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【谷の巡礼】⑰証文録 第1条「ワンルームマンション投資譚」

    ~灯籠無道の先の箱~

    むかしむかし、
    あるところに、
    それはそれは、
    深い闇に包まれる谷がありましたとさ。

    ある日のこと。

    谷のはるか向こう、
    都の灯りが瞬く方角から、

    一人の旅人が、
    谷道を下ってきたのでしたとさ。

    旅人は、
    提灯の並ぶ道をゆっくりと歩き、

    村人たちの笑い声が漏れる
    茶屋の前で、
    ふと足を止めました。

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    その旅人は、
    汗ひとつかかず、
    小綺麗な身なりで、
    たいそう愛想の良い男でございました。

    やがて旅人は、
    茶屋の暖簾をくぐりました。

    そして、
    ある一人の村人に、
    微笑み、
    気さくに声をかけ、

    気前よく温かな食事と、
    一番上等な酒を振る舞ったあと 、
    空気を読んで、
    こう切り出したのです。

    「これからは、
    自分の代わりに
    『箱』が働く時代が来るのですよ」

    「都の若者が、
    あなたの代わりに汗を流し、
    せっせと銭を運んできて、
    箱の中へ納めてくれる……」

    「あなたはただ時折、
    その箱の様子を眺めていればよいのです」

    「ほかのかたには、内緒の話です。
    あなた様だけにお教えする、
    “よいお話”があるのです……」

    旅人はそう囁くと、
    希望に満ちた、
    明るい表情で、
    話に聞き入る村人を、

    他の村人から、
    そっと切り離すように、
    茶屋の奥にある、
    薄暗い奥座敷へと招き入れました。


    ~奥座敷の誘い~


    「都の駅のすぐそばに建つ、
    『屋敷の貸間』という
    『魔法の箱』を持てば、
    人が入れ替わり立ち替わり住まい、
    あなたに銭を落としていくのです」

    旅人はそう言って、
    ちょうどいい塩梅の頃合いを見て、

    キラキラと光る、
    不思議な、
    粘土細工の模型を見せたのでした。 ​

    「この貸間を都に持てば、
    都の若者がせっせと働いて、
    あなた様に貸間代を納めるのです」

    「しかも、
    村に納める年貢(所得税)も
    安くなるという
    魔法付きでございます」

    「ああ、ご安心下さい。
    もし住み手が途絶えても、
    私どもが銭を保証する
    『空部屋の保険(サブリース)』
    という術をかけましょう」

    「目先のお代は、頂きません」

    「あなた様は、ただこの、
    『借財の証文(フルローンの契約書)』
    に判をつけばよい」

    旅人は、
    鼻息も荒く、
    懐から、
    ずいと証文を突き出しました。

    「さあ、判を。
    これであなた様も、
    今日から都の大家様だ!」

    村人は、
    その甘い言葉に
    目を輝かせました。

    「働かんで銭が?」
    「これは、老後の蓄えになるばい」
    「これで、老後は安泰ばい!」 ​

    奥座敷の静寂の中に、
    「ト、ン」
    と、 小気味よい音が響きました。

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    それは、
    村人が魔法を信じ、
    重い判を証文に預けた音でした。

    旅人は、
    満足げに目を細め、
    証文を懐へ、
    そっと仕舞い込みました。


    ~茶屋の微酔~

    村人は夢見心地のまま、
    頬を紅潮させ、
    ふらふらと奥座敷から、
    茶屋へと戻ってきました。

    それは、
    酒の酔いではありませんでした。

    都の大家になる暮らし。
    働かずに入る銭。
    老後の安泰。

    そんな甘い夢に、
    心だけが先に酔っていたのです。

    「おい、顔を真っ赤にして
    どげんしたとか」

    その様子に気づいた男が、
    笑いながら声をかけました。

    村人は上気した声で、
    堰を切ったように語り始めました。

    「これからは『箱』が働く時代たい……!
    都の若者が代わりに働いて、
    銭を運んでくれるらしか!
    俺は今日から都の大家たい!」

    「働かずに銭が……?」
    「おいおい、
    そげな美味い話があるわけ――」

    せっかちな男は、
    答えを確かめようと
    奥座敷の障子をそっと覗き込みました。

    するとそこには、
    薄暗闇の中で妖しく黄金に輝く、
    見たこともないほど立派な
    『貸間の模型』が鎮座していたのです。

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    「本当に『魔法の箱』があるばい!」

    誰かがそう叫ぶと、
    茶屋の空気が、
    ふっと変わりました。

    さっきまで
    世間話をしていた者も、
    黙って茶を啜っていた者も、

    皆、
    奥座敷の向こうにある
    黄金の光から
    目を離せなくなったのです。

    その熱は、
    囲炉裏の火よりも早く、
    酒の酔いよりも深く、
    茶屋中へと広がっていきました。


    ~茶屋の投資サロン~

    その時です。
    旅人は、
    ゆっくりと口を開きました。

    「都の光は、あなた様を救います」

    「今こそ、
    重いクワを
    捨てる時でございます」

    『魔法の箱』に心を奪われ、
    村人たちは、
    旅人の元へ駆け寄りました。

    「よかねぇ、俺もあやかりたかばい!」
    「俺にもその証文をくれ!」

    茶屋の中が、
    外の夕闇を忘れるほどの、
    得体の知れない熱気に包まれていったのでした。

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    ~落ちた言葉~

    そのとき、
    谷を訪れていた巡礼者が、
    ぽつりと、こう言いました。

    「……やらなくても、
    いいんじゃないですか」 

    その言葉は、
    誰にも拾われることなく、
    静かに、
    谷に落ちました。

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    やがて旅人は、
    村人たちの期待を
    風呂敷に包むと、
    風のように、
    “ひらり”と、
    どこかへ去っていったのでした。

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    ~魔法の鎖~

    それからというもの、
    借財の証文は、
    村人たちの、
    魔法の鎖となりました。

    かくして、
    村人たちは、
    以前よりも必死にクワを振るい、
    来る日も来る日も、
    労働に明け暮れました。

    そして、
    誰も、
    箱の中身を、
    見た者はおりませんでしたとさ。

    ――それは、まるで。
    谷に沈んだ、黄金の楼閣。



    ――そして谷では、
    新たな証文が結ばれようとしておりました。

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    手鞠

     
     
    谷を彷徨い、谷を巡礼しながら。暮らしと、お金の輪郭を綴っています。

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