
【谷の巡礼】⑬キノコという万能存在 其の参「キノコ先物市場」
~谷の特産物~
むかしむかし、
あるところに、
“いかなる悩みにも効く”
という香ばしいキノコが、
人々の暮らしを
静かに支える村がありましたとさ。
そのキノコの噂は、
いつしか霧に乗って谷を越え、
遠くの村々まで
広がっていったのでございます。
「キノコば食べれば、もう安心ばい」
その言葉を信じた人々が、
谷の外から、
どっと押し寄せてまいりました。
欲を出した若い衆は、
こぞって行商へ出かけました。
キノコを高く売り歩き、
濡れ手で粟のあぶく銭を
稼ぐようになりました。
けれども――。
どんなにありがたいキノコでも、
生える速さには限りがあります。
村で育てても追いつかず、
やがて若い衆は、
谷の最果てまで、
背負い籠を担いで探し歩きました。
しかし、
探しても、探しても。
キノコはもう、
ひとつも
見当たらなくなっていたのでした。
~約束の胞子~
その谷に、
諦めにも似た空気が
漂い始めた頃。
困り果てた若い衆の前へ、
月賦相談所の若旦那が、
揉み手をしながら現れました。
「ご安心ください」
「未来を先取りする、
よい仕組みがございます」
若旦那が
懐から取り出したのは、
一枚の札。
『将来キノコ収穫権』
と書かれておりました。
「キノコが足りぬなら、
まだ見ぬ未来のキノコを、
先に買えばよいのです」
「これは、
“期待”という名の胞子でございます」

若い衆には、
その言葉の意味こそ、
分かりませんでした。
けれども。
“時代のキーワード”に、
若い衆はめっぽう弱かった。
「ありがたか」
「これぞ未来ば豊かにする智慧ばい」
そう言って若い衆は、
その紙切れを、
奪い合うように求めたのでした。
~キノコ先物市場~
かくして谷には、
『キノコ先物市場』
なるものが建ち上がりました。
村人はもはや、
キノコを育てることも、
その味を愛でることも忘れ、
紙切ればかりを
追い求めるようになりました。
『いかなる悩みにも効く』
という過剰な信仰が、
紙切れの値を
どこまでも釣り上げていきます。
かつて背負い籠を担ぎ、
泥にまみれて
谷を歩いた若い衆は、
今や帳面と筆を握り、
風の向きや、
胞子の飛び方を眺めては、
「来季は暴騰するばい」
と囁き合う、
立派な相場師へと
成り果てていきました。
村中が、
『収穫権』で溢れ返り、
誰もがバラ色の明日を夢見て、
心を弾ませました。
やがて、
未来の豊穣を疑わなくなった頃。
谷を訪れていた巡礼者が、
ぽつりと、こう言いました。
「先物という仕組み自体は、悪くない」
「……けれども、
未来のキノコを、誰も見ていない」

~芽吹かぬ胞子~
やがて、
約束を確かめる日が
訪れたのでございます。
村人たちが、
ついにその紙切れを
本物のキノコに
換えようとしたときのこと。
谷へ向かった村人たちが見たのは、
乱獲と、
手入れを忘れ去られた土壌によって、
真っ黒に腐り果てた、
キノコたちの山でした。
「万能薬が……毒になっとる」

噂は、
瞬く間に谷を駆け巡り、
熱狂は、
冷え切った沈黙へと変わりました。
価値があったのは、
“万能薬”という幻想だけ。
実りは、
どこにも残っていなかったのです。
収穫権は紙屑となり、
村には、
重たい静けさだけが残りました。
財を失った者。
約束された未来を失ったと絶望する者。

~還る谷~
けれども――。
不思議なことに、
数ヶ月も経つ頃には、
谷はかつてないほど、
穏やかな場所になっておりました。
人々は、
未来のキノコの話をやめました。
ただ風の中に、
微かに香ばしい匂いだけが
漂っております。
村人たちは再び、
自分の足で谷へ降り、
泥にまみれながら、
“今日食べる分だけ”のキノコを
探すようになりました。
そうして、
今日採れたキノコを、
少しだけ分け合い、
噛みしめるようになったのです。
キノコを口にした村人は、
「少し景色がぼやけることもあるばい」
と笑いながら、
不完全で、
不安な、
けれど確かな、
“今日”へと戻っていきました。
かつての値札も、
収穫権も、
もうどこにも見当たりません。
ただ、風に乗って、
ほのかに甘く香ばしい匂いだけが、
静かに、
谷へ帰ってきておりました。
――それはまるで。
まだ見ぬ未来へ、
値を付け続けた谷の、
弔いの灯火。
そして、
誰も履行できなかった約束の名。
デフォルト。
めでたし、めでたし。

そして――。
未来のキノコへ値を付ける者も、
収穫権を追い求める者も、
いつしかいなくなりました。
けれども、
谷のさらに外れでは。
誰にも値札を付けてもらえぬものへ、
今日も静かに時間を注ぐ者がおりました。
そんな、
もうひとつの“投資”のお話――。
