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音いろ哀しき千曲川——昔のお姉さん

    《雲渡る季節》・第一篇

    夏の終わり、信濃路へ向かった。
    千曲川の流れは、どこか懐かしく、水の流れや音に、哀しさが混じっていた。

    たぶん、あの曲が残した「音いろ」の記憶だったのかもしれない。

    ——「腰の痛みは用心したい」。

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    #キャンプファイアを囲んで


    川の水の音いろに、かつて——昭和——の熱狂を聴いた。

    アジアで初めての国際博覧会——大阪万博(EXPO’70)——が開催されて、月の石が展示された。
    ——アポロ11号や12号で、月には、ウサギも、お姫様のお姉さんも暮らしていないことがわかってしまった時代だった。
    悲嘆に暮れた人も多かったと思う。

    そんな人でも立ち直りは早かった、実に。
    アメリカ館には、月の石を一目見ようと、ヒマな、もとい未知への探求心を滾(たぎ)らせた、全国の老若男女が長蛇の列を為していたと聞く。
    ——きっと、東京ディズニーランドの人気アトラクション——ビッグサンダー・マウンテンとか——の比ではなかったのだろう。

    ……

    続いて、アジアで初めての冬季オリンピック——札幌オリンピック(SAPPORO’72)——が開催された。

    花形競技種目のひとつ——スキージャンプの「ノーマルヒル」は、いぶし銀のように渋く「70メートル級」と呼ばれていた。

    飛び方も、スキー板をV字に開かず、揃えて飛ぶ——クラシカルスタイル——だったと聞いている。

    いま思えば、空気力学的にまだまだ改善の余地がある飛び方だったのだろう。
    V字では飛型点が大幅に減点されたと聞いている。
    当時は、あれが洗練されていた。

    ただ、着地時のテレマーク姿勢はいまも同じだ——ノルウェーのテレマーク地方に由来していると言う。
    何もかも寒いので、行ったことはない。

    V字飛行になっていったのは、もっと遥かに後だ。

    ……

    でも、トワ・エ・モアのオリンピックテーマソング——『虹と雪のバラード』——は人気があったという。

    人々の心を美しい雪の街に誘う(いざなう)ような雰囲気と国際的な抒情があった。

    ——もしかしたら結婚式とかでも歌われ、式への参加者が、みんなで涙したり、新郎新婦を置き去りにして、勝手にみんなで前に歩み出て、手をとりあって一緒に歌っちゃったのかもしれない……知らんけど……。
    ——ヤダ、そんな結婚式……出たくない。

    まあ、向こうも呼ばないだろうが……。

    ……

    そして、あの曲……
    当時は、現代のように、YouTubeも、iTunesもない。
    きっと、ほとんどの国民が、テレビやラジオの前で、同じひとつの楽曲に興奮し、感動したのだろう。

    ——まさに、挙国一致というか、大同団結が普通に存在していた時代だったのだろう……文化的にも。
    暑苦しそう……だ。
    明らかに向いていない……。

    まるで、国民全員がひとつのキャンプファイアを囲んで一緒に同じ歌を歌うような……。
    ——嫌だ。

    ——きっと、Love & Peace ——だったんだろうが……。

    ……

    ただ、この曲の魅力だけは、「月の石」など足元にも及ばないほど、多くの人々の心を捉えたのだろう。

    実際、いまも吉祥寺のスナックの片隅とかでも多くの人に歌われている。
    ——月の石のことを、片隅で熱く語っている人は見かけない。居ても近寄らんけど。

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    #信濃の旅へ


    もう三年ほど前の夏の終わり、現地調査の仕事の関係で、長野県は野沢温泉村に出向いた。

    日本国内で住民票登録をしている外国人の方がそこに現実に居住しているのか、或いは、居住していた痕跡があるのか、居住場所とされている建物は現実に存在しているのか、人が住めるような状態の建物なのかを、直接、肉眼で検分したり、近隣の方から事情を聞いたり、写真を撮ったり、という地味な仕事だった。

    すべては、特別送達のためだった。
    特別送達とは、裁判所が訴状などの訴訟書類を郵便屋さんを使って送る行為だ。
    法律的には裁判所の行為そのものだ。

    ……

    この特別送達を実施するため、事前にその場所が受取人である方の「現実の居住地」かどうかを現地調査しなければならないことが、時折、生じる。

    この調査の報告を受け、裁判所はその場所に特別送達を実施するか否かを判断する。

    第三者にやってもらっても構わないが、趣旨が汲み取れないことがままある。

    自らが直接出向いてしまった方が、臨機応変な対応もできるし、信用性も匂わすことができ、そして、結局、効率的だった。

    ただ、千曲川を間近で見ることができる——この期待というか、思いだけはあった。

    ……

    午前八時ちょうどの、新宿発の「特急あずさ」ではない。
    これでは、いつまでたっても……着かない——使えない方法だった。

    ただ、あの兄弟デュオは新鮮だった。
    ——昔、2号の弟に似ていると言われることがよくあった。全然、嬉しくなかった。言った方々とは疎遠になった。
    だいたい、髪型が似ているというか、髪が少し長い……というか、実にくだらない……どうでもいい……理由だった。

    ……

    そんな方々には、いま、目の前で、前頭葉あたりから、右手指を手櫛のように入れ、アンニュイに髪をかきあげる仕草で、圧倒的な毛量の多さを見せつける——実に大人げなかった……小さかった……やることが。

    しかも、アンニュイな雰囲気にはならなかった——物憂げなミステリアス感ではなく、単なる疲労感や運動不足感だった。
    毛量だけでは、如何ともし難かった。

    ……

    これまで、どうも信濃路は「特急あずさ」という固定観念ができあがっていたが、ここでは違った。
    ——「特急あずさ」では全然違う方向に行ってしまうし、おそらく乗り換えを繰り返し、その日中に野沢温泉村に辿り着くのさえ困難だろう。

    季節に取り残されるだけで……絶対……無理だ。
    ——しかし、ひとつの楽曲がもたらす、多くの方々の感性への影響は凄まじいものがあると感じられた。

    ……

    本来であれば、東京駅から北陸新幹線で飯山駅まで行き、そこからバスというのが一般的だ。
    普通なら、一泊を要する行程であろう。

    しかし、前後両日の仕事のスケジュールの関係で、その日の午前中には現地に着き、夕方まで現地で調査仕事をし、その日の夜中もしくは翌日明け方前には東京に戻る必要があった。

    ……

    結局、クルマで出向くことにした。
    途中で、休憩を取らなければ片道三時間半ほどだが、休憩を取れば当然それ以上だ。

    ——情緒もへったくれもない。

    あとで——と言っても翌日だが——こんなかたちで……行ってしまったことを……大きく後悔することになるとは、この時はまだ思わなかった。

    ……

    信濃への路は、幼いころに一度スキーで野沢に出向いたとき以来だった。
    その昔は、単に「野沢村」と呼ばれていたと記憶している。

    そのとき、初めて野沢菜漬けというものを口にした。

    ……

    「大根や胡瓜のぬか漬け」か「冬の白菜漬け」しか知らなかった横浜の大正村——横浜の南の外れで、そんな名の村はとっくの昔に消えているが——という田舎生まれの田舎育ちには、とても斬新に感じられた。

    ——かつては「ドリームランド」というテーマパークのようなものがあったような、ないような、モノレールでだめになったような……。

    国際警察も被疑者を追ってわざわざ捜査に来たこともあったらしい——キイハンターと呼ばれていたそうだ。

    村の子どもたちは、住宅のすぐ傍(そば)に置き去りにされ、カラスウリのような、ツタウルシのような、つる植物が絡まる廃線になった、モノレール線路によじ登って遊んだ。

    ……

    野沢菜漬けは、物珍しさから、都会的とすら思った。
    この青い菜っ葉(なっぱ)は何なんだろうと……というような無知丸出しな感じ。

    まあ、田舎が田舎を感心するとでも言うのだろう。

    ……

    午前三時過ぎには出発した。
    バイクだけではなく、わりとクルマの運転も好きだ。

    練馬から関越自動車道に乗り、藤岡ジャンクションで上信越自動車道に入る。

    下仁田インターチェンジを過ぎた頃から、左前方に妙義山の尖ったシルエットが見えてきた。
    道は妙義山の山麓北面を回り込むようにして、千曲市の更埴ジャンクション(こうしょくジャンクション)へと続いている。

    ここからさらに上信越自動車道を走り、豊田飯山インターチェンジで降り、国道117号線を千曲川沿いに進む。

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    #水の流れに花びらを


    千曲川は長野県を流れ、新潟県で日本海に注いでいる。
    新潟県内を流れる川の呼び名を「信濃川」という。

    どちらも風情のある呼び名だが、「千曲・信濃川」などと言う、妙な折衷案を取ることなく、ふたつ名を持つ潔さに感心したい。

    と言いたいところではあるが、それなら何故、新潟県内を流れる川に「越後川」という名称を付けなかったのか、疑問が残る。

    ……

    疲れのせいか、意味なく、何かに八つ当たりしたい気分だった。

    ——おそらく、古来より、源流は清く、神が宿る処と考えられてきた思想や信仰から、源流への敬意を込めて信濃川と呼ぶようになったのだろう。

    じゃあ「千曲川はなんだ」とも言いたいところだ——知性的とすら感じさせかねない、理不尽な八つ当たりだった。
    言い掛かり以外の何者でもない。

    「千曲」という名は川が幾たびも曲がりくねる様から名づけられたらしい。蛇行が多いという意味なのだろう。

    ……

    出発時刻も早く、相手——川だけど——に何らの落ち度の欠片(かけら)もない、八つ当たりや言い掛かりだけでは疲れは解消しなかった。

    もう、それ以上は考えず、「道の駅 花の駅千曲川」で休憩することにした。

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                                                                      Hikari_Azami

    ここからは、西には妙高山が望める。
    そして、東には、ほんの先を千曲川が流れ、遠くに木島平の稜線が見える。

    川は夏草にその姿の多くを隠しながらも、銀色に輝く川面をわずかに覗かせていた。
    よせるさざ波は見えない。

    ただ、この日の夕方、ここからもう少し先の「いいやま湯滝温泉」の近くで、千曲川の流れを目の当たりにすることができた。

    ……

    この国道117号線は、千曲川の左を走ったり、右を走ったり、水の流れに誘われて進むような道である。

    ある世代以上の方にとって、千曲川は五木ひろしさんが歌われた1975年・第17回レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲の印象が強烈であろう。

    ——『千曲川』

    なぜか惹かれる曲だ。
    マンドリンの前奏から入る音や旋律が繊細なだけではなく、何よりも歌詞に郷愁描写的な詩性があって、曲全体として演歌感がない。

    叙情的で繊細な歌詞が織りなす、信濃の山里の景色に溶け込むような情緒を纏っている曲だと思う。
    ——これまで、信濃はおろか、長野へ旅らしい旅などしたこともないのに。

    1975年大晦日の紅白でも、きっと白組のトリだったのではないかと推測する。
    ——きっと生まれていないだろうから……観ていないかもしれない紅白……そのあたりは、記憶がはっきりしなかった。
    赤組のトリは女性だったのだろう。

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    #英語のある街


    千曲川の右を走りながら、いいやま湯滝温泉を過ぎて少し進み、国道117号線から右に折れ——「野沢上境停車場線」と呼ばれる——県道353号線に入る。

    川を背にして山を登る。
    この先に野沢温泉村がある。

    天候が崩れ、驟雨(しゅうう)にたたられる。
    山の中腹辺りに村がある感じだ。
    駐車場を捜してクルマを止め、雨の中、住所だけを頼りに目的地まで歩いて出向く。

    村と呼ぶよりは、山の中腹にある小ぢんまりとした観光地の温泉街だ。

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    ……

    冬のスキーシーズンが近くなる十一月頃からは海外から長期滞在する方が次第に増えてくるとのことだった。

    そのせいか、街中の小洒落たカフェ——喫茶店ではなく——には、英語のメニューまで整っていた。
    だって、英語ですよ。
    少なくとも大正村にはない——英語のメニューも小洒落たカフェも。
    喫茶店すら見かけませんよ。

    狭い街中を歩き回りながら、建物を突き止め、交番をはじめあちこちで事情を聞くなどして、それでも午後五時過ぎ頃には、やれることは終わった。

    しかし、海外からの長期滞在の方だけでなく、道行く方も、国外の方が多かった。

    ……

    大正村ですれ違うのは、お念仏やゲートボールの帰りのお婆さんやお爺さんばかりだったが……。

    村の言い伝え——村人の何もない中での自慢——では、昔、国際警察は来たらしいが……でも、あれって、本来、来るもんじゃないだろう……ロケだからさ……おばあちゃん……。

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    #山霧


    曇り空ではあるが、雨もいつのまにか上がっている。
    ——風が涼しかった。
    村を後にし、山を下る。

    青い稲田の畦には、白いヒメジョオン(姫女苑)——文字面と違って、あまり評判が芳しくない外来植物のようだが——が揺れている。
    とにかく、田んぼの脇で揺れていた。

    青々と広がる稲田の向こうには、彼方遠くの妙高の山々を、雨上がりの山霧が横切り、夕暮れ時もあって、遠くの街灯が、里の灯(ひ)ともる郷愁を抱かせる。

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    ……

    いいやま湯滝温泉辺りでクルマを停め、川辺に立ち寄ることにした。

    間近で千曲川を見るのは初めてだった。

    川は滔々と水を湛え、反対岸の国道にある街灯が、夕暮れで静かに光り、夏草の陰を流れていく川面を見送っていた。

    川縁の草叢からは虫の音も聴こえ、夏の終わりを告げていた。

    やはり、あの旋律が浮かぶ。
    ——あの曲以来、この川を見た多くの方も、きっと水の流れに花びらを浮かべるように、何らかの切なる想いを川に映してきたのだろう。

    あの曲からもうどのくらいの歳月が流れたのであろうか。

    川は、きっとあの頃と変わらず、今も、人が映した想いを巻き込みながら北へと流れてゆくのだろう。

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    #甦る哀しき音いろ


    突然のことのように、それは起きた。
    信濃路から戻ったときは——正確には、出発した日の翌日午前零時過ぎであったが——「ちょっと腰が痛いな」という程度だった。

    長時間、運転をしていたせいで、お風呂に入って一晩眠れば治るだろう程度に軽く考えていた。

    ……

    しかし、その日の夕方頃まではまだ何とか歩けたが、痛みは引かず、次第に坐骨神経痛のような症状を呈してきた。
    翌朝、目が覚めたときには、立ち上がって歩くことすら困難になっていた。

    安静にしていたが、痛みが和らぐ気配もなく、市販の痛み止めも効かない。

    ……

    近くに大学附属病院と連携しているペインクリニックがあり、予約を入れた。

    傘を杖代わりにし——杖など持っていなかった——三メートルほど歩いては休みを繰り返しながら、ようやく辿り着いた。

    情けないことこの上ない。
    トイレに腰掛けることすら困難だった。
    狙いを定めるのも、職人技が必要だった。

    ……

    中堅どころと思われる男性医師は、下肢の痛みが生じている部位や生じていない部位を問診や触診も入れて丹念に確認している。

    慎重でありながら、自信あり気な様子もあって、その表情からは極めて深刻な状況であることが明らかに窺えた。

    医師の所作から、明らかに、とても重篤な病名を告げられるとの思いが頭をもたげる。

    ……

    運命的瞬間を感じ、途方に暮れた。

    DVDでしか観たことがないが、松竹映画『砂の器』(監督・野村芳太朗、原作小説・松本清張)の劇中音楽『宿命』の出だしである、ピアノの音が鳴り響いた——低音の鍵盤で弾く、ダン・ダン・ダンという感じだ。

    ——まさに劇伴だった。

    劇中では、加藤剛氏扮する和賀英良がグランドピアノを弾き、オーケストラの指揮もしていた。

    和賀がピアノの前に腰掛けたまま両腕を軽く挙げ、オーケストラに指示を与える構えを取る。
    ここから、曲はオーケストラによる演奏に入る。
    観客席では、和賀の婚約者である昭和のお姉さん——山口果林さん——が固唾を呑んで、うっとりと見つめている。

    映画には、他にもお姉さんが出てたな……島田陽子さんや夏純子さんだっけ——なんか、昭和のお姉さんって大人っぽかったな。
    老けてるというか……余計なことまで考えた。

    頭の中では、そうしたお姉さんたちまで、心配して駆け付けてくれた。

    とまあ、こんな感じの劇的な、ある意味、感動的ですらある場面が過ぎった。

    ……

    医師がこちらを見た。
    伏し目がちになり、言いにくそうな様子だった。
    気の毒そうな態度が滲み出ていた。

    ——嫌でも背筋に緊張感が走った。
    やり残していることというか、まったくやってもいないことが多かったように感じられた。

    思えば、あまり楽しくもない日々だった。

    ……

    ようやく医師が重い口を開いた。
    ——少し溜が長すぎるように思われたが、痛いので黙っていた。

    「ぎっくり腰ですね」
    「仙骨と言って——お尻の割れ目の付け根あたりなんですがね——ここから神経ブロック注射しましょう」
    とポップでライトな声で、あっさりと告げてきた。

    ——声が無駄に甲高かった。
    何より、聴くだけで痛そうな部位だし……。

    後で判ったが、誰にでもそういう対応をするタイプの方だった。

    ——(妙に、溜めんなよ……)

    和賀もオーケストラも、いつの間にか舞台からすごすごと立ち去っていた。

    ——お姉さんたちも「ほんと……失礼しちゃうわね……」と呟きながら……全員が消えた。

    ……

    ブロック注射は、週一回、都合四回にも及んだ。

    こうして信濃の旅路(たび)は、長時間のクルマの運転でもぎっくり腰になるという、極めて貴重な症例を日本医学界、いや世界の医学会に残して終わったと確信してやまない。

    草笛に似た千曲川の流れの音が、ふいに哀しく甦った。

    ……腰に響く。

    あのとき、千曲川へ言い掛かりを付けたから、怒った川の神様による「信濃のバチよ……」かもしれない……。

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    痛みが引いたら、神様へのお詫びがてら、吉祥寺のスナック・ヴァーゴにでも行って、『千曲川』、歌ってこよう……と。

    ——あそこにも、お姉さんはいるし……昭和の……たぶん……。

    こういうのを、お礼参りと言うのだろうか……。

    あのマンドリンによる前奏が腰のあたりから聴こえるようだった。

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    ——生明 ひかり(Azami Hikari)

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    ——水の音いろの向こうに、懐かしい記憶が揺れていた。

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    出典注記


    タイトルおよび文中に登場する「千曲川」は、五木ひろしさんが歌われた1975年の楽曲『千曲川』へのオマージュです。
    あの歌の情景を、今回の旅の中に静かに重ねてみました。

    ――『千曲川』

    歌手  五木ひろし
    作詞  山口洋子
    作曲  猪俣公章
    発売日  1975年5月

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    ――『音いろ哀しき千曲川』は、創作大賞2026・エッセイ部門への応募作品です。

    きっと、いつか電子出版するであろう写真随筆集『いまも君が現(ここ)にいるようで』(今のところ下巻収録予定)より。

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    垥礟

    素敵なマガジンで紹介していただきました。
    とてもありがとうございます。
    すごく嬉しいです。💙️💚️💖️

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    次回予告


    幻想小説《シリーズ遥奈》・第三篇

    ——『あの川の流れとともに——麻衣子——』

    バイク事故で急逝した姉・真理子
    ——姉の婚約者であった夫を愛し、娘を愛しながらも、亡き姉への後ろめたさと姉への愛情の狭間に翻弄される女性——麻衣子

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                                                                      Hikari_Azami

    過去と現在、生者と死者の想いが交錯する伊勢・五十鈴川のほとりで、麻衣子が触れた姉の真実の想いとは——。

    ——『夕星(ゆふづつ)——いまも君が現(ここ)にいるようで』・第三篇

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    生明ひかり (あざみ・ひかり) 写真家・随筆作家・大型バイク乗り 旅で出逢ったことをバイク乗りの感性を交えて綴った、クスッと笑える随筆かも。あと“お笑い幻想小説”も。 Instagram https://www.instagram.com/hikari_azami1006/

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