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015 人生を変えた1年。そのとき捨てた“一番大きなもの”と、手にした“馬鹿でかい勇気”

    1.私が一番大きく変わるために、捨てたもの。

    前回の記事では、「自分を変えるには、まず“捨てること”が必要だった」という話を書きました。

    今回は、その中でも『私が人生で最も大きく変わった体験』を
    お話ししたいと思います。 
    変化の裏には、やはり“大きな決断”と“手放し”がありました。


    みなさんは、こんなふうに思ったことはありませんか?

    「今の自分を変えたい」
    「人生を一歩前に進めたい」
    「でも、どうしたらいいのかわからない」

    私も、かつて同じように悩んでいました。
    そして、ある日ようやく気づいたんです。

    「大きく変わるには、大きなものを捨てなければならない」

    私にとって、それは”祖母の死”、そして”退職”でした。
    社会人になりたての私は「何者かになりたい」という野心に
    突き動かされていました。
    自己成長、努力、挑戦…そんな言葉に惹かれて、
    時間も労力も惜しまず使って、疲弊していく中で、
    若さの力で突っ走っていたと思います。

    努力を続けるうちに、周囲の目も変わり、
    評価と信頼を1歩ずつ積み上げていきました。

    社会人3年目、祖母の死がきっかけで、
    仕事にも情熱を注げなくなり、手が止まりました。
    卒業後、必死でレールの敷かれた職場の出世街道を進んだ。
    このまま進めば、将来の役職や給与も約束されてたはず。

    でも、そこに疑問を感じ始めました。
    とはいえ、安定した今の給与や地位を手放す勇気もすぐには持てず、
    何カ月か自問自答し、”退職”を決意しました。

    課長や部長は、同じ室内で働いてることもあり、
    退職に至った経緯や経過を知っていたため、
    本意ではなかっただろうが、「わかった。」とだけ言った。

    その後、常務にも同様に伝えた。「何者にもなってないのに、
    なぜ辞めるんだ?どうせ、そんな気持ちじゃ、
    これから何やってもお前はダメだ!だから、続けろ!」

    そんなニュアンスの言葉だったと思う。
    私は、「そうですね」とだけいい、それ以上、
    何も反論せずに無視して去った。

    退職後は、何も決めていなかった。
    ただ、すべての荷物を降ろしたかった。
    入社してから築いてきた安定の全ても。

    ──不思議なことが起きました。

    退職を決めて1,2週間も経てば、
    あれほど悩んでいた人生への問いが、
    “未来”へと傾きはじめたのです。

    「辞めたら、何をしよう?」
    「どこに行こう? 誰に会おう? 何を学ぼう?」

    当時、私は26歳か27歳だったと思います。
    まだ一度も海外に行ったことはなく、その理由はシンプル――
    「まとまった休みが取れなかったから」です。
    でも、祖母の死をきっかけに心が追いつかなくなり、
    私は仕事を辞めました。

    そのとき初めて、自分の中にある「人生を変えたい」という強い想いが
    動き出しました。

    私はふと考えました。

    「本当に一人で生きていけるのか?」
    「日本という環境に甘えてないか?」
    「自分の実力って、どの程度なんだろう?」

    会社の仲間、上司、両親、友人――
    これまで私は、いろんな人に支えられて生きてきたんだと、
    初めて気づきました。

    「誰も知らない国で、誰にも頼らずに、生きていけるのか?」
    それを、試してみたくなったんです。


    行き先はニュージーランド。
    理由は特別なものではなく、
    「気候が日本に似ている」
    「経済的に行きやすい」
    「1年間ならなんとかなる」
    「ワーキングホリデーは働ける」

    ──そんな現実的な条件からの選択でした。

    でも、心の中には明確なテーマがありました。

    「自分の力で、人生を進められるのか?」

    無力感を抱いていた私は、とにかく「力が欲しい」と思っていた。
    そして海外生活一年後に、“それを証明したい”と思っていました。


    英語は、正直、いちばん苦手な教科でした。
    でも、やると決めたからには逃げないと決めて、
    高校のテキストを最初からやり直しました。

    ワーホリの出発までの間、語学学校に通う手配、
    ホームステイの申込などは、退職までは動けないと割り切り、
    エージェントにすべてを委ねました。


    さて、ここでみなさんに問いかけてみたいのです。

    みなさんは、言葉の通じない国へ行くとき、
    どんな気持ちになるでしょうか?

    私は、**キャリアを捨て、安定した職歴も手放して、
    やりたいことに“フルベット”**
    しました。

    不安はもちろんありました。
    でも、それ以上に「ワクワク」が勝っていたんです。
    英語は苦手だけど、なんとかしてみせる。
    自分の力で生きていく力を身につける。
    そう決めていました。

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    2章:言葉の壁と、人生初の海外生活

    初めての海外は、肌寒い日でした。
    季節は6月。南半球のニュージーランドでは、ちょうど冬にあたります。

    空港に着くと、ホームステイ先のお母さんが迎えに来てくれていました。
    でも――早速、言葉が通じない。

    一応、出発前に高校英語をやり直していたものの、
    実際に交わされる英語は、思っていた以上に早くて、
    知らない言い回しばかり。
    「勉強してきた英語と、全然違う……」
    そんな現実に直面しました。


    私が滞在した家族は、父・母・3人の男の子(4歳、7歳、9歳)。
    お父さんは週末しか帰ってこない仕事スタイルで、
    ラグビーが三度の飯より好きな方。
    家には私以外に、サウジアラビアから来た留学生も1人いました。


    朝は6時過ぎに起きて、朝食・着替えを済ませ、
    7時10分のバスで語学学校へ。
    学校が終わると、帰宅して宿題。
    夕方には子どもたちと一緒にテレビを見たり、
    公園で遊んだり、ゲームをしたり。
    言葉が通じないながらも、「遊び」は世界共通。
    気づけば、そんな毎日に少しずつ慣れていきました。


    土曜日は家族みんなで教会へ。
    昼食は定番のフィッシュ&チップスやホットドッグ。
    日曜日には、お父さんと一緒に10kmほどランニングすることもありました。
    夜はラグビー観戦へ出かけたり、家で一緒に盛り上がったり。

    ──ただし、観戦中に“軽いラグビーごっこ”が始まることも。
    100kg近い巨体とのプロレスごっこに、怪我しそうになったのは
    一度や二度ではありません(笑)。


    語学学校では、「日本人とはなるべく距離を置こう」と
    決めていました。
    それは、自分を本気で変えたいと思っていたから。
    英語を使わざるを得ない環境に、自分を置きたかったんです。

    最初に仲良くなったのは、韓国から来た男性。
    彼もまた英語が苦手で、お互いに片言でしか話せなかったけれど、
    学校帰りに買い物へ行ったり、週末は一緒に街を歩いたり。
    1週間もすると、言葉の壁を超えて“信頼”が芽生えていました。

    彼は、私にとって**初めての「日本人以外の友人」**になりました。


    「通じない」ことに悩むより、
    「通じた瞬間」に心が震える。
    言葉以上に、人と繋がれる瞬間が、ここにはあった。

    ここから先は有料になります。
    私の人生を変えたTESOLとの出会いと、
    毎日15時間以上、英語に向き合った日々。
    たった6週間で自分を信じる力を得た
    瞬間を書きました。
    あなたの背中をそっと押せたらうれしいです。

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    3章:英語が“生きる力”になった瞬間

    語学学校で仲良くなった韓国人の友人と過ごすうち、
    私の中で少しずつ「生活に慣れる感覚」が芽生えてきました。
    やがてホームステイを離れ、自分でアパートを借りて、
    一人暮らしを始めました。

    当時住んでいたのは、クライストチャーチという南島最大の都市。
    借りたアパートは、築100年を超える古い建物で、
    日本の2LDKくらいの広さがありました。
    キッチンとトイレは共同。生活の全てが初体験で、
    毎日が“学び”の連続でした。

    語学学校では、常に新しい出会いと別れがありました。
    毎週誰かが卒業し、誰かが入学してくる。
    日本人、韓国人、サウジアラビア人など、国籍も様々。

    そうした流れの中で、友達や知り合いもめまぐるしく変わっていきます。
    でも私は、その環境が心地よかった。
    違う文化を持つ人たちと、英語で会話をし、日々を共にする。
    それが、だんだんと“当たり前”になっていったのです。


    最初の4か月で、そんな経験を重ねるうちに、
    「英語で生活すること」自体に不安はなくなっていました。


    そして、次なる挑戦へ――
    語学学校を卒業し、私はこの街を離れることにしました。
    次に向かったのは、「ブレナム」というワインで有名な小さな町。
    目的は、ワーキングホリデーらしく“働く”こと。
    そう、ワイン用のブドウ畑(ビンヤード)での仕事です。


    到着後は、バックパッカーズホテルに3か月ほど
    滞在しながら、毎朝畑に出勤する日々。
    イギリス人、ドイツ人、韓国人、アメリカ人、中国人など、
    多国籍な仲間に囲まれて暮らしていました。

    「話せると思った英語が、本場の英語が理解できず」不安になりました。
    毎日一緒に働き、寝食を共にして、
    毎朝、他のみんなが寝てるには英語の勉強していくうちに
    不思議と英語も自然に体に染み込んできました。


    そんなある日、マレーシアから来た青年達と仲良くなり、
    次の街を一緒に旅することに。
    気づけば“日本人1人+マレーシア人2人”の3人旅がスタート。
    約2か月ほど、一緒に泊まり、働き、旅をしたり。
    英語が“通じる”ことが、どれほど心をつなげるのか、実感できた旅でした。


    学校の英語じゃない。点数を取る英語じゃない。
    「生きるための英語」が、ここでようやく自分のものになった。


    そしてもう一つ、自分の時間の使い方についても、
    大きな気づきがありました。

    突然、毎日が自由になる。
    「明日なにをしてもいいよ」「一週間、全部あなたの自由です」と
    言われたとき――  

    あなたなら、どうしますか?

    日本ではなかなか考えることのない、“自分の時間”をどう使うか。
    実は、これがけっこう難しいんです。
    「予定を自分で作るのが、日本人は苦手だ」とも言われています。


    私は図書館へ行き、本を読んだり、
    植物園や公園で日向ぼっこしたり、
    周囲をぶらっと散歩してみたり。

    一人のときは、そんなふうに穏やかに、気ままに。
    スーパーへ買い出しに行くのも、ちょっとした冒険でした。
    片道10キロ以上もあるスーパーに、1週間分の食料を
    詰めた15キロのリュックを背負って歩いたこともあります。


    何もないようで、すごく豊かな時間。
    「何をしないか」「何をやらないか」を自分の意志で選ぶことが、
    自由の中ではとても大事なんだと、私はこのとき知りました。


    “自由”って、「何でもできる」じゃなくて、
    「自分で選ぶ」ことなんだと思う。


    こんな風に、働く以外の時間も、
    また私の人生に大きな影響を与えてくれたのです。

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    第4章:あなたは6週間の“全力”で勉強したことありますか?

    マレーシア人との旅も終わりが見えてきた頃、私は「くだもののピッキングのアルバイトがしたい」と思い、次の街に一人で残ることを決めました。

    その街は、さらに田舎で、ほとんどが現地のニュージーランド人。観光や外から来る人はあまり見かけませんでした。

    でも、偶然にも同じ語学学校で学んでいた台湾の子と再会でき、久しぶりに楽しく過ごす時間を持てました。


    2週間ほど経って、「そろそろ南島を一周してみよう」と思い立ち、旅に出ることを決めました。
    でもその前に、「この旅の証を何か残したい」と強く感じました。

    そこで、
    「第二言語として英語を学んだ人が、他人に英語を教えるための資格」
    TESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages)というコースを受講することにしました。


    このTESOL、入学条件がなかなかハードで、IELTSで6.0以上
    (英検で言えば準1級レベル以上)が必要とされていました。
    私はというと…
    渡航前の時点では、英検3級にも満たない英語力でした。


    それでも、チャレンジしてみたかった。

    現地で試験を受け、面接を受け、なんとか合格。
    無事にTESOLのコースに入ることができました。


    生徒は、私一人。
    全てがオンラインと動画と、現地アドバイザーのサポート。

    19章あるテキストを進めて、各章ごとにテストし、
    さらに、アドバイザーから5時間以上の指導を享受し、
    語学学校の生徒に3時間以上、自ら教壇に立ち、
    語学学校の主要な10人以上の先生が見守る中、
    生徒に英語を教え、全ての先生から合格をもらう。


    この学校のコースで平均的な受講期間は3~4カ月。
    しかし、私の滞在ビザは残り6週間。
    残り、6週間全てを詰め込みました。
    朝から明け方まで、土日も関係なく、起きている間はすべて勉強。

    今までの人生で、これほど英語を真剣に学んだことがあっただろうか。


    読者のあなたは、どうですか?
    自分で選んだ道に対して、ここまで本気で向き合った経験はありますか?

    私はこの体験を通して、
    **「選んだのなら、徹底的にやる」**という癖がついたように思います。


    帰国の2日前、
    私はこのコースを当時、史上最短の修了期間で、
    Grade A(最高評価)をいただきました。
    担当の先生やアドバイザーからも、労いの言葉と驚きの声をもらいました。


    英語すらまともに話せなかったところから始まり、
    身振り手振りで伝えていた私が、
    今では教壇に立ち、堂々と英語を教えるまでになった。

    思い返すと、やりきった気持ち、うれしさ、
    辛さ、何かを成し遂げた気持ちに、涙がこぼれました。


    捨てたものは、安定やキャリア。
    得たものは、「自分を信じる力」だった。


    この6週間の体験が、私の人生にとって、
    最も大きな変化の一つになったのです。

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    最後に──人生を変えた1年の旅路

    さて、私の1年間のワーキングホリデーの旅、いかがだったでしょうか?

    今振り返ると、この旅が「資格取得」の始まりだった気がします。
    TESOLという挑戦から始まり、その後、資格が一気に加速しました。
    それは、「何者かになりたい」という欲求の表れでもあり、
    「自分にできることを一つずつ証明」という挑戦心でもありました。


    当初の目的だった、
    「自分の力だけで生き抜くこと」。

    しかし、私が出した結論は、こうでした。

    結局、人は一人では生きられない。
    自分で決めることは大事。けれど、そこに辿り着くまでに
    必ず誰かが力を貸してくれていた。


    語学学校の先生、ホームステイ先の家族、
    旅先で出会った友人たち、
    そして日本で背中を押してくれた両親や仲間たち。

    それぞれの形で、誰かが支えてくれていた。
    「完全な自力」なんて、どこにもなかった。

    でも、だからこそ気づけたんだと思います。
    **「自分で道を選び、他人の支えを感謝しながら進む」**という生き方。

    それが、今の私の原点になっているのかもしれません。


    あなたはどうですか?

    「自分一人でやってきた」と思っている人も、
    もしかしたら、どこかで誰かの支えを受け取っていたのかもしれません。


    私にとって、この1年は
    「祖母の死」「会社の退職」「安定の喪失」といった
    大きな“喪失”から、この旅は始まりました。

    でも、その代わりに、
    **「生きる力」「感謝する心」「やり抜く自信」**を手に入れました。


    そして今でも、あのときの出来事は、私の中でずっと生き続けています。
    だからこそ、私は今日も、自分で決めた道を、自分の足で進んでいきます。


    あなたも、いつか何かを捨てて、
    大きく変わる決断をするときが来るかもしれません。
    そのとき、この物語がほんの少しでも背中を押せたなら、
    私はとても嬉しいです。

    人が変わるってのは、結果論であり、
    実は、その一瞬一瞬を本気で生きただけで、
    その覚悟が意思が、人を変えていくのかもしれません。


    捨てることを通じた自己変革。


    運と努力の関係について考える。


     
     
    妻子持ち40代。家族の将来を守るため、資格取得・資産形成に挑戦中。ITや測量を経験し、資格20種超を独学で取得。リアル情報を発信。

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