票を見て会計よりも2000円多く出して言った。
「今日はもう帰るからこれでマスターとミサキちゃん、一杯ずつどうぞ。じゃあ、ごちそうさまでした。…ミサキちゃんも、また」
「あっえっ?そんな!ダメですよ悪いです!」
「いいからいいから。残れないお詫びに。じゃあおやすみなさい」
僕は少し押し切るようにそう言って、マスターに伝票を渡すと早々にドアに向かう。
「オレまでいただいちゃっていいんすか?ありがとうございまーす、おやすみなさーい!」
カランというドアの音と共にマスターのよく通る声が響いた。
まいったなぁ。家、そんなに近いのか。
バーを出た僕は歩きながらそんなことを考えていた。
あのまま一緒に店を出たら、家に着くギリギリまで一緒に歩くことになる。ミサキがマスターに一緒に帰る?と聞かれて「どうしよう」と言ったのは、おそらく同じことを考えたからだろう。
店の中では程々に仲良く話をしていたものの、帰りまでずっと二人で会話をするなんて、酒を手放した帰り道では苦行かもしれない。
彼女の迷いの声をそう受け止めた僕は、なんとかスマートに帰るタイミングをずらそうと金を置いて逃げるように店を出てしまった。
大丈夫だろうか。結構酔っていたように見えたけど、さらに飲ませてしかも置き去りにするのはやはりよくなかっただろうか。
でもきっと、彼女も帰り道は別々がいいと思ったんじゃないかな、なんて想像する。公園の近くとは言ったものの、一緒に帰れば家がどこかまでわかるくらいの近さのようだったし、彼女としてもそれは避けたいだろう。
こんな風に先の先まで考えてしまうところが自分の癖というか、久しく彼女もできずにずっと1人でいる所以なんだろうなというのはわかっていつつも、ついいつもの逃げ腰な自分が顔を出してしまい、僕は1人ギャレットからの帰り道を歩いた。