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白砂と黒砂の午後|特別でないようで特別な親子の時間

    今日は土曜保育を早お迎えして、
    午後から子どもと公園遊び。

    小さな公園で土日はみんな大きな公園や
    特別な場所に行くのだろうか、

    いつもの小さな公園は貸切状態。

    上の子から
    「ママ、一緒にお山作ろうー!」
    と嬉しそうな声で呼ばれる。

    私 「いいよー!でも、今日は時間があるから、
    いつもと違う公園でも、どこか行ってみたい場所でもいいんだけど、本当にここでいいの?」

    子 「ママはここ楽しくない?」

    私 「いやいや、そんなことはないよ!ただせっかくだから遠出してもいいんだけどなって思って聞いてみたんだよ」

    子 「じゃあここでお山一緒に作りたい!」
    私 「よし、わかった、やろう!」

    やると決めたら本気でやる。
    コートを脱ぎ、バッグを下ろして腕まくり。
    隣で下の子がもれなく真似っこ。

    あぁかわいい。笑
    敏感期の大変さも吹っ飛ぶ癒しがここにある。

    手でしっかり握れるサイズの石を探して、
    湿り気のある奥の砂を掘り起こす。

    私 「こうすると手の力が少なくて済むよ、
    お友達と一緒だと石は怪我するから気をつけないといけないけどねー」
    とか言いながら、ひたすらトントン。
    広げた両手のひらで2人でトントン。

    子どもは表面の乾いた砂を
    【しろすな】と呼んでいる。

    それ以外は【くろすな】である。

    「何で白砂と黒砂は
    色が違うんだろうねー?」
    とお尋ねしてみる。

    子 「なんでだろう??」(考えている様子)
    私 「白砂でお団子作れる?固まるかな?」

    子 「しろすなは固まらないから作れないよ」

    私 「小麦粉と白砂、似てない?」

    子 「???」

    私 「クッキーやパン作る時、
    小麦粉そのままで生地こねたり丸めたりできるかな?」

    子 「できんよー」

    私も「んじゃ、生地作る時、小麦粉に何入れてる?」

    子 「てんさいとう、イースト、お水、油とか?」

    私 「そうだね、そしたらどうなる?」

    子 「ポロポロしてきて、まとまって、こねてちぎってまるめるとよ」

    私 「おお、そうだね。
    白砂、小麦粉と一緒で
    そのままじゃ固まらないんだよね?
    何か入れた固まるかな?」

    子 「…あ!お水とか?」

    私 「あそこに水道あるね、実験してみる?」

    子「あ!こども園でお山にトンネルや、
    そのまわりに道作ってお水流してるよ!」

    私 「ほうほう、そしたらどうなるの?」

    子 「お水流したら白砂なくなるから、黒砂だとお団子がきれいに固まるんだよ」

    私 「そうなんだ。んじゃ白砂とお水合わせたら固まりやすくなるってことかな?水分が多いのが黒砂で、少ないのは白砂ってこと?」

    子 「そういうことか!お日様にあたって黒砂が乾いて白砂になるんじゃない?洗濯物もお日様にあてて乾かすのとおんなじやん?」

    私 「そうかも!よく気づいたね。」

    なんて会話をしながら。
    下から土台を固めて上へ上へと固めながら
    少しずつ高さを出す。

    完成したお山の周りは、黒砂を取り出して、
    お堀のようになっている。

    今度はそこを掘り進めてさらに高さを出し、
    掘り出した黒砂で下の子がせっせとおだんご作り。

    上の子がそれらを入れる、砂の器に見立てた
    まあるい壁を作る。
    そこに下の子が黒砂を固めて、
    白砂で仕上げたおだんごを並べることを、
    上の子が下の子に提案している。

    納得した下の子がやり始める。
    がしかし、秩序の敏感期にある3歳児。

    力加減のバランスで崩れやすいので、
    いつまでたっても仕上がりに納得いかない。

    ひとつのおだんごを根気強く半べそかきながら、
    何度も握っては崩れ、握っては崩れ、
    心が折れそうになっている。

    本人の内心はきっとこうだ。
    「おにぎりならもうできてるのに!!
    同じようにしてるのに、
    なんでコレはうまくいかないんだ!!!」
    にちがいない。笑

    3人で砂場に腰を下ろして、
    下の子をお手伝いしつつ、機嫌をとりつつ、
    夢中でおだんごを作る。

    黒砂をぎゅっと握る小さな手。
    その横で、白砂をふわっとかけて仕上げる上の子。

    「見て、できたよ。」

    誇らしげな声に、
    私はただ「できたね」
    「自分でできたね」「ひとりでもできたね。」
    「このまあるい形がいいね!」
    とひたすらありのままを認めるのみ。
    たくさん褒めたりはしないように心がけている。
    そこにあるのは褒められないとやる気になれない子になってほしくないという理由だ。

    私も余裕でできると思ってたけど、
    大人になって子どもの頃の感覚で作ろうとすると
    全然できない。

    あの頃できてたことを、子どもとやると、
    できなくなってることが多すぎて毎度落胆する。笑

    コマ回しも、フラフープも、竹馬も、おだんごづくりも、
    幼児期の記憶で楽しくて無我夢中だったあの頃。
    毎日呆れるほどよく遊んだから、余裕だったのか。

    砂の質もあるのかなーとか、
    またヒビ入ったーとか、ぶつぶつ呟く私の隣で、
    上の子だけはサクサク作る。
    まるで職人芸だ。

    崩れることを知っているから、
    ヒビ入ろうが、欠けようが、
    イライラすることなく、
    そっと手放すタイミングも熟知している。

    大切なのは、相手を知ること。
    子どもの行動がそれを物語っている。

    砂も。
    子どもも。
    そして、自分の手の大きさも。

    すると、私の手元を観察したのか、
    「ママは、手の大きさに合う砂の量にして。少なすぎるよ。あとおにぎりより優しくするとうまくいくと思うよ!やってみて。」とアドバイスが。

    母でいるつもりが、
    今日もまた教えてもらっている。

    「おぉ、ありがとう!やってみるね!」
    と素直に従うと、上の子の言うとおりで驚く。

    一発でコツが掴めて、
    白砂で仕上げたきれいなおだんごが私にも作れた。

    なんだこれ、うれしいじゃないか。

    高く積み上げた山は、いつか崩れる。
    表面はすでに乾き始めて色が変わっていた。

    お堀も、道も、
    誰かの足で踏まれて消えていく。

    でも、
    今日この瞬間に考えたこと、
    気づいたこと、
    一緒に「なんでだろう?」と立ち止まった時間は、
    きっとどこかに残るだろうか。

    遠くへ行かなくてもよかった。
    特別な場所じゃなくてもよかった。

    小さな公園で、
    白砂と黒砂の違いを考えながら、
    ただ呼吸を合わせて過ごす午後。

    それで十分だった。

    むしろ子どもはいつもそれで満足であり、
    遠出したいのは親のエゴなのかも知れない。

    大人の特別と子どもの特別は違う。

    そして今日、
    こんな時間を切望している子どもの気持ちを
    改めて知った。

    仕事をせずに、
    ずっと子どものそばにいられる人生もあったのかもしれない。

    でもきっと、
    今の人生だからこそ、
    こうして腕まくりをして砂を握る時間が
    いっそう愛おしく感じられるのだと思う。

    足りないと感じるから、
    抱きしめたくなる。

    限りがあると知っているから、
    今日を大事にしたくなる。

    子どもが「もう大丈夫」と
    いつか手を離す日が来るとしても、

    今日の砂の感触や、
    一緒に考えた時間が、
    きっとどこかに残っていてくれたらいい。

    大きな出来事はないけれど、
    小さな発見があった午後。

    答えより、問いを一緒に持てる母でいたい。

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    hengitysはフィンランド語で「呼吸」 立ち止まりながら、呼吸を整える日々を綴っています。 「どうするか」より「どう在るか」 判断しない時間を大切に。 子どものことも、働くことも、揺れる感情も。 役立つ答えはないかもしれない、 けれど、呼吸を戻す余白でありたい。

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