
突然、働けなくなった日— 適応障害で休職した私の記録【前編】
2024年の秋🍂
私は突然、働けなくなった。
最終的には退職という選択をしたけれど、
当時の私は
まさか自分が休職、そして退職する
なんて微塵も思ってもいなかった。
「適応障害」
まさか自分がなるなんて……
自分のこととして受け止める日が来るなんて。
社会人になってから十数年。
新卒からずっとフルタイムで働いてきた。
社会人人生、決して順風満帆だったわけではない。
パワハラ
連日の残業
休日出勤
業務量と責任の重さ
職場が変わっても、何かしら大変なことはあった。
それでも、多少無理してでも頑張るのが普通だった。
頑張れる自分でいることが、当たり前だった。
というか社会人ってそんなもんでしょ?って。
だから、自分が“働けなくなる側”になるなんて思ってもいなかった。
「主婦って、楽でいいな」と思っていた
正直に書くと、私は少し拗らせていた。
友人たちが結婚や出産を機に専業主婦、扶養内パートに変わっていき
仕事を辞めたり、セーブする働き方を変えていく中、
私は平日は朝から晩までずっと働いてきた。
そんな友人たちから
「仕事頑張っていてすごいね」
「尊敬する」
そんなふうに言われながら働いていた。
でも、心のどこかで羨ましかった。
他人の人生の責任を背負わなくていいこと。
クレームや理不尽なことから距離を置けること。
自分と家族のことを優先できること。
当時の私は職業柄、人の人生に関わることが多かった。
自分の人生すら余裕がないのに、
誰かのこれから、未来について考える。
責任感だけでずっと走っていたように思う。
だから、
「主婦って、楽でいいな」
そんなふうに思ってしまっていた。
今思えば、かなり偏った見方だったと思う。
でも、あの頃の私はそれくらい疲れていた。
眠れなかった夜
2024年10月下旬
その日、私は人生で初めて一睡もできなかった。
元々寝付きが良い方ではない。
でも、その日の眠れなさは異常だった。
眠れない。
焦る。
時計を見る。
また眠れない。
仕事だから少しは寝たいのに眠れない。
そんなことを繰り返しているうちに、
外が明るくなっていた。
「これは、さすがにおかしい」
三十数年生きてきて、こんな経験は初めてだった。
仕事がつらいなんて、今までだって何度もあった。
社会人歴十数年。
嫌なことも、理不尽なことも、
たくさん経験してきた。
だから今回も頑張れば大丈夫。
そう思っていた。
でも、、、何かおかしい。。。
「仕事に行きたくない」
というより
“もう無理かもしれない”
そんな感覚だった。
今まで経験したことのない感覚
認めたくなかった。
まさか自分が。
でも、気づけば私は必死に心療内科を検索していた。
初めての心療内科
気になったクリニックは、初診が1ヶ月先だった。
そんなに待つの?
正直驚いた。
でも、1ヶ月も待てる状態ではなかった。
だから、必死に探した。
少しでも早く診てもらえそうな場所を。
人生で初めての心療内科
正直、抵抗はあった。
「甘えなんじゃないか」
「まだ頑張れるんじゃないか」
「気のせいかもしれない」
そんな気持ちもあった。
診察室に入るだけで緊張した。
非常勤の女医さんに症状を説明し始めた瞬間、
涙が止まらなくなった。
泣くつもりなんてなかった。
でも、気づいたら泣いていた。
「許されるなら、休みたいです」
そう伝えていた記憶だけは、今でも鮮明に覚えている。
診断名は、
適応障害、軽度抑うつ
診断書が発行され、その日から1ヶ月の休職になった。
「1ヶ月休めば戻れる」と思っていた
正直、少し休めば戻れると思っていた。
これまでだって、どれだけしんどくても働いてきた。
だから今回も少し休めば元通り。
そう思っていた。
でも、現実は違った。
頭がうまく動かない。
家事を少ししただけで次の日は動けない。
人に会うだけで疲れる。
食欲も落ちた。
休んでいるはずなのに、全然元気にならない。
「なんで?」
焦りばかりが募っていった。
そして少しずつ、
“仕事に対する自分の気持ち”が分からなくなっていった。
それが、何より怖かった。
休めば戻れる。
そう思っていた私にとって、その現実は想像以上に苦しかった。
後編では
回復しない焦り、薬への葛藤
退職に至るまで
「主婦=楽」という思い込みが変わっていった話
現在の様子など書いています✍️