
もう会わない人のことを、考え続ける価値はある?
外出先で、
ほとんど知らない人と、
ほんの少しやり取りをする。
こちらが何か言ったあと、
相手の表情が曇ったように見えました。
返事も、少し冷たい。
明らかに怒られたわけではありません。
何か失礼なことをした、と分かる出来事もありません。
その人とは、
たぶんもう会いません。
それなのに、
家に帰ってからも思い出します。
「なんで、あんな顔をされたんだろう。」
何か変だった?
言い方が悪かった?
嫌な人だと思われた?
一度思い出す。
別のことをしていても、
また思い出す。
そのたびに、
相手の顔や声を頭の中でもう一度確かめます。
でも、
ここで少し不思議に思います。
もう会わない人です。
今後の関係を修復する必要も、
その人から何か大きな判断をされる予定もありません。
現実上、
特に困ったことも起きていません。
だったら、
もう会わない人なんだから、いつまでも考えても仕方ない。
という見方は、
かなりもっともらしく思えます。
今後ほとんど関わらない相手なら、
その人について追加で考える現実価値は、
かなり低いのではないでしょうか。
ただ、
傷ついたこと自体まで、
「気にする必要はない」
と片づけたいわけではありません。
嫌な反応を受けたと感じれば、
ショックを受けることはあります。
では、
傷ついたことと、そのあと考え続ける価値は、同じなのでしょうか。
今回は、
もう会わない人のことを、考え続ける価値はある?
という問いを、
少しずつ測ってみます。
まず、「考え続ける」を測ってみる
使うのは、
「現実価値の物差し」です。
これは、
科学的に妥当性や信頼性が検証された心理尺度ではありません。
数字も、
客観的な正解ではありません。
ある行動から起こり得る結果を分けて、
条件を変えたとき、何がどう変わるのか
を見るための整理用の物差しです。
基本スコアは、
(重要性÷5)×(影響度÷5)×実現見込み×100
で出します。
この数字は、
「40.8%の確率で起きる」
「40.8だけ改善する」
という意味ではありません。
一つの具体的な結果を比べるための、
暫定的なスコアです。
正の結果と負の結果も、
足し引きして一つの総合点にはしません。
そして、
もう一つ分けておきます。
相手の反応を見て、
胸がざわつく。
「嫌われた?」
と一瞬浮かぶ。
これは、
その場で自動的に起きた反応です。
今回測るのは、
その反応そのものではありません。
そのあとで、
相手の表情や言葉を何度も思い出し、
なぜあんな顔だった?
私の何が嫌だった?
変な人だと思われた?
何か失礼だった?
と、
相手の内面を追加で考え続けること
です。
なお、今回の人物も、
いくつかの特徴を組み合わせて考えるために置いたモデルです。
「こういう人はみんな同じように考える」という話ではありません。
では、
実際に見てみます。
相手のことを考え続けると、何が増える?
最初の一巡には、
少し意味があります。
自分が明らかに失礼なことをしなかったか。
その場で修正すべきことがなかったか。
一度だけ確認する。
この、
明白な失礼がなかったかを確認できる
という結果の基本スコアは 9.6 でした。
ゼロではありません。
もし本当に、
こちらが相手の荷物を邪魔していた。
順番を抜かしていた。
言い方に明確な問題があった。
そういう材料が見つかるなら、
現実上、確認する意味があります。
でも、
材料が増えないまま、
そこからさらに考え続けるとどうでしょう。
新しい情報がないまま注意を拘束する結果は 40.8。
ショックの感情を維持する結果は 25.2。
さらに、
相手の一反応から、
「私は嫌な人なのかもしれない」
「私はおかしいのかもしれない」
と、
一件の反応を自分全体への評価へ広げる結果は 26.4 でした。
一方、
相手が本当は何を思っていたのかについては、
考える時間を増やしても、
新しい材料そのものは増えていません。
ここでは、
最初の仮説がかなり残ります。
ショックが大きくても、相手の内面について新しく分かることは、ほとんど増えませんでした。
つまり、
「もう会わない人のことを考えても仕方ない」
という見方は、
少なくとも、
相手の頭の中を考え続ける
という行動については、
かなり当たっていたように見えます。
では、
やっぱり、
何も考えないほうがいいのでしょうか。
何も分析せず、時間を置いたら?
ここでいう「何も考えない」は、
嫌なことを感じない、
という意味ではありません。
思い出してしまうこともあります。
胸がざわつくこともあります。
ただ、
そこから相手の本心を追加で分析しません。
食事をする。
お風呂に入る。
別のことをする。
寝る。
意味を確定しようとせず、
少し時間に置いてみます。
すると、
注意を生活へ戻す結果は 27.0。
時間や睡眠を守る結果は 40.8。
自然に感情が下がるのを待つ結果は 14.4 でした。
これは、
かなり有力です。
相手の本心について新しい情報がないなら、
考え続けなくても、
現実は特に困りません。
むしろ、
考えないことで守れる時間もあります。
ここで、
もう一つ見えます。
何も考えないことも、かなり有力でした。
「ちゃんと向き合わないといけない」
「傷ついたなら理由を見つけないといけない」
と、
毎回分析へ入る必要はなさそうです。
小さなショックや、
時間とともに自然に下がっていくものまで、
全部意味を探さなくてもいい。
一方で、
自分の側について新しい情報が増えにくいという負の結果は 15.6 でした。
ただし、
その情報が今すぐ必要でないなら、
増えないこと自体が大きな損失になるとは限りません。
つまり、
時間に置く方法は、
生活へ戻るには強い。
でも、
自分の中で何が起きていたのかを知る方法ではありません。
もちろん、
それで困らないなら、
それでもよさそうです。
では、
少し条件を変えたらどうでしょう。
それでも、翌日まで残っていたら?
一晩たっても、
まだ思い出します。
仕事をしていても、
ふと、
あの表情が戻ってくる。
しかも、
気になるのは相手のことだけではありません。
「私は、変な人なのかもしれない。」
あるいは、
別の場面では、
「私は、能力がないのかもしれない。」
そんなふうに、
一件の出来事が、
自分全体への評価まで動かし始める。
ここまで来ると、
少し条件が変わっています。
もう会わない相手なのは、
同じです。
でも、
その出来事は、
今の生活の中に残っています。
注意を取る。
自己評価を動かす。
場合によっては、
次の行動まで変える。
時間を置いても残り、別の現実まで動かし始めた場合はどうでしょう。
ここで、
相手ではなく、
自分の側を短く見てみます。
相手ではなく、自分の側を少しだけ見る
ここでやるのは、
「なぜ私はこんな人間なのだろう」
と深く掘ることではありません。
たとえば、
何を否定されたように感じた?
この一件から、自分のどこまで評価を広げた?
「嫌な反応を受けた」と「自分全体がダメ」は、同じ話?
くらいです。
短く、
今起きていることを分けてみます。
この場合、
自分の反応を区別できる結果は 31.2。
出来事と、自分への評価の範囲を分ける結果も 31.2。
さらに、
次に似た場面が来たときに確認する材料ができる結果は 21.6。
その時点で思考を終える方向へ近づく結果も 21.6 でした。
ここでは、
相手の本心が分かったわけではありません。
でも、
別の情報が増えています。
たとえば、
「冷たい反応をされたこと」が苦しかっただけではなく、
そこから、
「自分は変な人なのでは」
まで評価を広げていた。
そんな区別です。
ここでは、相手についてではなく、自分について別の情報が取れる場合がありました。
ただし、
これも自動的に高価値ではありません。
自分の理由を無理に作って、
「私はこうだからだ」
と決めつける結果は 9.0。
自責を深く掘り続ける結果も 10.8 あります。
大きく傷ついたら、
必ず自己分析したほうがいい、
という話ではありません。
時間で下がるなら、
そのまま置いてもいい。
少し嫌だっただけなら、
わざわざ意味を探す必要もない。
自分の側を短く見る価値が上がってきたのは、
その出来事が長く残り、
注意を奪い、
自己評価へ広がり、
ほかの行動まで動かし始めた場合でした。
ここで、
少し見方が変わります。
相手との関係は、
もう終わっています。
でも、
関係は終わっても、反応は自分に残ることがある。
では、
そこで自分の反応が少し分かったとして。
それは、
何の役に立つのでしょう。
相手には、
もう会わないのに。
一回限りの出来事から分かったことは、次でも使える?
数週間後。
今度は職場です。
同僚から、
「ここ、違います。直してください」
と短く修正を求められます。
言われた内容は具体的です。
人格について何か言われたわけでもありません。
でも、
一瞬だけ、
「能力がないと思われた?」
が浮かびます。
ここでは、
前の出来事とは相手も場面も違います。
では、
前回見えた自分についての情報は、
何か使えるのでしょうか。
まず、
前回の情報を使わず、
一から意味を探す場合を見ます。
嫌われた?
能力が低いと思われた?
言い方が冷たかったのは、
何か別の意味がある?
そうやって、
今回も一から考え始める。
この場合、
一から意味や原因を探索し続ける負の結果は 23.4。
一件の出来事から自己評価全体へ広げる結果は 28.8。
今ある事実の確認へ戻るのが遅れる結果は 19.8 でした。
では、
前回の情報を、
一度だけ思い出したらどうでしょう。
「前にも、一件の否定から、自分全部の評価まで広げたことがあった。」
そこまで思い出す。
そして、
すぐ今回へ戻ります。
今回の事実は何だろう。
本当に能力評価をされた?
それとも、
直すべき箇所を一つ指摘されただけ?
今、修正するものは何?
この場合、
自己評価への広がりに早く気づく結果は 36.0。
今回の事実確認へ早く戻る結果も 36.0。
一件から自己評価全体へ広げるのを抑える結果は 33.6。
新しい材料がなければ、その時点で終える結果は 25.2 でした。
一回限りの出来事から取れた情報が、
別の場面でも、
現実へ戻るための確認材料として使える場合がありました。
ただ、
ここで終えると、
「やっぱり自己理解しておくのが一番いい」
という話にも見えます。
本当にそうでしょうか。
もう一つ、
かなり強い方法がありました。
前回のことを思い出さなくても、現実には戻れる
前回の自分についての情報を、
まったく使わない場合です。
同僚から、
「ここ、違います。直してください」
と言われた。
では、
今回確認できることは?
指摘内容は具体的。
人格評価はされていない。
修正箇所がある。
なら、
そこを直す。
前回の自分がどうだったかも、
「私は否定に弱いのか」も、
考えません。
今回だけを現実確認します。
この場合、
現実条件を正確に確認する結果は 40.8。
現在の事実を優先する結果は 38.4。
不要な相手の内面分析を避ける結果は 18.0 でした。
かなり強いです。
つまり、
前回得た自己情報は、
毎回の現実確認より上位にある、
万能な方法ではありませんでした。
むしろ、
今の事実だけを見て戻れるなら、
それで十分な場合もあります。
ここで、
自己情報の役割が少しはっきりします。
前回の自己情報は、現在を見る代わりにはなりませんでした。
では、
何のために使えるのでしょう。
前回の情報を使ったケースで増えていたのは、
今回の事実そのものではありません。
「能力がないと思われた?」
と浮かんだあと、
そこからまた長く意味を探し始める前に、
「前にも、一件から自分全部の評価まで広げたことがあった。」
と気づけることでした。
つまり、
前回の情報ができるのは、
今回の答えを出すことではない。
現在へ戻るまでの寄り道を短くすること。
そんな役割なら、
ありそうです。
一件の出来事から、
また自分全部の評価へ広げ始めたとき。
「前にも、こういう広がり方をしたことがあった。」
と気づく。
そして、
今回の事実を見る。
それなら、
前の出来事は、
完全にその場だけのものとも言い切れなくなります。
その人との関係は、
その一回で終わっていました。
相手の本心を知る必要も、
もうほとんどありません。
でも、
「私は、一件の否定から自分全部の評価へ広げることがある」
と一度気づいたことは、
別の場面で、
「今回も同じことが起きていない?」
と確かめる材料にはなりました。
出来事が終わった日と、そこから持ち帰った情報が使えなくなる日は、同じとは限りませんでした。

だからといって、
もう会わない人について考え続ける価値が高くなったわけではありません。
相手の本心を考えても、
新しい情報はほとんど増えない。
時間に置くだけで済むこともある。
それでも長く残ったときには、
相手との関係が終わったことと、その出来事から持ち帰れるものがなくなったことを、同じにしなくてもいい。
ただし、
ここには大事な境界があります。
持ち帰るのは、「私はこういう人」という答えではない
前の出来事から、
「一件の否定から、自分全部の評価へ広げたことがあった。」
と分かった。
これを、
前にもこうなったことがある。今回はどうだろう。
と持っておく。
これは、
次の現実を見るための材料になります。
でも、
少し形を変えると、
別のものになります。
私は否定に弱い。
私は人の評価を気にするタイプだ。
今回もどうせ同じだ。
こうなると、
過去の情報が、
今回を見るための材料ではなく、
今回を決めつける答えになります。
過去に一度そうだったから、
今回もそうだと決める。
すると、
新しい事実が入る余地が小さくなります。
持ち帰るなら、
場面を限定したまま。
今回の事実で上書きできるまま。
一度思い出したら、
現在へ戻る。
そのくらいがよさそうです。
自己理解は答えではなく、次の現実を確かめる仮説として持つ。

今回の比較では、
その扱いのほうが、
前の出来事を使いながら、
今の現実も失わずに済みました。
では、もう会わない人のことが頭から離れないときは?
最初の問いへ戻ります。
もう会わない人のことを、考え続ける価値はある?
少なくとも、
相手の頭の中を、
新しい材料もないまま考え続ける価値は、
かなり低く見えました。
だから、
まず見たいのは、
相手が何を思ったかではありません。
今、現実上まだ扱う問題は残っている?
ということです。
何か実害があったのか。
修正することがあるのか。
今後も関係が続くのか。
新しい事実が入ったのか。
そこが残っているなら、
まず現実を見ます。
特にないなら、
次は、
時間に置いても下がるものだろうか。
と見てもいい。
食事をする。
別のことをする。
眠る。
それで薄れていくなら、
毎回、自分の内側まで分析する必要はありません。
それでも残る。
何度も注意を取られる。
一件の出来事から、
自分全体の評価まで下がっていく。
次の行動まで変わり始める。
そんなときには、
相手の本心ではなく、
一度だけ、
私はこの一件から、自分のどこまで評価を広げた?
と見てみる。
そこで何か見つかっても、
「私はこういう人」
と確定しなくていい。
前回はこうだった。次もそうなら、一度確認しよう。
そのくらいで持っておく。
そして、
新しい情報が増えなくなったら、
そこで終える。
もう会わない人なら、
その人の頭の中を、
いつまでも考えなくてもいいのかもしれません。
でも、
その出来事が自分の中へ長く残ったなら、
そこから何を持ち帰る必要があるのか
を一度だけ見てみる。
何もなければ、
置いていく。
何か見つかっても、
「私はこういう人」
と決めず、
前回はこうだった。今回はどうだろう。
と、
次の現実で確かめるために持っておく。
一回限りの出来事から持ち帰るものは、
そのくらいでもいいのかもしれません。