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やはり私は「鬱病」ではなく「適応障害」

    「なんで鬱病ではないのだ」
    「『鬱病だ』と診断してくれさえすれば、どれほど気が休まるだろうか」

    こんなことを考えてしまうなんて、
    鬱病で苦しんでいる方々に、
    本当に申し訳ないと思っている。

    けれど、適応障害と診断されている僕は、
    昨年、さまざまな時期にやってきた酷く苦しい時期に、
    こんなことを考えてしまっていた。

    「こんなに苦しいのに、僕は鬱ではないのか」
    「適応障害なんて、結局『逃げ』でしかないのではないか」

    そういった思いが、
    根底にあったからだと思う。


    そして、
    今。

    新たな年を迎え、
    少しずつではあるが、
    私の状況は改善しつつある。

    それとともに、
    精神的にも回復しつつある。

    相変わらずこういう思考からは抜け出せていないし、
    抗うつ剤も眠剤もその他の薬も飲んでいるけれど、
    それでも数カ月前よりはだいぶマシになったと。


    「やっぱり私は、鬱じゃなかったんだ」

    今はそう思う。


    と同時に、
    「適応障害」という中途半端さを、
    再認識する。

    さまざまな情報に触れて、
    それが鬱にまで至っていない中途半端な状態であるとか、
    環境に馴染めないが故の逃避行動であるとか、
    そういったことではないということは頭では理解している。

    とはいえ、
    やはり当事者意識としては、
    「中途半端」や「逃げ」という言葉が、
    心に纏わりついたまま離れない。

    そして、
    それはそれとして、
    仕方がない、
    と割り切ろうと努力をしている。

    「中途半端」だろうが「逃げ」だろうが、
    「鬱」だろうが「適応障害」だろうが、
    辛いものは辛い。

    捻挫でも骨折でも肉離れでも、
    痛いものは痛いでしょう?

    そんな感じ。


    そしてなんとなく、
    「一生心にギブスかサポーターを着けたまま生きていくんだろうな」
    ということは覚悟している。



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    ホリノウチ ヘラルド|エッセイ|掌編小説 フリーランスで、適応障害で、たぶんHSP。 herald.horinouchi@gmail.com

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